5. 誰のための人生なのか
飲食店に入り、案内された先には兄の姿があった。
「お、お疲れー」
「久しぶり、お兄ちゃん」
軽く手を振って、兄の向かい側の席に座った。
兄と2人きりで食事をするのは全く思い出せないほど久しぶりのことだ。
「久しぶりだな。最初連絡来た時さ、めっちゃびっくりしたよ。なんかあった?」
「この前あおいと2人だけで遊んだ時、そういえばお兄ちゃんに全然会ってないなあって思ってノリで誘ってみたんだ」
「ああ、あおいそんなこと言ってたな、真とカフェ巡りしたーって」
「そうそう」
ストレートに浮気の件は言わずに、あおいの話題で様子を見てみることにした。
「あおいのことちゃんと大切にしてあげてる?お兄ちゃん鈍感だから心配」
「大切にしてるに決まってるだろー。何年付き合ってると思ってるんだよ」
「何年とか関係ないよ?女は。ちゃんと感謝とか愛してるとか言葉に出さないと良くないよ」
「はいはいー」
「お兄ちゃんは、結婚とか考えてるの?年齢とか、年数的にもさ」
「お前も付き合った年数気にするじゃねえか」
「うるさいなー」
「まあ、それなりに?」
「ちゃんと私抜きで話し合ってね。もう子供じゃないし」
「学生の頃、よく喧嘩して仲裁に入ってもらったよな、懐かしい」
2人が付き合い始めたのは大学生からだが、3人が出会ったのは真の高校入学からだ。
真とすぐ親友になったクラスメイトのあおいは、真の家に遊びに行ったときに裕と出会った。
学校ではイケメンの先輩と噂されているにもかかわらず、家ではだらしなく過ごしている裕の様子を見て、真面目なあおいはいつもドン引きしていたのを思い出した。
「…お前もさ、いつまでも『あの人』探すのやめたらどうなんだ。もう、何年経ったよ?」
「…え?」
今日2回目のお母さんの話。まさかお兄ちゃんから話を振られるとは思わなかった。
「正直、真があの人のこと、ずっと引きずってるのが見てて辛いんだよ。ずっと過去に縛られているのも良くないんじゃないかなって俺は思うよ」
「あのさ、少し気になってたんだけど」
「うん」
「なんで、お兄ちゃんってさ、お母さんと離れ離れになるってなった時、1回も泣かなかったの?」
「ええ…あんま覚えてないな」
「それどころか、お兄ちゃんさ、3人暮らしになって優しくなった気がするっていうか、明るい雰囲気になった気がして」
「何?覚えてないってば」
「え」
兄の顔が険しくなっている気がした。
「お前がさみしそうだったから慰めようとして明るくふるまってたんじゃないの?分かんないけどさ」
「…そっ、か、そっか」
兄の嫌そうな雰囲気を感じて、納得しておくしかなかった。
「俺はさ、そろそろ真に前を向いてほしい。彼氏作ったりとか、そういえば仕事先とかに良い人いないの?」
「あのさ」
「ん?」
「お母さん探し。やめてほしい?」
「うん、まあ、もっと今とか未来とかに目を向けてほしいって話。本当に、真のためだから」
「分かった、ありがとう」
「うん」
家に帰り、実家からこっそり持ってきたアルバムを開いた。
天野家がまだ4人家族だったころの写真ばかりが入ったアルバム。
私のたった1人のお母さんなのに、前を向くためにはお母さんへの思いを捨てないといけないのかな。
前を向くためには、必ず過去の思い出を置いて行かないといけないのかな。
3人家族になってから、お父さん、お兄ちゃんの振る舞い、雰囲気が変わった気がしていた。
きっと、私に隠し事があるのだろう。それも、お母さんのことについて。
お父さんには『浮気して誘拐未遂までした極悪人』、お兄ちゃんには『もう関わらないほうがいい』と言われて育った。
なにか私が知らない事実がある。それを知るまで、私の人生は前へと向くことはない。
決意を固めるため、アルバムを抱きしめた。