義妹を虐めてるから婚約破棄? ええ虐めてますけど何か?
「ロザリー、おまえとの婚約を破棄する!」
裕福な子女の通う学園の卒業パーティー。
肩を怒らせて入ってきた男子生徒は一人の女子生徒を指差した。
ロザリー=アダムス。
この学園でも十指に入る裕福な家のお嬢様である。
文武両道で成績は良く、これまた同級生の中でも十指に入る秀才ぶり。
公平公正で生徒の評判は良く、礼儀も正しく教師受けもよい。
体つきは女性らしい魅力にあふれ、髪は豊かなブルネット、目鼻立ちのくっきりとした顔立ちをしている。
目尻が上がって人当たりのきつい印象のある顔だが、美人であることは間違いない。
背中の大きく開いたドレス姿に、何人もの男子生徒が目を奪われていた。
「レオン様、大声を上げて。どうなされましたの?」
深い青色のドレスを翻して、ロザリーは婚約者の方へ向き直った。
大勢の注目を集めていることなど気づいていないような落ち着き払った態度だ。
艶めく紅唇で悠然とほほ笑む。
「そんなに怖いお顔をなさって。
今夜は私たちの卒業を祝う夜ですわよ?
これでもお飲みになって気を落ち着けて」
シャンパンの入ったフルートグラスを差し出すが、それは瞬時に床に叩き落とされた。
さすがにロザリーは不快をあらわにし、細い眉をしかめる。
だが、レオンの気勢も衰えない。
怒りに燃える目でロザリーを睨みつけた。
「酷いと思うか?
だが、おまえはこれ以上のことをしてきただろう?
妹であるエヴァに対して」
今まで目を丸くして静観していた人々に間に、動揺が広がった。
半信半疑の視線がロザリーに向く。
「エヴァから全部聞いたぞ。おまえのエヴァに対する残酷な仕打ちを。
エヴァは『血が繋がっていなくても本当の姉』と慕っているというのに……おまえには人の心がないのか」
レオンは秀麗な顔を険しくした。
怒っていても、その姿にはどこか気品が漂っている。
タキシードの着こなしは完璧で、身ぶりが激しくとも後ろになでつけた金髪は少しも乱れない。
「清く正しく賢く、貴族の血を引く我がキングスリー家にふさわしい淑女だとばかり思っていたのに。
まさか本性はずる賢く嫉妬深く冷酷な女だったとは。
おまえにキングスリー家の門をくぐる資格などない!」
レオンの背後には、先祖代々キングスリー家の家来だという生徒二人が控えていた。
が、ロザリーは臆することなく、むしろその様に冷ややかな視線を送る。
「わたくしがエヴァを虐めていたですって? 例えばどのように?」
「エヴァが言っていたぞ。
おまえは学校ではニコニコと愛想がいいが、家では横暴で冷血そのものだとな。
気に入らないことがあると、エヴァの頬をつねったり、耳をひっぱったり、時には引っぱったくこともあるそうじゃないか」
「何それ。あの子の勘違いじゃないかしら」
「しらばっくれるな。
証拠もなくこんなことをいったりはしない。
エヴァの肌には青黒い痕が残っていた。爪の痕もな。ちゃんとこの目で見た」
ロザリーは何も言わない。
周囲の視線が厳しさを増した。
「他にも、たびたびエヴァの部屋から勝手に物を持っていくそうだな。
洋服をはじめ、エヴァのお気に入りのネックレスや、祖母の形見の指輪までも」
「取ったとは心外ですわ。元々あるべき場所に戻しただけです」
「エヴァの持ち物はすべて自分の物だといいたいのか。厚かましい。
エヴァに嫉妬しているんだろう。
エヴァはあの家の本当の子供だが、君は引き取られただけの義理の娘だからな」
「勝手な憶測はよして頂きたいわ」
「おまえに学校では話しかけるな、と命令されているともいっていたぞ。
内気で友達も少ないのに、唯一の身内であるおまえが助けないなんて。
かわいそうに」
「かわいそう?
名誉あるキングスリー家のご子息ともあろうお方が、ずいぶんと軽率な発言をなさいますこと。
一方の話だけを聞いて信じるなんて」
「俺も最初は半信半疑だったさ。
曲がりなりにも俺はおまえの婚約者。
未来の夫として妻を疑うのは恥ずべきことだと、追及は避けてきた。
だが、さっき卒業パーティーのためにおまえを家に迎えに行ったとき。
俺は見てしまったのだ。
おまえがエヴァを突き飛ばしているところを。
倒れたエヴァを助け起こすこともせずに、おまえはどこかへ行ってしまった。
どうだ? そんなことはしていないと言い張るか?」
「……しませんわ」
ロザリーの言葉を聞いて、レオンは一歩距離を詰めた。
「事実と認めるのだな?」
「ええ。認めるわ。私はあの子を突き飛ばした。
あの子に学校で話しかけることを禁じましたし、あの子の部屋から色んなものを持ち出しましたし、あの子をつねったり叩いたりもしました。
確かに、受け取りようによっては虐めかも知れませんわねえ」
「かもしれない、ではない。虐めだ!」
レオンは腹を立てたが、彼の婚約者は相変わらず冷静だった。
ふてぶてしく言い放つ。
「――で、レオン様。それが何か?」
「何かとはなんだ。開き直りとは見苦しい。
罪を認めたなら、妹に、エヴァに謝罪しろ。
自分が悪かった、二度としないと、公衆の面前で皆に誓え。
それが筋というものだ」
「嫌です」
ロザリーはきっぱりあっさり言い放つ。
「一つお聞きしますけれど、あの子がいいましたの? 私に謝れと」
「いいや、いっていない」
「あの子が謝れといってもいないのに謝るなんておかしなことでは?」
「あの気弱で内気なエヴァがおまえにそんなことが言えるわけないだろう!」
レオンは乱暴にロザリーの肩をつかんだ。
ドレスにつけられていた黒い羽根飾りが大理石の床の上に散る。
「第三者が口を突っ込むなというなら。アダムスご夫妻に訴えてやる」
「どうぞご自由に。
そうね、わたくしもお父様やお母様に叱られたら、さすがにあの子に謝りますわ。
もっとも、そんなことはありえないでしょうけれど」
「なんてことだ。エヴァが、両親はおまえの味方といっていたが、本当だったとは」
脅しを鼻で笑ったことに腹を立て、レオンはさらに手に力を込めた。
肩の痛みにロザリーが顔をしかめた時、パーティー会場に可憐な声が響く。
「やめて、レオン!」
華奢な少女がレオンにすがりついた。
白い羽根飾りのついた淡いピンク色のドレスを着ている。
さえずるような高めの声と、背で波打つ金の髪がカナリアを連想させた。
エヴァ=アダムス。
ロザリーの同い年の義妹だ。
澄んだ青い瞳をうるませレオンに訴える。
「ロザリーお姉様に乱暴しないで」
「止めるな、エヴァ。
ロザリーには酷い目に遭わされてきたんだろう?
この女には相応の報いを与えるべきだ」
「違うの。本当は私が悪いの」
エヴァが白い面を伏せて力なくいう。
だれもが同情を寄せたくなる姿だったが、ロザリーは違った。
無礼な手を肩から払うと、腕を組んで命令した。
「そうよ、あなたが悪いのよ。
謝るのはあなたの方で、私じゃないわ。
彼に話したことは嘘だって証言なさい。
今すぐよ」
エヴァの目にみるみるうちに透明な雫が盛り上がる。
「ひっ、うっ、ロザリー姉様、どうしてそんなに冷たいの?」
「理由が分からないとは驚きね。
今まで何人も私の友人を奪い、何度も居場所を奪って来たくせに」
「そんな、エヴァは、私は、そんなつもりは」
エヴァの頬を涙が伝う。
義姉の冷たい視線から彼女を守ったのは、レオンだった。
エヴァを抱きしめ熱く告白する。
「エヴァ、泣き止め。俺がいる。これからは俺が君を守る。
俺と結婚しよう。
二人で訴えれば、ご両親もこの女の非道さを分かってくれるはずだ。
もしアダムス夫妻が理解しなかったとしても心配するな。
そのときは俺の父が家名にかけて、ロザリーの悪事を追及してくれるだろう。
必ず君の家からロザリーを追い出して、二度と君に会わせないようにする。
任せてくれ」
「レオン様――」
澄んだ青い大きな目が見開かれる。
だれもがこの不幸な少女に訪れた幸福な結末を予想したが、その期待は安易だった。
――ドゴォッ!
突然、エヴァはテーブルにあった骨付き鳥をつかみ、求愛者の横面を殴り飛ばしたのだ。
「ロザリーちゃんをうちから追い出す?
エヴァを二度とロザリーちゃんに会わせない?
なんでそんな酷いことするのよ、このスカポンタン!」
清楚可憐な雰囲気はどこへやら、エヴァは大声でまくしたてる。
「ロザリーちゃんをのけ者にするなんてっ。
あなたなんか嫌いっ。
ゴリラ! チンパンジー! 雨の後に道ばたで干からびてるミミズっ! うまく剥がれない瓶のラベルっ!」
エヴァは両手に一つずつ持った骨付き鳥でレオンを叩き続ける。
レースの白い手袋がソースで汚れるのも構わない。
あまりのことにレオンはうろたえ、反撃を忘れていた。
頼りの家来二人も静観して手を出さず、周囲も唖然として見守るだけだ。
「やめなさい、エヴァ。私との約束を忘れたの?
学校ではなるべくしゃべらない、暴れない。
無口でおとなしい女の子でいるっていう約束」
「あっ」
ロザリーにたしなめられると、はっと我に返ってエヴァは食べるとおいしい武器を下ろした。
「ああ、もう。せっかく皆にアダムス家にふさわしいお嬢様のイメージを植え付けられていたのに。
最後の最後にやってくれたわね。
外見は十八歳でも頭は空っぽ、子供と変わらないってことがバレたじゃない」
ロザリーは額に手を当てて溜息を吐く。
親しげな二人の様子に、ソースと肉片にまみれたレオンは目をしばたかせた。
「一体どういうことだ? エヴァ、君はロザリーを嫌っているはずじゃ……?」
「嫌い? エヴァがロザリーちゃんを?
何言ってるの? ロザリーちゃんがエヴァを嫌っても、エヴァがロザリーちゃんを嫌うなんてあり得ないよ?」
エヴァはもも焼きを頬張りながら、あどけなく小首を傾げる。
「でも、さんざん酷いことされたって」
「いったけど。別にエヴァ、ロザリーちゃんを嫌いなわけじゃないよ。
なんでそうなるの?」
「そんな酷いことをされたら、普通は嫌いになるものだろう」
エヴァは鳥の骨を唇に押し当て、目線を上にやった。
「ええっと、なんていえばいいかな。
たとえばね、猫ちゃんに引っかかれるじゃない?
痛い、酷いって思うでしょ?
でもかわいいことには変わりないでしょ?
そういう感じ」
エヴァのロザリーへの愛情は多少の反撃をものともしないのだった。
「助けて欲しいからロザリーのことを俺に話していたんじゃないのか?」
「話したのは、レオちゃんがロザリーちゃんの婚約者だからだよ?
ロザリーちゃんに、家でのことは学校の皆には話すなって約束させられていたんだけど。
レオちゃんならいいかなって。
エヴァね、ずっとうずうずしてたんだ。
学校の皆は、ロザリーちゃんは頭良くてレーギ正しくて親切っていうけど、家ではエヴァと取っ組み合いのケンカするしオーボーだし冷たいんだよって教えたくて。
エヴァは皆が知らないロザリーちゃんのことを知ってるんだって、だれかに言いたかったんだぁ」
エヴァのセリフは義姉を非難しているようでありながら、その実、どこまでも自慢げだ。
ロザリーが苦々しげに補足する。
「レオン様、この子はね、話した内容が相手にどう思われるかなんて、そんなこと想像しないのよ。
前後の経緯や主語も飛ばすから、私は今まで何度もあなたのように誤解され、悪評を立てられてきたわ。
おかげで何人友達を失くして、何度転校させられたことか」
怒りの温度差に気づいて、レオンはぽかんとした。
だが、すぐに気を取り直してエヴァの肩をつかんで揺さぶる。
「目を覚ますんだ。つねられたり叩かれたりなんて異常だ。
長年そんな扱いを受けてきたせいで、感覚がマヒしているんだな。
エヴァは純粋で世間を知らないから、異常が異常だって分からないんだ。
かわいそうに」
「レオン様、これをご覧になって下さる?」
ロザリーは黒いレースの長手袋を外し、腕にある歯型を見せた。
「これはエヴァに付けられましたの。
この子、手加減を知らないんですもの。
ケンカで本気になると物は投げてくるし蹴ってくるし噛んできますのよ?
つねるとか叩くくらいの反撃はかわいいものだと思いません?」
レオンはつばを飲み込んだ。
頬を伝って流れ込んできたソースは思いのほか塩味が強い。
「エヴァから服やネックレスや指輪を取り上げた?
当たり前でしょう? この子ったら、気にいると他人のものでも勝手に部屋に持ち込むんですもの。
“私の”服や“お母様の”ネックレスや“お父様”が受け取ったお祖母様の形見を元の場所に戻すことに何か問題が?」
レオンは気まずく滴るソースを手でぬぐう。
服やネックレスの所有格に気を払っていなかった自分を呪った。
「学校では話しかけるなと言ったのは、エヴァの自立を促すためです。
私といるとエヴァが甘えて進歩しませんから。
わたくしが結婚して家を出た後、この子も周りも困るでしょう?」
周囲のだれも彼にハンカチを貸さないので、ロザリーはレオンにハンカチを貸してやった。
「言っておきますけれど、レオン様。
わたくしは本当にエヴァのことを妬ましくも羨ましくも思っておりませんから。
養父も養母もエヴァとわたくしを分け隔てなくかわいがってくださいます。
今までわたくしの家族について、あなた様に詳しく話したことがございませんでしたわね。
わたくしの実父と義父は共に会社を興した仲で、数多の苦楽を共にした親友なのです。
父と共に他界した母も、養母とは学生時代からの親友。
二人とも『苦労をさせては親友の墓前に参れない』とこちらが恐縮するくらいに良くしてくださいますわ」
ロザリーは髪を飾るダイヤモンドのバレッタを重たそうにした。
エヴァのパールで作られたティアラに負けない華やかさだ。
「ちなみに、我がアダムス家の経営する会社の株式は、半分をわたくしが所有しております。
創業者の片割れの娘ですから、当然ですわね。
ゆくゆくは会社もわたくしが継ぐ予定です」
えっ、と驚いた顔になったレオンを、ロザリーは冷笑した。
「わたくしがアダムス家となんの血縁もない養子だから、財産がないと思っておりました?
結婚したところで、たいした財産も持たされない娘だと?
エヴァに乗り換えた方が賢明だと?」
ロザリーの唇が完璧な弧を描く。
「婚約破棄、でしたわね。望むところ。大歓迎ですわ。
自分勝手な思い込みで人をさんざん侮辱した上に、目の前で妹に求婚する非常識なお方と結婚なんてしたくありませんもの。
帰ったらさっそく父母に今日のことを伝え、あなたのご両親にも婚約解消の旨をお知らせします。
ではごきげんよう。
ラストダンスは他の方と踊ってくださいませね」
ロザリーは義妹の腕を取って出口に向かったが、途中でレオンを振り返った。
「ハンカチは返して頂かなくて結構です。
というか、だれも貸してくれない意味を考えた方がよろしいですわよ、お偉いキングスリーお坊ちゃま」
ロザリーに含みのある視線を向けられると、レオンの家来であるはずの生徒二人は気まずそうにした。
レオンに非難がましい目を向けられると、そっぽをむく。
昨今では法律で貴族と庶民の垣根は取り払われている。
いくらレオンが貴族の血を引いていても威張れる理由にはならないし、先祖が家来だったことを理由に従わせる権力もない。
レオンの言動が時代錯誤だということを。本人だけが気づいていなかった。
「うまくいったわね」
会場を出てから、ロザリーがぽつりとつぶやいた。
「何が? ロザリーちゃん」
「婚約破棄よ。
レオンの父親が国の要職についていることを笠に着て強引に迫ってきた縁談だったから、向こうから断らせるために画策していたんだけど。
レオンがこうも思い通りに動いてくれるなんて。
あなたを突き飛ばしたのが決め手だったわね」
「あっ、あれっ。
酷いよロザリーちゃん。エヴァ、何にも悪いことしてないのに。
尻餅ついて痛かったのに。謝りもせずにどっか行っちゃって。
ちゃんと謝って」
「私がお嫁に行って家からいなくなる方がよかったわけ?」
ロザリーに鼻をつままれると、エヴァは口をつぐんだ。
ぶすっと不機嫌に薄桃色の唇をとがらせる。
「……ロザリーちゃんのお腹はまっくろくろすけ」
「お父様とお母様にはいうんじゃないわよ?
私が他人を陥れるような人間に育ったと知ったら、自分達の愛情不足だとか心配して、私の両親の墓前で泣き崩れるわ」
ロザリーは今度は唇をつまんで脅かしたが、エヴァは存外素直にうなずいた。
「言わないよ」
「聞き分けがいいのね」
「だって、底意地悪いロザリーちゃんはエヴァだけのものだもん」
「ちょっと、ソースで汚れた手で触らないで」
「やーだ!」
パーティー会場にラストダンスの曲が流れ出すと、エヴァは義姉の手を取って廊下で踊り始めた。
ロザリーは迷惑そうにしながらも、でたらめなステップに合わせて動く。
くるくる踊りながら仲良く去っていく姉妹の姿を、レオンも級友たちも呆気に取られて見送った。
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