第8話 壊れた日常
ノーマはベナドから帰ったその日に、今後の生活について告げられた。
初めこそ戸惑いはしたが、借金の理由は自分のことであるため、何も言えなかった。ルマリアはベナドへ出稼ぎに行き、ヒューゴは自身の作品制作の他に、商業ギルドからの追加依頼を受けることで、収入を増やすべく奮闘していた。
ノーマは出稼ぎに出たルマリアに変わり、炊事、掃除、洗濯、そして、ルマリアが趣味で育てていた家庭菜園の世話を担当することになった。外へ出ることへの恐怖はまだ拭えていなかったが、状況がそれを許さない。幸か不幸か今を生きるために必死になったことで、悪夢を見る余裕がなくなったのか、最近では悪夢をあまり見なくなったおかげで何とか買い物には行くことができるようになった。
そんな生活が続いていたある日、買い物の帰り道に、ふと森の方向を見た。
(森には木の実とか、食べられる物がまだあるんだろうけど……でも……)
ノーマは飢えていた。
ここ最近の食事は、比較的安価で手に入る豆で作ったスープと安く譲ってもらった硬いパン、そして家庭菜園で育てた野菜を少しずつ使って食いつないでいた。だが、元々食いしん坊のノーマには今の食事量では足りなかった。使えるお金が限られている以上、嗜好品となるお菓子も我慢しなければならない。頭ではわかっていてもノーマには耐え難いものだった。
森の木の実や魚を獲りに行くことができれば少しは食事の足しになるだろう。しかし、魔獣はもういないとわかっていても、どうしても足がすくみ動くことができない。満たされないお腹と諦めるしかない現状に落ち込み、溜息を吐きながらトボトボと歩いていた。
そんな様子を見ていたネフラが、ノーマに問いかける。事情を知らないネフラに魔獣の一件を話した。すると、ネフラに考えるがあるようで、後で外に行くように言うのだった。
家に戻り、お昼ご飯の支度が終わったノーマは、父を呼んだ。
「……お父さん、ご飯できたよ」
「ああ……ありがとう、ノーマ……」
「……お父さん、大丈夫?」
「ああ、少し……疲れているだけだ……」
「……」
ここ数日、ヒューゴは工房に籠りっきりだった。目の下にはクマができており、足元がふらついてる。貯えを増やすため、相当無理をしているようだった。
「お父さん、やっぱり少し休んだ方がいいよ」
「大丈夫だ、心配するな」
「でも……」
「……さて、仕事の続きだ」
「お父さん……!」
ノーマの制止も聞かず、ヒューゴは工房へ行ってしまった。ヒューゴの体調を心配だったが、仕事の邪魔をするわけにもいかない。書置きを残して、ノーマは外へ向かった。
バケツや籠を持ち、ノーマはネフラに連れられて森へ行くことになった。怯えるノーマに、ネフラは魔力操作で風を纏うように言う。
「こう……かな?」
ノーマの身体が風に包まれる。ネフラは、ノーマに風に魔力を込めながら周囲に解き放つように指示を出した。
すると、風に込められた魔力を通して、花や草に隠れた石や、虫の存在まで、自身を中心に周囲の状況が明確になっていく。例えるなら、蝙蝠が超音波で周囲の物を探るのに似ているが、範囲は桁違いに広い。
だが、それだけではない。ネフラは再び風を纏い、走るように指示を出した。
「えっと、こうやって……走る―――っ!?」
走るために一歩踏み出した瞬間、身体が数十メートル先まで跳んだ。ノーマは予想外の出来事に混乱し、バランスが崩れ、バケツと籠庇ったせいで着地に失敗する。しかし、纏った風がクッションになり、特に怪我はしなかった。
これが、ネフラの能力である。
ネフラは風の中位精霊、風を生み出し、風をある程度操れる。魔力操作で突風を起こしたり、圧縮した空気で攻撃や防御、足場等を形成したりできる。さらに風を纏うことで、物体を受け流し、熱や冷気の遮断、水中での呼吸や周囲の索敵等を行うことができる。そして、身体強化と組み合わせることで身軽になり、跳躍力の強化及び短時間ならば浮遊、滑空、飛行等が可能となっている。
中位精霊は下位精霊よりも上位の存在であり、単純な魔力の量はもちろん、より精密に魔力操作ができるため、工夫次第で上記以外の運用も可能。一方で、その強い魔力の影響で精霊術師以外の者でも視認できてしまうため、心ない者から狙われることも多い。そのため、動物に擬態することで身を守っている。
「これなら魔獣かどうか確認できるし、すぐに逃げられる?……確かに」
仮にネペンテスに襲われたとき、もしもネフラの力があったなら、魔獣だと確信をもってみんなに警告できた。逃げるときもこの身体強化があれば簡単に撒けただろう。追いつかれそうになっても、高台へ瞬時に逃げることもできる。すべての魔獣に使える手ではないが、現状ではありがたい力だった。
「これならなんとかなるかも……ありがとう、ネフラ」
ネフラは誇らしげに胸を張る。その後も森までの道中、何度も失敗を繰り返しながら練習を重ね、森へ到着する頃には感覚を掴んでいた。
「結構転んだりしたのに、ずっと早く着いちゃった……よし、食べ物探そうっと」
ノーマは、魔獣対策ができたおかげですっかり上機嫌になっていた。
森に入り食料を探すときも精霊術は活躍を見せていた。精霊術で食べられそうな物を探り、移動にも風の精霊術を使うことで効率化を図った。ネペンテスの一件で野生動物が減った影響か、木の実や魚など、想定よりも多くの食料を確保できた。
「結構集まったかな……ちょっとだけ……~~~~~~ッ!!」
木の実を一つ頬張ると、皮のわずかな渋みと果肉の甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。今まで我慢していた分、小躍りするほど美味しかった。歯止めがきかず、木の実をつまみながらさらに食料を探していると……少し離れた茂みから何かが動く音が聞こえた。
瞬時に緊張が走り、ネフラの力を使って索敵を行った。
「ネフラ、お願い!……これは……人?」
ノーマは、一先ず胸を撫で下ろす。しかし、気になることもあった。背丈が自分とそう変わらないのである。相手もこちらに気付いたのか、少しずつ近寄ってきた。念のためネフラの力でいつでも逃げられるように構える。
そして、茂みから現れたのは……
「……ノーマ?」
「ブラン!?」
「ノーマ、よかった。塞ぎ込んでるって聞いて心配してたんだ。……すぐ会いに行けなくてごめんね」
「ううん、いいよ。……でも、なんでブランがここにいるの?」
「……実は―――」
ブランも食料と花を探しに来ていた。
なぜなら、魔獣の一件はノーマの家だけの問題ではなかったからである。エメスにノーマの救出を依頼したことで、ターナ、ブラン、ハックとダレスの家もエメスへの支払いに追われていた。ブランの家は小さな仕立て屋。父親が出稼ぎに出て、母親と祖母は家で元々の行っていた仕事の他に商業ギルドからの依頼をこなしている。ブランも母の手伝いと家事、そして店番を担当していたために、ほとんど外に出ることができなかった。
ターナの家も、ターナ自身が出稼ぎに出て資金を調達していた。問題なのはハックとダレスの家である。救出依頼に加えてハックの治療費を捻出しなければならないため、今は夫婦で繋がりのある同業者にお金を借りに周っていて、今はハックとダレスの二人で牧場を管理しているのだという。
全員が生活に追われ、請求に怯えながら身を粉にして働いていた。
「そうだったんだ……」
「今日はね、お母さんが休みをくれたの。だから今日、ノーマのお見舞いに行こうと思ってたんだけど……手ぶらだと寂しいからいろいろ探してたんだ」
「わざわざありがとう。でも、ブランたちもそんな状態になってたなんて知らなかった……」
「仕方ないよ。みんな自分のことで精一杯だったんだから……やっぱり、ノーマの家も?」
「うん、お父さんかなり無理してるみたいで、すごく疲れてる。少しは休んでって言っても聞いてくれなくて……」
「そうなんだ……そうだ、これ少ないけど持って行って」
ブランは食料と花が入った籠をノーマに差し出した。
「えっ!?い、いいよ。それはブランが見つけたやつでしょ?」
「気にしないで、ノーマのおかげでこうして生きてるんだから」
「でも……」
「これはお見舞いと感謝の気持ち……こんなのじゃ足りないけど受け取ってほしいんだ」
「……わかった」
ブランから籠を受け取ろうとした瞬間、ブランのお腹が鳴る。
「ご、ごめん……気にしないで」
「……」
お腹を抑えながら申し訳なさそうにするブラン。生活を切り詰めていたのはブランも同じだった。良く見れば、ブランの顔は以前よりも少しやつれている。同じ境遇のはずなのに、お見舞いという名目でノーマに食料を渡そうとしたのだ。
「……じゃあ、もらっていくね」
ノーマは籠の中から花だけを受け取り、籠をブランに返した。自分のお腹が鳴ったせいで、ノーマが遠慮してしまったと思ったブランは焦り、慌てて弁明した。
「ノーマ、わたしは大丈夫だから……だから―――」
「……じゃあ、わたしのお願い聞いてくれる?」
「えっ?う、うん……」
「一緒に食べ物探そう」
「えっ……」
「わたしもお父さんのためにもう少し探したいし、ついでにブランの家の分も集めよう」
「で、でも、それじゃあ……わたしノーマに何もお返しできてないし、それに……」
ブランは、ノーマの籠や桶に視線を移した。明らかに自分より多くの食料を確保できている。ノーマの提案を呑んだ場合、得をするのはブランだけだった。
「……やっぱりダメだよ。足手まといになっちゃう」
「そんなことないけど……だったら食料を探してる間に話し相手になってよ。こうやって誰かとしゃべるのも久しぶりだから」
「でも……」
「お願い、聞いてくれるんでしょ?」
「……ありがとう」
「それじゃあ、早速行こう。今日のご飯は豪華になるぞ~」
ノーマの心遣いに感謝しながら、二人は食料を探す。これまでのことを話しながら作業してたおかげか、あっという間に時は過ぎ、食べ物が集まる頃には夕方になっていた。
「お父さん、喜んでくれるかな?」
「きっと喜ぶよ」
村までの道中、談笑しながら歩いていると、こちらに向かって走ってくる人影があった。二人は訝しみ、身構えたがよくよく見ると見覚えのある人物だった。
「……お父さん?」
その人影はヒューゴだった。息を切らしながら必死にこちらに向かって走ってきている。
何事かと思い、二人もヒューゴの元へ向かった。
「お父さん、どうしたの?」
「……どこに行っていたんだ?」
「どこって、書置きした通り森に……そうだ、見てお父さん。こんなに獲れ―――」
「こんな時間まで、何をしていたと聞いているんだ!!」
「! お、お父さん……?」
「あんなことがあって塞ぎ込んでいたのに、また森に行ってこんな時間まで帰って来ない……どれだけ心配したかわかっているのか!!」
「ご、ごめんなさ―――」
「一体なにを考えてるんだ!!だいたい―――」
「おじさん、待って!!」
ヒューゴのあまりの剣幕に気圧される中、堪らずブランがヒューゴの腕にしがみ付き、制止をはかった。
「わたしのせいなんです!ノーマはわたしの食料集めに付き合ったせいで遅くなったんです!ごめんなさい!!」
「……食……料?」
ここで、ヒューゴは初めて籠の中にある木の実と桶に入っている魚が目に入った。そして、泣いている娘の顔も……
「どうしても、お腹が空いて……お父さんも、疲れてるから、元気になってほしくて……喜ぶと……思っ……て……」
「っ!!」
「ごめんなさい……ごめんなさ~~~いっ……!!」
「……すまない、すまないノーマ……」
泣きじゃくるノーマを連れて、ヒューゴたちはそれぞれの家に帰った。ヒューゴはノーマにひたすら謝り、許してはもらったものの、怒鳴られたショックが抜けきっておらず、その日の夕飯は重苦しい空気だった。
その夜、月明りが差し込む工房でヒューゴは頭を抱えながら自責の念に駆られていた。
(わたしは……あの子の何を見ていたんだ……)
(ノーマはよく食べる子だったじゃないか!いきなり食事の量を減らしたらこうなる可能性だってあったじゃないか!)
(しかも、あの子はわたしのことも考えてくれていたのに……それを、あんな頭ごなしにっ!!)
「何をやっているんだ……わたしは……」
自分に対しての怒りで身を震わせるヒューゴ。
ヒューゴは連日の徹夜作業のせいで精神的に不安定になっていたのもあるが、何よりも娘を失う恐怖が勝り、焦りで感情的になってしまった。
娘のために身を粉にして働いていた自分が娘自身を見れていなかったこと、娘の優しさを見ずに一方的に自分の感情をぶつけてしまったこと、娘のためを思って出稼ぎには出ずに一緒にいることを選んだのにもかかわらず傷つけてしまったこと……自分の不甲斐なさが後悔となって降りかかっていた。
「……このままじゃダメだ」
月明りを頼りに、新たな決意を胸に秘め、ヒューゴは手紙を書いていた。
お疲れ様でした。
補足すると、ヒューゴは少しでも早く借金完済し、今までの生活に戻るために、かなり無茶な返済計画を立てています。商業ギルド職員のリトはそんなヒューゴを止めようとしていましたが、できるの一点張りで押し切られ、現在に至っています。