第4話 一筋の光
時を遡り、ノーマは自らが囮となってネペンテスから逃げていた。
(みんなはちゃんと逃げられたかな……でも、どうしよう……)
ノーマは窮地に追いやられていた。木を盾にしながら逃げれば、ネペンテスは回り道を強いられ、いずれは振り切れると思っていた。しかし、ネペンテスは邪魔な木々を薙ぎ倒し、足代わりになっている蔦の一本一本を複雑に動かすことで、木を薙ぎ倒した後に残る木の株であっても難無く移動できることは想定外だった。
木々の隙間を縫うように走るノーマと、木を薙ぎ倒しながら迫るネペンテス。両者が一定の距離を保ちながら、一進一退を繰り返していた。
(このままじゃ追いつかれる。なんとかしなくちゃ……)
突破口を見出そうとするも、そんなに都合よくいい考えが出るわけでもない。必死になって走っていると、前に洞窟の入り口が現れた。
この洞窟の入り口はネペンテスの全高よりも低い。上手く逃げ込めれば、諦めるまで籠城することもできるかもしれない。だが、もしも大型動物や他の魔獣の巣穴だった場合、挟み撃ちになる危険性がある。
思い悩む時間が欲しかったが―――――
(……何もいませんように!)
ノーマは何もいないことを願いながら、洞窟に入った。
幸い、危険な生き物の姿は見られず、長い通路になっていた。ネペンテスの蔦がノーマを追従してきたが、長さが足りなかったらしく時折様子を窺っても追ってくる気配はなかった。
ルビィが点けてくれた明かりを頼りに洞窟の最奥に向かって走ると、そこら中に岩が転がっている開けた場所に出た。
「ここで行き止まり……とりあえず一息つけそうかな。諦めてくれるといいんだけど」
ノーマは、しばらくこの場所で身を隠すことにした。
ルビィが暗い空間を照らしてくれているおかげで恐怖心はなかった。岩に腰掛けつつノーマは息を整える。
「はぁ……喉乾いたな……水飲みたい……」
襲われたときに、荷物はすべて河原に置いてきてしまった。洞窟の中にも水はなかった。無いものねだりなのはわかっていたが、つい呟いてしまった。
すると、突然ノーマの目の前に水球が現れた。
「これって……まさか!?」
ノーマは、この水球に見覚えがあった。周囲を見渡すと、そこには水の精霊の姿があった。
「精霊さん!? 着いて来てたの?」
ネペンテスから逃げる際に、どこかに逃げたものだと思っていたが、どうやらノーマを心配して服に潜り込んでいたらしい。
「ありがとう。……この水は飲んでいいんだよね?」
精霊は、ノーマの言葉を肯定した。
水で喉を潤し、一息ついていた矢先に、妙な異音が聞こえてきた。それは、何かが這いずるような、狭い中を無理やり入ってきているかのような音だった。
「まさか……そんな……」
心当たりなど一つしかない。ネペンテスが洞窟に無理やり侵入したのだ。
「どうして……どうして、そこまでしてわたしを狙うの……?」
ネペンテスがノーマを狙う理由は、腹部の火傷の一件だけではない。単純に空腹だからである。本来、腹を満たすだけならば別の動物でもよかったのだが、ノーマを追いかけるために木々を薙ぎ倒した結果、その轟音に驚いた周囲の動物は逃げてしまったため、餌となる生き物がいなかったのだ。
自業自得とはいえ、何としても空腹を満たしたいネペンテスは強硬手段に出るしかなかった。
「どうしよう……どうしよう……」
ここは洞窟の最奥。開けているとはいえ出入口はネペンテスが迫っている一か所のみ、ルビィの火も河原で使用したものが最大火力だった。つまり、ネペンテスには通じない。そうなると、入り口を陣取られたらノーマには何もできない。
恐怖のあまり岩陰に身を隠したノーマだったが、事態はなにも改善されない。
自分はもう助からない。このまま魔獣に食べられて死んでしまう。確実に訪れるであろう死の予感に、過呼吸を起こし、涙を流した。
「お父さん……お母さん……みんな……」
絶望の中、愛する家族や村の人々のことを思いながら、ただ祈ることしかできず、ノーマの心は押しつぶされていった。
そんなとき、不意に頭を撫でられているような温かさと、流れる涙を拭う冷たいがどこか心地いい感触がした。
「……ルビィ……精霊さん……」
精霊たちがノーマを励ましていた。そして、水の精霊はある提案をする。
「精霊契約……でも……」
水の精霊が加わったところで、ネペンテスには太刀打ちできない。精霊契約をしたところで無駄になる。そう考え躊躇したが、それでも力になりたいと精霊はノーマに語り掛けた。
「……どうして……どうして、今日会ったばかりのわたしにそこまでしてくれるの?」
精霊契約をしているわけでもないのに、精霊がなぜここまでしてくれるのかノーマにはわからなかった。しかし、精霊からの答えはとてもシンプルなものだった。
「友達……だから?」
精霊は川で生まれ、川のせせらぎを聞きながら一人で過ごす毎日に特に不満はなかったが、時期が来ると人間たちが和気あいあいと魚を捕りに来る光景を見たとき、とても羨ましく思った。その輪に入ることが密かな願いだったが、普通の人間には自分の姿見えない。見えたとしても引っ込み思案な性格が災いするだろうと半ば諦めていた。そんな中、自分を受け入れ、願いを叶えてくれたノーマに恩返しがしたいと考えていた。
精霊は、ルビィに対しても説得にかかった。ルビィはまたしても素っ気ない態度をとったが、契約すること自体には反対しておらず、むしろ契約をするのなら急ぐように急かしていた。
「ありがとう……」
今のノーマにとって、精霊の気持ちがとてもうれしかった。さっきまでとは別の感情で涙が溢れ、心が温かくなっていくのを感じた。
水の波紋が広がるように魔法陣が展開され、精霊契約は進む。魔法陣は穏やかに流れる川のように静かに波打っていた。精霊は、契約に失敗しても力になることを約束していたため、精神的負担も軽く、滞りなく行われた。
「わたしの願いは……みんなのところへ帰りたい。だから、力を貸して“アクリア”」
ルビィのときと同様に、ノーマとアクリアは力の高まりを感じていた。それは、精霊契約の成功を意味していた。
精霊契約が成功し、アクリアにどんなことができるのかを訪ねた。
アクリアは、水の下位精霊。水を生み出し、水や液体をある程度操ることができる。そして、魔力操作を行うことで、耐水・耐熱・耐電気などの効力を得ることができる。
魔力総量が上昇し、アクリアが持っている能力も知ることができた。しかし、ネペンテスに対しての有効打は未だに見出せずにいた。
ノーマも身体能力を上げることはできるが、ハックよりも元々の力で劣るノーマでは、武器があろうと勝算はない。効果がありそうなルビィの火も怒らせるだけで終わった。アクリアの水も効き目は薄い。
中途半端な攻撃は相手を怒らせるだけなのは身をもって知っている。つまり、一撃で相手が怯むような大ダメージを与えなければならなかった。
「一体どうすれば……」
頭を抱えていると、ある物が目に留まった。
それは、身体能力を強化すれば何とか持てそうな、身の丈と同じ大きさの岩だった。
「……こんなの効かないよね。そもそも大きすぎて投げれないし……」
選択肢から外そうとしたその瞬間、ノーマの頭に衝撃が走った。それは、高熱にうなされていた時に見た夢の光景、その一部がノーマの脳裏に蘇った。見たことがないはずなのに、なぜか懐かしい気持ちになる光景が次々と浮かび、その中に、ノーマは一筋の光を見た。
「これなら、もしかして……」
―――しばらくして、ネペンテスが洞窟の最奥に到達した。周囲を見渡すと、ノーマのいる方向へまっすぐ蔦を伸ばした。
植物系の魔獣は、生物が吐き出す二酸化炭素に敏感な性質を持っており、その情報から大まかでこそあるものの、生物の位置を探知することができる。特に洞窟内部といった狭所ならば、ノーマの呼吸から位置を把握するのは難しいことではなかった。
様子を窺っていたアクリアは、ノーマにネペンテスが来たことを伝えた。
「……来たんだね。じゃあ、ルビィはそのまま。アクリア、お願い!」
ノーマが潜む岩陰に蔦を伸ばしたネペンテスは、蔦がノーマの足に接触した瞬間、即座にそれを絡めとった。しかし、違和感があった。少女の体重にしては重すぎる。それでもなお引きずって見ると、ノーマは岩にしがみついていた。
多少驚きはしたがネペンテスから見れば可愛い抵抗だった。もっと大きな岩にしがみついていれば、引きずられることもなく、短い時間とはいえ生きていられただろう……そう思いながらネペンテスはノーマを岩ごと引きずり、ついに自身の頭上まで持ち上げ、逆さ吊りにし、大口を開けた。岩を持っているのが多少気にはなっていたが、空腹が限界に達していたために、その懸念を後回しにした。
待望の食事にありつけると歓喜しているネペンテスだが、ノーマはこの時を待っていた。
(お願い……!効いて!)
必死に願いながら、ノーマはネペンテスの口の中へ向かって岩から手を離した。
悪あがきにしか思えないこの行動は、ネペンテスから見ても滑稽だった。しかし、岩が口の中の消化液に接触した瞬間、それが慢心だったことを、身を持って知ることになった。
「ピギャァァァアアアアーーーーーッ!!?!?!?」
激しい音を挙げながら一瞬で消化液が沸騰し、ネペンテスの内部を熱で焼け爛れさせた。
ネペンテスは、あまりの熱さにノーマを放り出し、パニックを起こしながら苦しんでいた。
これこそがノーマの作戦だった。ネペンテスが来るまでの間、ルビィが岩に熱を与え続けて高熱状態にし、蔦が来るギリギリまで待ってから、岩を持っていられるだけの身体強化とアクリアの能力による耐熱効果を自身に付加することで高熱の岩を持てるようにした後、わざと捕まって岩をネペンテスに食べさせる。危険な賭けだったがノーマにチャンスが訪れた。
ネペンテスが岩を排除しようと悪戦苦闘しているうちに、洞窟の出入り口が開いたのだ。放り投げられて岩肌に叩きつけられたときに身体を痛めていたが、そんなことを気にしている余裕はない。痛みを堪えながら身体強化を行い、洞窟の外へ走った。
(ルビィも、アクリアも頑張ってくれた。後はわたしが……!!)
ネペンテスの悲鳴にも似た咆哮を背に受けながら洞窟を脱出し、さらに遠くへ逃げようとした。そのとき――――
(よし、このま……ま……?)
「うっ……ぷっ……!?」
突如、身体強化の魔法が解け、ノーマは強烈な眩暈に襲われた。高山病にも似た症状に加え、まるで身体が魔力を使うことを拒否しているような感覚だった。
ついには走ることは疎か立っていることもできなくなり、その場で倒れこんでしまった。
(なんで、なんでこんな急に ……は、早く……逃げなきゃ……いけないのに……)
こうしている間にも、ネペンテスがいつ追いついてくるかわからない。ノーマは、何とか立ち上がろうとするが、気持ちに身体が付いていかない。精霊たちも助けに入りたかったが、ルビィもアクリアも魔力が底を付いていて、何もできなかった。
せめてネペンテスに対抗できるように、精霊たちが何とか魔力をかき集めようとする中、洞窟からネペンテスが現れた。口の中から蒸気を噴き上げ、その表情は怒りに満ちている。再び蔦でノーマを絡めとり、自分の前へと引きずり込もうとした。
「やだ……やだ……やだぁっ!」
ノーマは必死に地面を掴み抵抗するが、身体強化ができない状態では年相応の力しか出せず、地面に指の跡がつくだけだった。
このとき、ネペンテスは強く警戒していた。また何かしてくるのではないか……そんな疑念を抱かせるほどに、ノーマを脅威に感じていた。より確実に喰らうため、ネペンテスはノーマを思い切り締め上げた。
「あ、がっ……ぐっ、あぁぁぁああああああぁぁぁーーーーっ!!」
筋肉がブチブチと悲鳴を上げ、骨が何本も折れる音がした。口から血を吐き出し、視界がどんどん暗くなっていく……
(もう……ダメ……、ルビィ……アクリア……みん……な……)
ノーマは自分の最期を悟りながら、そのまま意識を失った。虫の息になっているノーマを見て、ネペンテスは自身の勝利を確信し、雄叫びを上げながらノーマを口へ運んでいく。ルビィとアクリアがそれを阻止しようとネペンテスに体当たりを仕掛けるが止まる気配はない。
絶望的な状況の最中、突如降り注いだ熱線がネペンテスの蔦を焼き切り、放り出されたノーマを受け止めた人物がいた。
「……この子がノーマか?」
その声の主は、ハックたちの頼みを聞いた男性だった。
お疲れさまでした。
作中では、ネペンテスの消化液を恐ろしいもののように書いていますが、現実のウツボカズラの消化液は、蓋が閉まっているもの限定で飲むことが可能だそうです。実際に飲んだことはありませんが、ネットで調べてみると、飲むとお腹が空くらしいですね。