第17話 想起
この日は吹雪が止み、二人で食べられる物を探していた。水は精霊術で何とかなっても、食料には限りがある。風の精霊術を使って周囲を調べるが……
「……ダメ、周辺にはなにもいない」
「そうか……上手くいかないな」
「! ……待って、何か近づいてくる」
「大きさは?」
「……大きくはないかな。多分狐かも」
「よし、食料の足しなるな」
「え……」
「大丈夫だ。ちゃんと解体はできる。でも血抜きしなきゃ臭いから手伝えよ」
自信満々に語るシルトの前に一匹の青白い毛皮の狐が現れた。剣を構えるシルトだったが、狐は逃げることはせず、それどころか真っ直ぐノーマに向かって走ってきた。
「……えっ?」
「よし、好都合だ!」
「待って、シルト!」
「な、なんだよ。……まさか狐が可哀想とか言うんじゃないだろうな?」
「違う、この子たち……精霊なの」
「……は?なんでわかるんだよ」
「精霊術師は精霊の声が聞こえるの。「助けて」って言ってる。間違いないよ」
「なんだよ、精霊じゃ食べられないじゃないか……ってか「たち」って言ってたけどそいつだけじゃないのか?」
「この子の背中に黄色い光が見える……でも、すごく弱ってる」
精霊は魔素がある限り生き続けられるが、不死というわけではない。体内の魔素が尽きると消滅してしまう。主な要因として、戦闘などで傷つき魔力が霧散して消滅する場合と、自然回復が追い付かないほどの魔力を消耗してしまうとそのまま消滅してしまう場合がある。今回の場合は後者にあたる。
「大変、このままだと消滅しちゃう!」
「お、おぉ……全然見えないけどどうするんだ?」
「えっと……えっと、こういう場合は……」
「お、落ち着け、なんかオレまで焦るから!」
「! 精霊契約して、わたしが魔力を分けてあげれば……」
「よ、よし!じゃあ今すぐ……」
「でも……」
「なんだよ!」
「……考えるのは後だね。シルトはこの子と離れてて!」
他者へ魔力のみを与えることは、それ自体が高度な魔力操作を要求される。加えて、精霊に魔力を与える場合、ノーマたちが身体強化などで使用する一般的に無属性と呼ばれるものや、その精霊と同属性の魔力でないと変調をきたす。では、ノーマやエメスのように多属性の精霊を持つ場合はどうしているかというと、精霊から受け取った魔力を精霊術師の中で自身や他の精霊に分け与えても無害なものに無意識的に変換しているため、魔力を共有することができる。これを意識して制御するのはエメスですらまだ習得できていない高等技術である。無論、今のノーマにできるはずもない。
精霊を説得し、精霊契約の準備に入る。稲妻のような光の帯が魔法陣を描き、精霊契約の準備入った。しかし、魔力不足が原因なのか光の帯は明滅し、時間経過と共に弱々しくなっていった。
「お願い、あなたを助けさせて“ティル”」
二人の魔力が高まり、精霊契約は成功した。しかし、そんな余韻に浸っている暇はなく、ノーマはルビィたちからも魔力を借りて、ティルに魔力を注ぎ始める。
その甲斐あってか透明になっていた身体は徐々に色濃くなり、火花を散らすようになった。
「よかった。元気になったよ」
「おお、そいつが弱ってた精霊か……よかったな、お前」
シルトが精霊をわしゃわしゃと撫でると、精霊は飛び跳ねながら喜んだ。
「でも、どうしよう……」
「なんだよ」
「わたしの精霊になったってことは、結局この子と離れ離れになっちゃうから……」
「こいつとも契約したらいいんじゃないか?」
「精霊契約は適性がないとできないの。ティルとの精霊契約だって一か八かだったし、この子ともできるとは限らないよ。それに、野生で育った精霊はその土地を離れるのは嫌がるって言うし……」
「ふーん……おい、こいつと精霊契約しないか?上手くいけば、さっきのやつと一緒にいられるぞ」
「ちょ、ちょっと!そんな簡単にいいって言うわけ……えっ、いいの?」
精霊は尻尾をブンブン振りながらノーマを見つめている。住みやすい環境だったからここにいただけで、特にこだわりはないらしい。何より、ティルと離れることの方が悲しいようだった。
再び精霊契約の準備に入る。足元に丸い氷の円盤が出現し、余分な氷が弾け飛んで、魔法陣を形成した。
「じゃあ……あなたも一緒に来て、“イマリ”」
適性が合うか不安ではあったが、そんな心配を他所にあっさりと精霊契約は終わった。
(できちゃった……)
「しっかし、精霊契約なんて初めて見たな。幻想的というかなんというか……すごいな!」
「でも、どうしてティルがこんなふうになったんだろう……二人とも、何があったの?」
イマリとティルの出会いは、イマリが住んでいる場所の近くに雷が落ちて、そこで生まれたティルをイマリが保護したことに始まる。二人仲良く過ごしていたが、突如魔獣に襲われ、イマリが応戦するも苦戦を強いられていたとき、ティルが自身の保有する魔力以上の精霊術を使用して魔獣が動きを止めている隙に逃げ出すことができた。しかし、消耗したティルは徐々に弱り、イマリはわずかに感じ取った精霊術師の魔力を頼りにここまでやってきたという。
「魔獣……それって、どんなの?……大きい、熊?」
「熊……おい、それってまさかダーティベアじゃないだろうな!?」
「ダーティベア……えっと、確か……」
ダーティベアは熊が変異した魔獣である。通常の熊よりも筋肉が肥大化しており、嗅覚が優れている。しかし、もっとも厄介なのは知能の高さからくる狡猾さにある。ダーティベアはグント周辺に生息している固有種であり、主にグントが冬の季節になるとグントを訪れ、その優れた嗅覚により冬眠中の熊などの動物を見つけ出して捕食する。普通に戦っても圧倒できる実力を持ちながら、効率的に餌を捕る狡猾さから侮蔑の意味を込めて別名「夜這い熊」とも言われている。
「しかも、執念深いから今もそいつらを追っているかもしれない。救助を待つつもりだったけど、一か八か下山した方がいいかもしれないな」
「じゃあ、急いでテントに戻ろう」
この判断自体に間違いはなかったが、少し遅かった。テントに戻る道中、ノーマは急速に接近してくる物体の反応を捉えた。
「……シルト、こっちになにかくる」
「……一応聞くが、ジャイブ副団長たちか?」
「ううん……大きい身体の……熊」
「もう精霊を嗅ぎつけてきたのか!?」
「……シルト、ごめんね。わたしのせいだ……」
「……仕方ないだろ。とにかく、戦闘準備だ」
ノーマは精霊契約を行ったせいで巻き込んでしまったと自分を責めたが、シルトも精霊契約を焚きつけた手前、責めようとは思わなかった。
本来、熊は臆病な性格だが魔獣化した影響か攻撃的になっており、ノーマたちを見つけるや否や襲い掛かってきた。
「ノーマ、下がってろ!」
「うん!」
熊と対峙したシルトは、ダーティベアの猛攻を何とか凌いでいた。シルトはまだ騎士としては未熟で、自身よりも大きな力とまともに相手をすると押し負けてしまうため、攻撃を受けるのではなく攻撃を捌き、受け流すことを重点して鍛えられてきた。その甲斐あって、ボムボアの猛攻に押されはしたが倒されもしなかった。しかし、一撃の威力こそボムボアに劣るが、多方向からの連続攻撃を繰り出すダーティベアが相手では厳しかった。
(数回受けただけで手が痺れる……なんて力だ!)
「グォォオオオーーー!!」
「シルト、危ない!」
シルトが隙を見せてしまったのを見て、ノーマは精霊術で援護に入る。ぶつけられた火球にダーティベアは怯み、今度はシルトがその隙を突いて攻撃する。しかし、毛皮すら切れず剣は弾かれてしまった。
(魔力を込めてこれか……どうする?)
身体強化の派生として、武具に魔力を纏わせて性能を上げる技術がある。魔力の総量にもよるが主に耐久力や切れ味を底上げすることができ、どんななまくら剣でもある程度使えるようになる。ただし、多用すると魔力欠乏症になるため使いどころが問われる。
(シルトが頑張ってくれてる間に、こっちもなんとかしなきゃ……)
「……ルビィ、ネフラ」
ノーマは、チェインが使用した精霊術を思い出していた。ボムボアには通じなかったものの、あの威力には感銘を受けていた。炎の竜巻を参考に、火の精霊術を風の精霊術で熱量を高めて圧縮することで威力を引き上げていく。
(わたしにはあんなことできない。でも、わたしでも力を集中させれば……!)
「グァァアーーー!!」
「くっ……!」
「シルト、避けて!」
「……わかった!」
「いっけぇーーーっ!」
今まで使用した精霊術の中でも最高威力の火球。当たればダーティベアと言えどただでは済まない。
しかし、ダーティベアの方が一枚上手だった。火球が迫っていると気づいた瞬間、腕を地面に潜り込ませて力づくで地面を抉り、そのまま火球にぶつけてきた。踏み固められて一枚板のようになった雪、水分を含んで濡れた土、いずれも火に対して有効打となり相殺されてしまった。
火球を相殺されたことはノーマに精神的ショックを与え、茫然自失状態になってしまった。だが、それは野生において致命的な隙であり、強力な火球を生成できるノーマを危険視したダーティベアは、シルトからノーマに標的を変更して襲い掛かろうとしていた。
「! ……仕方ない」
「ガ……ガァアアアーーー!?!?」
シルトは小袋をダーティベアの顔面にぶつけた。小袋の紐が解け、中に入っている粉末がダーティベアを悶えさせた。
この小袋は山に入る前にアーノルドがシルトに手渡したもので、中は金属片と唐辛子の粉末が入った目潰しの粉である。本来、いかなる相手にも正々堂々を旨とする騎士道精神に反するものだが、アーノルドは未熟なうちはとにかく生き残ることを優先させる教育方針なため、今回特別に持たせたのだった。シルトも使うつもりはなかったが剣が通じない以上、ノーマを助ける手段を選んでいる余裕はなかった。
ダーティベアが悶えている間に、シルトはノーマに駆け寄った。
「何してる、早く体勢を立て直せ!」
「どうして……」
「?」
「どうして……師匠みたいにできないの?!」
「お、おい、今そんなこと言ってる場合じゃ……」
「師匠なら……師匠だったら……きっとすぐ倒せたのに……何で、わたしは……こんなに弱いの……?」
「……ノーマ!」
あの一撃は、ノーマに今できる最大の攻撃だった。それを相殺されたことは自身の無力さを見せつけられたことと同義であり、持ち直していた精神が再び乱れ始めてしまった。
シルトは焦燥感に駆られ、頬を叩こうと手を振り上げた。これは、騎士の訓練の中でも日常的に気付け目的で行われているもので、悪意や他意があるわけではない。だが、アーノルドの「女の子には優しくしてやりな」という言葉と、過去にガラン騎士団長から言われた言葉を思い出し、踏みとどまった。
「ガラン騎士団長。どうすれば、あなたみたいになれますか?」
「どうすれば……か。そうだな、訓練はもちろんだが……一番大事なのはココだ」
「……胸?」
「心だ。わたしたち騎士は相手をただ倒すためだけに剣を振るうわけじゃない。相手を打ち倒すことで王を、民を守る。それが騎士だ」
「いくら腕があろうと、心が弱ければ意味がない。自分が敵わないと知るや、民を見捨てて逃げたり、守るべきものを差し出して自分の身を守ろうとする。そんな場面をいくつも見てきた」
「だから、どんな強大な敵にも立ち向かう強い心、守り抜くという意思、それをしっかり持つことだ」
「騎士団長……!」
「まぁ、お前にはまだ早いか。まずは真面目に訓練に励め」
「……絶対、絶対追いついてみせます!」
「楽しみにしてるぞ。はっはっはっ……!!」
シルトの目の前にいるのは、守らなければいけない対象。ならば、自身のこの行いは正しいのか……深呼吸をしながら頭の中を整理し、ノーマに問いかけた。
「ノーマ、オレも同じだ」
「?」
「もし、ここにいるのがオレじゃなくてガラン騎士団長……いや、ジャイブ副団長でも何とかなっただろうな。でも、ここにいるのはオレとお前だけなんだ。オレたちで何とかするしかないんだよ」
「で、でも……」
「……正直に言うと、オレはもう手詰まりなんだ」
「!?」
「剣は効かない。目潰しの粉ももうない。せいぜい時間稼ぎが精一杯だ。……ノーマ、お前だけが頼りなんだよ」
「む、無理だよ……わたしなんかじゃ……」
「大丈夫だ。一緒にボムボアと戦ったとき、滅茶苦茶だったけどすごかったじゃないか。あんな戦い方はきっとエメス様にもできない。お前だからできたんだ」
「シルト……」
「……頼む、ノーマ。助けてくれ」
「!!?」
「グォォ……グガァァアアアーーーッ!!」
「目潰しもここまでか……任せたぞ」
「あっ……」
目潰しの痛みでさらに凶暴化したダーティベアにシルトは向かっていく。
「助けてくれ」その言葉を言ったシルトの顔を見て、ノーマはベナドで会ったリトの顔を思い出していた。そして、自分が何のために精霊術師になったのかを想起し、改めて思考する。
(わたしは……何をしているんだ)
(人の助けになるために……力になるために精霊術師になろうと思った)
(なのに……そんなわたしが、助けたい人より先に折れてどうするんだ!!)
自分の不甲斐なさに苛立ち、強く拳を握る。しかし、失意と自責の念に駆られて沈んでいくだけだったこれまでと違い、その瞳には闘志が宿っていた。
(わたしは師匠みたいになれないかもしれない)
(でも、考えるんだ。みんなの力と、わたしのやり方で……!)
この窮地を脱するべく、ノーマは頭を働かせ、策を練るのだった。
お疲れさまでした。
祝・初いいね!ありがとうございます。とても嬉しいです。