第16話 胸の内
「うわぁっ!?」
「気を付けて、平坦に見えても雪が積もってるだけで足場がないことも多いから」
吹雪の中、小隊は周囲を警戒しながら山頂に向かって歩みを進めていた。
効率を考えれば部隊を分けて探す方が良い。しかし、捜索に有効な風の精霊術を使える精霊術師はエメス、ノーマ、チェインの三名のみな上、新人の力量を考えると固まって行動した方が安全であると判断してのことだった。
この判断は功を奏し、道中で遭遇した魔獣ハイドウルフの群れを相手に善戦することができた。
ハイドウルフは狼が変異した魔獣である。素早い動きで相手を翻弄するだけでなく、季節に合わせて周りの風景に近い色の体毛に生え変わるため、保護色になって補足しづらく、群れの長による統率のとれた動きはボムボアよりも厄介とされている。
しかし、ここでチェインの精霊術が猛威を振った。ボムボアと違い火に対する対抗手段は持ち合わせていないため、チェインの精霊術による大火力でハイドウルフの大半を蹴散らし、残りを騎士団と精霊術師部隊が対処して、その隙にエメスとジャイブが長を仕留める……以上のような連携がスムーズに行われ、順調に歩みを進めていた。
連携が上手くいき、いつの間にか食事係のような立ち位置になったノーマの美味しい料理で精神的な余裕が出来てきたおかげか、両者の溝は埋まりつつあり、士気も高まっていた。
途中で馬車の車輪が雪に埋もれるトラブルもあったが、約四日かけて山頂付近に到達しようというところに、ある物が目に入った。
「エメス殿、これは……」
「……商業ギルドの登録証もある。間違いない、行方不明になった行商人の馬車だ」
「壊れていますな……魔獣の仕業でしょうか?」
「……少なくとも、ハイドウルフではない。これは……」
「……!? みんな、伏せて!!」
「!?」
チェインは必死に叫んだが、少し遅かった。吹雪の中からもの凄い勢いで氷の塊が次々と飛んできた。その威力は大砲に匹敵する上に視界が悪く、いつ飛んで来るかわかりづらい上に、防御も意味を成さなかった。
(軌道を逸らそうにも、勢いが強い……!)
「!? う、うわぁぁあーーーっ!!」
「! 危ない!! ――――きゃぁぁあーーーっ!!」
衝撃で足場が崩れ、一人の騎士が崖から落ちようとしていたところを助けようと、ノーマはその手を掴んだが、飛んできた氷の塊がさらに足場を崩し、ノーマ諸共落下してしまった。
「ノーマ!?」
「エメス殿、今は―――!」
「くっ……」
「一時撤退する!負傷している者を連れ、射程外まで退避せよ!」
離れてしばらくは氷の塊が飛んできたが縄張りがあるのか、いつしか追撃は止んだ。
「報告します。負傷者は二十名、軽傷者十三名、重傷者七名は現在治療中です。ですが、武装の損傷がひどく、使い物になりません。治療できても戦線復帰は難しいです。そして……ノーマ・ムビオス、シルト・テムズの二名が行方不明です」
「なんということだ……」
「……ノーマなら心配はいりません。今はあの魔獣を何とかしましょう」
「!? ……わかりました。して、あの魔獣は?」
「精霊術で大体の大きさや形は把握できました。恐らく、キャノンマンモスでしょう」
キャノンマンモスはマンモスが変異した魔獣である。身体の肥大化に伴って防寒に特化した厚い毛皮と脂肪はさらに厚くなり、巨大な体躯と鼻による攻撃は凄まじい。しかし、最大の脅威はその鼻にある。鼻で吸い上げた物を強靭な筋力で圧縮し、特殊な鼻水で固め、発達した肺活量で一気に発射することで大砲並の威力を発揮する。しかも、例に漏れず群れで行動するため、敵と認識されれば砲弾の雨が降り注ぎ、より甚大な被害が出る。
今回この程度の被害で済んだのは、精霊術により一早く気付けたことも大きい。
「キャノンマンモス……報告書にはなかった魔獣ですな」
「珍しい魔獣ではありますね」
「一度撤退しますか?」
「……いえ、捜索開始からかなり時間が経っています。今でさえ生存確率が低いのに、撤退したら絶望的でしょう」
「そうですな……しかし、今の戦力でキャノンマンモスに対抗するのは難しいのでは?」
「……わたしがやりましょう」
「エメス殿お一人でですか?」
「ええ……巻き添えにならないように待機していてください」
「エメス様!わたしも一緒に……」
「いらん、下がってろ」
「―――っ!」
「……こいつらを片付けたら魔力を回復させるために休ませてもらう。その後、行商人を探すのはお前に任せる……頼んだぞ」
「……はい!」
キャノンマンモスの群れに、エメスは歩みを進める。縄張りに入ったことに気付いたキャノンマンモスが攻撃の姿勢に入るが、エメスから吹き上がる魔力を前に怯み、それは味方であるはずの小隊にも伝わっていた。
「この距離でこの威圧感……これが、エメス様の魔力―――!」
「お前たちと遊んでいる暇はない。さっさと片付けさせてもらうぞ」
一方、ノーマとシルトは崖から落ちた衝撃で気絶していた。かなり下の方まで落下していたが、少し斜面になっていたこと、精霊術や身体強化で身体を守っていたこと、そして崖下にあった木と雪が落下の衝撃を和らげたおかげで何とか生き延びられていた。体温が下がるのをルビィが防ぎ、アクリアがノーマを起こそうと必死に呼びかけていた。
「……ぅん……アクリア?確か……わたし……!!そうだ、一緒に落ちた人は?!」
「……」
「シルトさん!?……シルトさん、シルトさん!大丈夫ですか!!?」
「……」
(……呼吸はしてる。とにかく、今は……)
「ネフラ、吹雪の中で難しいかもしれないけど、寒さをしのげそうな場所を探して!」
風の精霊術による索敵は繊細な魔力操作が必要となる。遠くなればなるほど精度は落ち、吹雪や突風が吹く中で使用すると範囲が狭まったり、意図しない方向の情報しか得られなかったりする。修業で精度を上げることで緩和できるが、ノーマにはまだそこまでの練度はなかった。
だが、幸いにも近くに洞穴を見つけることができた。無事だったテントを張り、その中にシルトを運び、周囲に転がる石で囲いを作り、拾ってきた木とニードルモスの鱗粉が入った袋を使って焚火を作った。暖を取っている最中、シルトが目を覚ました。
「ぅ……ぅぅ……」
「! シルトさん、大丈夫ですか?どこか痛いところはありませんか?」
「……?」
「?」
「…………どわぁあああーーーっ!?」
「シルトさん!?」
「ち、近いんだよ!離れろ!!」
男所帯で育ち、剣の鍛錬ばかりしてきたせいで女性に対しての免疫があまりないシルトにとって、覗き込んだノーマの顔は刺激が強かった。
少し落ち着いた後、現状を話しながら身体を温めていた。
「シルトさん、怪我は大丈夫ですか?」
「あぁ……」
「お互い、軽い打撲で済んでよかったです。リュックの中も無事だったし……ハーブティー飲みますか?」
「あぁ……にしても、結構な高さから落ちただろうによく茶葉の瓶が無事だったな?」
「精霊術のおかげですね。落ちたときも背中からじゃなくて前だったのがよかったのかもしれません」
「……それはよかったのか?」
「シルトさんの手を放すわけにいかなかったので……」
「……」
「……あ!シルトさんのせいってわけじゃなくてですね……」
「いや……事実だろ」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」
「……」
「……」
気まずい空気が流れる中、シルトはノーマに対して思っていることを話した。
「……お前ってさ、こんな状況なのに随分落ち着いてるよな」
「師匠が言ってたんです。「精霊術師は精神面が精霊術に影響してくるから、常に冷静でいなさい」って……」
「……あのさ、何でお前いちいち暗くなるんだよ」
「え……」
ノーマは隠しているつもりだった。しかし、シルトの追撃は止まらない。
「そ、そんなことは……」
「あれだけエメス様から認められてるくせに、なんでそんな顔するんだよ」
「え?」
「天才精霊術師だかなんか知らないけどな。そんなやつが謙遜しても嫌味にしかならないんだよ」
「え?……え?」
「すっとぼけやがって、本当にムカつくな……」
シルトの発言は言うなればただの嫉妬だった。騎士団長ガランに憧れ、騎士団に入団し、いつの日かガランに認められるような騎士になるために日々訓練を重ねてきた。しかし、ガランが処刑された今、それは未来永劫叶わぬ夢となってしまった。それに加え、ボムボアの猛攻に押されて陣形から外れて孤立してしまった自分と比べて、ノーマは治癒術師部隊を守るために行った大立ち回りや、険悪だった小隊の空気の中和など、次々に活躍をしていたこともシルトの劣等感を加速させていた。師に恵まれ、周りからも一目置かれているにもかかわらず、曇った顔をするノーマに、シルトは苛立っていた。
シルトは感情をそのままぶつけてしまったことに多少罪悪感こそあったが、言った発言は取り消せない。泣かれて険悪になることも覚悟はしていた。しかし、シルトの予想に反してノーマはシルトに詰め寄った。
「待って……待って、師匠が認めてる?天才精霊術師?いったい、なんの話?」
「はぁ?なんだよ……嫌味なやつだな」
「お願い、教えて!さっきの話、どういうことなの?!」
「ど、どうって……」
「……」
「お、オレだって聞いた話だけどよ……」
ノーマの剣幕に押され、シルトはポツリポツリと話し始めた。
エメスは基本的に弟子入り志願者を拒むことこそないものの、長くて三ヶ月間、短ければ一月経たずに破門することが多く、「偏屈エメス」という不名誉なあだ名を付けられるほど今まで弟子として定着した者は誰一人としていなかった。
そんなエメスが自ら弟子を迎え入れて、しばらくの間弟子の育成に注力するという知らせが城へ届いた際には、城内全体が騒めいたという。しかも、興味本位でエメスに弟子について尋ねると、一聞いたら十返してくるほどに溺愛っぷりが凄まじかったという。
「常々「あの子は天才だ」とか、「絶対わたし以上の精霊術師なる」とか言ってたって、ウォルター団長が話してたんだよ。一時期はロリコン疑惑も出てたけど、言ったやつが制裁されたとか……知ってるのは大体これぐらいだ」
「師匠が、わたしを……じゃあ、わたしは……」
「お、おい……」
ノーマの目から大粒の涙が零れた。エメスが弟子を取らなかったのは、自分の出来が悪すぎるせいで他の弟子を迎え入れられないからだと思っていた。しかし、エメスが周りに吹聴するほど自分を評価し、期待してくれていたのがわかったのと同時に、その期待を裏切り続けて見限られたことを改めて思い知らされた。
エメスとのこれまでの思い出が溢れ、ノーマの胸は締め付けられるように苦しくなった。
(師匠……師匠……!あんなに……あんなに良くしてくれたのに……わたしは……)
「ぅう、ぅ~~~……」
「……な、なんで泣くんだよ。泣くようなとこなかっただろ?」
ひとしきり泣いた後、ノーマは少しずつ自分に置かれている状況を話した。精霊術が上手く扱えないこと、魔獣を倒せないこと、エメスに見限られてしまったこと……誰にも言えずにいた心中を明かした。
「……それ、本当なのか?」
「その日に戦った魔獣の資料を見ながらそう言ってたから……ボムボアと戦ったときに少しは見直してもらえるように頑張ったけど、ダメだったし」
(だからあんな顔してたのか……)
「……でも、もういいんだ。今回の任務が終わったら出て行くって決めてるから……」
「諦めるのか?」
「……」
「……なぁ、やっぱり直接聞いてみたらどうだ?」
「えっ……」
「どうせ最後なんだから、直接聞いた方が踏ん切りがつくだろう?」
「それは……無理だよ……」
「なんでだ?」
「……怖い」
「怖い?」
「師匠の口からハッキリ言われるのが怖いの」
「それだけか?」
「えっ?」
「本当に諦めてるやつは、曇ったり、苦しそうにはしない。何を言われようがもう関係ないわけだからな」
「そ、それは……」
「本当はどうなんだよ」
「…………もっと、師匠の下で精霊術を学びたい。でも、見限られてるのにこれ以上縋り付いて師匠を困らせたくない。わたしは……どうしたらいいの?」
エメスの弟子でいたい。しかし、それは期待を裏切り続けてきたノーマ自身が言って良い言葉ではない。答えの出ない葛藤に悩まされ、我儘と自責がノーマの心をずっと蝕んでいた。だが、それこそがノーマの本心だった。
胸が苦しくなっているノーマに、シルトの出した答えはとても単純なものだった。
「いや、それこそエメス様に直接言うべきだろ」
「!? か、簡単に言わないでよ!」
「聞いた話じゃ面と向かって言われたわけでもない。なにより、ここに連れてきたときだってみんなに弟子として紹介までしている。見限った人間にする事じゃないんじゃないか?」
「! そ、それは……」
「さっきも言ったけど、最後だと思ってるならちゃんと本心は聞いておけよ。……オレと違って、ちゃんと聞ける状況なんだからさ」
「……それって、どういう」
シルトはガラン団長に憧れて騎士なったこと、認められたかったこと、それが叶わなくなってしまったことを話した。
「そう、だったんだ……」
「だからさ。~~~……正直、お前が羨ましかったんだよ。……けど、お前も苦しんでたんだな」
認められたかったシルトと、期待に応えられないノーマ。互いの苦しみを理解したとき、二人のわだかまりが解けたように感じた。
しばらくの沈黙の後、ノーマが口を開いた。
「わたし……戻ったら師匠に直接聞いてみる」
「……なら、何としても生き延びないとな」
「……あの」
「?」
「話を聞いてくれて、ありがとう」
「!? ま、まぁ……気にすんなよ」
(こいつ……こんな風に笑うのか……)
「……ってか、お前敬語やめたのか?」
「あっ、ごめんなさい……」
「いいよ今さら、歳もそんなに変わらないみたいだし、その代わりオレも呼び捨てにするからな。ノーマ」
「……うん、頑張ろうね。シルト」
それからの数日間、止まない吹雪に減っていく食料、救助が本当に来るのかなど……不安の種は尽きないが、助けが来ることを信じてお互い励まし合っていた。
そんなとき、あるきっかけが訪れた。
お疲れさまでした。
山や樹海などで遭難した際、塩分不足による脱水症状が問題になるそうですね。ミネラルがないと身体に水分が定着せず、例え水を飲んでいても脱水症状になってしまうんだとか。サバイバル知識が豊富な方はそれを見越して自身の汗を摂取することで補うらしいですね。……そんな機会は訪れないのが一番ですけど、知識として持っておく分には役に立ちそうです。やりたくないけど!