第11話 修業
空が夕焼けに染まる頃、城壁に囲まれた大きな城が見えてきた。
「もうすぐ着くぞ」
エメスの言葉を聞き、十中八九その城を目指すものだと思っていたノーマだったが、フィルトは城を通り過ぎ、そこから遠く離れた森林地帯に入った辺りから徐々に高度を下げていった。
「えっ、ここって……森、ですよね?」
「ああ、わたしの家はここにあるからな」
「宮廷精霊術師って、お城に住んでると思ってました」
「そういうやつもいるが、大抵のことはわたしが指導して鍛え上げた精霊術師師団で事足りるし、なによりわたしは城暮らしが性に合わなくてな。 ……優雅な城での生活じゃなくてがっかりしたか?」
「いえ……なんか、ホッとしました」
「それはよかった。 ……見えてきたぞ」
見えてきたのは、開けた場所に佇んだ大樹だった。大きいだけで何の変哲もない樹のように見えたが、いざ到着すると、その光景に息を呑んだ。
大樹の正体は巨大なツリーハウスだった。木からは煙突が伸び、他にも井戸、外灯やテラスなども設置されており、幻想的だが生活感が感じられる様相だった。
中に入ると、部屋全体に木の香りが広がり、一通りの家具の他に、キッチンや暖房と併用できる石窯などが設置されていた。
ノーマは内装が余程気に入ったのか、部屋中を駆け回りながらはしゃいでいた。
「すごい……すっごーい!!」
「気に入ったようでなによりだが、まずは部屋に荷物を運ぶぞ。終わったらお茶でも飲みながら話そう」
「はい!」
ノーマの部屋に荷物を置いた後、居間に戻り、お茶を飲みながらエメスは今後についての話をする。
「今日から君にはここで生活してもらう。家事は分担してもらうが……できるか?」
「はい、家事はやっていたので大丈夫です」
「よし、ちなみに精霊術を使って作業するときは十分に注意すること」
「精霊術を家事に使うんですか?」
「ああ、日常的に精霊術を使うことで練度を上げる狙いもあるが、家事を効率化した分は修業に時間を割けるからな」
「あの、家事で魔力切れを起こしたら修業どころじゃないのでは……?」
「安心してくれ。ここは魔素が豊富だから魔力の回復も早い……まぁ、魔素が豊富ということは魔獣も出やすいのだが……それもいい修業になるだろう」
「が、頑張ります……」
「なに、ここは比較的に安全だ。対処法や戦う術はちゃんと教えるし、いざとなれば助ける。だが、宮廷精霊術師としてどうしても外せない仕事もあるから留守の間はどうしたって任せるしかないから、その辺りは覚悟しておいてくれ」
「はい……」
「一通りの案内が終わったら夕食にしよう。今日はわたしが作る。メニューはこっちで決めるが、いいな?」
「はい、ありがとうございます……あの、師匠?」
「どうした?」
「あの……他にお弟子さんは?」
先ほどから、ノーマにはある違和感があった。他の人間の気配がないのだ。エメスが帰ってきても、自分が騒いでも、誰一人として出てこなかった。宮廷精霊術には、たくさんの弟子がいる想像をしていただけに不思議だった。
「もしかして、今は別のところにいるんですか?」
「いや、わたしの弟子は君だけだ」
「え……」
ノーマの疑問に、あっけらかんと答えたエメス。修行が過酷なのか、性格に問題があるのか、もしくは倒錯的な思考を持っているのか……ノーマは一気に不安になった。
そんなノーマの心情を察したのか、エメスは怪訝そうな顔でノーマを見た。
「……今、失礼なことを考えなかったか?」
「え、えっと……その……」
「……自分で言うのもなんだがな、わたしに弟子入りを希望する者は多いんだぞ?」
「……」
「疑っているな。とはいえ、誰一人残ってないのだから当然か。大半は「わたしの弟子」という拍付けが欲しいだけの者ばかりだからな。そういう奴らはすぐに音を上げてわたしの元を去る。食い下がる者もいたが、やはり長続きはしなかった」
「……」
「稀に才能のある者もいるのだが……ノーマ、以前わたしが価値の話をしたことを覚えているか?」
「えっと……わたしの友だちよりもわたしの方が価値があるっていう……」
「そうだ。実はこの話、わたしの弟子だった者がわたしに言った言葉だったんだ。「自分は他の誰よりも特別で、選ばれた存在だ!」 ……って感じでな」
「え……」
「わたしも呆れたよ。だが、こういう考え方をする者は少なくない。しかも、才能があれば人格には目をつむる風潮もあるせいで質が悪い。 ……まぁ、わたしは普通に気に食わないから、そういうときは知り合いに押し付けるんだがな」
「それっていいんですか……?」
「一応、実力だけはある者たちだから問題ない。 ……そんな選り好みした結果、誰も残らなかったというわけだ」
「はぁ……」
「さて、そろそろ家の中を案内しよう。しっかり覚えてくれ」
「はい……」
ここで生活するための家の中と外の案内が終わる頃には辺りはすっかり暗くなっていた。エメスが少し遅めの夕食の用意をし、ノーマはそれを見学していた。台所に並べられている壺の中から乾燥させたハーブを巧みに使い分けながら、慣れた手つきで料理を作っていた。
「うわぁ~、良い匂い。 ……師匠の料理、美味しそう~……」
「出先で野営することも多いから自然に覚えたんだ。食べられる物や薬になる野草の知識や動物の捌き方を覚えれば、ナイフ一本で大抵のことはできるぞ。その辺りも教えていくからな」
「はい!」
「……」
「……師匠?」
「いや、なんでもない。もうすぐできるからそこの棚から食器を出してくれ」
「はい、師匠!」
しばらくして、二人は食卓に着いた。メニューは木の実のジャムとパン、いろいろな野菜がゴロゴロ入っているシチュー、香草と葉野菜のサラダ、そして、ハーブの香りが食欲をそそる鳥肉の香草焼きだった。
「美味しいー!」
「……昼にあれだけ食べたのに良く入るな」
しばらく談笑を楽しんでいたが、ノーマはここに来てからずっと気になっていたことをエメスに聞くことにした。
「……師匠」
「なんだ?」
「わたし、なにか失礼なことをしているでしょうか?」
「いや、そんなことはない。なぜだ?」
「この家の案内をしている間、師匠がわたしの方を時折見ている気がして……。何か触っちゃいけないものに触ったとかあるのかなって……」
「違う違う。 ……いきなりの環境の変化で体調が悪くなっていないかを見てたんだ」
「うーん……別に何ともないですけど」
「ならいいんだ。精霊術は精神面が特に影響してくる。体調不良や精神的に不安なことがあれば、すぐに言うんだぞ」
「不安……あっ、そうだ!」
「なにかあるのか?」
「いえ、お父さんがくれたペンダントのことを思い出したんです。……これです。癒しの効果があって、不安になったときに見つめるといいって」
「ほー……綺麗だな。前はそんな物は着けてなかったように思ったが……」
「師匠が村に来る前に渡されたんです。そういえば、村を出るまでしまっておけって言われてたんですけど……」
「……なるほど」
「え?」
「いや、何でもない。大切にするんだぞ」
「はい!」
エメスはヒューゴの考えを理解した。ヒューゴは、万が一借金のカタに装飾品を要求された場合のことを考えて、前もってノーマにペンダントを渡したのだ。
ペンダントがどれほどの値打ちがあるかはわからないが、どうしてもそれだけは渡したくなかったのだろう。心境は少々複雑だったが、娘に対する愛情であることは理解できたので、追及をやめた。
「あっ、師匠。おかわりしてもいいですか?」
「!?」
「……師匠?」
「……ぶっ、あはははははははははははっ―――!!」
「え、えっ?なんで笑うんですか?」
「いや、君はやっぱり特別だと思っただけだよ」
「?」
この言葉の意味を知るのはもう少し先の話―――
翌日、ノーマの修業が始まった。
まずはノーマの現在の実力を知るために、森の中にある河川の近くで、的当てをやることになった。
「岩につけた印の真ん中を狙って、精霊術を撃ってみろ」
「はい! ルビィ、いくよ!」
ルビィは火球を形成し、的に向かって発射した。しかし、火球は途中で霧散し、的に当たることなく消えてしまった。
「あ、あれ? ……もう一回!」
次の火球は、魔力の集中に意識を持っていかれたせいか命中精度が落ち、飛距離こそ充分だったものの、あらぬ方向に飛んで行った。
「む、難しい……」
「火は特に外的要因に引っ張られやすいから、きちんと制御できなければ使い物にならないぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、風が強いと軌道が逸れやすいし、雨が降ってると威力が減衰する。だから、魔力を一点に集中させて素早く撃ち出すのが一般的だな。例えば、こういう風に―――トロバ」
トロバが炎を圧縮し火球を作る。ここまでは一緒だったが、その炎はまるで弓で撃ち出した矢のような速度で発射された。炎は的の中心を捕らえ、岩はその衝撃で大きく抉れた。
「す、すごい……」
「ちなみに、当てるだけならこういう方法もある―――トロバ」
今度は炎を圧縮せずにそのまま放射した。炎の威力自体は先ほどの火球よりも劣っていたものの、攻撃範囲は広く、的だった岩の表面全体が炎で覆われた。もしも、これが生き物に使われたのならば、大火傷は疎か黒焦げ必至である。
「うわぁ……」
「こんなことで驚いているようじゃ、先が思いやられるぞ。こんなものは基礎の範疇だ。精霊術師の持っているイメージを精霊にちゃんと伝えることができればその精度は上がる。それこそ、ネペンテスのときはできていたんじゃないか?」
「ネペンテス……あのときは、とにかく必死で……」
「それだ。そのときは、相手に攻撃するというイメージを正確にできていたんだろう……もっとも、下位精霊ではそこまでの威力はなかったみたいだが」
「……あの、師匠。下位精霊……ってなんですか?実はネフラが自分のことを中位精霊って言ったときもよくわかってなかったんですけど、関係あります?」
「……そうか、まずそこからか」
精霊には位があり、低い順から下位、中位、上位、高位、神位という段階に分けられる。精霊の個体によって差はあるが、位が高くなれば威力はもちろん、より高度で、より精密な精霊術を行使できる。
精霊は精霊進化によりその位を上げることができ、長い年月を重ねて自然に進化する方法とは別に、精霊術師が精霊と共に修練を積むことで進化させることができる。
「当面は、ルビィとアクリアを中位精霊にすることに注力するぞ」
「はい。 ……師匠、ネフラは?」
「もちろん、並行して鍛える……だが、簡単じゃないぞ」
「?」
例えば、火の精霊術と一口に言っても、先ほどエメスがやった火球を形成してぶつける、火を放射することの他にも、自身を中心に炎を放出する、対象に熱を与える等……術者の想像力で様々な形に変化させることができる。そこから、応用・発展諸々含めると使いこなすには相応の練度が必要になる。
ノーマの場合、水の精霊であるアクリアと風の精霊であるネフラもいるため、すべての精霊術を使いこなすには単純計算でも3倍の努力が必要になるのである。
「それにしても、この短期間で精霊3体か……」
「師匠?」
「……さぁ、覚えることは山ほどあるぞ。ビシバシ鍛えるからそのつもりでな」
「あの……お、お手柔らかに……」
「……」
「はい……頑張ります……」
エメスの顔は終始笑顔だったが、口答えは許さないと言わんばかりに無言の圧力を放っていた。そんなエメスに逆らえるはずもなく、ノーマはただただ従うしかなかった。
修業自体は基礎を初め、精霊術の知識や基礎体力を上げるための鍛錬、精霊術のコントロールや実践を想定した戦闘技術の訓練、そして、森の魔獣との戦い……と日に日に課題は増え、毎日ボロボロになりながら修業を積んでいた。その甲斐あって、ノーマの精霊術は以前とは比較にならないほど向上し、修業は順調に進んでいた。しかし、ある壁にぶち当たり、陰りが出たのは、それから二年後のことであった。
お疲れさまでした。
村でエメスが要求した報酬は、ハック・ダレスの家からは干し肉・牛乳・バター・チーズ、ブランの家からは丈夫な革の鞄と大きな籠、ターナの家からは包帯と薬各種、ノーマの家からは畑で育てた野菜となっています。