第10話 似て非なるもの
ルマリアが戻り、その日は久しぶりの母の手料理で家族団欒を楽しんだ。積もる話もあったが、先にノーマが話を切り出した。
「……お父さん、お母さん。二人に話があるの」
「話?……ああ、そういえば言っていたな」
「どうしたの?」
「これ……」
「手紙? ……こ、これはっ!?」
差し出された一通手紙を見ると、両親はそれがなんなのか封蝋の紋章ですぐに理解し、一通り内容を確認し終わると、ノーマは言葉を続けた。
「お父さん、お母さん。わたし、エメスさんのところに行こうと思う」
「なんだって!!?」
「……ダメよ」
「お母さん……」
「あのときも言ってたでしょ?宮廷精霊術師の弟子になったら魔獣とも関わることになるって、命の危険もあるかもしれないって、魔獣の怖さはわかっているでしょう?なのに、どうして……」
ルマリアの懇願に一瞬だけ心が揺らぐ。しかし、ノーマは言葉を続けた。
「……魔獣は今でも怖いよ。でもね、それだけじゃないんだ」
「?」
「ベナドに行ったときにリトさんが魔獣に襲われた話、覚えてる?」
「息子さんが亡くなられたっていう……」
「そのときのリトさんの顔を見たときに思ったんだ。きっと、世界中にはリトさんみたいに大切な人を失った人や、わたしと同じように魔獣に襲われて怖い思いをした人がたくさんいるんだって」
「……」
「だから、そういう人たちの力になりたい、人を助けることができる精霊術師なりたいって思ったんだ。」
「でも、そんな……」
「わたしを助けてくれたエメスさんの元で修業すれば、きっとできると思うんだ。ルビィたちも協力してくれるって言ってくれた。 ……お父さん、お母さん、お願い」
「……」
ノーマの決意に対し、しばらく考え込んだ後、ヒューゴが口を開いた。
「もう……決めてしまったんだな……」
「うん……!」
「あなた……まさかっ!」
「ルマリア、これがノーマの答えなんだ」
「いや、嫌よ……なんで……お願いノーマ、考え直して!」
現実を受け入れたくないのか、まるで駄々をこねるように首を横に振るルマリア。席を立ち、その顔を覗き込みながらノーマは語り掛ける。
「お母さん。 ……お願い」
「……! …………」
親子だからこそ、わかることがある。娘の表情は真剣そのもので、強い決意が感じられた。こうなっては、自分が何を言っても変わることはないと悟り、ルマリアはうなだれた。
ノーマはエメスへの返事を書きに部屋に戻ると、ヒューゴは頭を抱え、ルマリアは手で顔を覆った。
「どうして……どうしてこんなことに……」
「本来なら喜ぶべきことなのだろうがな……」
「あなた……!」
「いや、普通に考えて宮廷精霊術師様に才能を認められているというのは希有なことだ。あの子の将来を考えるなら背中を押してやるべきだろう」
「でも……あの子が魔獣に襲われたって聞いたときだって、胸が張り裂けそうになったのに……あの子がまた危険な目に遭うかもしれないのに……もうあんな思いをするなんて……嫌よ……」
「……もしも、借金を理由にしていたらわたしも止めたよ。そんな身売りするようなマネなんてさせる気はない。だが、ノーマは人を助けるために精霊術師になりたいと言った。それは、ノーマが自分の意思で決めたことなんだ」
「でも……でも……」
「心配なのはわたしも同じだ。 ……正直に言えば手放したくはない。だが、わたしはノーマが成長しようとしているのを邪魔したくないんだ」
「……」
「わたしたちの娘を、信じてみないか?」
「……そんな言い方……ずるいわ……」
その日以降、ルマリアは出稼ぎの回数を減らし、ヒューゴと共に家族の時間を大切にしながら日々を過ごし、エメスの来訪日には村のみんなで集まる算段を立てた。
そして、その日はやってきた―――
朝早くに、ヒューゴはノーマを呼んだ。
「ノーマ、少しいいか?」
「お父さん、どうしたの?」
「これを渡したくてな」
「これは……? わぁ……!」
父の手にあったのは、青空のような淡い水色の宝石の周りに、羽を模した細かい細工が施されたペンダントだった。
「……きれい」
「本当はもう少し大きくなったら渡すつもりだったんだがな……この宝石には癒しの効果がある。もし、挫けそうなとき、不安になったときは、これを見つめてみるといい」
「ありがとう、お父さん。早速着けるね」
「待て、そのペンダントは村を出るまでしまっておいてくれ」
「どうして?」
「……頼む」
「? わかった」
しばらくして、エメスが村にやってきた。上機嫌でノーマを迎えに来たエメスだったが、出迎えに来た大勢の村人に困惑していた。
「お、おぅ……すごいな……」
「エメスさん!」
「ノーマ、久しぶりだな。……少し痩せたか?」
「お世話になります、エメスさん。 ……フィルトも久しぶり、これからよろしくね」
フィルトとノーマが話している間に、エメスはヒューゴたちと対面し、話を進めていた。
「娘をよろしくお願いします」
「……ご息女をお預かりいたします」
「……」
「……ルマリア」
「……ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「は、はい……」
ルマリアの言葉は丁寧だったが、言葉の裏側には「娘に何かあったらタダじゃおかない」という殺気にも似た重圧が込められていた。それを感じたエメスは、ルマリアの気迫に押されていた。
ルマリアを諫めながら、ヒューゴは魔獣の件の関係者と村長のスイスを呼び集め、村の代表としてスイスがエメスに感謝の言葉を掛けた。
「エメス様、この度はどうもありがとうございました。おかげさまで、あれ以来魔獣を見かけることはなくなり、村は平和そのものです」
「それはなによりです」
「それでなんですが……」
魔獣の関係者一人一人が、エメスへ報酬を差し出す。
「……これは?」
「この度の魔獣の一件による討伐依頼・治療代の報酬です。どうぞお受け取りください」
「……?」
「少ないのは百も承知しております。不足している分も必ずお支払いいたしますのでどうか猶予をいただけませんか?」
「……」
「わたしたちも、改めてノーマの治療代と救出していただいた報酬をお支払いいたします。ベナド港の商業ギルドのリトに話は通してあるので、お手数ですがそちらから受け取っていただけますと幸いです」
「……あー……すみません、少し待ってください」
エメスは困惑していた。なぜなら魔獣を討伐したその日に、すでに村長から報酬を受け取っていたため、エメスの中ではもう解決済みのことだった。もっとも、これに加えて依頼料と治療代を請求することは不可能ではないが、エメスにとってノーマという逸材の発見は大きく、弟子入りしてくれるとなれば他に何もいらなかった。
どうしたものかと悩むエメスだったが、エメスのそんな思いとは裏腹に、エメスの機嫌を損ねたと勘違いしたブラン、ハックとダレス、ターナとそれぞれの両親が次々と土下座を始めた。
「「「「「「「「「「申し訳ございません!!!」」」」」」」」」」
「!?」
「少しずつでも、必ず報酬はお支払い致します。どうか、どうか猶予をいただけないでしょうか?!」
「ああ、いや―――」
「お願いします!どうか、お願いします!!」
「いや、だから話を―――」
「……エメスさん、わたしからもお願いします」
「ノーマまで!?」
ついにはノーマまでエメスに頭を下げ初め、なぜかエメスが追い詰められる事態になった。この事態を収拾するべく、エメスは必死に考える。
(報酬はいらないと言っても、こういう場合はさらに面倒なことになりそうだな……なにかしら受け取って手打ちにするか)
「……お伺いしたいことがあります」
「?」
「あなたたちはどうやって生計を立てているのですか?」
エメスの質問に対し、牧場の経営、医者、仕立て屋、そして彫金師であることを伝えると、エメスは差し出された袋から金貨を取り出していく。
「依頼料一人につき金貨1枚、治療代一人につき金貨1枚、それと、これから各々の家を周って、こちらの要求する物をいただきます。それで今回の一件は解決……ということでどうでしょう?」
「……あ、あの、そ、それでよろしいのですか?」
「構いませんよ」
「……―――!」
村人たちの顔が一気に明るくなる。エメスが方々を周る間、ノーマと子どもたちは残り、別れの言葉を交わした。
「ノーマ、頑張ってね」
「ダレス、手紙書くからね」
「いつでも帰って来いよ。待ってるからな」
「ハック兄、ありがとう」
「怪我には気を付けてね。後、なるべく無茶もしないで……わかった?」
「ターナ姉、いつも心配かけてごめんね」
「ノーマ……これ、わたしが作ったハンカチ。あんまり上手にできなかったんだけど、もらってくれる?」
「もちろん、ありがとうブラン」
しばらくして、大荷物を抱えたエメスが戻り、村を離れるときが来た。両親はノーマを抱きしめながら、別れの言葉を送る。
「ノーマ、頑張ってくるんだぞ」
「あなたが元気でいてくれるだけで、わたしたちは幸せなの。身体に気を付けてね」
「うん……それじゃあ、いってきます!」
二人はフィルトに跨り、村のみんなに見送られながら飛び立った。
フィルトは馬車とは比較にならない速さで空を翔けた。初めはあまりの速さに少し恐怖を覚えたが、遮るものが何もない空の景色に、ノーマは目を奪われた。
「ノーマ、怖くはないか?」
「すごく綺麗 ……世界って、こんなに広いんですね」
「大丈夫そうだな。 ……もう少ししたら町があるからそこで昼食にしよう。この大荷物だとフィルトを少し休ませないといけないからな」
「はい!」
しばらくして、町の食堂で昼食を摂ることにした。
ボタン村にある食堂とは違い、全体的に綺麗でお洒落な雰囲気を醸し出していた。ついつい周囲を見渡していると、エメスに諫められて座らされる。それでもソワソワしているノーマを見て、エメスは軽く苦笑していた。
「何でも好きな物を頼みなさい」
「え、えーっと……」
メニューに目を通す。ノーマは字が読めないわけではない。しかし、何よりも目を引いたのはメニューの横に書かれた値段だった。
(これで銀貨5枚!?こっちでも銀貨3枚……何でこんなにするの?)
「決まったか?」
「……じゃ、じゃあ……この豆のスープで……」
「……店員、注文いいか?」
「はい、ご注文をどうぞ」
「これとこれと……、後はリンゴジュースを二つもらおうか」
「かしこまりました」
しばらくして、鹿肉のロースト、複数の野菜がふんだんに使われたサラダ、甘い香りが漂うコーンポタージュ、チーズがたっぷり使われたマカロニサラダ……他にも豪勢な料理の数々がテーブルに並ぶ。
これまで節約料理ばかりだったノーマにとって夢のような光景だった。
「これは……」
「明らかに遠慮しただろ。今日は思う存分食べるといい」
「……! ありがとうございます、エメスさん」
「……ノーマ、わたしと君はもう師弟関係なんだぞ。今後わたしのことは師匠と呼ぶように」
「はい、……師匠!」
「よろしい、では冷めないうちいただこうか」
「はい!」
満面の笑みを浮かべ、ノーマはこれまでの分を取り戻すかのように料理を堪能した。あまりの食欲にエメスは驚愕していたが、気にせず食べ進めていた。
「その身体のどこに入ってるんだ? ……まぁ、わたしのせいでもあるか」
「?」
「すまなかったな。報酬の件を村の人たちにちゃんと伝えていればよかった」
「いえ……もう済んだ話ですから」
「それにしても驚いたよ。まさかあんな話が出回るとは」
「?」
あんな話とは、以前商業ギルドの職員が言っていた貴族が治癒術師に治療を依頼し、その報酬金額が金貨50枚だったというもの。役職によって金額が変わることがあるが、だからといって一度の治療で金貨50枚を請求するなど聞いたことのない話だった。恐らく、精霊術による長期治療が必要だったが、総額があまりに膨大だったために悪い方向で話が広まってしまったと考えられる。
「わたしたちも慈善事業ではないから請求はするが、ある程度譲歩もするというのに……とはいえ、残念なことに相手の足元を見るようなマネをするやつもいないわけじゃないのがな……」
「そうだったんですね。 ……師匠」
「?」
「今さらなんですけど、わたしって、やっぱり驕ってるんでしょうか?」
「どうした急に」
「わたしは、師匠に弟子入りを決めたのは人を助けたいからでした。でも、それって前に話したように「自分に力があるから」なのかなって……」
「……確かにそうとも言えるが、似て非なるものだと思うぞ」
「似て非なるもの?」
「君は「大切だから助ける」タイプだ。その大切なものが家族友人のみに向けられるのであれば村に残ればいい、独学でも精霊術の練度を上げれば形にはなる」
「……」
「だが、君は見ず知らずの人の命でさえも大切なものとし、その助けとなるために、わたしに弟子入りした。わたしはそれが驕りだとは思わないよ」
「師匠……」
「まぁ、とんでもなくお人好しだとは思うが」
「師匠!?」
そんな話をしながら、食堂を後にし、エメスたちは再びフィルトの背に乗り飛び立った
お疲れさまでした。
村を出るのに10話も掛かるとは思いませんでした…… こんな調子ですが、お付き合いいただけると幸いです。