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家達一択は間違えない ~リレーバトン泥棒の秘密~

作者: 夜方宵

日常の謎を扱った短編学園ミステリです!

よろしくお願いします!

 とある地方のそのまた郊外、切り拓かれた山の中腹に敷地を広げる公立高校がある。


 どの程度の学校かといえば、そこに受かれば周りの知り合いからは「あら~○○ちゃんは頭がいいのね~」と、ひとまず最低限優秀であると認めてはもらえるような、そんな田舎にありがちの『地元じゃ一番の進学校』的評価を欲しいままにしている由緒正しい学校である。


 そして、その立地ゆえに裏門のある裏手側を山林に囲まれた三階建て校舎の中、最上階の一番隅っこの部屋に、本来は空き部室であるそこを我が物顔で占領する少年の姿があった。


 窓際にパイプ椅子を置いて腰を下ろし、放課後の夕陽を背中に浴びながら読書に耽る黒髪で色白の少年。重ための前髪から覗く顔立ちは驚くほどに端正である。


 不意にガラガラと音を立ててスライド式の扉が開けられた。


 少女だった。ツーサイドアップ仕立てられた青みのある黒髪、くりっと丸く大きな瞳と幼気な顔立ち、そして華奢で小柄な体型も相まって小動物じみた可愛らしさを具えた美少女である。


 彼女――和鳥栖千優わとすちゆうは、小さく肩で息をしながら、敷居をまたぐようにして部屋の入り口に立ちすくんでいる。


 やがて和鳥栖はぎこちない笑顔を浮かべて小首を傾げた。


「あ、あはー家達さん。もうお部屋にいらっしゃったんですね……?」


 ようやく和鳥栖が声を絞り出すと、美少年――家達一択いえさといったくは、ちらっとだけ彼女を見やるとまたすぐに目線を文庫本へと戻し、それから独りごちるように言った。


「やあ和鳥栖くん、苺のマリトッツォは美味しかったかい? それはそうと僕のことは気にせずお気に入りの紅茶でも入れて、ひとりでゆっくりと新作のメロン・マリトッツォを味わってくれたまえ」


 その一言は、和鳥栖を諦めの境地へ追いやるにおいて必要十分であった。


「ど、どうして分かったんですか」


 手品のごとき家達の芸当に果てしなく慄くあまり、ミステリ小説に出てくる犯人の負け惜しみじみた台詞が和鳥栖の口をついて出る。


 やがて家達は文庫本に栞を挟んでから眼前の長机に置くと、


「驚くことはない。簡単でかつ単純なことなんだ和鳥栖くん。――観察と分析さ。かの偉大な名探偵シャーロック・ホームズがやったことと同じだよ」


 と言った。


「まず初めに今日の君は部室へ来るのがいつもよりも早い。その事実は何を示すか。それはつまり、僕がここへ来るよりも早く済ませておきたい何かが――延いてはここでしか済ませられない何かがあったということだ。これがひとつ目の推定になる。


 では次に、その何かとはなんだろう。それを探る上でこの部室にヒントがないかと僕は考えた。この部屋でなければ手に入らないもの、この部屋にのみ存在する特別なものがないだろうかと。するとすぐに思い当たったよ。君が自らここへ持ち込んで棚の中に仕舞っている紅茶のティーキャディーと電気ポットの存在にね。それ以外にこの部屋に特別なものはないから、すなわち『何か』とは紅茶になんらかの関係を持つと考えられる。これが二つ目の推定だ。


 そして君の右手に提げられた購買のレジ袋を見て僕は思った。甘党で新しいもの好きの君のことだし、しかもどうやら紅茶を必要としているときた。であればきっと女子の間で今話題の新作スイーツであるメロン味のマリトッツォを買ってきたに違いないとね。これが三つ目の推定になる。


 さてここで各事項を整理してみるとどうだろう。ひとつ目の推定における『ここでしか済ませられない何か』の正体は、二つ目と三つ目の推定で説明がつきそうだね。それはすなわち『新作メロン味のマリトッツォとお気に入りの紅茶で放課後のティータイムを楽しむこと』さ。


 けれどひとつ目の推定にはまだ不明な点が残る。それは『何故ティータイムを僕が来るよりも早く――つまり僕抜きのひとりで過ごす必要があったのか』ということだ。しかしこの謎についての答えもすぐに見つかった。君が手に提げた袋を見ると、どうやら中には二個入りのパックが入っているようだが大きく片側に傾いているじゃないか。つまり重量のバランスが崩れてしまっているんだ。そうであるならば、ふたつのうちひとつは既に誰かの胃袋に収まったと考えて間違いあるまい。


 さあ、これで謎は全て解けた。導かれた結論を示すとこうだ。


『君は購買で新作のメロン味のマリトッツォが入った二個入りのパックを購入したが、我慢できずに一個食べてしまった。流石に僕の前でひとりだけお菓子を貪るのは忍びないが、さりとてティータイムを諦めることもできない。だから君は急いで部室へ向かったのだが、残念なことに僕の方がずっと早く部室へ着いていたためにドアを開けた瞬間硬直する羽目になった』


 だから僕は親切に声をかけたのさ。気にせずひとりで紅茶とマリトッツォを味わうといいってね」


 家達が言葉を結ぶと同時に和鳥栖は思わず天を仰いだ。


「なんと非現実的推理マジカルな!」


「いいや超論理的推理ロジカルさ」


 平然とそう言ってみせるこの男――家達一択という男が瞬刻の間になす洞察と推理はまるで神業だ。いや、いっそ悪魔のような御業だと和鳥栖は思った。


「で、でもでも! なんで私が苺のマリトッツォを食べたって言い切れるんですか! 家達さんは実際に私が食べたところを見てはいないでしょ? なくなったマリトッツォは違う味だったかもしれないし、私が食べたんじゃなくて友達に分けてあげたのかもしれないじゃないですか!」


 悪あがきだった。本当はもう一個のマリトッツォは苺味だったし、なくなったのだって和鳥栖が食べてしまったからなのだ。それに和鳥栖は分かっていた。よりにもよって家達一択という男が根拠もなしに物事を断定するはずがないということを。


「だから言ったじゃないか和鳥栖くん。簡単で単純なことなんだって」


 家達は微笑した。


「なくなったのは苺味のマリトッツォでしかあり得ないし、それを食べたのは君でしかあり得ないんだ。――だって君の鼻の先には見事に苺色のクリームがついているんだもの」


「ええ!? ってそれをはやく言ってくださいよもう!」


 ピンク色のハンカチでクリームを拭いつつ、和鳥栖は顔を真っ赤にして声を荒らげた。それから羞恥を吹き飛ばすように咳払いをひとつして、和鳥栖は観念した顔で家達を見やったのだった。


「えっと、まあ……これは半分こにしましょ?」





 ティータイムを終え、片付けを済ませたところで、家達の右斜め前に腰を下ろした和鳥栖は読書再開中の家達に語りかけた。


「ねえ家達さん。リレーバトンと靴紐を盗む人の気持ちって分かりますか?」


「藪から棒になんだい和鳥栖くん。僕は生まれてこの方、リレーバトンや靴紐を盗んだことは一度もなくてね。さらに言えば盗みたいと思ったこともない。そんなわけで、申し訳ないけど君の質問には分からないと答えるほかないよ。もし君がどうしてもそういった偏執者の思考を理解したいというのなら、その質問は僕じゃなくて実際にリレーバトンや靴紐を盗んだことのある泥棒に訊ねてみてくれたまえ。もしそんな人がいるならね」


「それはそうですけど……。だって、バトン&靴紐泥棒の正体が誰なのか分からないんですもん」


 ページをめくる家達の手が止まった。


「どういうことだい和鳥栖くん。君のその口振りだと、まるでバトン&靴紐泥棒が現実に存在しているみたいじゃないか」


 和鳥栖は内心でほくそ笑んだ。やっぱり食いついてきたぞ。


「存在するんですよ家達さん。三日前、この学校の陸上部でリレーバトンと靴紐の盗難事件が起きたんです。どちらも部室から、靴紐については部室に置きっぱなしにされていた各部員のランニングシューズから抜き取られていたんだそうです。陸上部のマネージャーをやってる女の子の友達から聞きました」


「ふうん。まさかそんな物好きが実在したとはね。なるほど、それで君は僕の頭脳を借りて窃盗犯の思考を理解しようとしたわけだ。それが犯人の特定、延いてはバトンや靴紐の奪還の役に立つことを期待して」


「そうですね。でも家達さん、バトンや靴紐の奪還については解決済みですよ」


「ふむ。どこかに隠されていたか、あるいは道端にうち捨てられでもしていたのかな」


 和鳥栖は首を横に振った。


「いいえ家達さん。バトンと靴紐は次の日の夕方には元の場所に戻っていたんです」


「ほう」


 家達の双眸にみるみる好奇心が湧き上がる。


「つまり泥棒は一晩だけ陸上部からバトンやら靴紐やらを拝借して、次の日には律儀に元の場所へ返還したと、そういうわけだね」


「そういうことです」


「単に部員の誰かが持ち出しの申告を怠っただけという可能性は……考えにくいだろうね。なくなったのがバトンだけならまだあり得ただろうけど、靴紐まで拝借する常識的な理由がない」


 リレーバトンだけであれば申請を面倒くさがった部員が無断で持ち帰った可能性も考えられるが、ランニングシューズから靴紐を抜き取ることなど普通にあることではない。


「ですね。それに陸上部の部長――キャプテンはとっても厳しい人で、誰だろうとキャプテンに無断で部の備品を持ち帰るようなことは考えにくいそうです。どれくらい厳しいかっていうと、強い選手やリレーメンバーの選手には自転車通学を禁止するくらいだそうです。なんでも、転倒したりして怪我でもしたら試合に出られなくなって部に迷惑をかけるからとかなんとか」


「それはまた今どき珍しいほどの鬼キャプテンだ。もしこっそり原付バイクなんかで通学している人がいたら怒られるどころじゃ済まないだろうね」


「でしょうね。でもそれくらい本気で部活に取り組んでる熱くて真面目な人なんだって友達は言ってました」


「おや、君の友達は彼に肩入れしてるようだね」


「だって付き合ってますから」


「おやおや、意外と部活一筋でもないらしい」


 茶化すように微笑する家達だったが、和鳥栖いわくマネージャーの彼女がキャプテンである彼氏の一生懸命さに惹かれてあれこれと献身的なサポートを続けたことによる恋愛関係への発展であるとのことだった。


「もうすぐお友達の誕生日で、その日はちょうど日曜日だからデートするんだって最近上機嫌なんですよ。いいなあ彼氏。いいなあデート。私も恋したいです~」


「すればいいじゃないか。ひょっとして君は知らないのかもしれないが、現代日本においては自由恋愛が尊重されているんだよ」


「知ってますう〜。しようと思ってできるものじゃないんですよ~。ていうか家達さんはしたくないんですか、恋。したくないんですか、ドキドキ!」


「恋愛なんてしなくてもミステリ小説を読んだり現実の謎について考えるだけで十分ドキドキできるからね。むしろ謎解きの緊張・興奮・快感を上回るものはほかにはないと僕は考えているよ」


「そうですか……はあ」


 落胆の溜息をこれ見よがしに吐き出す和鳥栖だったが、対する家達はといえば何をそんなにがっくりしているのだとでも言いたげな顔で彼女を眺めるのであった。


「それで話を戻すけど和鳥栖くん。バトンと靴紐が戻ってきたことで盗難事件は一応の終着を見たわけだけど、部内では犯人探しが続いているというわけかい?」


「いえ、部長は当然怒ったみたいですけど、盗まれた物は返ってきたし、これ以上犯人探しに時間をかけて練習が疎かになる方が部にとってマイナスだってことで、以降この件については蒸し返さないことに決めたそうです」


「気持ちいいくらいの熱血漢だね。無駄なことに頭を働かせるよりも体を動かして競技力の向上に努めよというわけだ。で、君がこの話を僕に聞かせてきたということは、部長の決定に承服しかねている人物が少なくともひとりはいるようだね。そして、それはきっと君のお友達で彼の彼女さんだろう」


「流石は家達さん。その通りです。同じ部活で切磋琢磨する仲間の中に今も平気な顔をしてる泥棒がいるかもしれないって思うと、胸がざわついてマネジメントに集中できないらしくって。できれば誰が犯人なのかをはっきりさせたいんだそうです」


「なるほどねえ」


 パイプ椅子にゆったりと背中を預け、腕を組んで微笑む家達。


 そんな彼を眺めながら和鳥栖は言った。


「ねえ家達さん。一体誰が陸上部の部室からリレーバトンと靴紐を盗んだのか。それにどうして犯人はそんな物を盗もうと思ったのか。こんな不可思議な謎を解ける人なんて、私はほかに知りません」


 上目遣いで乞うような眼差しを向ける和鳥栖。しかし和鳥栖は半ば確信していた。必死に頼み込みなどせずとも、これまでの会話によってこの男の好奇心は十分すぎるほどに和鳥栖の垂らした釣り針に食らいついている。あとはちょいと竿を引っ張ってやるだけでいい。


「きっとあなたにしかできないことです。だから答えを見つけてくれませんか、家達さん?」


 細められた家達の目に探求の熱意が宿った。


「――面白い。僕がたった一択の真実を解き明かしてみせよう」


 一本釣り~! 和鳥栖は内心で盛大にガッツポーズをしたのだった。


「それじゃ和鳥栖くん、君は事件の経緯について既に詳しく聞いているんだろう? 委細漏らさず、今から説明してくれたまえ」


「分かりました」


 家達の言葉に従い、和鳥栖は事件の詳細を語り始めた――。





 ――今から三日前のこと。昼頃から降りしきる雨の中、陸上競技部は部活を実施した。


 ただし、流石に外では走れない。ゆえに場所は校舎内の階段とトレーニングルーム。一階から三階までの階段ダッシュを二十本。その後はトレーニングルームで筋トレとストレッチというのがその日のメニューだった。


 十六時から開始された部活動は十八時に終了を迎えた。


 皆が部室で着替えを済ませ(男子部員と女子部員とで別々に部室がある)、十八時二十分には全員が運動部用の部室棟を後にした。


 施錠については男子部室は部長が行ない、女子部室は唯一の三年生である女子部員が行なった。鍵はともに扉横の消化消火器の下に隠された。代々そういう慣習であり、全部員が承知していることである。


 ひどかった雨も止み太陽が顔を覗かせた翌朝、昨晩ユーチューブで世界陸上やオリンピックの動画を漁ってやる気に溢れたらしい二年生の男子部員が朝練をしようと部室を訪れた。通常、最も早く来る者が六時頃であるところ、彼が到着した時刻は五時半であった。


 消火器の下から鍵を取り出し、部室へと入る。


 最初はなんら違和感を覚えることもなかった。自宅から既にジャージ姿で登校してきた彼に必要な準備は、靴をスニーカーからランニングシューズに履き替えることだけだった。


 備えつけの靴箱から自身のランニングシューズを取り出す。履き替えようとして――ようやく彼は異変に気がついた。


 彼のランニングシューズから靴紐が抜き取られていたのである。靴紐を結べないのでは使い物にならなかった。


 頭上に疑問符を浮かべながら困惑していると、やがて六時前に部長がやってきた。


 男子部員は部長に状況を報告した。その後、さらに三人の男子部員が到着し、彼ら五人は部室の中を検めた。その結果、合計で五本の靴紐がランニングシューズから抜き取られ、さらにはアルミニウム合金製のリレーバトン六本セットが収納する箱だけを残して消失している事実が判明したのである。


 最初に部室に到着した部員の手荷物の中には靴紐もバトンもなかった。ゆえに犯行は前日のうちに行なわれたものと推察された。


 昼休みには部員全員が集められ、部長による詰問が行なわれたが、自身の仕業であると告白したものはいなかった。


 互いに疑心を募らせる陸上部員たちだったが、その日の放課後に事態は思わぬ展開を見せる。


 盗まれたリレーバトン六本と靴紐五本が部室に戻っていたのである。


 リレーバトンは元の位置――棚最上段の左奥に置かれていた収納箱の中に返されていた。一見して無傷であり、何か細工をされたような形跡は見られなかった。


 しかし靴紐には明らかな異状が見られた。五本すべてが泥を吸ったように茶色く汚れていたのだ。多少洗われたような形跡は見受けられたが、一度汚されたのは明らかだった。


 不可解な状況に再び困惑の波が広がる陸上部であったが、部長の一喝によって混乱は沈静化した。先だって和鳥栖が説明した理由がここで語られ、納得するしないにかかわらず、そのときをもって陸上部は強制的に平常へと回帰することになったのだった――。





「とまあ、こんな感じですけど」


「ふむ」


 和鳥栖の説明を聞き終えた家達はしばし黙して思索する。曲げた右人差し指の第二関節を形良い唇にそっと当てながら考えに耽るのが彼の癖だった。


「陸上部の部室の鍵が消火器の裏に隠されていることを知っている人間は、陸上部員以外にもいたんだろうか」


「それについては口外しないよう、部長から強く命じられていたようですよ。こわーい鬼部長の指示ですから、きっとみんなむやみやたらに言いふらすようなことはしなかったんじゃないでしょうか。言いふらす必要性も基本ないですしね」


「戻ってきた盗難品を発見したのは誰かな」


「一年生の男の子たちらしいです。確か川崎くん、岸本くん、桑原くんって名前だったと思います」


「三人は一緒に部室に向かったんだね?」


「はい。同じクラスらしくて、ホームルームが終わると同時に一緒に部室に向かったんだそうです」


「となるとそこでこっそり盗んだ物品を戻すことは不可能だね。いや、三人が共犯だという可能性もあるか……」


「いえ、家達さん。三人が共犯である可能性はありません。岸本くんは体調を崩してて前日まで学校を休んでいました。お母さんが専業主婦だそうで、ずっとお母さんの監視下にあったようですからお家から出てないことは明らかです」


「なるほどね。となると、きっと犯人はその日の日中にこっそり盗んだ物を返したんだろう。まあないとは思うけど、陸上部の誰かが人目を気にしながら部室棟へ向かう様子が目撃された、なんてことはないよね」


「残念ながら」


 和鳥栖が眉を八の字にして笑うと、家達は「構わないさ」と小さく口許を緩めた。


「ふむ、おそらく犯人は陸上部の誰かである可能性が高いけれど、現状、部員であれば誰でもあり得るね。となれば犯人にたどり着く手がかりはやっぱり動機――何故、犯人はリレーバトン六本と靴紐五本を必要としたのか、その謎を解くことにありそうだね」


「もしかして動機の仮説が立ってたりしますか家達さん?」


 期待の眼差しを向ける和鳥栖だったが、家達は苦笑しつつ首を横に振った。


「いやいや。まだちっとも分かっちゃいないよ。ただ、犯人が単なるバトンマニアのコレクターだったり靴紐マニアのコレクターでないことは確かだね」


「はい、それは間違いないですよね。だって犯人は盗んだ物を次の日には返してますから」


「それだけじゃない、理由はほかにもあるよ」


「え?」


「靴紐さ。戻ってきた靴紐五本は、どれもが泥を吸ったように汚れていたんだろう。つまり靴紐たちは泥に塗れるような目に遭ったんだ。何かしらの用途に使われたんだよ。そこに犯人の動機が隠されている」


「なるほど……!」


「けれどどういった用途に使われたのか見当もつかない。六本のリレーバトン、五本の靴紐、泥、犯人は一体どんなことに使いたくてバトンと靴紐を盗んだんだろう」


「うーん……」


 熟考する家達の前で同じように和鳥栖も考える。が、しばらくしたところで降参とばかりに机に突っ伏した。


「うう~全然分かんないですー。私じゃどうやったって解けそうにないですね、しょんぼりして心が雨模様です」


「雨模様……」


 和鳥栖の独り言を聞き留めた家達が呟く。


「雨……水……土……泥……」


 脳内で行なわれる連想ゲーム。その一片が言葉となって無意識に家達の唇から漏れ出す。やがて家達は和鳥栖に尋ねた。


「ねえ和鳥栖くん。陸上部の部室にあるリレーバトンは盗まれた六本で全部なのかな?」


 突っ伏していた和鳥栖は上半身を起こした。


「え? あ、そうですね、アルミ製のリレーバトンはその六本で全部だそうです」


「アルミ製は? アルミ製じゃないバトンならあるっていうのかい」


「えっと、はい。普段は使わないらしいですけど、プラスチック製のバトンも所有してるそうです。アルミ製のと同じように六本セットで、似たような箱に入ってていつもアルミバトンの箱の隣に並べておいてあるとか。でも公式試合ではアルミ製のバトンが使用されますから、練習でもアルミの方を使っているそうです」


 家達の双眸がわずかに見開かれる。めまぐるしい思考が揺らぎとなって彼の瞳の中を駆け巡る。


「だとしたら犯人はあえてアルミニウム合金製のリレーバトンだけを盗んだことになる……! プラスチックではダメだったんだ、アルミニウム合金製でなければ……! それは何故だ……アルミ製のバトンが六本と、靴紐が五本、泥、雨、……」


 ついに家達の双眸に閃光が灯った。閃きの光。見開かれた彼の瞳にもう揺らぎはない。


「……そういうことか」


 その一言に和鳥栖の体が椅子から跳ね起きる。


「分かったんですか! 犯人が?」


「まだ断定はできないね。現場を確かめる必要がある」


 そう言って家達は立ち上がる。腕時計に目をやる。時刻は十七時半を回ったところだった。


 家達は笑んだ。


「ちょうどいい頃合いだ。さあ行こう和鳥栖くん。謎が謎でなくなる瞬間はもう近い」





 和鳥栖を連れた家達が向かったのは裏門の方だった。


 彼らが通う高校は山の中腹にあり、裏手側を山林に囲まれている。また道も舗装されていない凸凹の田舎道であるため、こちらを好んで通る人間は皆無に等しい。


 裏門を出て、未舗装の道を進んでいく家達。雨が降ったのは三日前だが、山林が道に陰を落としているために今もなお湿り気のある地面だった。


「一体何を探してるんですか家達さん……?」


 訝しげな顔をしながら後ろをついていく和鳥栖。しかし家達は何かを探すのに熱中しており彼女の言葉は耳に届いていなかった。


 家達はしきりに山林の中を気にしていた。やがてハッと瞠目した彼は、そのまま一目散に山林の中へと駆け込んでいった。


「ちょっ、家達さん!? 何やってるんですか!?」


 狼狽する和鳥栖。自身も家達を追いかけようとして、しかし濡れた林の中に突っ込んでいく勇気を持てずにおろおろと躊躇う。


 結局、彼女が覚悟を決めるよりも早く家達の方が戻ってきた。


 さらに彼は、なにやら大きな物体を従えていた。


 ハンドルがついていて、シートがあって、ふたつのタイヤと、それからごく小さなエンジンを積んだ金属の塊。


「やっぱりあった」


 財宝を探り当てたトレジャーハンターのような笑顔を浮かべた家達が言った。


「それって、ひょっとして原付バイクですか……?」


 ひょっとせずとも、それはまさに原動機付自転車であった。


「犯人のバイク、ってことですか」


「もちろんそうさ」


 山林から引っ張り出してきた原付バイクのスタンドを立てると、またズンズンと道を進み始める家達。


 その後を追う和鳥栖。どうやら今度は未舗装路の方を気にしているようだった。土が剥き出しになっている凸凹の道を一生懸命に見つめながら家達は進んでいく。


 そして、やがて立ち止まった家達は非常に満足げな顔で和鳥栖へと振り返った。


「やっぱりそうだった。これを見てごらんよ和鳥栖くん」


 そう促されて、和鳥栖は家達の隣に並ぶ。彼の指差す先を見てみると、そこには奥行き約三十センチ程にわたり道を寸断するようにして横一線に伸びる黒々とした土の凹みがあった。


 黒々としているのは、どうやら濡れてぐじゅぐじゅに泥濘んでいるかららしい。


「何かしらの原因で山の方から水が流れてくるらしい。今でもこんな感じなんだ、三日前に雨が降ったときにはそれはもうドロドロだっただろうね」


「はあ……?」


 だからどうしたのだろう、と首を傾げる和鳥栖とは対照的に、家達は心底晴れやかな微笑みをたたえて言った。


「どうしたんだいそんな池の中の鯉みたいにぽかんと口を開けて。これで何もかもが明らかになったじゃないか。今僕らの前には、たった一択の真実だけが燦然と輝きを放っている」


「ええ!?」


 くりっとした両目を見開いて仰天する和鳥栖。そんな彼女を愉快げに眺めながら、家達は腕時計に目をやったのち、くるりと踵を返した。


「さあ戻ろう。そろそろ彼がやってくる時間だ」





 家達と和鳥栖が原付バイクのもとへ戻ったときには、時刻は十八時十五分を指していた。


 泰然とした様子で原付バイクのシートに腰を下ろしている家達と、緊張でそわそわしている和鳥栖。


 十分ほど経過した頃だった。誰も使わないはずの裏門を抜けて、その人物は現れた。


 スポーツ用のエナメルバッグを肩にかけたその人物は家達たちの存在に気がつくと一度は立ち止まって訝しげな眼差しを寄越したが、やがて歩みを再開し、最終的には家達たちの眼前までやってきた。


 すらっと高い身長。黒くて潔い短髪。日焼けして精悍な顔立ち。制服の上からでも胸板の厚さは明らかで、半袖から覗く腕は逞しい。見事に鍛え上げられた肉体を持ったスポーツマンの姿であった。


 原付バイクのシートから腰を上げた家達は、その威圧感をものともせず微笑をたたえた。


「こんにちは、あなたが陸上競技部の部長さんですね。それともこう呼んだ方がよろしいでしょうか――リレーバトンと靴紐を盗んだ泥棒さん」


 家達と和鳥栖の眼前に佇むのは、ほかでもない陸上部の部長、キャプテンだった。


 しばしの静寂があった。


 犯人――陸上部の部長は、やがて小さく息をつくと言った。


「……どうして分かった」


「バトンと靴紐の使い道が分かったからですよ」


 家達は言った。


「プラスチック製のバトンには手がつけられず、アルミニウム合金製のバトンだけが盗まれたと知った僕は、まずその差異に着目しました。どうして犯人はアルミニウム合金製のバトンを欲しがったのでしょうか? 考えた結果、僕がたどり着いた結論は『アルミニウム合金の耐久性が必要だったから』というものです」


 部長は何も言わない。しかし構わず家達は言葉を続ける。


「そのうえで僕はバトンの用途について考察しました。バトンはどんな形状をしているでしょうか? そう、中空の円筒状をしています。バトンをバトンとしてでなく、中空の円筒として捉えたとき、そこには何が見えてきますか。きっと違った姿が見えてくるはずです」


「バトンの違った姿……」


 家達の隣で懸命に考える和鳥栖に、彼は微笑みかけた。


「それじゃこういう訊き方をしようか和鳥栖くん。中空で、円筒状で、さらにそれは金属でできている。そんな物体を思い浮かべたとき、君はそれを何だと思う?」


「中身がくり抜いてあって、筒の形で、金属でできてて……うーんと、えっと……あ、ろ、『ローラー』ですか!?」


 家達は満足げに頷いた。


「その通りだよ和鳥栖くん。アルミニウム合金製のリレーバトンは、すなわち『アルミニウム合金製のローラー』としての側面を持ち合わせているんだ」


 そして家達は再び部長へと向き直る。


「バトンをローラーだと考えたとき、その用途はより明確に想像することができます。ローラーの役割として最も主だったもののひとつは、『物体を転がして搬送する』ことでしょう。そして今回の事件においても、バトンはある物体を搬送するためのローラーとして使われることになりました」


 家達はそこで一度言葉を切り、また口を開く。


「それと同時に靴紐の用途にも見当がつきます。五本の靴紐は、六本のバトンがバラバラにならないよう繋ぐために使用されたんです」


「なるほど……!」


 和鳥栖が両手のひらを合わせて納得の驚きを表す。


「では、その靴紐によって繋がれた六本のバトンは何を搬送するために使われたのでしょうか。……それを知るための手がかりは、靴紐自身にありました。靴紐はどれもが泥を吸って汚れていました。したがって、靴紐とバトンは泥あるいは泥水に浸ったと推測することができます。それじゃ泥水に浸る可能性がある場所というのはどこでしょうか。グラウンドですか? 僕は違うと考えました。雨に濡れたグラウンドで、バトンをローラー代わりにしてまで一体何を運ぶというのでしょうか。さらにアルミニウム合金製のバトンが選ばれた事実からその物体はある程度以上の重量物であることが想定されますが、そんなもの、グラウンドにはないですよね。

 したがってグラウンドではない。だったらどこか? 検討の結果、僕が思い至った場所は裏門の先にある未舗装の道でした」


 部長は沈黙したまま、しかし家達を真っ直ぐに見据えて耳を傾けている。


「この学校の裏手側は山林に囲まれているせいでじめじめと薄暗く、また道も舗装されていないため、こちら側を通る生徒はほとんどいません。ですが、どうやら犯人は裏門を使用するようです。その場合、一体どんな理由が考えられるでしょうか? それについては、そもそもこの道が何に使われるかを考えれば予想がつきます。正門同様、こちらの裏門も用途は同じ……つまり登下校です。したがって、犯人がわざわざ裏門を使う理由とは、『登下校に使っている重量のある道具を人目につかせたくないから』であろうと予測できます。たとえば、原付バイクのような乗り物をね」


 和鳥栖は息を呑みつつ家達の推理を見守っている。


「結果、実際に僕は山林の中に原付バイクを発見しました。あとは、その原付バイクを搬送するためにローラーを必要とする場所を探すだけです。そしてそれもまた、すぐに見つかりました。道を寸断するかのように横に伸びる泥濘みがね。事件当時の三日前は午後以降ずっと雨が降っていました。部活を終えて帰ろうとした際、きっと泥濘みの状態は最悪だったでしょう。普通に越えようと思っても、原付バイクの車輪が泥濘みに嵌ってしまう程に劣悪だったのだろうと想像します。……だからあなたは即席でつくりあげた。『泥濘を越えるためのローラーコンベア』を。靴紐で繋いだ六本のバトンを泥濘に浸し、その上を通過させることで、あなたは原付バイクを泥濘の先へと運んだんです」


 陸上部の部長は否定しなかった。それはこの状況において肯定にほかならない。


「す、すごい……!」


 感嘆の声を漏らす和鳥栖。


 しかし、家達の推理はまだ終わってはいない。


「板か何かを用意すれば良かったじゃないか、とは訊かないんですね部長。まあ、その場合には持ち運びに不便な板を探すよりも手近にあったバトンと靴紐で即席コンベアを用意した方が楽で手っ取り早いという言葉を返させて頂くところですが」


 部長は少し目を閉じる。何かを考えるような仕草ののち、そこに至って部長は家達に問いかけた。


「お前の推理には驚くほかない。すべてお前の言う通りだ。……だが教えてほしい、バトンと靴紐の用途から、どうして犯人が俺だと導き出した」


「だって、そこまでして原付バイクで通学していることを隠す必要があるのは部長のあなたしかいないじゃないですか」


 家達はこともなげに言った。


「あなたは普段から部長として、そしてキャプテンとして部員たちに厳しい指導を行なっている。それこそ、戦力となる選手たちには『自転車通学すらも禁止する』ほどに厳しく。それなのに、当の本人が原付バイクで通学しているなんて知れたらどうなるか分かったものじゃありません。だからあなたは、原付バイクで通学しているということを決して誰にも知られるわけにはいかなかった。そもそも、ほかの部員たちは鬼キャプテンのあなたに逆らってまで原付通学をしようなどという気持ちはきっと起こらないでしょう。自分の言葉を最も容易く裏切れるのは、ほかならぬ自分自身というわけです」


 家達の言葉を受けた部長は、やがて小さく頷いた。


 しかし、そこで疑問を口にしたのが和鳥栖であった。


「でも……どうして部長は自分が決めたルールを破ってまで原付バイクで通学してるんですか……! 見た感じ、きっと怪我とかもしてないですよね。だったらバイクを使う理由なんてないはずです。それに私思うんですけど、バイクを泥濘の先に運ぶのだってわざわざバトンと靴紐でローラーコンベアなんかをつくる必要なかったんじゃないですか。だって部長さんには彼女がいるじゃないですか。もしバイク通学をせざるを得ない理由があるんだとしたら、それをちゃんと話せばあの子は手伝ってくれたはずです。ふたりで力を合わせれば、きっとバイクを運ぶことだってできますよね……? それなのにどうして……」


「それは無理な話だ和鳥栖くん」


 家達は和鳥栖の言葉を遮った。


「部長にとって、それだけは絶対にできない。自身が原付バイクで通学している理由を彼女に話すなんて、何があってもできないことなんだ」


「なんで……」


「それはね、部長さんが原付バイクで通学しているのは、ほかの誰でもない彼女のためだからだよ」


 予想外の家達の言葉に、ぽかんと呆けた顔をする和鳥栖。


「彼女の、あの子のため、ですか……?」


 家達は頷いた。


「ああそうさ。ねえ和鳥栖くん、部長が自転車ではなく原付バイクを使うのにはどんな理由が考えられるかな?」


「えっと、それは、自転車よりも速く移動できるから、ですか……?」


「それもある。けれどもうひとつあるよ。それはね、原付バイクを使えば、徒歩よりも、そして自転車よりも速く、そして『遠くへ行ける』ということさ」


「遠くへ……? でもどうして遠くへ行く必要が……?」


「それは思うに、きっと陸上部の部員にバレないように『遠い場所でアルバイトに励むため』だろうと僕は考えている」


「遠い場所でアルバイト……?」


 首を傾げながら和鳥栖は部長の顔を見やる。すると、部長はどこか気恥ずかしげにそっぽを向いていた。


 再び家達に視線を戻す和鳥栖。


「部長はどうしてそこまでしてアルバイトを?」


「そんなの決まってるじゃないか」


 家達は微笑みをたたえて言った。


「大好きな彼女に誕生日プレゼントを買ってあげるためさ」


 和鳥栖は思い出した。そうだ。友人は言っていたのだ。もうすぐ自分の誕生日だと。そして、その日はちょうど日曜日だからデートをする予定になっているのだと。とても嬉しそうにそう語っていたじゃないか。


 そんな彼女のために、部長はとっておきの誕生日プレゼントをサプライズで用意してあげたいと思ったのだ。そしてそのために、自らが定めたルールを破ってまでアルバイトすることに決めたのである。すべては彼女の誕生日を最高の思い出にするために。


 だからこそ、部長は何があろうとも自分が原付バイクで通学していることを彼女だけには知られるわけにいかなかったのである。


 一見して不可解な泥棒事件は、一貫した恋の物語であった。


 そう思うと、和鳥栖はどうしてか、ほのかに笑顔をたたえずにはいられなかった。


 そして彼女は小さく呟く。


「……なんと非現実的推理マジカルな」


 それに対し、家達は自信に満ちた笑みで答える。


「いいや超論理的推理ロジカルさ」


 かと思いきや、そこで何か思いついたらしい家達はにやりと目を細め、訂正するようにこうも付け加えたのだった。


「けれどやっぱりマジカルかもしれないね。だって、『恋は魔法』って言葉もあるくらいだしさ」





〈リレーバトン泥棒の秘密 解決〉

読んで頂いてありがとうございました!


夜方宵に興味を持って頂いた方は、MF文庫Jと講談社ラノベ文庫から出版予定の各新人賞受賞作もチェックして頂けると嬉しいです。

(第19回MF文庫ライトノベル新人賞受賞作は2023年内に発売予定です)

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