「寝取られと脳回復」
螺旋迷宮と呼ばれる巨大ダンジョン。
その21層。
ニトロ
「ぐっ……!?」
ニトロ=ユリスキーの横腹に、焼けるような痛みが走った。
ニトロは金髪長身の美男子で、冒険者だ。
2人の頼れる仲間と共に、順調に、冒険者としてのキャリアを重ねていた。
そのはずだった。
リューン
「ふふっ」
笑い声が聞こえた。
嘲るような声だ。
ニトロは声の方へ、振り返った。
パーティメンバーのリューンが、血に濡れた短剣を持ち、立っていた。
短剣に付着しているのは、ニトロの血だろう。
リューンは金髪赤眼の、小柄な美少女だ。
そんな彼女が、ぞっとするような笑みを浮かべていた。
ニトロ
(リューンに刺された……!?)
ニトロ
「どうして……?」
何のために仲間を攻撃したのか。
痛みに耐えながら、ニトロはリューンに問いかけた。
リューン
「ふふふ」
リューン
「こういうことよ」
リューンは微笑みながら、隣に立つ少女を抱き寄せた。
セイレム
「あっ……」
仲間の1人、セイレムが、特に抵抗も無く、リューンに抱き寄せられた。
セイレムは、銀髪の少女で、ニトロの幼馴染みだ。
ニトロと一緒に村を出て、冒険者になった。
ニトロとセイレムは、お互いに好き合っている。
少なくともニトロの方は、そう認識していた。
だが……。
セイレム
「んっ……ちゅっ……」
リューンはセイレムと、唇を合わせた。
セイレムは、抗わなかった。
頬を赤らめ、リューンにされるがままになっていた。
ニトロ
「な……!?」
ニトロの心が揺さぶられた。
あまりの衝撃に、横腹の痛みすら忘れるほどだった。
ニトロ
「どうして……?」
ニトロは、2度目の疑問をはなった。
セイレム
「……ごめんなさい。ニトロ」
セイレム
「私の体はもう、リューンさまのモノなのです」
ニトロ
「体……?」
リューン
「大人の関係ってことよ」
リューン
「愛し合ってるの。私たち」
ニトロ
「そんな……」
宿屋では、リューンとセイレムは同室だった。
男女に別れて部屋を取るのは、当然のことだ。
ニトロはそう考えて、特に疑問にも思わなかった。
それがまさか、このような淫靡な関係だったとは。
ニトロが受けた衝撃は、もはや計り知れなかった。
ニトロは童貞だ。
いつかセイレムと結婚し、一緒に大人の階段をのぼる。
そう考えていた。
それはどうやら、ニトロの幻想だったらしい。
ニトロの膝が、ぐらぐらと揺れた。
リューン
「あなた、ずっと邪魔だったのよ?」
リューン
「よわっちいくせに、セイレムの幼馴染みってだけで、ウロチョロくっついてきて」
リューン
「2人の愛の花園に、ズカズカと踏み入るようなことをして」
リューン
「ずっとずっと、邪魔だったの」
ニトロ
「…………」
ニトロ
「セイレム……君もそう思ってたのか……?」
セイレム
「私は……」
リューン
「セイレム。キスしてちょうだい」
セイレム
「……はい」
セイレムは言われるままに、リューンと唇を重ねた。
ニトロ
「…………!」
ニトロ
「そうか……」
ニトロ
「それが君の答えなのか……」
セイレム
「…………」
リューン
「鈍いあなたでも、ようやく理解できたみたいね?」
リューン
「それじゃ、さようなら」
リューンはニトロに、手のひらを向けた。
無詠唱で、魔術がはなたれた。
爆炎が、ニトロの胸を打った。
ニトロの体が、宙を舞った。
ニトロが向かう先には、大穴が会った。
『大螺旋階段』の、中央にある縦穴だ。
ニトロは落ちていった。
通常であれば、助からない高さだった。
みるみると加速し、地面に叩きつけられ、死ぬ。
そうなる前に、ニトロは呪文を唱えた。
ニトロ
「聖壁……」
ニトロの体が、黄金の輝きに包まれた。
それからニトロは、ポケットに手を入れた。
ポケットから取り出されたのは、植物の種だった。
ニトロ
「『植物操作』……!」
ニトロはスキル名を唱え、種を地面へと弾いた。
地上に草がおいしげった。
ニトロは勢い良く、草の上に落下した。
ニトロ
「がっ……!」
防御呪文と草のクッションが、ニトロの即死を防いだ。
だが、無傷というわけにはいかない。
ニトロ
「ぐう……う……!」
背中と横腹の痛みに、ニトロは呻いた。
ニトロ
(回復を……)
ニトロ
「癒やし風……」
ニトロは呪文を唱えた。
だが、治癒術は発動しなかった。
ニトロ
(魔力切れか……)
ニトロは魔力が少ない。
極端に少ない。
むかし事故で、頭に大怪我を負った。
その後遺症だった。
1度強力な呪文を使うと、しばらくの間は、他の呪文は使えなくなってしまう。
リューンに役立たず扱いされたのも、それが原因だった。
今、ニトロは重傷を負っている。
もう、指一本動かせなかった。
このままでは、出血多量によってか、あるいは魔獣に襲われて死ぬ。
ニトロ
(俺は死ぬのか……こんなところで……)
ニトロ
(好きだった子を寝取られて……)
ニトロは、リューンとセイレムのことを思い浮かべた。
ニトロ
(大人の関係……)
ニトロの脳裏に、絡み合う2人の姿が浮かび上がった。
リューンがセイレムの胸を吸っていたり、股に顔をうずめていたり。
その逆のビジョンも有った。
そして最後に、キスをする2人の姿が浮かんだ。
ニトロ
「ぐ……!」
ニトロ
「ぐおおおおおおおぉぉぉっ!」
ニトロの脳に、激しい痛みが走った。
ニトロ
(これは……!)
ニトロ
(恋人が寝取られた男は、脳が破壊されるというアレか……!?)
ニトロ
(俺は……脳が粉々になって死ぬのか……!?)
死を眼前にして、ニトロの体が強張った。
だが、ニトロに死が訪れることは無かった。
ニトロ
「…………?」
脳の痛みは、いつの間にかおさまっていた。
だが、体はいまだに重傷を負っている。
何も出来ない。
そのことに変わりは無かった。
ニトロ
(脳は砕けなかった……?)
ニトロ
(だけど……だからって……どうしようもない……)
ニトロ
(何も出来ない……)
ニトロは目を閉じた。
ニトロのクラスとスキルが、彼の視界に出現した。
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ニトロ=ユリスキー
クラス 聖騎士 レベル24
スキル 植物操作 レベル2
ユニークスキル 脳回復
効果 百合寝取られのショックが脳を回復させる
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見慣れないスキルが、ニトロの意識に入り込んだ。
ニトロ
「『脳回復』……?」
ニトロは思わず、スキル名を唱えていた。
スキルが発動した。
ニトロ
「…………?」
ニトロは自分の意識が、妙にすっきりとするのを感じた。
ニトロ
(ひょっとして……)
ニトロ
「癒やし風」
ニトロは回復呪文を唱えた。
薄緑色の風が、ニトロを包み込んだ。
ニトロの怪我が癒えていった。
ニトロ
「…………」
体の痛みが無くなると、ニトロは立ち上がった。
ニトロ
「スキルで脳が回復して、それで魔力まで回復したのか……」
ニトロ
「けど……どうして?」
ニトロ
「寝取られは、脳を破壊するはずなのに」
ニトロ
「どうして俺は脳が回復したんだ?」
寝取られは、脳を破壊する。
これは世界の常識だった。
毎年多くの人が、寝取られで脳を砕かれ、死んでいる。
寝取りは魂の殺人と言われ、ただの殺しより、重く裁かれる。
寝取られとは、それほど危険なものだ。
ニトロの故郷の村でも、1度だけ、寝取られが発生したことが有った。
妻を寝取られた男は、脳がはじけて死んだ。
寝取った側の男は、女と共に、火あぶりになった。
残酷だが、寝取りという罪の残酷さを考えれば、仕方の無いことだった。
だが……。
ニトロはセイレムを寝取られたのに、命を落とさなかった。
脳が粉々にならなかった。
ニトロには、それが不思議だった。
ニトロ
「寝取られじゃなかった……?」
ニトロ
「俺がセイレムと両想いだと思ってただけで、セイレムはリューンを好きだった」
ニトロ
「だから俺は、脳を破壊されなかったのかな?」
ニトロ
「つまり、寝てから言えってやつだ」
正か否か、ニトロは自分の中で、結論を出した。
そのとき……。
熊
「フシュルルル……」
ニトロの方へ、蛇の頭をした熊が、近付いてきた。
ニトロ
(スネークベア……!)
ニトロ
(21層から螺旋階段を落ちたから、ここは40層か)
ニトロ
(格上だな。遥かに)
ニトロ
「…………」
ニトロ
「試してみるか」
どうせ、格上の魔獣から逃げきるのは、難しい。
ニトロは腰のロングソードを抜いた。
そして構えた。
熊
「フシューッ!」
熊は右手の爪を振り上げ、ニトロに襲い掛かった。
ニトロ
「かがみ壁!」
ニトロは呪文を唱えた。
呪文によって作り出された壁が、熊の攻撃を弾いた。
熊
「フシュ!?」
ニトロ
「はあっ!」
呪文が作り出した隙に、ニトロは斬りつけた。
熊
「フシュッ!」
相手はニトロよりも、格上の魔獣だ。
1撃で倒れるようなことは無かった。
だが、ニトロには勝算が有った。
ニトロ
「『脳回復』」
ニトロはスキル名を唱えた。
彼は自身の意識が、冴え渡っていくのを感じた。
熊
「シュッ!」
熊は再び、ニトロに襲い掛かった。
ニトロ
「かがみ壁!」
ニトロは同様の呪文で、熊の攻撃を弾いた。
ニトロ
「ふっ!」
ニトロの剣が、またしても熊の体を裂いた。
ニトロ
「行ける……!」
ニトロ
「新しいスキルが有れば、俺は何度でも呪文を使える……!」
ニトロ
「この勝負……俺の勝ちだ……!」
……。
10分後。
ニトロ
「ふぅ……」
熊
「……………………」
ニトロの足元に、スネークベアが倒れていた。
ニトロは激闘の末に、熊の討伐に成功していた。
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ニトロ=ユリスキー
クラス 聖騎士 レベル36
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格上の魔獣を撃破したことで、ニトロのレベルは大幅に上昇していた。
ニトロは全身に、力が漲るのを感じていた。
ニトロ
「ハハッ。強いな。今の俺は」
新たなスキルの強さを実感し、ニトロは思わず笑ってしまった。
ニトロ
(さて、これからどうするか)
ニトロの脳裏に、リューンの顔が浮かび上がった。
ニトロ
(復讐だな)
ニトロ
(いきなり人様の腹を、刺しやがって)
ニトロ
「あのクソ女は殺す」
ニトロは自身の決意を口にした。
ニトロ
(その前に、セイレムに何をしたのか、詳しく白状させねーとな)
ニトロ
(目の前で、実演させるのも良いな)
ニトロ
(罪を裁くなら、正確に事実を知る必要が有るからな)
ニトロ
(セイレムとベッドで何をしてたのか、全部ハッキリさせてやる)
ニトロ
(うん。実に良い考えだな)
ニトロは狂気的な笑みを浮かべた。
魔獣
「グォォ……!」
ニトロの匂いを嗅ぎつけたのか、40層の魔獣たちが、ニトロへと近付いてきた。
ニトロ
「どけよ。ザコども」
ニトロは長剣を片手に、魔獣の群れに突進していった。
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ニトロ=ユリスキー
クラス 聖騎士 レベル41
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試し書きです。
お読みくださりありがとうございました。