097.事件の真相
「ご主人さま、コーヒーをどうぞ」
コトリと手元の机に置かれる一つのカップ。
中身は黒々と湯気立てるもの。ミルクが一切入っていないカップを少し傾け、ふぅと息を吐く。
「うん。やっぱり美味しい。ありがとうシエル」
口に淹れて真っ先に広がる芳醇な香り。その後訪れる苦みと、更に奥に見える甘み。
やはりさっき自分で淹れたものとは大きく違う。
自分でも前世含めて長年淹れてきた。淹れ方も目分量も変わらないはずなのに何故こうも味が違うものなのだろう。
そんな彼女への称賛を込めて笑顔を浮かべると、シエルはお盆を手に驚くようにこちらを見つめている。
「ミルク……入れないんですか?」
「えっ?あぁ、うん。たまにはね」
未だに持っているお盆の上にはコーヒー用に用意したであろうミルクあることに気づいた。
この世界で初めて飲んでから今まで、時折ラシェルから送ってくれていた豆のお陰で既にブラックでも飲めるようになっていた。
しかしまだ幼いこの姿で飲むとなったら変な顔されるのは必定。ゆえに毎回ミルクたっぷりだったが、俺の中身を知っているなら今更だ。
「ふふ……。ブラックが飲めるなんて、やっぱりご主人さまは大人ですね」
「そんなこと言って、シエルも年は変わらないでしょ」
もちろん、肉体的にも、精神的にも。
互いに何気ない冗談を交わしながら向かい合うよう椅子に腰を下ろした彼女を見て、互いに会話が途切れる。
「「――――あのっ!」」
――――大事なタイミングで言葉が被ってしまった。
「シエル、どうぞ」
「いえいえ!ご主人さまから……どうぞ」
なんだか変な空気に。
この世界に来てから数ヶ月、ほぼ毎日一緒にいたというのに変な感覚だ。
彼女の性格を考えたら俺が譲ったところで聞くことはないだろう。変なところで強情なところを発揮するシエルに少しだけ口の端を上げながら口を開く。
「それじゃあ……教えてくれるかな?シエルのこと」
「――――はい」
ゆっくりと頷いた彼女の表情は穏やかなものだった。
ミルクたっぷりのコーヒーを手にした彼女はポツリポツリと語りだす。
「まずは……そうですね。昨日話したことから。私は日本に生まれて高校入試のあの日、神山様ともども車に跳ねられてこの世界にやってきました。ここまではご理解頂いてますよね?」
「……あぁ」
そこは昨日も聞いた既知の情報だ。
この時点でまたも罪悪感や後悔に襲われ逃げ出したくなるが、辛いことを話してくれている彼女の信頼を無下にしてはならないと誤魔化すようにコーヒーを一息で飲む。
「一つ、勘違いされているかもしれませんが、私が死んだのはご主人さまが突き飛ばしたからでも間に合わなかったからでもありません。私があそこで死ぬのは必然でした」
「それって……どういう……」
彼女から飛び出してきた情報は耳を疑うものだった。
死ぬのが必然?それは一体どういうことかと回らない口のまま問いかける。
「……私は日本で、とある裕福な家庭で生まれました。とある政治家の一人娘です」
彼女が問いに答える前に語りだしたのは彼女自身のことだった。初めて聞く彼女の口からの日本のエピソードに黙って耳を傾ける。
「身内びいきかもしれませんが、父は清廉潔白な方でした。決して悪いことには手を染めず、正義を貫く正しい人……。……ですが一方で別の政治家から疎まれてもいました。清廉潔白でスキャンダルもなく、突ける穴が無いことに憤りを覚えていたのでしょう。脅迫なんてしょっちゅう来ておりました」
そこで彼女は一息つくようにコーヒーを啜る。
「あの事件が起こる日、父はとある法案を提出する予定でした。内容はわかりませんが『日本を良くするものだ』と常々語っていたことをよく覚えてます。そして法案を纏めた父は仕事へ、私は乗車予定の車が故障したため電車で向かった受験の朝。法案に反発する議員の秘書様が乗る車が私の方へ――――」
そこまで言って彼女は目を伏せてしまった。
つまり俺が死んだ朝。あの突然迫ってきた車、あれは事故ではなく事件だったということだ。明確な意思があって彼女に迫って、目的を達成することができた。本当に殺意があったのか犯人の真意はわかることはない。ただわかることはあの車によって俺と彼女はこの世界にやってきたという事実だけ。
そして同時に理解した。
彼女の言葉が真実ならば、俺があの日死んだ意味は――――
「――――申し訳ございませんでした」
あの朝のことを思い出しながら考えに耽っていると突如頭上からかかる謝罪の声。
その声に顔を上げれば真剣な目をしたシエルがこちらに向かって頭を下げていた。
「申し訳ございません神山様。タクシーや違う車を待つ選択をしなかった私のせいです。私の……私があの日あそこにいたせいで神山様も巻き添えに遭ってしまいました」
「っ…………!」
突きつけるような彼女の言葉に俺はわかっていたも息が詰まる。
その言葉は俺は理由もなく命を落とした。つまり無駄死にだったということを表していた。
下げた頭からはいくつもの雫が音もなく床に落ちていく。
「私が……私があんな選択をしたから……!神山様まで……!」
「…………」
「きっと……怒っていると思います。殺したいほど恨んでいると思います」
その言葉とともに彼女は俺の手を取り、自らの首に手を当てる。
「恨みは晴れないと思います。ですが少しでも気が紛れるのなら…………殺してください」
彼女が取った俺の手は、まるで首を絞めるかのように誘導されていた。
顔を上げた彼女は笑顔。目に涙を浮かべ、まるでそれを望んでいるかのようだ。
「シエル……」
「無意識で抵抗するかもしれませんが気にしないでください。ここを、グッと力を込めるように……」
手を重ねるように俺の手の上から握るように力が込められていく。
細い彼女の首、このまま誘導に従えばあっという間だろう。
俺は人思いに殺してくれと願いながら笑顔を浮かべ続ける彼女を――――首を滑らせるように手を背中に回し、強く抱きしめた。
「えっ――――」
呆然とするような彼女の声が耳元から聞こえる。だがそんなこと気にせず俺は強く彼女を抱きしめる。
「……ごめん、シエル」
「どうして……ですか……」
「ごめん、シエル。ずっと1人で辛い思いさせて」
「どうして……そんな優しいことを言うんですか……っ!」
それはまるで堪えてきたダムが決壊するかのようだった。
ポタポタと先ほどとは比べ物にならない涙がこぼれ落ち、彼女の声に段々と嗚咽が混ざっていく。
俺は腕をほどいて顔を見合わせながら、コツンと額同士を合わせる。
「シエルは俺のこと、殺人犯に仕立て上げたいほど嫌い?」
「そんなわけ……!」
「じゃあ、好き?」
「っ……!…………はい」
涙がこぼれながらも頬を赤くし、顔を逸らす彼女にふと笑みが溢れる。
「俺もシエルのことが好きだよ」
「神山様!?」
「せっかくこの世界に来た日本人同士なんだから、『殺して』なんて寂しいこと言わないでよ」
「かみやま……さまぁ……」
もう身体を支える力さえもなくなった彼女は俺の方へ倒れ込み、胸に顔を埋めて嗚咽をあげる。
そんな彼女を抱きとめながら、あやすように優しく背中を叩き続ける。
「車が迫ってきた時、痛くなかった?」
「はい……」
「ずっと言い出せなかったの、辛かったでしょ?」
「はい……」
「ごめんね、気づいてあげられなくて」
「ご主人さまの……ばかぁ……!」
拳を作り叩くように腕を振り下ろすも力なんて一切ない。
俺は彼女の感情を受け止め続けながら、夜更けまで抱きしめるのであった。