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095.命の軽さ

 遠くから祭り囃子が聞こえてくる。太鼓の低音が建物の壁を震わせるように響く。建物の壁越しに微かに音が漏れ伝わるように。

 喧騒は近いはずなのに遠い。二人きりのこの場所はまるで祭りから隔絶された別世界のようにさえ思えた。


 眼の前には俺の問いに沈黙するシエル。

 彼女は俺の視線を受け止めながらもどこか目が揺れている。


「……気づいたのは最近のこと」


 俺は静かに口を開く


「前々からなんとなく違和感はあったんだ。課題を解く時シエルは驚くほど軽々と解いてたし、テストではセーラを越える点数さえも取ってた。それだけなら勉強ができるだけなんだなと理解できる。でも―――」


 俺は息を呑み、少し躊躇してから続けた。


「以前俺を励まそうとした時、『か』から始まる日本語の言葉を口にしかけたよね」


 その瞬間。シエルの目が僅かに見開かれる。

 思い出すのはアスカリッド王国に行く直前。彼女は何かを言いかけていた。当時は意味も理解できなかったが、日本語だと考えるといくつか選択肢が生まれる。

 たった一文字の違和感。俺でも賭けとなった問いかけに、彼女は目を伏せ深く息をついた。


「……本当にお知りになりたいのでしょうか」


 その声は小さく震えている。


「きっと後悔するかもしれません。それでも――――」

「それでも知りたい」


 俺は言葉を遮るように応える。それは自分でも驚くほど強い口調だった。

 彼女は一瞬だけ俺を見つめ、やがて目を閉じたまま小さく頷いた。


「……わかりました」


 その言葉とともに踵を返した彼女は建物裏口の扉に手をかける。


「こちらへ」


 その言葉に従い、俺も黙って付いていく。



   *****



 全員出払っているのかシンと静かな宿内。周囲に人影はなく、聞こえてくるのは俺達の足音だけ。

 宿の裏口を通り、たどり着いたのは昨日から寝泊まりしている部屋だった。部屋に入り扉を閉めた彼女は俺と向き合うようにして一礼する。


「ここなら誰にも聞かれませんので」


 その言葉に頷くと、シエルは改めてこちらを見上げる。決意の色を浮かべた色だった。


「……お話をする前に、一つだけ約束してほしいことがあります」

「約束?」

「はい。私は今までもこれからも、スタン様をご主人さまと慕い、支えていきたい所存です。どうかこれだけは信じていただけますか?」


 その言葉に俺は虚を突かれた気がした。彼女がそんな前置きするほどの話とは……。


「わかった」


 生唾を飲み込みながら、俺は短く応える。


「ありがとう、ございます」


 一礼した彼女は深呼吸の後、やや震える声で口を開いた。


『ご承知の通り、私は日本語を扱えます』


 その一言に目を見開いた。彼女が発するその声。それは間違いなく日本語だ。

 俺の驚きもそこそこに、彼女は更に言葉を続けていく。


『私の生まれは間違いなくこの世界です。ですが同時に……日本からやってこられた方の記憶も持っているのです』

『それは転生……生まれ変わり的なもの?』


 一番考えうる可能性。だが彼女は首を横に振ってそれを否定する。


『私の中にその方の記憶が生まれたのは今年の春――――スタン様と出会った直後からです』


 その言葉に思わず眉を寄せる。


『つまり……シエルは知らない人の記憶があるってこと?自意識は……シエルのままなの?』


 その場合、彼女は一体どういう意識になるのだろう。シエルは少し目を伏せて困ったような表情を浮かべる。


『そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。もしかしたらあの牢で会った時の私という純粋な"シエル"の心はもうおらず……"彼女"と溶け合った新しい存在なのかもしれません』


 そう言って向けられた笑みはどこか寂しげだった。


『最初は混乱して不安定でしたが、今ではこの記憶も受け入れています。……だからご主人さまが気に病む必要はありませんよ。そんな顔をなさらないでください』


 言われて初めて自分がどれほどひどい顔をしていたのかを自覚する。

 彼女が自分に何を伝えようとしているのか。恐ろしくもあり、知りたいという思いもまた膨らんでいく。


『話を続けますね……。突然生まれた記憶……溶け合う前の"彼女"は日本で亡くなりました。どうやら車に跳ねられた交通事故のようです』

『っ――――!』


 その瞬間、胸の奥が強く締め付けられるような気がした。

 シエルが話す言葉。その情景。それは俺がこの世界に来る直前、自分自身が体験したものと酷似していた。

 もしかして不慮の事故によって命を落とすことがが、この世界に来るトリガーなんじゃないのか……?

 そんな仮説が頭に浮かんだもののすぐに首を振る。二件じゃサンプルが少なすぎる。考えはすぐに霧散し、現実に引き戻される。


 視線を上げると、シエルが口を閉ざしたまま、こちらをじっと見つめていた。


「……シエル?」


 俺が声をかけると、彼女はハッとして目を伏せた。


『す、すみません。なんでもありません……』


 だがその瞬間、一瞬だけ交わった視線に迷いのようなものが宿っていた気がした。

 そして彼女はキッと何かを覚悟したように次の言葉を告げる。


『その時の私はとある高校の入学試験に向かう途中でした。試験会場への道中、突然やってきた車に跳ねられて…………』


 ドクン――――

 心臓が大きく跳ねた。


 シエルの語るその内容。それは俺も思い当たる節があった。


『その……入学しようとした学校の、名前は……?」


 自分でも驚くほど自然にその問いが口をついて出た。

 一方でシエルはギュッと自らの手首を強く掴みながら、目線を逸らし短くその言葉を告げる


『…………明帝大付属……です』

『…………あぁ』


 短く、そんな言葉しか出なかった。

 明帝大付属――――それは間違いなく俺が受験しようとした学校だった。


 当時のことが鮮明に蘇る。

 俺がこの世界に来た原因。あの日、俺は車に跳ねられたのだ。


 だがそれは単純に避けられなかったわけではない。

 眼の前にいた同じく受験生と思しき女生徒を助けるため。


 そのことを理解した瞬間、涙が自然とこぼれ出る。


『そんな……まさか……』


 思い出される記憶の断片。あの時助けようとした女生徒とは――――。

 シエルは静かに頷いた。


『……はい。私はあの時スタン様に――――いえ、神山 慶一郎様に助けられ、その上で死んでこの世界にやってきた親不孝者です』

『そんな……そんなことって……』


 彼女の言葉が信じられなかった。だが信じるほかなかった。

 この世界であの時あの場のことを知っているのは当事者だけ。事故の出来事を語る彼女は間違いなく……。


『なんで……そのことを今まで黙って……』


 俺の口から出たのは自分でも思わぬ問いかけだった。

 なんで。どうして。色々なことを聞きたいながらも出た言葉に彼女は寂しそうな笑みを浮かべる


『言えるわけありませんよ……だって……聡明な神山様ならおわかりになるでしょう?助けようとした女の子が今ここにいる。その意味を考えたら……』

『っ――――!』


 彼女の笑み。その真意。

 俺は意味を悟り、耐えきれなくなって部屋を飛び出していた。

 廊下を駆け抜ける足音が静まり返った宿の中でやけに大きく響く。その音がまるで俺を責め立てる声のように感じられ、思わず耳を塞ぎたくなる。


 ―――俺が助けようとした命は結局救えていなかった。

 彼女がここに居るというその意味。それは無駄死に。

 俺はあの世界で何の成果を得ることもなく、ただただ車に飛び込んで無意味に命を散らしただけだった。


 間に合わなかった。助けられなかった。

 そんな思いが頭の中を駆け巡る。もしかしたら、俺が彼女を殺―――――。


 あの時迫っていた車。女生徒を突き飛ばした俺。二人揃って死んだ現実。

 つまりあの時俺が動かなかったら、彼女は生きていた可能性だってある。


 心臓が激しく脈打つ音が頭の中で鐘のように鳴り響く。

 目の前の視界が滲んでいくのは涙のせいなのか、それともただ息が切れているせいなのか。もう何もわからなかった。

 彼女の語る真実に直面した俺は現実から背けるように、ただ逃げ出すことしか出来なかった。

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