092.迷宮の中の信頼
カァカァと、烏の鳴く声が聞こえてくる。
正午に訪れた森の中は、静寂と僅かなざわめきが混ざり合い、道行く者に不安と緊張感を与えていた。
木々が高くそびえ立ち、日光はその間を細い光の筋として差し込むだけ。湿った苔の香りが鼻腔をくすぐり足元では落ち葉がカサカサと音を立てる。
遠くで鳥の声が聞こえ、何処かで枝が折れる微かな音が響いた。それだけで俺の心臓も微かに跳ねる。
木々の間から漏れ入る光が細長い影を作り、ほんの少しの道が遠く、そして不気味に感じる。静寂と音が交差するこの場所は自然の脅威と美しさを表しているようだ。
まるで迷路。村の食料を荒らす魔物の対処にあたった俺達は、一塊となって道なき道を進んでいた。
草をかき分けて突き進む一行。何処に行っているのかもわからない中、先頭を歩くエクレールの姿は迷いがなかった。
彼女は右へ左へ蛇行しながらも何かに導かれるように不安なく突き進む。その横でレイコさんが付き添う姿は見ているだけでも頼もしい。だがしかし、その迷いない後ろ姿を眺めつつも俺の心はどうしても不安が拭えなかった。
初めて訪れた村。初めての森。
土地勘なんてあるわけない。レイコさんが先導するならともかく今はエクレールが道を決めている。
進むべき道が本当に正しいのか、迷いを顔に出さず歩いているのではないか。にじみ出る汗が頬を伝、地面に落ちていく。その一滴に自分の迷いが映っているような気がした。
「エクレール、本当にこの道で大丈夫なの?」
無意識に。思わず問いかけた声は抱える不安がそのまま滲み出たことを自覚した。
本当にこれでいいのか。遭難する前に一旦戻るべきではないのか。そんな思いとともにでた言葉に振り返ったエクレールはこちらに振り返り優しい笑みを浮かべる。
「はい。この道で間違いないようです。私を信じてください」
その言い方はまるで伝聞だった。
しかし彼女の言葉は力強く、辺りを安心させるには十分な自身に満ちていた。それでも俺の中には拭いきれない一抹の不安がくすぶっている。
以前草原に飛ばされたことが思ったより心に響いているのかもしれない。しかし今はひとりじゃない。みんなだっているんだ。そう自分に言い聞かせながら振り払うように首を振るう。
「スタン、そんなに心配しなくても大丈夫よ」
ふと隣からそんな脳天気な声が聞こえてきた。
振り返ると俺の横を歩くラシェルの姿。何を根拠にと思いながら眉をひそめると、彼女は「ほら見て」と言いながらエクレールに視線を向ける。
「あの子、"祝福"を使ってるみたいだからきっと大丈夫よ」
「"祝福"を?」
「えぇ。魔力の流れを見たら分かるのよ」
ジッと目を細めて先導する後ろ姿を見つめるも何もわからない。
「……相手の持つ特別な力が見えるんだっけ?」
「そっ。人それぞれすぎて具体的な説明は出来ないけどね。最近は魔力の痕跡とか動きとか、そういうのがなんとなく見えるようになってきたわ」
もう一度ラシェルに目を向ければ彼女の紅い目は僅かに輝いていた。そう言えばラシェルが"祝福"の話をする時はいつも目がほんの少し光っていた気がする。ラシェルは自身の"祝福"を通してエクレールを見ているのだろう。
「具体的にあの子がどんな力を持ってるかは知らないけど、確実に安全な道で私達を導いてくれてる。迷いがないっていうのはそういうことじゃないかしら?」
「そう……かもしれないね」
その言葉を受けて見る、草をかき分けて進む彼女の姿は不思議と安心感があった。
無意味になんの手がかりもなく進んでいるわけではない。それもラシェルのお墨付きだ。そう考えると俺の心も段々と軽くなってくる。
――――しかし、俺の足取りが軽くなったのも束の間。
ラシェルの言葉を受けて再び無言のまま突き進むこと数メートル。そこで突然エクレールが足を止めた。
「エクレール?」
「…………」
「その……着いたの?」
「…………」
立ち止まってしまった彼女に問うも返事はない。
周りを見るも景色は変わることがない森の中。目的の場所についたとは思えない。
もしかして自信満々だったのは勘違いで、本当は迷っていたのではないだろうか。そんな嫌な予感が頭の隅を過ぎっていると彼女は振り返って口を開く。
「目的の場所はここから2,3分のところにあるようです」
「そうなの?なら何でこんなところで?」
「着く前に皆様には……特にスタン様には私の力について知っておいていただこうと思いまして」
「エクレールの……力?」
そう告げたエクレールは大きく深呼吸する。
呼吸を整え、再び目を開けて俺と目を合わせた彼女は自らの胸元に手を当てギュッと固く拳を握る。
「私の"祝福"――――それは"動物の声を聞く"事ができる力。これまで木々や草木に隠れている小動物に、魔物が通った道について訪ねておりました」
それは――――。
彼女の口から出たのは自ら持つ"祝福"の情報だった。
しかしその話題は……その情報の価値は……。
「それをボクが知るのは……不味いんじゃ……」
「そのとおりですスタン様。故人の祝福ならいざ知らず、生存している……しかも次期国王の情報は最重要機密。漏らした時点で一族もろとも極刑どころでは済まないでしょうね」
レイコさんの言葉にサッと顔から熱が引く。
何故それを今……何でここで……。
頭の中を「何故」が堂々巡りしていると、彼女はフッとさみしげな笑みを浮かべる。
「いつかは言わなきゃと思ってました。ここは人の居ない森の中。言うならばここしか無いと思いまして」
「なんで……そんな重要な情報をボクに……?」
「……候補とはいえ婚約者となっていただいたお礼、でしょうか。……いえ、違いますね。私は貴方に隠し事をしたくなかった。レイコは極刑などと言っておりますが、もし漏れてもそんなことにはさせません。これは私の信頼の証。私のわがまま。ただ婚約者を抜きにしても貴方には私の全てを知っておいてほしいと、そう思ったのです」
「…………」
それは彼女からの強い……強い信頼だった。
漏らすとは思っていないのだろう。いや。漏れたところでそれさえも受け入れる腹づもりだと彼女の目は語っていた。
突然の告白に戸惑う俺にラシェルが前に立つ。
「何を言い出すかと思えば。面白い"祝福"じゃない。でも私やシエルも知っちゃったけどいいの?」
「元々ラシェル様は私と同格。シエル様は……スタン様と一心同体ですから」
「はい。私はご主人さまの手足。ご主人さまが死ねと言うのであればこの場で死ぬ覚悟も出来ております」
「……なるほどね。ほらスタン、呆けるのは後になさい。今は魔物に集中すること」
そう言って会話を早々に切り上げたラシェルは呆けた俺を後ろから押すように無理矢理前へと動かしはじめる。
エクレールもまずは任務だと切り替えたのだろう。そんなラシェルの言葉に「そうですね」と応えた後再び背を向けて先導をしだす。
残り数分となった僅かな道のり。俺もいまだ呆けながら黙って押されるがままに足を動かしていると、ふと後ろから俺を押すラシェルが小声で話しかけてくる。
「ねぇスタン、祝福って結局どういうものかしってる?」
「……………えっ?」
「祝福の正体についてよ。前に本で呼んだんだけど、祝福は神様が授けた力。でもその力の内容はその人個人の資質や生き方が大きく関わってくるんだって。たとえば知りたがりの私には人のヒミツがわかったりね」
突然クスクスと笑い混じりに語りかけるラシェル。一体それがどうしたのかと首を傾げていると、彼女は一層耳に口を近づけて囁いた。
「動物と話すことが"祝福"のエクレール。果たしてそれだけの力なのかしら。あの子の本質は一体どこにあるのかしらね……」
そう言って二人して向かうはエクレールの背中。
彼女は動物と話したいという欲求があったのだろうか。それとも別の理由からその力になったのだろうか。
本質とは一体何処にあるのだろう。考えることは色々あるが、さっきの言葉をリフレインしながら強く胸を打ったのは「私を信じて」との言葉だった。
彼女の瞳は迷いなくこちらを見ていた。そしてあの告白。俺を信じていると。
俺だってここに来ている以上守られてばかりじゃいられない。レイコさんに警護されたり王女様ふたりに守れたりするんじゃなく、俺だって守る側に立つんだ。
そう考えると自然と足は動き出していた。この先に魔物が待つ恐怖もある。だがそれ以上にみんなを守るためだと、恐怖を振り払うように拳を握りしめて自らの足を強く踏み出した。