088.村の一大事
「ラシェル王女殿下、そしてスタン様。我が村へようこそいらっしゃいました」
馬車から降りた途端、そんな待ちわびたような声が聞こえてきた。
先に出たラシェル、続く俺が揃って顔を向けると、そこには一人の男性がにこやかに近づいてくる。
白髪混じりの髭と少し曲がった腰。軽く70は超えているであろう老人が年を感じさせない足取りで深々と一礼する。
「あなたがここの村長さん?」
「えぇ。此処エニク村の長を仰せつかりましたケムと申します。以後お見知りおきを」
「これはご丁寧に。こちらとしても本日は突然の訪問にも関わらずお迎え頂き恐縮です」
頭を下げたままラシェルの問いに答える村長に、彼女もまた柔らかな微笑みで応じる。
「滅相もございませぬ。隣国であるアスカリッド王国とは我が村とも交易で良くしていただいておりますゆえ」
「そう?ならこれからもよろしくおねがいしますわ」
「ほっほ。それはもう、末永くお願いしたく存じます」
王女らしい優雅さと笑みで応対するラシェルの姿はこれまた新鮮だった。
今までといえばエクレールと言い合いしたりベッドに忍び込んだりと、王女とも思えぬ行動をする姿ばかり見てきたせいで彼女の真面目な姿を見て舌を巻く。
「そして……スタン様」
「うん?」
そんな二人の会話を眺めていると、不意に村長がこちらに向き直った。
彼はたくわえた髭を撫でつつ今一度こちらに深く一礼する。
「以前よりカミング家には大変お世話になっております。魔王が倒されて以来産業が無くなった我が村を、旦那様が物資の輸送網を整備してくださったお陰で、日々の生活を穏やかに過ごすことが出来ております」
「い、いえ、両親がやっていることなので……ボクはなにもしてませんよ」
「それでもでございます。夏の終わりに奥様が立ち寄られた際はスタン様のことばかり話されておりましたので。この村が今もあるのはご両親を支えるスタン様のお陰と言っても過言ではございませぬよ」
「それは……えと、ありがとうございます」
村長の褒め殺しにむず痒くなった俺は頬をかきながら目を逸らす。
その際不意視界に入った後方の馬車。俺達が乗ってきた馬車からはシエルが降り、続いて降りてきたエクレールが村を見渡しながら声を上げる。
「まぁ!ここが旅の目的地!?のどかで素敵な村ですね!」
「おや……あの姿はまさか……」
俺の視線に釣られた村長も彼女の姿を捉えたのだろう。驚いた様子で目を見開きながら嬉しそうに口元を歪めた。
「あら、あなたが村長さん?お初にお目にかかります。私はエクレール。エクレール・ミア・ガルフィオンと申します」
「……ほほ、存じ上げております。先日の新聞、一面に載ったあなた様の写真を拝見いたしました」
「写真?」
「えぇ。そういえばご婚約なされたとか。おめでとうございます。……たしか相手は――――」
エクレールに向かっていた目が徐々にこちらへと向けられる。
まるで記憶に記した新聞と一致させるようにゆっくりと。そして俺と目が合った村長は間違いないと確信するかのような笑みを浮かべた。
「―――なるほど、そういうことでしたか」
村長は一瞬眉間にシワを寄せ、少し考える素振りを見せた。やがて納得したかのように頷くと、神妙な笑みを浮かべる。
「……えと、村長。何が"なるほど"なのでしょう?」
「いえ、みなまで言うまい。どうやら本日は婚約後の婚前旅行のご様子。ラシェル王女殿下に加え未来の国王夫妻までお越しとは何たる栄誉。これは天に旅立つ前の最大の自慢となりそうです」
「ちがっ――――!!」
"みなまで言うまい"と言っておきながら全て言ってしまっている村長に思わず声を荒らげる。
しかし俺の否定の言葉は最後まで言うことは叶わず突然割り込んできた手に口が塞がれ、視線を送るとエクレールがにこやかに手を伸ばしていた。
「ふふっ。今日のことはこの村だけのヒミツとしてお願いしますね?」
「もちろんでございます。墓場まで持っていくといたしましょう」
ウインクしてみせるエクレールに穏やかな笑みを向ける村長。
明らかに誤解しかない二人の意味深な笑みに否定したくても口が開けない。モゴモゴと塞がれながら抵抗の意を示していると、おもむろに俺の視界が横に揺れ、ポスンと柔らかくて温かな何かに包まれた。
「村長、あなたは一つ誤解しておりますわ」
「はて……ラシェル王女殿下、誤解とは?」
割り込むように声を上げたのはラシェル。彼女は引っ張った俺を自らの身体で受け止め抱きしめながら村長に宣言する。
「このスタンは私の大切な同行者。それに比べてエクレールは……"たまたま"目的地が一致しただけの旅仲間ですわ」
「ほぅ……スタン様はラシェル王女殿下の……なるほど……」
一体何がなるほどなのでしょう!
誤解が更に加速する……!!
納得するように髭をなでる村長だが俺の口は塞がれて声を出せない。
しばらく考えた後理解を示すように「そういうことでしたか」と声を上げた村長は抱きしめられている俺と目を合わせゆっくりと頷いてみせる。
「両国の王女様二人ともとは……まさしく茨の道ですぞ。ほっほっほ」
「ちがいますっ!!」
突っ込みを入れるように声を荒らげたものの彼は「ほっほ」と笑うだけで相手にすることはない。
二人のせいでえらい誤解をされている……。どうしたものかと頭を悩ませていると、不意に村の奥から一人の男性が近づいてきて村長に耳打ちする。
「村長。――――――」
「――――なんと!ついに保管庫までもが……!?」
それは何か良くない報告だったのだろうか。
一瞬だけ声を上げた村長はすぐに黙り込み目を伏せてしまう。
「村長、何か問題でも?」
同じように疑問に思ったエクレールが問いかけると、村長は眉間に皺を寄せながら口を開く。
「実は……ここ数日畑が何者かに荒らされておりまして……」
「畑が?」
「えぇ。もちろん対策を講じておりましたが先程の報告によると、どうやら保管庫に狙いを切り替えたらしく、気付いた時はもう……」
それはよろしくない報告だった。
悲しそうに目を伏せる彼は更に言葉を続けていく。
「昨日カミングの奥様に急ぎ書簡をお送りしたものの、どうにも解決策は我々では……。……あ、でもお気になさらないで頂きたい!保管庫は複数に分けておりますので、本日の歓迎のご馳走には支障ございません」
そう言って慌てるように笑みをみせる村長だったが、その裏には嫌でも影が見て取れた。
チラリと顔を上げるとラシェルと目が合う。
ルビーのような赤い瞳。その瞳にはまさに炎が宿っていた。続いてエクレールにも視線を向けると同じく決意が宿っている。
「村長、その荒らされた保管庫を私達に見せていただくことは可能かしら?」
「それはまぁ、他ならぬラシェル王女殿下の頼みでしたら……。まさか、皆様――――!?」
最初は何のことか理解できず不思議そうにしていた村長も、その意図を理解して目を丸くする。
その反応に答えるようにラシェルはルビーの色を輝かせ、エクレールは優雅に微笑みつつ言い放つ。
「村長、その保管庫を私達に見せて頂戴!」
「えぇ。我が国の一部である大事な村の一大事、この問題、私達がなんとかしてみせますわ!」
2024.1.11 修正