087.五人旅
ガタンゴトンと車輪が地面を叩いて馬車が上下に揺れる。
革張りの座席は揺れる身体を最小限にとどめ、心地の良い感覚とともに窓から見える景色がゆっくりと揺れ動く。
今日は週の後半。明日から学校も休みになり自由を謳歌する予定"だった"さなか、一日早く学校を休んだ俺は馬車に揺られて辺境の村へと向かっていた。
高い建物が並び立てる城下町はとうに越え、ただっ広い平原や森を進んでいく。
こことは違う平原でいつか一人で歩いた日のことを思い出しながら、あの日とは違う安心感を胸にゆっくり窓からの景色を楽しみながら馬車の流れに身を任せていく。
「ねぇ、これから行く村ってどんなところなの?」
向かいから聞こえてきたのはこの旅の主催者であるラシェルの声。
かつてのパーティーでも見たアオザイに身を包んだ彼女は楽しみを抑えきれないように椅子の縁に腰掛け前のめりになっている。
「さぁ、ボクも行ったことないからなぁ」
「そうなの?あなたの領地なのに?」
「ボクじゃなくて親のだよ。仕事の中継地点とは聞いてるけど」
「ふぅん……。いいところだといいわねっ!」
声をワントーン上げながら俺と同じように窓を覗き込んで景色を楽しむラシェル。
彼女の満足するものが村にあるかはわからないが、そこまで心躍らせてくれることに悪い気はしなかった。
学校を休んでまで向かう先。それは我がカミング家が治めているという村だった。
せどりや商社のように各所から物品を集めて売ることを生業とするカミング家。他国ともやりとりする
故に領地は地方各所に割り当てられている。ラシェルと共に視察として向かうのはそのうちの一つだった。
朝早くに出て今の太陽は天辺近く。ボーッと燦々と照りつける太陽の光を浴びながらパシンと心地の良い音の聞こえる前方へと目を向けた。
「レイコさん、運行は順調ですか?」
馬車の運転席に座るのは黒いスーツに身を包んだレイコさん。彼女は手慣れた様子で手綱を握りながらチラリと俺を一瞥し、すぐに視線を戻す。
「はい。この調子でしたら予定より早く、夕方前に着きそうです」
「そうですか。それはよかった」
「運よくカミング家の奥様が許可してくださいましたからね。スタン様のおかげで許可取りがスムーズでした」
「…………」
彼女の飄々とした語り口にジトリとした目を向ける。
今回の予定は朝早くに出て夕方に村に着いて二泊の予定。本来はもっと遠くにある別の村へ向かう予定だったらしいのだが、俺が行く村について情報を得たのは了承した翌日の朝だった。
果たして半日程度で許可取り諸々可能なのだろうか。もしかしたら最初から行く村は決まっていた気がしてならない。
色々と思うところや訝しむところは数多いが、俺も自分の家が治める領地に興味はあるがゆえに問いただしたい言葉を飲み込んでいく。
「スタン、村に着いた後の予定は覚えてる?」
「確か村長に挨拶だったよね。その後泊まる家に荷物を下ろしたあと、村長宅でご飯食べて寝るんだったかな?」
「そう。大事なことだから忘れないようにね。何より部屋割りは私と二人部屋ダブルベッドにするのを最優先で――――ムギュッ!」
彼女の言葉が最後まで紡がれる前に、その口は横から伸びてきた手によって挟まれ遮られてしまった。
突然の妨害にラシェルは驚きに目を見開いて横を見ると、隣から手を伸ばしたドレス姿のエクレールが笑顔を向けていた。
「あらラシェル様。人の婚約者を籠絡しようだなんていいご身分ですね」
「"婚約者候補"でしょう?それよりあなたはどうなさったの?今回の二人旅、あなたまで呼んだつもりはないのだけれど」
「国の隅々まで把握するのは王女の義務ですから。たまたま公務にラシェル様のご予定が被っただけですわ」
「へぇ……」
ピリッと張り詰めた空気がラシェルの細めた目と共に場を支配する。
今回の視察の旅。本来はレイコさんと俺とラシェルの三人の予定だった。
だが教室での一幕を耳にしたエクレールはこれ幸いとその予定に自らを捩じ込んで今日この馬車に彼女も座っている。
つまり二人でも三人でもなく五人旅。見事な理由を並び立てるエクレールにラシェルはニヤリと口を歪めながら言い放つ。
「だったら私たちの部屋割りに文句はないわよね?だってたまたま公務で被っただけですもの。泊まる家は違うでしょう?」
「いいえ。私たちも同じ家ですよ。レイコに頼んで5人が泊まれる家にしてもらいました」
「っ……!レイコ!!」
まさか同じ家になるとは思っていなかったのだろう。虚を突かれたような目をしたラシェルは窓から乗り出す勢いでレイコさんへ声を張り上げた。
「今回特例としてラシェル王女の護衛をしておりますが、本来私はエクレール様の従者ですので。正直全員一緒にした方が面白――――失礼。護衛がスムーズだと判断しましたので」
「あなたねぇ……!」
全く声を淀ませることなく無表情のまま言い退ける彼女に、目論見が外れたことで怒りに震えるラシェル。
しかしそれも一瞬のこと。すぐに深呼吸して心を落ち着かせた彼女はフンっ!と鼻を鳴らす。
「まぁいいわ。わざわざ二人きりにしなくてもチャンスはいくらでもあるもの。スタン、今回の旅は二人で楽しみましょうね」
「私が唯一の婚約者候補を易々と渡すとお思いですか?」
「あら、楽しみね。全部返り討ちにしてあげるわ」
一触即発。散らばった地雷。
火花を散らしあう二人に俺は少しでも隅に身体を寄せることしかできなかった。心の中でため息をつきながら前途多難だと、早くもこの旅に不安が募る。
「ご主人さま、コーヒーをどうぞ」
不意に俺の目の前へ差し出された小さなカップ。振り返るとシエルがいつもの控えめな笑顔を浮かべている。
「あ、ありがとう……」
暖かな飲み物が身に染みる。湯気の立つカップから味わうは目が覚めるような苦いコーヒーの味。だが苦いだけではなく、ほのかに香るミルクの甘さがほぉと俺の固まった心と体がじんわりとほぐれていく気がした。
「ありがとうシエル。すごく落ち着いたよ」
「ふふっ、それはよかったです」
控えめに微笑んだシエルはそのままカラになったカップを片付けてそっと俺の横に寄り添ってこちらを見上げる。
「遠出の小旅行、楽しみですね。ご主人さま」
「あ、あぁ……。そうだね」
無邪気な彼女の笑顔を見ると俺も穏やかな心と共に同じように寄り添う。
そんな俺たちの姿を前に、馬車の中に妙な静けさが広がった気がした。
そういえば……火花を散らしている二人が静かだ。そんなことを考えながら何気なく顔を上げると、ラシェルとエクレールがそれぞれ無言でこちらを見つめていた。
目が合うとラシェルは腕を組んでわざとらしい咳払いをし、エクレールは口元に手を当てながら冷ややかな目を向けている。どちらも無言だが視線の圧力はひしひしと感じる。
そんな二人と目が合った俺はーーーー視線の意味を考えるのはやめようと、そっとコーヒーをもう一口飲みながら窓の外に視線を移した。
突き刺さる視線の中、まだ見えぬ平原の先にある村へ、心と体の逃げ場を求めるのであった。
2025.1.10 修正