084.逃れるための第二案
「なるほど……あなたの祝福の影響だったのね」
カランと。
その言葉とともにカップに入った氷が解けて転がる音が聞こえる。
俺のベッドに腰を下ろして腕を組み、少し考え込むような仕草をみせるラシェル。
俺がエクレールの婚約者”候補”になった経緯。
あの放課後の会話も含めラシェルに説明をしていた。
祝福についてラシェルは以前から俺が力を所持していることを知っている。またシエルも婚約者候補発表パーティーの直後説明をしていた。
そして説明した後ろ盾の件。説明を咀嚼する彼女はウンウンと頷きつつ顔をあげる。
「わかってくれた?」
「えぇ。大体理解したわ。でもそれだけに同じくらいあなたには失望したわ」
「……失望?」
大きくため息を吐く彼女に俺の眉はピクリと動く。
一体何が失望したというのか。そう告げた彼女はゆっくりとベッドから立ち上がり、椅子に座っている俺の頬に手を添える。
「パーティーとか候補とか、そんな面倒なことしなくたってウチの国に来ればよかったのに。好きな待遇で好きなだけ遊んで暮らせるよう取り計らってあげるわよ」
「…………」
俺の頬を彼女の手が伝う。
年に似合わない艶やかさは、一つ年上の王女として多くの場を経験した彼女らしい余裕を感じさせる。それでいて何処か挑発的な視線にはまだ少女の好奇心が見え隠れしていた。
後ろからシエルの息の呑む声を聞きながら俺は冷静に口を開く。
「……それって何か条件があるんだよね?」
「えぇ。でも簡単なことよ。私と婚約してくれればいいだけ」
「やっぱり……」
やはり条件付きだったか。
だろうなと納得しつつ、添えられた手を自らの手を使い離れさせる。
「遠慮しておくよ。ここで了承したら片道キップになりそうだ」
「ま、そう言うとおもったわ」
パッと。
俺の回答が分かりきっていたかのようにすんなりと下がってくれた。
ラシェルの提案した内容。それはもはやエクレールのと同義だ。むしろ候補が消えた分だけトラップが増したと考えてもいいレベル。
「ごめんねラシェル。ボクもガルフィオン王国の住民だから。個人的にも王家には世話になってるし」
「もちろん無理にだなんて言わないわ。大人まで時間もあるし、気が向いたらで」
どうやらすんなり引き下がっても諦める気配は無いみたいだ。
ジッと紅い目を向けてくるラシェル。その瞳は窓から入る太陽のせいか心なしか光っているような気がして、まるで観察するかのようなまっすぐの視線に思わず俺はたじろいでしまう。
「ラ、ラシェル?」
「……ねぇスタン。あなた祝福が判明したって言ったわよね?」
「う、うん……」
「それから体調とか問題ないの?あなたの魔力量……常人のそれじゃないわよ」
魔力……魔力量、か?
ジロジロと見定めるような視線に俺も自分の手を見てみるも、そういったものが見える気配がない。
「そんなものがわかるの?」
「えぇ。私の祝福は知ってるわよね?」
「たしか相手の祝福が漠然とわかるっていう……」
「そっ。私だって成長してるのよ。集中しなきゃいけないけど相手の魔力量がみえるの。……ま、見えたからって特に役立つものはないんだけどね」
そういってラシェルが目を送ったのは後ろで控えているシエル。
突然黙って目が合ったことにシエルは「あの……?」と戸惑うも彼女は気にすることなく話を続ける。
「例えば後ろの子。普段魔道具を起動するのにみんな魔力は持ってるものだけど、せいぜいコップ1杯分程度なものよ。多く持つ大人で2,3杯分」
「それは……多いの?少ないの?」
「規格外よ。コップで争う人たちに比べて、あなたは1人分の浴槽くらいあるの。書物で見た、魔王が存在した時代の人々だってバケツレベルで記録に残るくらいだと言うのに」
タライか……。
コップやバケツとタライで比較されたらたしかに量がおかしいことは理解できる。
言われてみればレイコさんも似たようなこと言っていた気がする。森の魔物全員言う事聞かせたとか。
だが実感はない。彼女の真剣な目に俺は肩をすくめて首を振る。
「実感もないし体調も問題ないよ。多くても今の時代、使い道とかないんじゃない?」
「ま、それもそうね」
思ったよりアッサリと。
真剣な表情を解いた彼女はそのままピョンとベッドに座り直す。
この力を持っていても使うことは早々ないだろう。王女という後ろ盾があるとはいえ変に目立つのもまずい。日常生活じゃまず意味もない。
彼女もそれをわかっているのだろう。
あっさり退いた彼女は張り詰めた雰囲気を解いてにやりとコチラに笑ってみせる。
「それはともかく、さっきの失うんぬんは冗談よ。本題はこれから」
「えっ。さっきのが本題じゃなかったの!?」
そして妙な笑みから出た言葉はまさかの”本題”だった。
さっきの婚約云々が本題だとおもっていた。しかしまだ次が控えていたことに目を丸くする。
「婚約についても本題の一つよ。それだけを問いただすために一国の王女である私が国境を越えるわけ無いじゃない」
「ちょっと前は普通に越えてなかった?」
「越えるわけないじゃない」
「……はい」
二度の念押しに俺は素直に従う。
どうやら国境越えは普通ではないみたいだ。素直に頷くと彼女も「よろしい」と笑顔をみせる。
「いい、しっかり耳を傾けなさい。私がこの国に来た理由は二つ。こちらの村の視察と、もう一つはね――――」
ラシェルは少し言葉を止め、口元に笑みを浮かべる。その瞬間、部屋全体が息を呑んだ空気に包まれた。
まるで子どもがサプライズを我慢出来ないような、そんな抑えられない笑みとともに彼女は言い放つ。
「私、短期留学で少しの間この学校に通うから!」
「……はっ?」
「だから……よろしくね!ほんのちょっとの年下先輩さん!」
高らかに告げた彼女は満足行くように笑いかける。
呆然とする俺に”先輩”と呼びかけた彼女の表情は、まるでイタズラ成功した子どものようだった。
2025.1.7 修正