082.踊る心
煌びやかな会場に優雅なワルツの旋律が響き渡る。
子どもたちは音楽に合わせて右へ左へ揺れ、ぎこちないながらも楽しげに踊っている。誰もが自由にステップを刻む中、このパーティーの主役であるエクレールは、中央で目を奪うような完璧な踊りを披露していた。まるで絵画から飛び出してきたかのような美しさの彼女は、見るもの全てを魅了している。
そしてその隣で彼女の手を取り、俺も一緒に踊っていた。視線を浴び続ける緊張感に心臓が騒ぎ立てる中、エクレールの安定したリードに合わせて俺もどうにかステップを刻む。
「お上手ですねスタン様。この日のために練習してきましたか?」
エクレールが踊りながら話しかけてきた。声には優雅さと親しみ、そして余裕が混じっている。
「まぁ、多少はね」
平静を装いながらも内心では冷や汗が引き始めたことに安堵していた。神山での経験が役立ったとはいえ、この世界のパーティには独特の緊張感がある。
エクレールの動きに合わせて身長にステップを踏みながら、俺はふと口を開いた。
「それにしてもエクレール、婚約者候補になるとは聞いたけど、まさかこんな大々的に公表するだなんて……」
先日の誘いに乗った時点である程度覚悟はしていたが、まさかここまで大々的とは思いもしなかった。
チラリと視線を上に向ければ今もカメラが絶えず俺達を逃すまいと狙っている。遠くから聞こえるシャッター音を聞き流しながらエクレールへ視線を向ければ申し訳無さそうに微笑んだ。
「申し訳ありません。スタン様が私の影響力を最大限に生かせるようにするには、この方法が一番だと判断したのです……。それに、お父様に相談したらサプライズでやってしまおうと張り切ってしまいまして」
誰に向けたサプライズだ。
しかしあの王様の差し金だったらしい。以前は2枚下ろしだの3枚だの散々威嚇してきたのに、今度は公表に協力的にだなんて。王の考えてることがよくわからない。
遠くから響くカメラのシャッター音に辟易しながらも苦笑を浮かべる。この騒ぎのの一因に王も絡んでいると聞いて納得する反面、少しだけ肩の力が抜けた。
「でもさ、婚約者候補がボク一人っていうのはどういうこと?前回までは十人くらいいるって聞いたけど」
「それは……」
更に気になるのは候補者の人数だ。
前回、前々回と把握している限りは十人前後いたらしい候補者。だが彼女が発表したのは俺一人だった。
するとエクレールの顔に一瞬影がさし、苦笑いが浮かぶ。
「それは私の交友関係の狭さのせいです。これまで様々な人とお知り合いになりましたが、深い付き合いをする人は多くなかったもので。それに……」
彼女の声が途切れ、俺は少し訝しげに眉をひそめる。
「それに?」
ふとラシェル王女が言っていた言葉を思い出す。
『警戒心が強すぎて友達いない』と。深い付き合いが出来ないのはそれが起因しているのかもしれない。そんな彼女は今なんの警戒心も見せず手を重ね合わせて俺の眼の前で踊っている。
眼の前のエクレールは俺の言葉に一瞬躊躇したあと、顔を上げて真っ直ぐ俺の目を見つめた。その瞳には嘘偽りない感情が宿っている。
「私の婚約者に相応しいと心から思うのはスタン様。あなた一人だけなので」
「…………」
彼女の真剣な言葉にドクンと心臓が大きく高鳴った。
彼女の視線はまっすぐで少しも揺らいでいない。エクレールの想いが、彼女自身の選択が、その一言に込められているのだと感じた。
全幅の信頼。そして彼女の想い。”候補”で留めたのは彼女なりの優しさなのかもしれない。
俺が何も言えずに顔を逸らすと、ちょうどワルツの曲が終わりを告げた。大勢の拍手の中、エクレールは微小を浮かべ静かに一礼して踊りを締めくくった。
「では、私はこれから各所へご挨拶に伺います。スタン様もどうぞパーティーをお楽しみくださいませ」
そう告げる彼女はまさしく数瞬前の告白などなかったかのよう。
彼女は人混みへと消えていく。その背中を見送る俺の中には、言葉にできない感情が広がっていた。
******
「おかえり。大勢の前で随分活躍したじゃない」
最初の曲が終わり逃げ出すように壁際へと避難した俺は、ほっと一息つきながら周囲を見渡す。
次のダンスに備える者、食事と会話に花を咲かせる者などパーティの華やかさは相変わらずだが、さっきまで突き刺さるようだった視線から開放されたことで落ち着きを取り戻していると、そんな声が聞こえてきた。
顔を向ければセーラが待っていたかのように近づいてくる。その後ろにはシエルに加え、合流したらしいマティも見受けられた。
「みんなからの視線が……特にカメラが痛かったよ」
肩をすくめながらも自然と浮かぶ笑顔。注目されるのには慣れていないがエクレールの信頼と選ばれた嬉しさが勝り楽しい気持ちも十二分にあった。まだ心の何処かに名残が残っている。
二曲目が流れて踊りだす面々を見ていると、ふとマティがこちらに飲み物を差し出してくる。
「おつかれ。婚約者候補なんだから仕方ないことね。でも、あの子もあんたに迷惑かけないよう随分頑張ってたのよ」
「そっか……マティは同室だもんね。色々聞いてるか」
「えぇ。準備であまりいなかったけど、たまに帰ってきた時に存分とね。あの子、今日のこと随分楽しみにしてたわよ」
マティの言葉に少しだけ罪悪感が芽生える。そこまで楽しみにしてくれて、俺との拙いダンスで満足してくれただろうか。
遠くで談笑しているエクレールの姿を見ていると、ふとマティの「ねぇ」の言葉に振り向けば彼女はニヤリと笑顔を浮かべた。
「で、早速だけどあんたはこれから次の仕事よ」
「……次の仕事って?」
何やら意味深な笑みを浮かべたマティに少しだけ警戒心を抱く。よく見ればシエルも控えめながらも浮き立つ笑顔を浮かべていた。
「そりゃあ決まってるじゃない。次のダンスよ。王女様とは違ってあんたはまだ知名度が低いんだから。いろんな子と踊って箔をつけるのが役目でしょ。ね、セーラ」
そう言ってマティに促されたセーラは一瞬だけピクンと身体を震わせ、次の瞬間には手を差し出していた。
「か、感謝しなさいよね……!数々の誘いを袖にしたこの私がこうして誘ってあげるのは初めっ……めったにないんだから……!」
差し出された手。
気づけば音楽は二曲目も終わり、三曲目の準備に入ろうとしている。
彼女はもしかしてダンスに誘ってくれているのだろうか。その結論に行き着くと肩をポンとマティに叩かれる。
「王族に近しい親衛隊長の一人娘……最初の”箔付け”としては十分じゃない?」
「マティ……」
どうやら確信犯のようだ。
さっさと行けと言わんばかりに背を押されながら俺はそっとセーラの手を取る。手を取った瞬間彼女はビクンと大きく身体を震わせたが、すぐに笑みを向け握り返した。
「リード……しなさいよね」
「もちろん。その後は二人もお願いしていいかな?」
きっとこの流れはセーラのあとは二人もだろう。
先回りして二人に問いかけるとマティは驚いた様子で目を丸くする。
「あんた、ダンス相手を前にして次の予約だなんて随分と余裕じゃない」
「ちがっ……!ボクはみんな友達だから……!」
まさかの地雷。言われてみればそれもその通りだと自らの迂闊さに驚きつつも言い訳を並べる。
しかしマティにとってはそれも想定内だったのだろうか。からかうような口調でそう言うが表情は温かい笑みが浮かんでいる。
「冗談よ、冗談。さ、踊ってきなさいな。待ってて上げるから」
「ご主人さま、後ほどご一緒しましょうね」
行けと手を振り促すマティと優雅に一礼するシエル。どうも俺の言葉などお見通しだったようだ。
「今は私の番なんだから……スタン、いくわよ」
「あぁ、よろしく。セーラ」
セーラの手を取りフロアに中央に向かう俺は、自分が注目の的であることを改めて実感していた。
子供ながらに”箔”の概念が存在しているのか「あの方は親衛隊長の……」と口々に聞こえる。
背後から微かに聞こえる笑い声……マティとシエルの温かな見守りを感じながら、俺達は足を出し踊りはじめる。ふと見た彼女の表情は楽しそうな笑顔。それを受け止めながら俺はこの夜のひと時を楽しむのであった。
2025.1.5 修正