080.無垢なる信頼
「はぁ!?本当に婚約者になったぁ!?」
寮内の静かな夜に、一人の叫び声が響き渡った。
日常の一部となった寝る前のティータイム。今夜は同室の相方が外出ということで隣人のマティも加わって三人で談笑していたときのこと。
俺とエクレールの関係性が僅かながらに変わったことを打ち明けると、マティは椅子から立ち上がり紅茶のカップを置くのも忘れてこちらを凝視している。
「どういうことよ?だって、あんたたち"偽"の関係だったんでしょ?」
「"偽"の関係だよ。それが"本当"の関係になっただけ。それに婚約者じゃなくて候補」
婚約者と候補止まりでは大きな隔たりが存在する。そこはしっかり認識してもらいたい。
「意味分かんないわよ!シエルちゃん!あなたからもコイツに言ってやって!!」
マティは助けを求めるように隣のシエルに視線を向ける。しかし、当の彼女は驚くどころか対象的に穏やかな笑顔を浮かべていた。
俺達の会話を聞きながら落ち着いた様子で紅茶を注ぐ。
「それはそれは……とてもいい話じゃないですか。おめでとうございますご主人さま」
「いやいや、そんな簡単に納得できるような話じゃないでしょ!スタンがよ!この国の第一王女様と婚約よ!なんでそうなるのよ!!」
「だから候補だって……まぁいいや」
ほぼ憤慨状態の彼女にこれ以上の訂正を諦める。
俺はシエルが持ってきてくれた紅茶を一口含みながら、ゆっくりと彼女のペースにつられないよう冷静さを取り戻す。
「理由は色々あるけど……一つはボクが"祝福"を使えるからかな?」
「…………は?祝福?祝福って、あの祝福?」
あのってどの祝福なのだろう。
他に何か種類があるのかと疑問に思いながらも俺は首を縦に振る。
「タブンその祝福。日本人が主に使えたっていうあの。今は無用の長物だけどね」
「―――――」
もはや言葉になっていなかった。
口は大きく開き目はここではないどこか。驚愕を越えた別世界に旅立った彼女だったが数秒の後に意識を取り戻したのか「いやいや……」と声を上げる。
「ちょっと待って。あんた、なんで……いつの間にそんな凄い力が使えるようになったのよ?」
「いつって……ちょっと前。ほら、ボクが消えた時魔物に殺されかけてさ」
「殺され……って!あんた大丈夫だったの!?」
なんてことなく告げてみせると驚きで顔を真っ赤にした彼女が突然飛び込むかのように俺の肩を揺さぶってきた。
「だ、大丈夫だって!大丈夫じゃなかったら今こうしてないでしょ!?」
「……たしかに」
グワングワン揺れる視界の中なんとか発した説明に納得したのか掴んでいた手を離し彼女も平成を取り戻す。
「……でも、そんなに驚くものなの?」
「当たり前じゃない!魔王が倒された今王家の方々しか使えないのよ!逆になんであんたが使えるっていうのよ!」
確かに。それもそうか。
祝福。それは日本人と王家の者だけが使えるとされる奇跡の力だ。
元々国家機密レベルのもの。ちょっと珍しいどころの話じゃなかったか。
二人に話すことはエクレールも承知している。だがこの反応を見るに情報の公開は気をつけたほうがよさそうだ。
「信じられないわ……あんたが婚約者候補になったってことも、祝福持ちってことも」
「そうですね。私も驚いてしまいました」
「いやいや……シエルちゃんってば全然驚いてないじゃない。……っていうか何でそんなに平然としてるの?」
ハァ。と息を吐いてマティが見たのはゆっくり紅茶をすすっているシエルだった。
彼女は驚きの一つもみせることなく優雅に紅茶を淹れて俺達に手渡し、自らも楽しんでいた。彼女にとっては普遍的なものだったのだろうか。
「それは簡単な話です。………だってご主人さまですから」
「…………はっ?」
何の根拠のない理由の説明。あまりの簡潔さにマティもつい呆けた声を出してしまう。
「だってご主人ですから。ご主人さまなら祝福の一つや二つ持っていてもおかしくありませんし、婚約者も出来て当然だと思ってます」
「――――」
それは屈託のない笑顔だった。
嘘偽りなんてない。心の底からそう思っている。
そんなシエルの心情が読み取れる笑顔に、マティは大きく息を吐いてポンと俺の肩を叩く。
「……随分……いや、かなりシエルちゃんから愛されてるわね、スタン」
「おかげさまでね。マティ」
マティの励ましに俺は小さく頷く。
何も気にすることなく紅茶を堪能するシエルに圧倒されながら、俺達はクッキーに手を伸ばすのであった。
*****
「でも、エクレールが正式に婚約者候補って言い出すなんて、"祝福"が珍しいってだけが理由なのかしら」
湯気が立っていた紅茶も夜風に吹かれて熱が冷めてきた頃。
ゆっくり談笑しているところのふとマティが再び話題を掘り返してきた。
「まぁ、それもあるんだろうけど……エクレールはエクレールなりの考えがありそうだよ」
"スタン"と同い年ながら中身の俺と同等かそれ以上の思慮深さを発揮するエクレール。流石は王家と言うべきか、彼女の真意は未だ測りきれていない。
「……おそらく祝福の力を狙って他国に目をつけられることを懸念されているのでしょう」
そんな俺達の予想に入ってきたのはシエル。彼女は飲み終わった紅茶をテキパキと片付けながらあり得る未来を語りだす。
「ご主人は子どもとは思えないほど聡明ですから。それに祝福も合わされば他国の人も放おっては置かないでしょう」
「シエル……買いかぶりだよ」
「確かに……言われてみればそうかも知れないわね」
「マティまで……」
そんなことないと声に大にして言いたい。
あの魔物に襲われた日。俺は知識や経験を持っても何も意味をなさないことを痛感した。
転生しても子供は子供。多少精神年齢が違ったって意味なんて無いと心のなかで否定する。
「ま、王族の考えなんて私達弱小貴族にはわかりっこないわ。……それにしてもあの子、政治的な話になるとただのお転婆じゃないってところを見せつけられるわねぇ」
「そうだねぇ……」
二人してエクレールの底知れなさに感心しながら夜風を浴びて不意に寒さから体が震える。
「そろそろ消灯の時間だ。マティ、窓閉めるよ」
「そうね。私も眠くなってきちゃった」
ふわぁ……と大きくあくびをする彼女を見て少しだけ微笑みながら俺は窓を閉めようと手をかける。
しかし閉めようとした瞬間、突然窓の隙間から何かが入り込むかのようにシュッと黒い影が部屋の中まで滑り込んできた。
「うわぁっ!」
「わっ!なに!?どうしたのスタン!?」
思わず声を上げて転げそうになったところをすんでのところで抑えつつ、後方からマティの心配の声に視線を向ける。
「い、いや……さっき何かが部屋に中に入ってきて……」
「何かって……あら、何かしらコレ……手紙?」
ふとマティが気づいた視線の先。さっきまで紅茶を飲んでいたテーブルにはいつの間にか一枚の手紙が置かれていた。
さっきまで確実になかったもの。更に手紙の横には鳥の羽が転がっている。
「どうやら伝書鳩のようですね。罠も剃刀も……なさそうです。ご主人さま、どうやら王家からのようですよ」
「ありがとうシエル。これは……エクレールからだ」
手紙をひっくり返すとエクレールの名前が記載されていた。
俺は王家の紋様が入った封を切り中身を確認する。
「どう?何が書いてあるの?」
「……どうやら婚約者の件についてお礼の手紙みたいだ。それと――――」
ザッと手紙を見てみるとそこには婚約の件についての感謝が述べられていた。
正式に王様へ報告すること。それに――――
「――――婚約者候補発表のパーティー開くんだって」
「あらまぁ。面白いことになったわね」
そして最後に書かれていたのはパーティー開催の報告だった。
その知らせを知りシエルはいつもどおりの笑顔。そしてマティはニヤニヤとした笑みを浮かべるのを見て俺は大きくため息を吐く。
「本当にコレ、一生の契約になっちゃうのかな……」
「何よ今更!受けたからには覚悟決めなさい!」
「安心してください。ご主人さまがどんな道を選ばれても、私が誠心誠意お支えしますから!」
そんな俺の肩を強く叩くマティとそっと寄り添うシエル。
両極端な二人の励ましに、俺は苦笑いを浮かべるのであった。
2024.1.3 修正