079.一瞬の本心、一生の契約
「私の正式な婚約者候補になっていただけませんか!?」
エクレールの言葉に静寂が訪れる。
薄暗い校舎裏。人通りのないこの場所に一陣の風が吹き抜ける。
風に煽られて舞い上がる金色の髪。夕焼けの反射だろうか。まっすぐ見つめる彼女の頬が更に赤みを増しているように見えた。
婚約者候補。
これまでも度々彼女の会話で出てきた。
だが今までは偽物の関係だった。アスカリッド王国へ行くための仮の関係。しかし今回提示してきたのは"正式な"ものだった。
「正式……?」
「はいっ!これまでは偽物お願いでしたけれど、本当にお願いしたく……」
モジモジと手を重ねる彼女は照れくさそうに目を逸らす。
その真意はどういうものだろう。婚約……つまりは結婚につながるものだ。つい俺は出てきた疑問をそのまま口に出してしまう。
「それはもしかして……愛の告白だったり?」
「愛のっ……!?違います!いえっ!違わないんですがっ……!違うのですが違わないと言うか……なんというか……!」
自分でもしまったと思いながらも出たデリカシーの無い疑問。そんな問いに彼女は要領を得ない答えだった。
明らかに矛盾しているが、彼女の中では折り合いがついている理屈。ワタワタと目を回しながら応えるエクレールだったが、段々と落ち着いてきたのかフゥと息を吐く。
「その、確かにスタン様のことは好ましく思っております。間違いなく男性の中では一番……。ですが王族とは国家を背負う身、時に私個人の感情なんて意味のないことだってあるのです」
ドラスティックに告げる彼女の目はお転婆な年頃の女の子ではなく、王女様の目をしていた。
真面目に真っ直ぐ向けられる目に俺も今一度姿勢を正す。
「つまり王女様として、何らかの意図があって提案しているということ?」
その問いに彼女はゆっくりと頷く。
そして一つ一つ丁寧に話し始めた。
「祝福……それを持っている人はスタン様が思っている以上に難しい立場となります。魔法を使わなくなった現在、魔力に左右されない祝福は天候や空気、時には自分の好きな事象でさえ引きこせる方。その影響度は政治的意図も含め最低一個大隊に及ぶと言われております」
一個大隊……たった一人で千人分に及ぶほど、か。
「今現存する祝福持ちの方はひとり残らずどこかしらの国が抱えているのです。日本人が来られなくなって30年、我が国とアスカリッド王国王家を除くと数人程度となりますが」
「その人達は今どうしてるの?」
「筆頭のレイコは言うまでもありませんね。他の方々もそれぞれの国の管理下に置かれております。監視付きの生活といったものですね。……おそらく今回の一件、レイコがわざと私に聞かせたのかもしれません」
それは大いにあり得るだろう。
エクレールに話し、判断を委ねる。彼女ならやりかねない。
「エクレール、それって黙っているわけにはいかないの?」
「……難しいと思います」
ふとした疑問。
俺があの日出会った少女を秘しているように、祝福もまた黙っていることは出来ないのだろうか。
そう思って問いかけたもののエクレールは首を横に振り、瞳に宿るのは確信めいた光だった。
「寮でお聞きした森での一件、私のもとにも数隊の兵が入ったと報告が入っておりました。魔物の動かない姿を目にした兵が数多くいる中、口に戸を立てられるとは思えません。そしてお父様が発令したスタン様捜索依頼……いずれ兵の行動記録を目にした誰かがスタン様を"祝福"持ちだと疑う日が来る可能性だってあります」
「たしかに……」
彼女の言葉に俺は言葉少なく唇を噛んだ。
確かにその通りかもしれない。祝福の存在が疑われれば、それを理由に騒ぎが起きるのは目に見えている。エクレールの言う「監視」もまた、現実的な未来なのだろう。
「ならば大事になる前に王家内で私の庇護下に入ったことを公開したほうが後々の為になると思ったのです。第一王女の正式な婚約者候補、たとえたどり着く人が居たとしてもこれ以上ない後ろ盾だと思いませんか?」
彼女はそう言って静かに俺を見つめる。その表情は真剣でどこか寂しげにも見えた。
「もちろん強制ではありません。スタン様が大人になって心変わりされることもあるかもしれません。その時は仰っていただければ、すぐに関係を解消いたしますので」
そう言いながら微笑むエクレールだったが、しかしその笑顔にはどこか力がないように見えた。
本当はこんなことを言いたくないのかもしれない……ふと、そんな思いが胸をよぎる。
言葉の端々に滲むのは諦めだろうか。それとも覚悟だろうか。俺には彼女の本心を読み取ることはできない。ただ、一つだけ分かるのは、その笑顔が彼女自身を誤魔化そうとしているように見えたことだ。
彼女のの力ない笑顔を見た瞬間、胸の奥に何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。
こみ上げる正体はわからない。だが俺の口は自然と、驚くほど戸惑いもなく動いていた。
「……わかった」
静かに告げた答えにエクレールが驚きの声を上げる。
夕日に染まるその顔には明らかな戸惑いと信じられないという表情がが浮かんでいた。
「その話、受けるよ」
静まり返る空気の中、俺の言葉だけが響く。
彼女の不安そうな笑顔が引っ掛かって、俺は自然とそう言っていた。それは罪悪感か、感謝か……それとも別の感情か。
真意はわからない。ただ一つ分かっているのはエクレールに不安な顔をしてほしくない、そんな俺の気持ちだった。
そして答えを出した理由はもう一つ。
「――――だってボクもエクレールのこと好きだからね」
「好っ――――!?」
「あっ、もちろん友人としてね!一緒に遊ぶのが楽しいとか!そういうっ……!」
思わぬ失言に更に目を丸くした彼女だったが俺の補足に安心したのかゆっくりと心を落ち着かせる。
ゆっくりと開いた彼女の瞳。その中に浮かんだのは驚きと安堵、だがそれ以上に少しの喜びが浮かんでいた。
「ありがとうございます、スタン様……」
エクレールはほっとしたように微笑む。その笑顔はどこか涙を堪えているようにも見えた。
俺はそれ以上何も言わず彼女の言葉を受け止める。夕焼けに染まる校舎裏で、俺たちの距離は少しだけ近づいた気がした。
2025.1.2 修正