077.記憶の行方
「"俺"の……何を無くすって?」
震える声で彼女に問い返す。
その口から出た思いもよらぬ発言に、俺は彼女を鋭く睨みつけた。
「スタン様の記憶でございます。あの日会った女の子について忘れてもらいます」
一方で淡々と言い放つ彼女は無表情。
何の感情も見せず差し出してくる錠剤に、俺は拳を握りしめた。
「せめて理由を教えてもらえませんか?突然過ぎて理解も出来ないのですが」
「理由……彼女の存在こそ国の機密にあたり、そしてあの子自身の為、といえばご理解いただけますか?」
「ご理解できるとでも?」
「……でしょうね。ですがこれが話せる限界なのです」
自分でも分かっていたのか自嘲するレイコさんを前に俺はチラリと辺りを確認する。
ここから逃げるためには……扉は無理だ。彼女のほうが近い。なら窓しか無い。そっと足を窓の方へ動かそうとすると、俺の動きを察知した彼女はピシャリと言い放つ。
「車より早い私相手に逃げ切れるとでも?」
当然だ。彼女相手に逃げられるとは、はなから思ってない。
だからといって抵抗しないわけにもいかなかった。そうしている間にも静かに、しかし確実に距離を詰めてくる。
「……もし、嫌だっていったら?」
「交渉が力ずくになるだけです。議会で決まったことですので断るわけにはいかないのですよ」
「議会?この国は王政では?」
「えぇ。ですがだからといって有力者の話を蔑ろにするわけにもいきませんのでね。スタン様には申し訳ありませんが」
そう言って彼女はそっと頬に手をふれた。
レイコさんなら俺が喋る一瞬のうちに口へ放り込むくらい余裕だろう。だがこうしてゆっくりと距離を詰めてくるのは記憶に別れを告げるための猶予を与えているのか。
彼女の言う通り逃げることはできない。そして力でも今の身体じゃ負けるのは確定だ。
つまりどうあがいても詰み。
彼女との記憶は無くしたくなかった。
たった一晩ではあるが濃密な時間。命を助けられ、1人孤独に生きてきた同い年くらいの女の子をなぜだかどうしても放おっておきたくなかった。
好きとかそういうものではない。ただ放おってはおけない。そんな感情に占められていた。日本人のような風貌をしていたからだろうか。吊り橋効果だろうか。原因はわからない。けれど何年かかっても再開しようと心に決めていたのに。まさかこんな形で終わるなんて――――
「――――なんてね」
「…………?」
無理矢理口を開かれてカプセルを入れられる。
そう思ってレイコさんを睨みつけていたが、彼女は俺の頬に触れた手の力を込めることなく、パッと離して両手でカプセルを包みこんだ。
次の瞬間には包んだ手をパッと広げてそこには何も無いことをアピールし、まるでマジックを披露するかのようにカプセルが彼女の手の内から消え去るのをこの目で見届ける。
「……何をしたんですか?カプセルは?」
「わかりませんか?カプセルを消し去ったんです。粉よりも小さく分解して」
分解?何を言っているのだろう。
カプセルで記憶を消し去ろうとしたレイコさん。だが彼女が消したのは記憶ではなくカプセルそのものだった。さっきの言葉は何だったのかと俺は警戒を解かず彼女を見続ける。
「何のために……」
「……議会では確かにスタン様の記憶を消すよう命じられました。そしてもう一つ、王からも別で命じられてもおりました」
そう言って彼女は眼前まで迫っていた距離を一歩引いて両手を広げてみせる。まるでマジックを披露したあと、何も持っていないことを示すかのように。
「王からは『上手いようにやれ』と。つまりそういうことですよね?」
「……どういうことですか?」
「わかりませんか?議会は女の子の存在が広まるのを恐れて記憶を消すよう命じた。つまりそれは、スタン様はそっと胸のうちに仕舞って頂ければ記憶が無くなったと同義ではありませんか?」
「それは……そうですが……でも……」
言葉では理解できた。だがそれを執行する側が並び立てていいのだろうか。
レイコさんが命令を違えることには相応の覚悟が必要なはずだ。俺がその点を問いただそうとすると彼女は小さく息を吐き、どこか遠くを見つめた
「あくまで議会は議会。私が従うのは王です。ですが全体の決定を違えたことが露見すれば相応の罰を受けるでしょう。それでも私は王の曖昧な指示を従うことにしました」
「罰って……それでもやるんですか?」
「はい。王でさえあの場では曖昧な指示しか出せない状況。それでも私は同じ"唯一の日本人同士"であるあなたを守りたいと思ったのです」
「レイコさん……」
その声には確かに感情が滲んでいた。同郷を恋しく思う彼女なりの深い愛情。
レイコさんに失望しかけたが、やはり彼女は彼女だったようだ。
ジンと胸の内が熱くなるのを感じながらその綺麗なスーツを見上げていると、彼女はおもむろに棚に置いていた俺の本を取り出して彼女自らの腹へ当ててみせる。
「ですが気を付けてくださいね。あの子の存在は"祝福"同様国家機密。今回は深刻さを伝えるため一芝居うちましたが、もし漏れたら切腹モノですので」
「~~~~!!」
その殺気を込めた念押しに、まるでシンバルを叩く猿のオモチャのように勢いよく首を振り続けた。
「よろしい。では続いてスタン様の"祝福"の話に参りましょうか」
「は、はい。確か【日本語で命令した相手を操る】……でしたよね?」
椅子を持ってきて向かいに座る彼女は視線をまっすぐ俺に向け、あの日気を失う寸前耳にした言葉を思い返す。
俺が日本語で告げると魔物がその通りに動いた。レイコさんには効かなかったということは魔物限定なのだろう。
「えぇ。スタン様がご自分で把握出来ていない以上、その他細かい条件等は検証が必要とはいえ概ねその通りだと思います」
「まずは自分の力の理解ですね。ですがあんな燃費の悪い"祝福"、簡単に検証といっても難しいと思いますが……」
「燃費、ですか?」
不意に、彼女の眉がピクリと動いた。俺は慌てて手を振る。
「えっ?いや、ほら、魔物一体に"待て"と"伏せ"って言っただけで2,3日寝込んだんですよ?あれが燃費悪いと言わずして――――」
「あぁ……そう言えばスタン様は知らなかったのですね」
意味深に。その言葉を皮切りに立ち上がった彼女の言葉を失った。
「これは……?」
「スタン様の"祝福"の成果です」
ポケットから取り出したのは一枚の写真。促されるままに見せつけてくるそれに目を向けると、そこには森の中に数十の様々な魔物が伏せっているのが見て取れた。
「あの時スタン様は獣一匹を服従させたと思っておられるようですがその実、あの森に居た大半の魔物が同様に伏せたままとなっておりました。その数は千以上」
「そんなに!?」
「あの森はいずれ討伐作戦をするつもりでしたので随分ラクできましたよ。つまりスタン様はそれほどの魔力量。以前のロザリオもあまりの魔力量にキャパオーバーしたのでしょうね」
先日のロザリオ……街での事件の日、全てが始まった憎き魔道具のことか。
まったく実感はない。だが彼女の示した大小さまざまな魔物が伏せっている写真はその事実をありありと証明していた。
でも、なんだかしっくり来ない。俺の"祝福"はもっとこう…………
(……まだなにかある気がする)
「えっ?何か言いましたか?」
「いえっ、何も」
ふと無意識に言葉を呟いてしまっていた。
根拠のない下手なことを言って混乱させるわけにはいかない。そう否定してみせると「そうですか」とすんなり引き下がる。
「では私からのお話は以上です。また何か用がありましたら別のテキストを奪いますので」
「せめてもっと単純に呼び出してもらえませんか?」
「承知いたしました。では下駄箱にラブレターで。『大事な話があるので放課後屋上まで』と書いておきますね」
「…………テキスト奪ってください」
酷い両天秤を見た。
ラブレターを見られてあの面々の誤解が変に加速するなら素直に奪ってくれたほうがマシだ。
そう思って今度こそ彼女に別れを告げ、1人寮の廊下に出る。
「さて、授業が始まる前に急がないと」
すっかり彼女と話し込んでしまった。
部屋を出る前チラリと時計を見れば授業開始まで残り5分。急いで向かわないと間に合わないだろう。
そう呟きながら廊下を歩き出した俺はふと足を止めた。微かに感じた気配。それは視界の端に何かが引っ込むような気配だった。
「んっ?」
廊下は昼休みということも会って人気がなく静まり返っている。だが何か……確かに金色に輝くの何かが動いた気がする。
(気のせいか……?)
確認するべきか悩んだが廊下の向こうからパタパタと軽い足音が聞こえる。きっと今から急いでも間に合わないだろう。
気になりはしたが時間が本格的にマズイのもまた事実。
俺は疑問を放り投げ、足早に教室を目指すことにした。
2024.12.31 修正