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071.平原

 ――――どれだけ歩いただろう。

 随分と長いこと街道を歩いていた気がする。

 時に休憩を挟み、太陽を確認して道の先へ。


 今日ほど歩いた日は他になかっただろう。行動時間こそ数ヶ月前に起こった城下町での事件に負けるが、歩行距離は今日が勝っていることは間違いない。

 天高く誇っていた太陽も疲れをみせるように段々と地面との距離が近づいていき、今となっては夕焼けとなってすっかり赤く染まった光が平原を照らしている。


 どこかわからない謎の平原に降り立って数時間。俺はひたすら真っすぐ道を突き進んでいた。

 街道を歩いていれば商人かなにかの馬車が通りかかるかと淡い期待を抱いていたが現実は非情なり。

 この数時間歩いていても道行く人は誰一人としていなかった。

 けれど収穫がなかったわけではない。道中街道の先に何があるかを示す標識を見つけたし、今はかなり遠くではあるが城下町とみえる門が豆粒以下の大きさで見えていた。


 適当に選んで進んだ二分の一の道。どうやら最初の選択は間違っていなかったらしい。

 飛ばされたのも城から相当離されたが、世界や国境をも隔てることはなかったみたいだ。とりあえずたどり着くべき目標を見つけられたことに希望が生まれ、この短い足を動かしてゴールへ向かっていく。


「エクレール……心配してるだろうなぁ」


 考えるのは可愛らしい少女のこと。

 額に生まれた汗を拭いながらかつての光景を思い出す。

 あの場に残したエクレールたち。全員が飛ばされた可能性も否めないが今はそっちの方向は考えない。

 エクレールは自分のせいだと責めてやいないだろうか。レイコさんは俺のことを探してくれているのだろうか。


「人のことより、まずは……」


 積み重なる心配を振り払うようにフッと顔を上げれば遠くに消えようとしている太陽が見える。

 あと1時間ほどで太陽は沈んで暗い夜が訪れるだろう。真っ直ぐ前を見据えればまだまだ豆粒の門が見える。この速度では確実に1時間で着くことは叶わない。

 つまり一晩はこの平原で過ごさなければならないという意味だ。夜通し歩くことも考えたが肉体は幼いスタン、体力も少なく無茶にきまっている。

 しかしロクな装備もなしに野宿もまた危険だ。過去神山だった頃、一晩山でキャンプしたときも相当な準備をしてなお危険が総て取り除けたとはいえなかった。ここは周りに建築物なんて見えることなく、夜の過ごし方次第では命の危機に直結する。

 進むも留まるも、どちらにせよリスクがつきまとう。夜通し歩く体力。そして獣。早く帰ることは大事だがそれよりも自分の体力が先決だ。そう結論付けた俺はせめて野宿できそうな場所はないかと歩きながら辺りを見渡す。


 しかしそれもまた、いい場所が見つからなかった。

 野宿するにしても草も無い平坦な道がベスト。だが周りは少し背の高い草ばかりで隠れることができても、同時に獣が隠れたら見つけられるのが困難。野宿には適さないだろう。


 更に付け加えれば平原の向こうに森が見える。

 つまりは絶望。獣に怯えながらそこらに寝転がって野宿が確定しながらも、日が落ちる前に少しでも距離を稼ごうと一歩でも前に足を進める。


 ――――ガサガサッ!!


「っ――――!!」


 ひたすら真っすぐ歩みを進める。

 遥か遠くに見えるゴールに向かったそんな道中、突然脇の草々から何かが分け入るような音が聞こえた。

 この辺りの草は高く生い茂っている。大人の膝丈程度まで伸びた林。突然耳に飛び込んできた音に警戒して振り返るも音の主の姿は見えない。

 しかしガサッ……ガサガサッ!と不規則に聞こえる音と揺れ動く草がすぐ近くに見えた。


 何かいる――――。

 そう揺れる動きをジッと観察していると、直角に曲がったそれがまるで迷路を抜けるかのように少し盛り上がった林から街道へと降り立った。


「これは……」


 スタッと慣れた様子で街道に降り立ったのは四足歩行の生物だった。

 最も近い形でいえばドーベルマンだろうか。人の子供の体躯ほどある犬。ドーベルマンと違い黒く逆立った毛が身体全体を覆っており、呟きが耳に入ったようで黒い目が俺を定める。


 犬に最も近い獣…………いや、これは…………


「ま……もの……」


 魔物――――。

 目を合わせながら更に言葉を連ねていく。

 先程までの特徴ならただの獣に分類していただろう。しかし獣と大きく違う点。一目でわかる"それ"に俺は思わず声に出してしまっていた。



 この世界の生物は大雑把に分けると"植物"と"獣"、そして"魔物"に分類される。

 人は"獣"の部類だ。肉もあって血も通う、至って普通の生物の一種。

 だが"魔物"は大きく違う。獣でありながら獣ではない。魔物はその身を構成する全てが魔力となっているのだ。

 "獣"の外観を持ちながらその中身は何も無い。"獣"を喰らってその身に宿る魔力を貪る意思なき獣。それが魔物。

 一説によると過去に魔王が自らの魔力で生み出した存在が今なお残っているとされている。それもまた今となっては真実は闇の中。


 未だ真相の分かっていない生物。それが"魔物"。

 魔物は魔王の討伐とともに大きく数を減らしたと聞く。

 人が魔法を使えなくなったと同じように魔力で身体を構成する魔物も数を減らすのも自然な理屈。

 しかし数を減らしたといえど絶滅したわけではない。現に今俺と相対するのは間違いなく魔物だった。


 見た目はドーベルマン。しかしどこでやられたのか手負いの様子。

 左前足と右後ろ足に裂けるような怪我を負っている。だがそこに血は通っておらず、目に見える形となって漏れ出た魔力が黒いモヤとなって立っていた。




 ザッと……。

 背を向けないように後ずさると魔物も半歩足を前に出す。

 その目は俺をまっすぐ見つめており、上半身を屈めて明らかに警戒の色を見せていた。

 タラリと頬を伝った汗が地面へと垂れ落ちる。その滴が地面とぶつかって弾けた瞬間、魔物は端を発するように大きく口を開いた。


 ――――グォォォォォ!!!


「っ――――!」


 突然発した魔物の叫び声。

 それが獲物を仕留めるための威嚇だと理解すると同時に俺は踵を返して林に飛び込んだ。


「ヤバイヤバイヤバイヤバイ!」


 もはやヤバイの三文字以外出すことができなかった。

 全力で林に飛び込んで草をかき分けながら一目散に奥へと走り込んでいく。

 すぐ後ろから魔物が追いかける音も聞こえてくる。それは死へのカウントダウン。立ち止まったら死であることを本能で察していた。



 サバンナにはハイエナという動物がいる。

 腐った肉さえも食べることで掃除屋とも呼ばれる動物だが当然狩りもする。その方法とは自らの身に宿る多大なスタミナを活用した方法だ。

 獲物を生かさず殺さず追い詰めて、スタミナが切れた頃に仕留める。そんな狩り。


 まさに今の俺はハイエナに狙われた動物のようだった。

 付かず離れず追いかけて、体力が切れ抵抗ができなくなった頃に仕留める。そんな気概が草の向こうから感じ取れた。


 手法がわかれど対応する術なんて思いつくことはない。

 ただ詰将棋のように追い詰められるのがわかっていながらも足を止めるわけにはいかず、体力の限り足を動かして魔物から逃げていく。


「はっ!はっ!はっ!…………!」


 肺が焼けるように痛い。

 それでも止まることなどできやしない。葉の切っ先が脚に触れて切り裂かれようと、踏み抜いた石が宙に浮いて目元に当たろうとも。

 ここから遠くに見える門まで行って助けを求めることなどできるとは到底思っていない。だがせめてものこちらの粘り強さを見せつけて相手が諦めるまでは。

 グッと強く拳を握りしめてひたすら前を向く。夕焼けが強く輝き目を細めながらも決して折れるわけにはいかない。


 ――――しかし、終わりの時は思いの外早く訪れた。


「あっ…………!!」


 体力の限界を超えて走り続けるこの足。

 林という視界が悪い場所。夕焼けと追いかけられて視界が狭まっていたこともあっただろう。

 走っていた先にあった草結びに気づくことなく突き抜けた俺は、足を引っ掛けてその場に転がってしまった。

 突然の転倒に受け身を取ることすらままならず、膝や掌、頬までもを強く打ち付けてカッと熱くなる。


 痛い。苦しい。泣き叫びたい。

 だがそんなことにかまってなどいられなかった。急いで身体を起こして振り返ると、そこにはまるで追い詰めたかのように魔物がゆっくりと歩いてこちらを見下ろしてくる。


「来るな……来るな……」


 せめて武器の代わりになるものがないかと辺りに手を探るもなにもない。

 徐々に近づいてくる魔物。おそらく立ち上がれば俺の首を迷いなく噛み切ってみせるだろう。

 もはや風前の灯ともなるこの命。手負いでありながらも自分より遥かに強い魔物は俺のすぐ前に立ち、最期の言葉を待つかのようにジッと見る。


「来るな……来るな……」


 それでも俺にはこの言葉しか発せられなかった。

 抵抗にもならない抵抗。舌なめずりをするように開いた口からは黒いモヤを吐き出す。

 俺は言葉を尽くすことしかできなかった。それが意味がないことを知っていながら。


『来るなぁぁぁぁぁ!!!』


 首を見据え、ゆっくりと開かれた大きな口。

 それに抵抗するように出た叫びの言葉。命の終わりを覚悟しながら発した言葉に目を瞑りながら事の終わりを待っているも、その"最期の時"が訪れることはなかった。

 一向に訪れない命の終わり。十数秒待ってみても首に噛みつくことはなく、ゆっくりと瞼を開けると魔物は俺に食いつくことなくジッとその場で静止していた。


「どういう、こと……?」


 今にも飛びかかってきそうな眼の前の魔物。

 しかし目を開けて視界に収めた魔物はそれ以上動くことなく、まるで石化してしまったかのように飛びかかる寸前の屈んだ状態のまま動こうとしなかった。

 さっき前折れに狙いを定めていたのに。命を狙っていたのに。一体魔物に何があったのかとゆっくり立ち上がってみると、不意に後方から風に乗って冷たい声が俺の耳に届いた。


「――――死にたくなかったらしゃがんで」

「へっ……」


 それは魔物ではない、明らかに人間のものの声だった。

 ほぼ反射で言われるがままにその場でしゃがんでみせると、俺の頭上を風が通るかのように何かの影が横切った。



 ――――影が通り過ぎた直後、ようやく動きを見せたのは眼の前の魔物。

 何が起こったのか。石化したように固まっていた魔物は突如剥製のように首と胴体が切り分かたれ、音もなく地面に転がってしまう。

 その直後に切断面からはモヤが吹き出すかのように黒い煙が弾け、まるで破裂した消化器のようにその場で黒い煙が舞い上がった。


「一体……何が……」


 突然の一部始終を目にしても理解が追いつかず一人呆然と立ち尽くす。

 ようやく弾けた黒い煙が薄れてきたと思いきや魔物の亡骸は既に塵となって消え去っており、代わりとばかりに一つの小さな人影がそこに見えた。


「……まさか一匹逃してたとは。僕もまだまだだ」


 冷たい、何の感情も抱かない静かな女性の声。

 ようやく見えた人物の影は、チラリとだけこちらに目を向ける。


「キミは……」

「生きてる……みたいだね。間に合ってよかった」


 煙が晴れて見えてきた姿に、何故か既視感を覚えた。

 安心するような言葉とは裏腹に何の感情も浮かべない女の子。

 腰まで届く黒い髪と黒い目を持った俺と同じくらいの女の子は自身の背丈と同じくらいの長剣を手に持ち、そう静かな口調で語りかけるのであった。

2024.12.25 修正

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― 新着の感想 ―
[一言] おやおや、お姉さんたち二人もとも、なんか急速接近ですか?/w しかし、彼女たちも小学生高学年の年齢ですよねえ。まあずいぶんとませていますね。
[一言] スタンの苦手分野ですよね。過去話。まだ転生して半年だから。 でも、エクレール王女と繋がりが持てるところを、説明できて良かったです。 女子先輩と夢の混浴。かなりスタンが気に入られていますね、…
2022/09/02 00:15 退会済み
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