067.不審者とお誘い
「ズルいですわっ!!」
それは、早朝の開口一番から始まった。
入学式からのテストがあった次の日の朝。今日も今日とて朝から学校だということでいつも通りシエルに起こされ眠い目を擦りながら食堂に足を踏み入れた瞬間、張り詰めるような怒りの声が耳に飛び込んできた。
何事かとずっと下向いていた顔を上げて様子を伺えば、そこには食堂に似つかわしくない人だかりができていた。
本来食堂とはご飯を食べる場所。昨日も夕食にハンバーグを食べたし、朝人が集まるのもなんら不思議ではない。しかし今目の前の光景はまるでどこぞのアイドルが来たかのような人だかりだ。奥の席に座る誰かを一目見ようとみな一斉に押しかけて押しくら饅頭のようになっている。
叫ぶような何者かの声により騒然となる人だかり。一体何があったのだろうと思っていると、ふと服が引っ張られる。
「スタンさん、あそこに……」
「……あぁ、ホントだ」
服を引っ張ったシエルが示したのは人だかりの一番外側。悲しいかな俺達は寮の中でも最小学年。小さい体躯をピョンピョンと飛んで少しでも様子を伺おうとする同級生の姿を見つけ、互いに頷きあった俺達は揃ってそちらに向かっていく。
「ん~……さっき一瞬見えたのに……中々人が……!」
「おはようセーラ」
「……!あら、おはよう二人とも。待ってたわ」
その場で何度も飛び回っていたのは友人のセーラだった。紫の髪を上下に揺らしながら悔しそうに呟く彼女は俺達の姿を認識するやいなや嬉しそうに駆け寄ってくる。
「今日は随分と賑やかだね。……この人だかりは?」
「あたしもさっき来たばかりで気づいたらこうなってたのよ。一瞬だけお姿を拝見できたけど、どうやらエクレール王女殿下がいらしているみたいよ」
「あっ…………そう」
あっ…………。
セーラの口から飛び出た散々聞き馴染みのある名前に大体を察してしまう。
騒然となっていた空気もいつの間にやらざわめきを取り戻し、黄色い声も混ざった人だかりはたしかに、エクレールならば集めてしまうだろう。仮にもこの国の王女様だ。
誰と何を話しているか知らないが、随分と朝から元気なことで。
「それでセーラ……さんはスタンさんを待っていたと仰っていたのは?」
「そうよそれそれ。スタンじゃなくてシエルちゃんも。この人だかりを見てよ。こんなんじゃ落ち着いて朝ご飯も食べられやしないわ」
「たしかにそうだね」
忌々しく流し目で人だかりを見つめるセーラ。
確かに食堂の三分の一を埋め尽くすくらい人が集まっている。徐々にではあるが今も人が入ってきていることからこれからもっと集まってくるだろう。こんな中じゃ食事も気が散ってたまらない。
「それで二人に相談よ。二人とも王女様と知り合いみたいでしょ?なんとかならない?」
「なんとかって言われてもねぇ……」
「さすがにこれは……スタンさんでも……」
俺が冷や汗を垂らしながら見つめる先は上級生いっぱいの人だかり。
精神年齢から見れば全員年下だ。しかし肉体からすれば年上、つまり視線が低くまるで立ちはだかる壁だ。
最初から内側にいれば直接交渉でなんとかなる。だが今は外側、押し入ろうにも人だかりがひしめき合っていて入れる隙がない。
しばらくすれば寮を監督する大人がやってきて諌めてくれるだろう。それを待つのが懸命な気がする。
「学年首席を打ち負かした二人だもの。なにか思いつかない?」
「思いつくって、なにを?」
「例えば……ほら、みんなの頭の上をひとっ飛びする方法とか?」
なにそれサーカス団だ。
その方法なら不可能ではないだろう。ただし人間をやめればという条件付きではあるが。
地球の雑技団であればありえなくもない話だが俺はただの人間。もしくは忍者くらいだろう。
…………いや、待て。忍者?
「さすがにスタンさんも人間ですから。いくら頭がよくてもそんな事は――――」
「いや、なんとかなるかも」
「――――できるんですか!?」
考え込む俺に変わってやんわりと否定するシエルだったが、ポツリと可能性を提示すると驚くように声を荒らげる。
「い、いや!ボクはできないよ!ただすぐ来てくれる、できそうな人に心当たりがあるっていうだけ」
「できそうな人?心当たりあっても今この場にいないなら意味ないじゃない」
「いないけど、タブン、どうにかなるよ」
「………はぁ?」
全く理由がわからないと顔をしかめるセーラを連れ、人がいない逆側のスミへと場所を移す。
「なによ、こんな逆側連れてきて。もしかしてトランポリンでも用意しようっていうの?」
「いえ、おそらくスタンさんはあの人を……。セーラさんはその場で"動かず"見ていてください」
シエルも俺がやろうとしたことを察してくれたようだ。両肩を掴んで俺より数歩離れる二人。
準備ができたと目配せをしながら、俺は両手を顔の位置まで掲げて高く音が鳴るようにパンパン!と叩いてみせる。
「……一体なんだっていうの?ただスタンが手を叩いただけじゃない。それに何の意味が――――」
「お呼びですか。スタン様」
「――――ひゃぁっ!!」
手を叩いても何の変化もない。そう文句の一つでも言わんとするセーラだったが、突如目の前に降ってきた影に思わず悲鳴を上げる。
降ってきた……そう、降ってきたのだ。まさかずっと天井に張り付いていたのではないかと思うくらい完璧なタイミング、そして完璧な着地地点で"彼女"は俺の眼の前に降り立った。
「おはようございますレイコさん」
「おはようございますスタン様、シエル様。そして……セーラ様」
俺の前に降ってきた人物。黒のスーツに白い髪。高校生ほどの風貌を持つ女性であるレイコさんだった。
この呼び方は初めてだった。エクレールが来ている以上どこかにいるだろうと半ば賭けであったが目論見が当たったようだ。
「セーラのことも知ってるんですね」
「えぇ、護衛をする以上、全校生徒の名前と顔くらいは頭に入っておりますので。もちろん、昨日の一件も」
チラリと色の違う両の目を意味深に向けるレイコさんはさながら学校中の全てを把握しているまさに忍者。
壁に耳あり障子に目ありとは彼女のためにある言葉なのかも知れない。だがレイコさんは規格外、特に驚くことはない。
そんな意味深に口角を上げる彼女は『しかし……』と言葉をつなげる。
「しかし顛末までは存じ上げなかったので気になっていたんですよね。…………その様子だと仲良くできているようで何よりです」
「へっ?」
何やら意味深にニヤリとする彼女は俺のことをジッと俺を見ていたと思っていたが、その視線は更に後方へ。
どこを見ているのかとその視線の先を追ってみれば、まるで俺に抱きつくように隠れているセーラに向けられていた。
「セーラ?」
「ふ……不審者……?」
「不審者じゃない不審者じゃない」
レイコさん、まさかの不審者入り。
さすがの彼女もその判断は予測していなかったようで頬が引きつった苦笑い。
「さすがはスタン様。一日で女の子をまたも落とすなんて。どんな手を使ったんです?」
「落としてませんから人聞きの悪い。しかも"また"ってどういうことです」
「あら、聞きたいですか?」
「いえ……」
その意味深な言動から聞けば絶対碌な事にならないことは明白。
二人がいる手前あらぬ誤解で事態が悪化するのを防いでいると、背中から服が引っ張られる感触に目を向ける。
「ス、スタン……この人は……?」
「もちろん紹介するね。彼女はレイコさん。普段はエクレールの――――」
「――――はじめまして。スタン様の召使いをしておりますレイコと申します」
「はぁっ!?」
なんだとっ!!
俺も知らないレイコさんのプロフィール。
セーラが再び声を荒らげると同時に俺も目を見開いた。
一礼して顔を上げる彼女は相変わらずの鉄面皮。しかしこころなしかニヤリとほくそ笑んでいる気配を感じ取ると同時に俺の視界は大きく揺れる。。
「あ、あんたっ!昨日あたしを召使いにしないって言ったのはこの人がいたからなのっ!この浮気者!!」
さっきの不審者とかいって隠れていたしおらしさはどこへやら。
気づけばセーラに胸ぐらを掴まれて詰め寄られていた。
信じられないものを見たような目。裏切られたようなその目に俺は必死に首を横に振る。
「違う違う!レイコさんの冗談だから!この人はエクレールの従者!」
「エクレール……王女様の……」
フッと掴んでいた胸ぐらの力が一気に弱まり苦しみに悶える前に開放してくれた。
彼女の視線はレイコさんへ向かい、本当なのかと言外に確かめる。
「えぇ、先程のは冗談、本当はエクレール王女の従者兼ボディーガードをしております」
「な、なぁんだ!そういうことだったのね!紛らわしいったら!!」
ようやくセーラも納得したのか俺の背中を何度も叩いて恥ずかしさを誤魔化している。
しかし『浮気者』はさすがにあらぬ誤解すぎると思う。
「それでレイコさん、エクレールはどうしてここに?」
「はい。王女はどうしても直接スタン様にお伝えしたいことがあるということで、こちらに来られるのを待っておられました」
「ボクを……?つまりこの人だかりは……」
「スタン様の起床が遅すぎるせいでできた人だかりですね」
辛辣に直球に。
レイコさんが真実を告げる。
まさかそんな事は予測していなかった。待つなら待つで一言いってくれればいいのに。
チラリと人だかりを見れば来たときより相当大きくなった塊ができてしまっている。こんな中、どうやって行けと。
「……これ以上ここで遊んでいたら皆様が遅刻してしまいかねませんね」
「レイコさん、なにかいい考えでも――――うわぁっ!!」
「スタン様、失礼いたします」
事後報告。
チラリと塊を見て焦燥感を醸し出したレイコさんはおもむろに。いきなり俺を脇から持ち上げて肩に抱え込んだ。
まるで米俵のように。あっという間に肩に乗せられて視線の高くなった俺は塊頭の上を抜け、奥見える金色の少女と目が合った
「な、何するんですか!?」
「このままエクレール王女のところまで持っていきます」
「どうやって!?この人混みの中を!?」
「ただ普通に歩くだけです。………ほら」
俺へ促すように真っ直ぐ目を向けた先は人が集まってできた塊……。しかし先ほどと様相が変わっていた。
レイコさんが俺を抱えて歩き出すと同時に段々と割けていく塊。まるでモーゼの海のように割れた人の集まりの先には俺達を誘い込むように待ちわびるエクレールが目に入る。
「どうやって……」
「単純な話です。私がスタン様を抱えるので見えたら人を割るように打ち合わせをしていただけですので」
「つまり……この騒動は全てレイコさんの手のひらの上と?」
俺の疑問に応えることなく歩き続けるレイコさん。
その無言はまさに肯定。どうやら俺が彼女を呼ぶことも、少し遅れることも予測していたということか。
そうこうする間に人の割れ目を通った俺はエクレールと対面する。
自らの足で地面を踏んで彼女と目線を合わせる。
「お、おはようエクレール」
「おはようございますスタン様。お待ちしておりました」
どうやら今日は王女様モードみたいだ。優雅にお辞儀する様は中々に綺麗。
「それで、王女様はボクに伝えたいことがあるとか?」
「はいっ!本当はもう少しお話をしていたいところですが、実は一刻を争うので早速本題に入らせていただきますね!」
にこやかに笑った彼女は俺に一枚の紙を見せつける。
A4サイズの羊皮紙。細々と書かれた字と、最後の方に印鑑が押されている。
「王女様、これは……?」
「これは勅命書ですっ!スタン様にはこれからお城に行って、お父様と会っていただきます!」
「………………はっ?」
それはこの世界に来て最も頭の理解が追いつかなかった宣言。
一刻を争うというのに俺の頭は言葉の咀嚼を拒み、しばらくその場で固まるのであった。
2024.12.21 修正