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057.出発の日

 秋晴れにはまだ少し遠い太陽の日差しが降り注ぐ穏やかな晴れの日。

 何をするにもピッタリの天気で、雨の匂いはもとより雲1つさえも見えないまさに快晴と言うにふさわしい今日という日の朝。


 一抱えの荷物を手にした俺は朝早くから玄関前にて出かける準備をしていた。

 普段であればシエルに起こされるであろう時間。既に目を覚まして諸々の準備を終え、一張羅で今日乗る馬車に背を向ける。


 眼前には給仕服に身を包んだ沢山の大人たち。家のものほぼ全てといっていい。

 普段数人で見送りはあれど総出でなんてものは俺の知る限り一度もない。

 だが今日はまさしく全員だ。父に母、メイド長を筆頭に多くのメイドさんが一同に介している。


「スタンちゃん!ハンカチ持った?着替えは!?それからイザという時のお薬も必要だし、お気に入りの本。あとは……あとは…………」

「大丈夫だよお母さん。ハンカチ持ったし着替えも万端。必要な物は5回もチェックしたし、荷物も先に送ったから」


 いの一番に母が心配そうな顔を浮かべながら俺の身体を隅々まで見渡していく。

 ダークブロンドの髪を揺らしながら見渡す目は今にも泣き出しそうだ。


「もし忘れ物したら言うようにね! お弁当でも毎日持っていくから!」

「向こうには食堂もあるし毎日はさすがに……でも、ありがと」


 まさに今生の別れと言わんばかりの勢いで俺に迫ってくるが、あながち間違いでもないかもしれない。

 俺は今日、この家を出ていくのだ。



 季節は秋。気温はまだ夏のように暑いが暦上は間違いなく秋。

 明日を入学式に控えた今日は前入りの日。新入生は一人の例外もなく寮へと入り、集団生活の仲間入りをする。

 いくら親といえど全寮制の学校には中々入る事が許されない。再び顔を合わせる日は行事または長休みのタイミングとなるだろう。


 10にも満たない年齢からの集団生活。

 それは魔王時代の慣習がまだ色濃く残っていて、子どもたちを安全な場所へ避難させるとともに騎士になるための教育や奉公をしてマナーなどを学ぶ場である。

 この話を耳にした時はまるで中世ヨーロッパの小姓(ペイジ)のようだと思ったほどだ。こんな言葉、受験勉強以外で出るとは思いもしなかった。


「お友達にイジメられたら言うのよ!? 飛んでいって叱ってあげるから!」

「奥様、その辺で。 あまり遅れると向こうの方も困ってしまいます」

「ヴィジー……。 あとちょっと!もうちょっとだけ! ねっ!!」


 俺の両肩を掴んで別れを惜しむ母だが、メイド長に窘められてなお掴む力は強いまま。

 メイド長が数歩後ろに下がると、ふと俺の身体が引っ張られて柔らかな感触が身体全体を包んでいく。


「…………向こうに言っても頑張るのよ」

「……うん。ありがとう。お母さん」


 暖かく、柔らかな感触。それは母からの包容だった。

 小さな俺の身体を全て包み込んでしまう母の愛。

 しばらくの後に自然と両者の距離が自然と離れ、互いにはにかんで笑ってみせると視線は俺の隣へと向かっていく。


「シエルちゃんも、もちろん応援しているわよ。学校でもしっかりね」

「奥様……。私――――!」

「何も言わなくていいの。 ほら、いらっしゃい」


 その表情は不安か、悲しみか。

 シエルが眉間にシワを寄せて何かを言わんとしたところで、母は言葉を遮るように首を横に振りつつ手を大きく広げてみせる。

 迷うように逡巡する様子を見せたシエルだったが、次第に母の母性に吸い寄せられるように少しづつ近づいていき、ポスンと胸の内に収まって優しい温もりに包まれる。


「……最後まで『ママ』って言ってくれなかったわね。シエルちゃんも私の大事な娘なんだから。今度会う時はもっと甘えてね」

「はい……。ありがとう……。マ……マ……」

「えぇ、それでいいの。スタンちゃんと仲良くね」


 あの日。俺と一緒に買い物をした日に家族になってからしばらく。

 ついぞシエルは母と『ママ』と呼ぶことはなかった。しかし最後の最後で戸惑いながらだが確かに告げられるその呼び名。

 きっとシエルにとってもその言葉には大切な思いがあるのだろう。けれど戸惑いつつも言ってくれた言葉に母もより一層抱きしめる力を強くさせていく。


「それじゃあ、二人とも……いってらっしゃい」

「はい……!いってきます!」

「いってきます。お母さん。それと……お父さん」


 抱擁を解かれたシエルはそのまま背を押され、俺とともに馬車へ乗り込んでいく。

 窓から見えるは屋敷に住まうみんなの姿。そして俺がその名を呼ぶと、今まで黙っていた父がこちらに近づいてきた。


「……スタン」

「お父さん……」

「あの事故以来、お前は変わった。前までは入学させるのも怖かったが、今では安心して送り出せる事ができる」

「…………」


 事故になる前。以前の"スタン"。

 それはよっぽど周りに心配される人物だったらしい。そして今では俺が成り代わって……。

 これからも俺がこの体を使っていいのだろうか。父母に自らの正体を明かす事ができず、今回も何も答えることができない俺に父は言葉を続けていく。


「私から言うことは特にない。だが、それでもあえて言うのなら……」


 彼はそこで一呼吸置いて、キッと俺の瞳を真剣な目で見つめてきた。

 そしてゆっくりと開かれるその口。俺は彼の姿を生唾を呑んで待つ。


「あまり女の子を口説きすぎて刺されるな―――――あいったぁ!!!」

「お父さん!?」


 バァンッ!!

 と、かつてないほどの快音が庭に響き渡った。

 突然のことに目を丸くするメイドたち。音の発生源である父は突然背中を丸めながらその場にしゃがみ込む。


「まったく……」


 呆れるような母の声が騒然とする場に響く。

 その音の原因は母による全力の一振りだと理解するにはさほど時間を要さなかった。

 振り抜かれた母の腕。どうやら全力の力をもって背中を叩いたみたいだ。


「なにこの真面目な空気でそんなこと言ってるの!空気読めないにも程があるでしょう!!」

「いや……なんというかだな。あまりに張り詰めた空気だったから少しだけでも和ませようと……」

「少し!?アレが少し!?あなたはもう少しその場の行動というものを学ぶべきです!そもそも私達が結婚する時のお父さんへの挨拶だって――――」


 しんみりとしかけていた空気が一瞬のうちにコメディと化してしまった。

 さっきまで感動の別れのような空気だったのに、突如として始まる夫婦喧嘩。

 もはやみんなの視線は俺たちではなく父と母に向けられている。


「なに……これ……」

「はぁ……。まったく、お二人はいくつになっても変わることはありませんね」


 きっとそんな姿に呆れたのだろう。近くにいたメイド長はこれみよがしに大きなため息をつきながら2人に変わって馬車に近づいてきた。


「最後の最後で申し訳ございません坊ちゃま。お二人は昔からずっとこうで……」

「いえ……それよりも大丈夫なんですか?後ろ」

「問題ございません。奥様がスッキリすれば次第に収まるでしょう」


 俺達が会話している最中にも母によって袋叩きに遭っている父の姿が。

 止めようにも馬車の中だし、メイド長なんて一瞥すらしていない。


「奥様がいるといつまで経っても名残惜しむでしょうし、この隙に行ってらっしゃいませ」

「えっ……いいんですか?」

「はい。旦那さまと奥様には後で言い聞かせておきますから。坊ちゃま、がんばってくださいね。シエルさん、あなたも。勉強はもちろんこと坊ちゃまをしっかり支えるのですよ」

「「はい!」」


 最後の最後で場を締めてくれたメイド長。

 彼女が御者に目配せするとゆっくりと動きはじめる馬車。

 それは出発の合図。さっきまで散々言い合っていた両親もようやく気づいたのだろう。慌てて立ち上がって俺達に向き直る。


「スタンちゃん!シエルちゃん!学校でも頑張るのよ~!」

「二人とも……しっかりな!」


 背を向けた遠くから聞こえてくる激励の声。

 その声はたった数ヶ月程度しかいなかった俺としても後ろ髪を引かれてくるものがあった。

 もうしばらくあの優しい両親に会えない。少しだけ目の淵に涙が浮かびかけると、不意に窓に掛けた手に温かななにかが重ねられる。


「……シエル?」


 それはシエルの手だった。

 小さくて温かな手。いつも、そしてこれからも俺を支えてくれる従者の手。


「ご主人さま……私がいます。これからもがんばりましょうね?」

「うん。……ありがとね」


 そうだ。父と母とは離れるが俺は一人ではない。

 大事な家族であるシエルがいるんだと、気づけば目の淵に溜まっていた涙が引っ込んでいた。


 これからは二人で支え合っていかなければならない。

 そう心の兜の帯を締め直すと、ふと言っておかなけれなならないことを思い出す。


「そういえばシエル、学校では『ご主人さま』は禁止だから。ちゃんと『スタン』って呼ぶようにね」

「はいっ!……って、えぇ~~~!?」


 まさか言われると思っていなかったのか、屋敷から届く激励の大声に負けないくらい驚愕の声が馬車の中かに響き渡り思わず耳を塞ぐ。

 当然だろう。主従関係であるとはいえ学校では皆対等。シエルは特別枠のようなものとはいえ、そんな言い方していたら彼女の交友関係にも支障をきたしかねない。


「酷いですご主人さま!私のご主人さまはご主人さまなのに!」

「なんだかご主人さまの意味がわからなくなってきた……」

「グスン……私はこれからなんて呼べば……」


 もはやアイデンティティを奪われてしまったかのように目のふちに溜まった涙を拭い取る。

 今にも撤回したいところだがココだけは譲れない。俺は心を鬼にしてふいっと聞こえないふりをする。


「うぅ……」


 しかしこの世界に来てずっといっしょのシエルが悲しんでいる姿は見ていられない。

 俺は思わず。殆ど無意識で。そんな彼女の頭にそっと手を添えた。


「ご主人さま……」

「その……全く話は変わるんだがな………。シエルの制服、凄く似合ってるよ」

「…………!!」


 パァッと。彼女の顔が一気に花開いた気がした。


 腹部にある二列のボタンが特徴的な青を基調とするワンピーススタイル。

 男と同じワイシャツにワンピースのように肩から膝丈までのシンプルな無地の服装。

 スカート部分は布が折り重なったフリフリのスカートが膝程度の長さに収まっている。

 首元にはリボンが付いた全体的に白と青。それがこれから通う学校の女子制服だった。

 新入生のシエルは当然のことながらそんな制服に身を包んでおり、黒い髪と青い服がよく似合う。 

 

 心からの感想。

 話を逸らすようなタイミングだが、俺の言葉を耳にした彼女は目に光が戻っていく。


「はい……はいっ!ご主人さまが喜んでいただけるのなら私はどんな服だって!!」

「―――でも、”ご主人さま”呼びの話は別だからね。馬車から降りたらそれはナシで」

「ぶ~!ご主人さまのイジワル~!」


 それとこれとは話が別。

 涙が収まったことでホッとした俺だったが、その後は針の筵のような視線に苛まされ続けるのであった。

2024.12.11 修正

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― 新着の感想 ―
[一言] 王女様の身体能力はかなり高いのだろうなあ。下手な護衛の要らないほどに。 このうえでどれ程の彼との繋がりを求めているのかなあ。もう逃げられないほどに狙われているとか/w
[一言] 新たなハーレム要員の出現はありませんでしたか。残念。 で、マティちゃんとエクレール王女が同室で、この4人は同じクラスなのかな。 賑やかになりそうですね。 国王決裁というのが恐いですが。
2022/08/14 00:08 退会済み
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