056.夏の最後に
パチパチと赤と黒の光が目の前で鳴っている。
黒い表面に芯が赤く染まった炭が熱をもって火花を散らす。
網の下に敷かれた数々の炭。舞い上がる熱がジュウジュウと網の上に置かれた肉を熱していき、中まで熱が通ったところでヒョイと刺された串ごと拾い上げられる。
「ご主人さま、こちらお焼けになりましたよ」
「ありがとうシエル。シエルも焼いてばっかりじゃなくって食べてね」
「お心遣いありがとうございます。ですが私はこうやってご主人さまに焼いたものを食べていただくのが何よりも至福なのです」
そう言って水色ワンピースの水着にパーカーを羽織った彼女は楽しそうに肉を回しはじめる。
それはまさしく従者の鏡。俺としては彼女も食べるに徹してほしいがそこまで楽しそうにされると何も言えず、パクリと渡された肉をひと齧りする。
「……おいしい」
不意に言葉が漏れ出た。
我が家であるカミング家はある程度の貴族。食べ物はもちろん美味しい。しかし口にしたそれは普段食べているものより一線を画すものだった。
噛むほどに溢れ出る肉汁しかもむつこくなくいくらでも食べられる。いくらでも食べられそうな肉串に気づけば手元は空っぽになってしまっていた。
「ふふっ、喜んでいただけたようで何よりです」
「エクレール……。うん、凄く美味しいよ」
ピョンっと俺の隣に近づいてきたのはエクレールだった。
今回の海の企画者であり王女様。その身はシエル同様水着とパーカーで身を包んでおり、金色の髪と合う純白のフリフリとしたスカート付きワンピース型水着が太陽に照らされてよく映えている。
「それでこそ拉致――企画したかいがあるというものです。お肉もこちらで用意した最高級品、私も半年に一度くらいしか食べられないものですよ」
「――――」
まさに言葉が出なかった。
王女様でさえ中々食べることの出来ない高級品。それを口にするだなんて。
「もっと味わえばよかった……」
夢中になって一瞬で食べきったことを今更ながらに後悔する。
せっかくならもっと味わって食べればと既に無くなってしまった串を呆然と見つめていると、ふと視界の端からもう一本の肉串が目の前に現れる。
「そう言うと思って焼いておきました!スタン様、どうぞお食べください」
「そんな貴重なもの……いいの?」
「はいっ!むしろどんどん食べてください。お父様が日頃のお礼にと沢山用意してくださいましたので!」
「お父様……それって……」
彼女……エクレールはこの国の王女様だ。
彼女の言う父親とはつまり……
「エクレール様とスタン様が懇意にしていることは我らが王の耳にも入っております。ご多忙で挨拶することが叶わなく、その代わりにとこれらを用意してくださったのです。『普段遊んでもらっているお礼だから遠慮せず食べるように』と言伝を預かっております」
ポツリと背後からレイコさんの耳打ちが聞こえてきた。
まさか王様の耳に入っているだけじゃなくこうしてお肉の用意をしているとは。最高級だけでも驚きなのに経緯を知って、エクレールに渡された新たな肉がやけに重く感じる。
「……おっと、話している間にもう一本焼けたみたいですね。それではスタン様、お口をお開けください」
「えっ……」
「ほら、あ~ん…………」
新たな串を手にした彼女がいつも以上にニコニコの表情でこちらに迫ってきた。
手には焼けたばかりのアツアツのお肉。串の先端が軽く焦げ湯気立つそれを無邪気にこちらへ差し出してくる。
「えっと、エクレール、俺はこのお肉があるから……」
「いえ、せっかくなので私が食べさせてあげます!」
後ずさる俺を追うその目は決意に燃えていた。
ジリジリと迫ってくるエクレール。次第に後ずさりしすぎて海に突入するのではないかと思い始めたその時、ふと背中になにか柔らかい壁のようなものにぶつかった。
「……レイコさん」
「どうも。スタン様」
どうやらぶつかったのはレイコさんのようだ。
見上げればこちらを見下ろすいつもの鉄面皮。彼女の腹部にポスンと入り込む。
「継承権第一位の王女様に料理を作っていただいて、あまつさえ食べさせてくれるなんて……この国広しといえどもスタン様唯一でしょうね。もちろん断るなんてことは……」
「……そもそもガッチリ捕まえて、断らせる気さえないですよね?」
「もちろんでございます。安心してください。かつて日本にはおでんを押し付けるという拷問がありましたから」
「それ芸人のやつ!!」
もはや拷問となってしまって何も安心できる材料が存在しなかった。
彼女はこれ幸いにと俺の肩から手を回すようにしっかりと抱きしめる。
それは決して逃さないというように。こうしている間にも眼の前には笑顔のエクレールと熱々の肉が近づいてくる。
「はいっ、あ~んっ!」
「っ――――!あ~……んっ!」
パクリと。
前門に後門両方から迫られどうしようも無くなった俺はパクリと差し出された肉を一つ口に放り込む。
口の中いっぱいに広がるは美味をも超える肉とジューシーな肉汁。
「どうですかっ!?」
「うん。ありがとうエクレール。美味しいよ」
そして燃え盛るような熱さ。
それらを全て受け入れると彼女はパァッと笑顔が咲き誇る。
「良かったです!それでは次のお肉を取ってきますね!シエルさーんっ!」
「えっ!?ちょっ……!」
俺が呼び止めようとするも時既に遅し。エクレールは次なる肉を求めてシエルの下へと向かっていってしまう。
またやけど覚悟で一口だろうな……そんなことを思いつつ後ろ姿を眺めながら丁度いい温度になった肉串を口にいれる。
「良かったじゃありませんか。エクレールさまのあんな笑顔、中々見れたものではありませんよ」
「エクレールが喜んでくれるのは嬉しいですが……。そろそろ退いてくれません?」
「嫌です。スタン様も身体だけは年頃の女性に抱きしめられて嬉しいでしょう?私も重いものを乗せられて楽なんですよね」
「…………」
後ろから俺を抱きしめるレイコさん。俺の頭はすっぽりと彼女の腹部に収まって頭の上に乗せられる柔らかな2つの物体。
それはまさしく幸せの体現だった。しかしシエルとエクレールの手前そっちに気を取られるわけにもいかずない。
なんとか主人の威厳を保つべく離れてもらうよう提案したはいいが一蹴。頑として離そうとしない彼女に『はい』とも『いいえ』とも言えず、沈黙で返事をする。
そうしている間に肉を補充してきた彼女は両手に串を持ちながら駆け寄ってくる。
「スタン様!次のお肉を持ってきました!さぁ、口をお開けください!」
「ちょっとまってエクレール!ボクが……ボクがエクレールに食べさせてあげたいから!」
「!!いいのですか!?」
どうやら土壇場で出たその方向での作戦は有効のようだ。
より一層目を輝かせた彼女はこちらに串を手渡して、まるで餌を求む雛鳥のように口を開ける。
なんとか俺があ~んされる羞恥心マックスプレイは回避できたみたいだ。
エクレールに食べさせる最中、頭上から『ヘタレ』との声が聞こえてきながら、俺達はこの夏最後の海を堪能するのであった。
2024.12.10 修正