055.あたたかなご褒美
駆ける――――。
少女が二人駆けていく。
暑い夏の空の下、二人とも裸足で熱を帯びた砂を蹴る。
砂は思った以上に柔らかくて踏み込むことが出来ず、二人は思ったような速度が出ない中、それでも手を繋いで眼前に広がる景色を捉える。
「シエル様、いきますよ!」
「えっ、いくって何のことです!?」
「それはもちろん、様式美です!ここに来たらまず言うことがありますよね!?」
「えっ!?えっ!?」
金の髪を揺らす少女は黒髪をたなびかせているシエルに告げるものの、その意図は残念ながら伝わっていない様子。
混乱するように何度も問い返しながら目線を揺らし続けていたシエルだったが、再三の『アレです!』の言葉に『あっ』と一つ思い立ったかのように声を上げる。
「もしかして、アレのことですか!?」
「そうですアレです! いきますよ―――――」
「「海だ~~~~!!!」」
――――それは、様式美の掛け声だった。
金髪の少女、エクレールの掛け声とともに地面を更に強く蹴り上げその場で大きくジャンプした二人は、まさしく待ちに待った楽しみを発散させるように思い切り叫んだ。
――――海。そう、海。
マティの宿題を退治して数日。俺とシエルは突然やってきたエクレールに突然拉致られ海へとやってきていた。
そこは王家の管理する避暑地の一つ。俺達以外誰も居ないまさしくプライベートビーチに、入学を2日後に控えながら訪れていた。
非力ながらも必死にパラソルを組み立てている俺の横を通り過ぎて砂浜を駆けていく水着姿のエクレールとシエル。
二人は勢いよくジャンプして燦々と照りつける太陽にほんの少しだけ近づき、重力に従って落ちるとともにバシャン!と波打ち際の水を思い切り跳ねつける。
「ひゃぁっ!冷たい!しょっぱい!」
「エクレール様!大丈夫ですか!?」
「ふふっ……えいっ!」
「きゃっ!!」
自ら跳ねつけた水が顔に当たりしゃがみ込むエクレールだったが、きっとそれはトラップだったのだろう。シエルも同様にしゃがみ込むと同時に、エクレールが両手いっぱいになった水を掛けはじめる。
「うふふ、ごめんなさいシエル様、ちょっとした冗談です!」
「むぅ……!やりましたねエクレール様!えいっ!」
「ひゃぁっ!!」
エクレールから再びの悲鳴。今度はワザとではなく本気のようだ。
マティから思い切り水を掛けられ一身で喰らわざるをえなくなった彼女は悲鳴とともにポタポタと水を滴らせる。
「でしたらこちらも……反撃です!」
「予測してました!こっちです!」
「えっ……ウソッ!キャッ!」
一進一退。若干シエルの優勢。
そんな二人の攻防を少し離れた位置で見学しながらパラソルを立て終えた俺は、一人影の下でビーチマットに倒れ込む。
「やっぱり若者は元気だなぁ……」
シミジミと。二人の少女のはしゃぐ姿を目の当たりにして一人呟く。
こんなことならマティもいたら楽しかったと思うけれど、仕立てた制服の最終チェックがあるらしく泣く泣く不参加となった。
そうして子供3人での海。この夏最後の思い出だ
「――――スタン様も十分若者ではありませんか」
だんだんと海の奥へ進んでいく二人を見守っていると、不意にそんな声が頭上から降り注いだ。
麦わら帽子を外して顔を上げれば今回の保護者枠であるエクレール従者、レイコさんが俺を見下ろしている。
「ボクはほら、中身がアレですしあの二人に比べたら全然」
「そちらを踏まえても高校生。まだまだお若いです。それとも私への当てつけでしょうか?」
「いえっ、そんなことは……。そもそもレイコさんは"不老"じゃないですか」
「それでも精神的には成長……達観していくものですよ。30年この世界にいる私から見たらスタン様も眩しい存在に変わりありません」
「……すみませんでした」
『よろしい』と隣に腰を下ろすレイコさん。
影の下で体育座りをする二人。遠くではしゃぐ声を聞きながら二人の間を静かな空気が通り過ぎる。
「あの……」
「なんでしょう?」
「ボクの"祝福"についてラシェルにも調べてもらいました。結果は『何かしらは備わってるけど具体的には何もわからない』っていわれまして……」
「ラシェル……ラシェル王女ですか。そういえば彼女の"祝福"は人の"祝福"を見ることでしたね」
「はい……」
どうやらレイコさんもラシェルの祝福については承知しているようだ。王族関係者では特別なネットワークがあるのかも知れない。
「ラシェル王女と言えば漂流者について、なにか情報はつかめましたか?」
「あ、はい。漂流者についても聞いたところ記憶を失った村人でして、記憶が戻ってからは無事元の場所に戻られたそうです」
「……………そうでしたか。探っていただきありがとうございます」
「いえ……」
暫くの沈黙の後の肯定。
彼女は漂流者についていたく気にしていた。日本に繋がる手がかり。それを掴むためどんな僅かな情報でも探し求めるのがレイコさんだ。
しかし結果は空振り。報告を終えた俺達の間には再び静寂が舞い戻り静かな風が間を通り過ぎる。
「…………」
「…………」
それは非常に気まずい空気。
互いに体育座りで座りながら、遠くの二人の少女を見つめている。
太陽の光が海に反射してキラキラ輝く二人。一方で影の下の俺達は暗い世界。
それは空気でさえも表しているような気がした。気まずい空気。何を喋ったらいいのかもわからない。
「あの……」
「なんでしょうか?」
「その……あまり気に病まないでください。また別の手がかりがあるかも知れないし、ボクもこれからはラシェルにも積極的に掛け合っていきますし!!だから………元気だしてください!!」
気まずい空気。それは俺が報告を上げてからのこと。
日本への手がかりを探しているレイコさんにとって空振りは痛手だったのかも知れない。落ち込んでしまったかもしれない。そんな彼女を励ますよう握りこぶしを固く結びながら励ましていく。
しかし――――
「―――元気?何の話です?」
「えっ…………」
――――しかし。
俺の予想とは裏腹に、レイコさんの頭には疑問符が浮かんでいた。
それは落ち込んでいるのが嘘だったのかのよう。俺は思いもしない状況に同じく疑問が浮いてしまう。
「だってレイコさん……漂流者が空振りで落ち込んでいたんじゃ……?」
「落ち込む?何故そう思われたのです?」
「だってあんなに気まずい空気を醸し出して……」
「気まずい……あぁ、そういうことでしたか」
報告を聞いたあとの気まずい空気。それは落ち込んでいたからだと思っていた。
しかし予想とは裏腹にそうではないと示している。更に彼女は何やら納得したかのように一人頷いた。
「別に落ち込んではいませんよ。空振りなんてこの30年間1度を除いて全てがそうでした。たかが1つ増えたところで何も思うところなんてありませんよ」
「じゃあ、さっきの変な空気の沈黙は……?」
「それは簡単です。私、怒っているのです」
「怒ってる?誰に……」
「もちろんスタン様です」
どうやら落ち込んでいるわけではないと知り一度肩を撫で下ろしたものの、すぐに真意を知り俺の背筋が再び伸びた。
落ち込んでいると思っていたそれはどうやら俺に対する怒りだったようだ。
しかし怒らせる心当たりなんて一切ない。一体どういうことなのかと疑問符が更に増えてしまう。
「ボクなにか怒らせることしましたっけ?」
「それはもちろん、現在進行系で」
「えぇっ!?」
ジッといつもの能面の表情でこちらを見つめる色の違う2つの瞳。
彼女が言うには俺は今もなお彼女を怒らせる何かをしているみたいだ。指示された通りパラソルは立てた、シートも敷いた。忘れ物もないはず。完璧な仕事をしたはずだけれど、それでもなお何かしら間違っているのかと目を丸くする。
「スタン様は日本ではどんな生活をされていたのですか?勉強と家柄以外てんでダメですね。特に女性関係。肉体が小さくなったことに引っ張られて頭まで幼くなりましたか?」
「なんか凄い酷いこと言われてる気がする……」
酷い羅列のオンパレードだ。
ヤレヤレ、と大きくため息を吐きながら肩を上下させるレイコさんは言葉の剛速球のさなか、手をバッと広げて見せつける。
「いいですかスタン様、女性が新たな装いになった時は言及をする。これからエクレール様が大人になる前に知っておくべき初歩の初歩ですよ」
「――――」
それは、彼女から俺に対する課題だった。
バッと手を広げて見せるのは自ら着用している衣類。
衣類にしては随分と布面積の狭いものだ。局部を隠す黒い上下の布地。それはあくまで最低限である、いわゆる黒ビキニ。
白い肌に白い髪。それに相反する黒という色が更に映えて夏の照らす光に彼女の身体がより一層輝いて見える。
「それで如何でしょう。なにかご感想はございますか?」
「えっと……。とても似合っていると思います。大人っぽくてスタイルの良さが凄く際立っていて……」
「……まだ改善点はありますが、及第点ですね。合格です」
「ほっ……」
何が合格かはわからないが、どうやら許されたみたいだ。
怒りも収まってくれたようで胸を撫で下ろしたのもつかの間。突然俺は腕を引っ張られて眼の前の視界が大きく揺れる。
「えっ――――」
ぽふん。
そんな音とともに俺の身体はなにかにぶつかった。
決して硬くて痛いものではない。柔らかくて暖かい、包容力の感じるなにか。それが何かを知る前にすず頭上から声が降り注ぐ。
「そんな頑張ったスタン様へご褒美です。漂流者関連でも頑張っていただきましたし、少しくらいなら"触って"も問題ありませんよ?」
「えっ……!?なっ……!?」
「あら、もしかして"私の"では満足いただけませんか?普段はサラシを巻いており、少しだけ自信はあったのですが……」
頭上からはレイコさんの声。
身体を包み込むやらわかな感触。レイコさんに抱きしめられていると認識するまではさほどかからなかった。
"私の"や"触る"という言葉。具体的には示されてはいないものの、それが俺の顔を包み込むスイカのように大きくてマシュマロのように柔らかいソレだという事はすぐに理解した。
「おかしいですね。スタン様のような年頃の子はこれが一番いいと書物に記されていたのですが……」
「レイコさん!?何を……!?」
「スタン様はもしかして……"小さい"ほうがお好きですか?」
「それは……えっと……」
明らかに特定のそれを指し示す会話に俺の視線は四方八方へ揺れ動く。
普段の彼女はパンツのスーツ姿。それ以外を着用しているところなど見たことがなかった。だからこそ今日のビキニ姿で理解した。彼女は相当着痩せするのだと。彼女自身がサラシを巻くと言っていた通り、普段身を纏っていた黒いスーツ。それを紐解けば一気に曝される、顔ほどもある大きな2つのそれがギュウギュウと押しつけられていく。
「……なるほど」
恥ずかしさやらなにやらで色々応えることが出来ない。そんな俺の様子を理解したのか彼女は、しどろもどろの俺にフッと口角を上げ耳に近づける。
「やっぱり大好きなんじゃないですか。……スタン様のえっち」
「っ―――――!!」
ボッと。
一気に火が吹いたかのように熱くなる俺の顔。
神山なんてまさに型なし。年上女性にいいようにされた俺は、海辺で遊ぶ二人が戻ってくるまでフリーズし続けるのであった。
2024.12.09 修正