036.売り言葉に買い言葉
広い広い平原を一台の馬車が駆け抜ける。
ガタンゴトンと車輪が回り徒歩より遥かに速いペースで景色が後方へと過ぎ去っていく。
窓の外から見えるのは広大な平原は、以前旅行した十勝平野を車で走ったことを思い起こさせる。
建物なんて一切見えない。馬車ではなく馬に乗って駆ければさぞかし気持ちよさそうだろう。
ゴチャゴチャとした城下町とは打って変わった景色の平原。そこを一直線に突っ切るよう敷かれた街道を、馬車は粛々と進んでいく。
一列になって進む大名行列のような馬車の数々。俺はそこで行われるというパーティーに参加するため、眼の前のエクレールとともに隣国へ向かっていた。
ガルフィオン王国の隣に位置するアスカリッド王国。
馬車の速度……おおよそ自転車と同じ速度で4時間程度という驚異の超隣国。日本で例えれば東京駅から八王子というとんでもない近場だ。
母が行っていたという自国の領地と比べても群を抜く近さ。王都同士日帰り可能な距離はもはや2つにわけられる意味があるのかというほど。
それもこれも全ては国境に位置した大きな川が由来しているという。水辺があれば近くに街は栄える。歴史を勉強すればよくある話だ。
その近辺に興った両国だが、元は一つの国だったらしい。それが魔王討伐を機に方針の違いから2つの国に分かれ、以来日帰りで行ける隣国として盛んに交流しているとか。
と、ここまでは家の書物で見た俺でも知っているごくごく常識的なお話。
エクレールの補足によると魔王軍に対する融和か対立かが分断のきっかけになったらしい。
我が国が対立、アスカリッド王国が融和。そんな国に俺は今から向かうのだ。それも、目の前の王女様の婚約者として――――
「スタン様、本日は付き合ってくださりありがとうございます」
向かいに座るエクレールが頭を下げる。
美しい髪をたなびかせた少女、エクレール。その年は俺と同じくまだ小学に入るかどうか相当のはずなのに、既に成人一歩手前のような所作と落ち着きを携えていた。
そんな完全外行きの彼女に応えるよう、俺も背筋を伸ばして小さな会釈を交わす。
「いえ、王女殿下のお役に立てるのであれば――――」
「それと、シエル様とお楽しみ中に申し訳ございません」
「――――ちょっと待って?」
彼女が王女らしく外面を重視するならこちらもそれ相応の態度で――――。
そう思っていた俺だったが、すぐさま看過できない言葉が飛び出て相応の態度どころじゃなくなってしまった。
お楽しみ中なんて言われたらまた別の意味になってしまう。
思わず彼女を静止させるも、俺のツッコミを理解していないのかエクレールはきょとんとした顔でこちらを見つめている。
「どうされましたかスタン様。そんな物申したさそうな顔をして」
「物申すと言うかなんというか……エクレール、さっきの"お楽しみ"云々ってのは?」
「へっ?今朝スタン様のお屋敷を尋ねる際、道中レイコより『友人と個人間で挨拶する時の決まり文句』だと伺ったのですが」
「……………」
ギロリとエクレールの隣に座るレイコさんを睨みつけるもどこ吹く風のすまし顔。
一方でエクレールはキラキラと目を輝かせている。"お楽しみ中"を言葉通りの意味だと受け取っているようだ。
そこから察するに比喩表現は日本独自のものか、もしくは大人びているエクレールでもそっち方面は純粋だということだろう。
「朝の出で立ちから考えると早速従者になってらっしゃったのですよね!?どうでしたか"お楽しみ"は!?」
「……レイコさん?」
「心配せずとももう片方は教えておりませんよ。昼まで二人で寝てるのを見てどれだけ『きのうはおたのしみでしたね!』と言いたかったことか」
「レイコさん!?」
酷い確信犯だ。
そんなこと起き抜けに言われたら末代までの恥である。
「レイコ、結局お楽しみってどういう意味ですか?」
「……えぇ、今のところそれを言うのはスタン様のみにしておきましょうか。意味についてはお城に帰り次第お教えしますよ」
「なんだか不穏な雰囲気も感じられますが……。絶対お教えくださいね!」
「えぇ、もちろん。……スタン様がよろしいのであれば今にでもお教えしますが……」
「~~~~~!!」
ニヤリとした表情でこちらを向くレイコさんにブンブンと首を大きく振るう。
日本独自の比喩か純粋かで迷ったが、どうやらエクレールは純粋みたいだ。少なくとも今意味を知ってぎこちさるのは避けたい。
けれどこの選択は時間稼ぎ。きっと帰ったらとんでもないことになるだろう。次に会う時きちんと顔を合わせられるといいのだが。
「と、ところでエクレール!ちょっといいかな?」
「はい、なんでしょう?」
これ以上この話題を話していたらどこで地雷が爆発するかわからない。
俺は無理矢理軌道修正して真面目な話へと戻ろうとする。
「そろそろパーティーとか向こうの国について詳しく知りたいんだけど、いいかな?」
「あぁ、配慮が足らず申し訳ございません。スタン様は何も知らないまま来てくださったのですものね」
軌道修正して切り出すのは今日のこと。
概要だけは聞いていたが、それでも隣国の知識についてはかなりの穴がある。できることなら向こうに着くまでに聞いておきたい。
「まず、重ねまして本日は私のワガママに付き合ってくださりありがとうございます。今回のパーティーですが、元はあちらの国の王女……ラシェル王女とのやり取りがきっかけだったのです」
ラシェル王女。それが向こうの王女様の名か。
確かその人からエクレールにご指名が舞い込んで来たはずだ。
「私とあの子は年が近いこともあって、昔から頻繁に連絡を取り合ってきました。 詳しい経緯は省きますが、その中で一つ言い争いになったのです」
「言い争い……それは……」
「はい。それは…………」
ゴクリと息を飲む。
2人の王女の言い争い。全く穏やかでない話だった。
王女ともなるといずれ国を背負っていく立場。そんな二人の言い争いともなれば両国の信用はもとより争いに発展する可能性だってあるだろう。
国を巻き込みかねない一大事。一体エクレールはどんな争いを――――
「――――だって、あの子が『ま、エクレールは一生結婚どころか婚約者もできそうにないわね』って言われちゃ黙っているわけないじゃないですか!!」
「…………ん?」
――――ピンと張り詰めた空気が一瞬にして塵になった気がした。
ギュッと握り拳をして眉を吊り上げこちらに訴える様はまさに真剣。しかし俺にとってはどうもその言葉が空気を壊すに値する台詞に聞こえてしまった。
「そりゃあ、私だってちょっとだけお茶目なところがあるって自覚してますよ。ですが!ですが『一生結婚できない』は許せません!!向こうだっていないくせに!!!」
うがー!と吠えるように車内で絶叫する様はまさに猛獣。
移動の揺れどころかこっちでの揺れのほうが酷い始末だ。
レイコさんもそんな彼女を見て大きくため息をつきはじめる。
「えと……それで……エクレールはどうしたの?」
「はい!私だって言ってやりました!!『私にはとっくに婚約者が見つかりましたが、ナタリー王女はいらっしゃらないのですか?』って!!」
「…………わ~お」
もはや泥沼。完全にダメダメな方向に突き進んでいることを一瞬にして理解した。
火に油。引くに引けない状況に自ら突っ込んでいっている。
そこで思い出す。エクレールは今でこそ反省したものの、かつてはひとり魔道具を使って城から抜け出す常習犯だ。好奇心か冒険心か無謀さか。どこかが突き抜けているのだろう。
そしてなんとなく察しもつく。その後の展開が。
「きっと、あの子もわざと期限を短くして準備をおろそかにさせ、私の言うことが嘘だと証明したかったのでしょうね。だから昨晩急にパーティーのお知らせが」
「何ていうか……まぁ……」
もうどこから突っ込めば良いのやら。つまるところ売り言葉に買い言葉の結果らしい。
隣のレイコさんも頭を抱えてていて大変そうだ。
「ちなみにエクレール、本当に婚約者っていないの?」
「悔しいですが……はいいたとしたらスタン様でなくその方に頼んでおりますので」
「婚約者候補は?」
「それもスタン様くらいしか……」
それはそうだ。それくらいわざわざ俺のもとに来た時点で察するものだろう。
しかしいつの間にか俺は婚約者候補になっていたらしい。いつからか問い詰めたくなるがなんとか飲み込む。
「じゃあ、友達とかは? エクレールって顔広そうだし」
「? 目の前にいるじゃないですか」
「他は?」
「もちろんいらっしゃいますよ!マティナール様とシエル様が!!」
やはりエクレールは交友関係が非常に狭いらしい。
出てきた名前は俺の知る面々程度。
普段からパーティーしてるのだから顔が広いと思ったのだが違うみたいだ。
「スタン様、一応王女の名誉の為に補足しますとエクレール様は知り合い”は”多いのです。けれどまだ学校にも行けない年齢とこの性格もあって、素を出せる御学友となると……」
「だからボクにですか……」
レイコさんの補足説明のお陰でようやく友達が少ない理由も納得できた。
そういえば屋敷に謝罪しに来た際、彼女は絵に書いた王女様のような立派な様相だった。今はお転婆を通り越したなにかだが、あの表面だけを見ればそうもなっても仕方ないかも知れない。
”は”って強調してるのが実に感情が籠もっている。エクレールが睨むもお構いなしだ。
「コホン……。ですが、スタン様は何も心配することはございません!やり取りも、私が横に立ってすべて行いますので会釈さえしてもらえれば!」
「そうだといいけれど…………」
とりあえず起こった経緯については理解できた。心配することはなにもないことも。
しかし一抹の不安も残る。エクレールと言い争いすらする相手だ。ヒートアップして俺まで巻き込まれたらどうしようとか、今婚約者として認知されたら今後はとか……。
「そういえば、ボクを紹介しちゃってこの先は大丈夫なの?いざホントに婚約者ができた時、ボクとの婚約破棄とかややこしさとか」
「そのことでしたら問題ございません。今のところ筆頭婚約者という位置づけでして、大人になると相手が変わるのはよくあることですから」
「そういうものなんだね」
どうやらこの世界の婚約関係は日本とも違うらしい。
しかし理解もできる。まだ一桁程度の年齢の俺たち。今婚約したところで将来結婚するときまでお互いに気持ちが変わらない保証なんてどこにもない故だろう。
それでも婚約者を欲するのは……箔的ななにかだろう。俺も神山の時に顔も名前も知らない婚約者をあてがわれたから理解はできる。
だから幼い時の婚約破棄はままあることということ。だったら今後の心配もなくて荷が降りた。
「――――おふたりとも、見えましたよ。あの橋の向こうがアスカリッド王国です」
「……!!」
ふと掛けられるレイコさんの声に従って窓から向こうを見ると、大きな橋の向こうにあるお城という光景が広がっていた。
エクレールが住まう城はプラハ城のようだったが、こちらはウィンザー城のよう。天に突き刺すような屋根はないが、中庭を囲むように配置した低い建物はまるで砦のように広がっている。それはまさに要塞のようだと幼いながらにそう思った。
「魔王がいた時代、こちら側から攻めてくると考えた人々はここを最後の砦としていたようです。結局砦として活躍する間もなく魔王が討たれてしまいましたが、結果川を挟んだ一帯が独立して今の形になった歴史があります」
「おぉ……」
レイコさんの説明により感嘆の声を上げる。
なるほどだからこの形に。お城の作りにもそれぞれ歴史や理由があるというのがまた面白い。
「本日はお願いしますね。胸を張って、堂々と」
「うん。エクレールこそ、暴れないでね」
「っ……!が、頑張ります……」
一瞬驚いたように身体を揺らす彼女に不安を抱きながらも黙って前を向く。
なにやら一抹の不安さえも感じる今回のパーティ。俺たちは夕日から遠ざかるよう、お城に向かって馬車を突き進めていくのであった。
2024.11.20 修正