034.突き刺さる視線
「はいっ、口をお開けくださいっ!」
――――それは唐突だった。
シエルの誕生日。無事着替えも終わった朝食時のこと。
食事ばかりは従者設定関係なく両親と俺、そしてシエルと4人で食卓を囲んでいる時に"それ"は起こった。
何の前触れもない突然のこと。明らかにこちらに言われている言葉にギギギッ……と壊れたブリキのような仕草で左隣へと目を向ける。
「ご主人さま、あ~んっ!」
「ほう……」
「あらあら……」
二人は一体どんな心持ちでそれを見ているのだろう。
テーブルの向かいに座る二人の発する声は感嘆、驚愕、感心が混ぜられた声色。
真意のほどはわからないが、ただひとつわかることは2人の視線がまっすぐ俺たちに向けられていることだ。
「ご主人さま、まずはサラダです! はい、どうぞ!」
「…………はい?」
まだ朝も早い朝食。
出来上がった4人分の朝食をテーブルに並べてそれぞれ一日の始まりを堪能していると、隣に座るシエルは突然そんな事を言いだした。
普段と違う装いのシエル。俺のシャツとパンツを身にまとった彼女は満面の笑みでこちらにサラダ付きフォークを差し出している。
「シエル……?その手は……?」
「もちろんっ!ご主人さまにお食べいただく分です!」
困惑する俺にシエルは自信満々。
いつもはそれぞれ目の前に並べられた食事を食べるだけ。時折楽しい会話が交じるもこうして差し出されることなんて無い。
だからこそ問いかけたのだがさも当たり前かのような答えに俺は首を傾げざるをえない。
「……なんで?」
「それはもちろん、ご主人さまだからですよ!」
「確かにそうだけど、今日はシエルが俺のご主人さまだよね?」
俺がご主人さまというのは間違いない。
でも今日に限っては彼女が俺のご主人さまだ。ややこしいがそういう話になっている。
……だからといって食事を差し出すことは今までにもなかったけれど。
「はい。ですけど私は"ご主人さまのもの"……なんですよね?」
そう言って彼女は首元を撫でる。
そこにつけられていたのは先程あげた黒色のチョーカー。
「それって……チョーカーつけた時言ってたやつ?」
「はい!今日は私がご主人さまですが、私は"ご主人さまのもの"なので、こうして差し出してるのです!」
「―――――?」
ダメだ。混乱してきた。
ご主人さまとはなんぞや。ご主人さまの”もの”とはなんぞや。もうそこまで行くと言葉遊びになってくる。
ふりかえっても訳の分からない理論になっているが、一つわかることはシエルのテンションがかなり高いことだろう。
さっきチョーカーをあげてから随分と声色が高い。
さて、どうしよう。
受け入れるのは簡単だが向かいから両親の視線が突き刺さってるのが大きな障害だ。
さっきから「あらあらまぁまぁ」と二人して期待の目で見つめられているのが余計にやりにくい。
「ボクは1人で食べられるからシエルも――――」
「スタンちゃ~ん。食べてあげないとシエルちゃんが悲しんじゃうわよぉ?」
「――――わかってるよ……」
断ろうと思ったところで母からのヤジ……もとい指令に了承せざるを得なくなってしまった。
完全に四面楚歌。ここに俺の味方はいないようだ。俺は心の内で一つ嘆息し、姿勢を正してシエルと向かい合う。
「……シエル、もうちょっと手を上に」
「こうでしょうか?」
「そう―――――んっ!」
パクリと。
腕を口の高さまで上げてもらい、一瞬のうちに口を差し出されたフォークへ。
後ろから聞こえる母の完成を気にしないようにしながらゆっくりと口を動かす。
普段と同じサラダだ。いつもの野菜。いつものドレッシング。
数分前も俺の分の同じものを口にしたはずなのに、今口にしたそれは眼の前のものよりもずっと美味しく感じた。
「うん、美味しいよ」
「ご主人さま……ありがとうございます」
嬉しそうにお礼を告げる彼女にむず痒くなってしまう。
お礼をいうのは食べさせてもらったこちらだというのに。
しかし恥ずかしかった食べさせてもらうのもこれで終わり。シエルも満足したことだろう。
俺は正面に座り直して自分の分の食事を――――
「それでは二口目は何を食べたいです?」
「まだやるの!?」
しかしそうは問屋がおろさなかった。
最初の一口でシエルも満足したかと思えば。『二口目』という単語とともに次を促してくる。
「い、いやシエル……そんなに自分のご飯出したら自分の分無くなるから……ね?」
「その時はご主人さまが差し出してくれるので大丈夫です!」
「えっ……」
「今日は私がご主人さまなんですよね?」
それを都合よく引っ張り出してくるとは……すっかり忘れていることを期待していたがやはり覚えていたみたいだ。
しかし自ら従者になると言い出したのも事実。味方なんて1人としていない今、執事の俺に望まれたら断る術なんて――――
「――――あら、スタン様もシエル様も、朝から随分と仲がよろしいのですね!」
「!! その声は……!!」
このまま朝食のすべてをあーんで食してしまうのかと思ったその時。
突如、扉のほうから聞こえてくる一人の声が、二口目を選びあぐねている俺たちに降り注いだ。
以前もあった突然の来訪。そしてその時と同じ理知的で活発な声。こうも続くと俺も驚くことはなくその方向へ顔を向ける。今回は助かったと安堵感さえも携えながら。
「エクレール!」
「おはようございますみなさま。朝早く、お食事中に申し訳ございません」
ペコリと会釈をするエクレールに今日ばかりはとてつもない安堵感を覚えた。
隣にはいつものレイコさん。こんな時間になんで……そう思ったが今回はばかりは全てを赦せる気分。
このままだと朝食の全てをあ~んでこなすという、過去最大の羞恥心で死んでしまうところだった。
「いえいえ、助かったよ」
「……助かった?」
「ゴホン!……なんでもない。今日はどうしたの?」
そのまま助かった件を深堀りされればシエルに悲しい思いをさせてしまうのは明白。無理矢理空気を切り替えて本題へと入っていく。
「はい。今日はスタン様に一つお願いが――――その前に、シエルさまはどうなさったのですか?随分機嫌斜めのようですが」
ふとしたエクレールの言葉に顔を向けると、確かにその顔は不機嫌そうだった。
頬は膨らみ眉は上がった、明らかに不機嫌顔。彼女は俺の視線を感じると、プイッと顔を背けられる。
「むぅ……なんでもありません。せっかくご主人さまと二人きりだったのに……」
「シエル、また後で一緒にご飯食べよう?」
その漏らすような言葉に、神山で培った妹との対処法が脳裏に浮かんでくる。
きっと楽しんでいるところに第三者が乱入してオモチャが取り上げられたとか、そんな拗ね方だろう。
なら次を約束すればいいのだと提案するも、彼女は「むぅ」と言葉を漏らすだけに留まる。
あとシエルは二人きりって言ってたけど、目の前にいた両親は見えてなかったみたいだ。
「……話を進めてもかまわないでしょうか?」
「あ、ゴメン。どうぞ」
俺たちの様子を見て話を終わったと判断したのだろう。彼女は早くも次の言葉を言おうと催促してくる。
なんだかエクレール、普段は話をしっちゃかめっちゃかにかき乱すのに今日は様子が違うな。なにか焦ってるような……?
「それでは本題に入らせていただきますね。……単刀直入に言います。スタン様にはこれから隣国で行われるパーティーに参加していただきたいのです――――私の婚約者として」
「…………はい?」
なにやら焦っているような、すがるような声色で、衝撃的な言葉がエクレールの口から飛び出す。
婚約者――――その言葉に、俺もシエルも驚きの顔を持って彼女を見るのであった。
2024.11.18 修正