105.夕焼けと告白
夕焼けが平原を染める中、俺はセーラを背負いながら歩いていた。
先導するのは白い髪にスーツ姿のレイコさん。その背中を追いながら、俺の肩越しに大きなため息が落ちる。
「悪いわね……おぶってもらっちゃって」
「腰抜けたんだろ? 仕方ないさ」
腕に力を込めて抱え直すと、セーラの体がピョンと軽く持ち上がる。
“仕事”を終えた森からの帰り道。俺はセーラを背負って帰りの街道を歩いていた。セーラは怪我をしたとかそういうものではない。ただ腰が抜けただけ。魔物との遭遇によるショックで腰が抜け、歩けなくなってしまったのだ。
魔物に襲われ命の危機に瀕したのだから腰が抜けるのも無理はない。結果的に無傷で済んだものの、恐怖が体に刻まれてしまったのだろう。
俺は恥ずかしがる彼女を無理やり背負い、レイコさんの背中を見ながら夕焼けの道を歩んでいく。
「…………」
歩きながら、俺は森での出来事を思い返していた。
今回の仕事は、失敗だった。
一体目を討伐した時点で油断し、二体目の存在を失念していた。それがセーラを危険にさらすことになった。だが、何より許せないのは俺自身の対応だ。
俺には余裕があった。彼女の名を呼ぶ前に“祝福”で『止まれ』と命じることもできた。それなのにただ見ているだけで、彼女を怖い目に遭わせてしまった。
情けない。
失敗を思い出してはグッと下唇を強く噛む。
「スタン様、難しい顔をしていますね」
レイコさんの言葉でハッとする。
「まあ……はい」
「そんなに自分を責めないでください。ミスをしたのは確かですが、大事に至らなかったことも事実です」
「でも……」
言い返そうとする俺の背中で、セーラが小さく呟いた。
「あんたが謝ることじゃないわよ」
「セーラ……」
「結果論だけど、あたしは無事だったわ。……それに、あの時名前を呼んでくれて嬉しくもあったし」
あの時……俺を突き飛ばした直後のこと。
彼女の言葉に、俺は何も言えなくなる。
本当にあれで良かったのだろうか。彼女の言葉を復唱するように自問自答していると、大きく息を吐いたレイコさんが口を開く。
「そう言えばスタン様、何故セーラ様が従者になったのか……それ以前に、近衛兵に入隊した理由をご存じですか?」
「えっ? そりゃ、お父さんが近衛兵隊長だからじゃ?」
不意に聞かれた問いに俺は彼女の周りを思い出しながら可能性を口にする。
セーラの父は、この国の近衛兵隊長だ。もう十年ほどその地位にある優秀な人物でセーラ自身も誇りに思っていたみたいだし、その影響で兵士を目指したのだと疑いもしなかった。
しかし、レイコさんは首を横に振る。
「もちろんそれもあります。ですが……面談に応じた兵士の話では、もう一つ理由があるようですよ」
「ちょっ――――!!」
セーラが慌てて声を上げるが、それよりも早く、レイコさんが続けた。
「セーラ様は、エクレール様を含めた皆様……特にスタン様、貴方を自分の手で守ってみせたいと語っておりました」
「えっ…………」
驚きに目を見開き背中のセーラを振り返る。彼女はぷいっと顔を背けたが耳まで真っ赤になっている。それが何よりの証拠だった。
「セーラ……守りたいって、どういう……」
俺は彼女と仲が良いが、親密になったとは思っていなかった。エクレールやマティとの関係が深い分彼女は一歩引いていて、ただのクラスメイトのように思っていた。
まさか、そんな想いを抱いていたなんて。
「そういった意味では先程のセーラ様の行動は完璧でしたね。スタン様を守ろうと飛び出すその姿勢……お見事でした」
「セーラ……」
「…………あ~! もう! 本当よ! 本当!アタシはアンタのことが好き!これで満足!?」
俺とレイコさんの視線に耐えきれなくなったのか、観念したように彼女は叫ぶ。
目の端で捉えた彼女の顔は真っ赤。火を吹くほど真っ赤な顔で口をとがらせる。
「あたしだってずっと考えてたのよ。 アンタとは仲の良いクラスメイトだったけど到底マティナールたちには敵わない。じゃあ、どうすればアンタの側にいられるかって」
「いつから……?」
「それ聞く? 最初からよ。アンタがテストであたしをボコボコにしてから。あの時から価値観が変わって……ずっと見てたのよ」
そんな前から……。
全然気づかなかった。しかし彼女の行動が、その想いが真実であることを証明していた。
「ま、アンタにはエクレール王女がいるしね。あたしは遠くから見ているだけでいいのよ」
「そんなこと……」
フッと笑みを浮かべる彼女に、言い返そうとするが、何も言えなかった。
何を言っても、彼女を傷つける気がして。
そんな俺を見て、レイコさんがくすりと微笑む。
「スタン様もモテモテですね。そんな貴方に、“一夫多妻”という合法かつ一発で解決できる手段がありますが、いかがです?」
「それは……」
それはかつても言われていた手段の一つ。
軽々しく答えられることではない。俺が育った日本の価値観とは大きくかけ離れているし、その責任の重さも計り知れない。
「アタシは傍にいられるなら何だっていいわよ。ほら、レイコさんに置いてかれるわよ。早く歩きなさい!」
「わっ! ちょっ……!」
「ふふっ……! いけいけ~!」
セーラは俺の脇腹をポンポンと叩いて急かす。その姿は、まるで俺に余計なことを考えさせないようにするためのものだった。
俺は、彼女の気遣いに甘え、先程の告白を胸にしまう。
帰るまでの間、背中で紫の髪が揺れ、彼女はずっと笑顔だった。
その笑顔が、どこか寂しげに見えたのは―― きっと俺の気のせいだろう。