104.失敗
「本日の仕事の場はこことなります」
「ここは……」
見上げた先は大きな森だった。
自分の背丈よりも遥か高い木々が生い茂り、向こう側が見渡せないほど深い森。
平原の境目の森の入口。この光景には見覚えがあった。
「懐かしいな……」
ここはかつて来たことがある。あのときも確か8年前だった。
謎の魔道具により突然放り出された平原と、その帰りに来た森。あの時俺は自らの持つ力を初めて自分の意志で使った。
そして今日またこの森で力を使うことになるとは。とグッと拳を握りしめる。
「さて、私とスタン様は何度もここに来ておりますが、初仕事の者がいるので復習です。セーラ、我々の仕事は一体何をすることですか」
「は、はい!私達は街に害する恐れのある魔物の討伐に参りました!」
「そのとおり。我々……正確には私が請け負い彼に一部委託という形ではありますが、魔物が街を襲わないよう事前に退治することが目的となります」
それが俺が時々行っている"仕事"。
俺の仕事はこうしてレイコさんに同行し、増えた魔物を討伐して回る。城下町や付近の村への被害を未然に防ぐことだ。
3年前に彼女から誘われて以来アルバイトのように手伝っている仕事。身の入りも良く、時折こうして呼ばれては手伝っている。
「でも、命の危険もありますよね……?」
この仕事が身の入りの良い理由。それは危険が伴うこと。魔物の討伐はどうしたって怪我や命に関わる可能性だってあるのだ。
恐る恐る問いかけるセーラの声に、俺は大丈夫と首を振るう。
「レイコさんがいるから大丈夫だよ」
この数年彼女と仕事をともにして、彼女の実力は俺の知る誰よりも一線を画していることは実感していた。
実力は当然のこと、長年仕事をしてきたがゆえの実績と信頼の全てが何もかもが突出している。この世界で年月を過ごし、周りが見えてくるようになったからこそ分かる彼女の底しれぬ実力。この世界を見渡しても上澄みであろう彼女が王家とはいえ一個人の従者をしていることが不思議でならない。
彼女がいれば文字通り百人力。更に安心の理由はレイコさん任せだけでもない。
「それに……もしセーラが危なくなったら俺が助けるよ」
「スタン……」
見上げてくる彼女の目の色は不安。しかし奥底にはほんの少しだけ心が軽くなったのか光が見えた。
少しは安心してくれたのかと微笑んでいると、彼女はゆっくりと瞬いた後、肩に触れていた俺の手を取りそっと降ろす。
「ありがと、スタン。でもそんな心配は無用だわ。私は近衛兵でもあり従者見習いだもの。あんたを守る立場なのよ」
そう言ってもう一度見上げる彼女の目には恐怖の色が失われていた。
腰に帯同する剣に添える手は震えも一切みられない。
「スタン様、セーラの言葉通り我々はあなたを守る立場なのです。逆に守られるなんて従者失格です」
「レイコさん、でも俺は王家の人間じゃ……」
「エクレール様の婚約者候補ということは王家も同様。散々アタックされているのでしょう?いい加減心を決めていただけると助かるのですが」
「…………はい」
思わぬやぶ蛇に俺はそれ以上の言葉を失う。
昨日もしっかりアタックされたことを思い出した。しかも物理で。
「そちらについては仕事が終わってからじっくり考えてください。そろそろ森に入りますよ。警戒を怠らないように」
「は、はい!」
俺達は気を引き締め直して森に入っていくレイコさんの後ろ姿を追う。遠くでは獣の遠吠えが聞こえてくるのであった。
◇◇◇◇◇
ウォォォォン!!!
鬱蒼とした森に獣の遠吠えが聞こえてくる。
方向感覚さえも惑うような薄暗い森の中、俺はセーラと並び、慎重に奥へと進んでいく。
「なによここ……お化け屋敷……?」
隣のセーラが恐る恐る見渡すように呟いた途端、突然頭上の枝が揺れ、バサッと鳥が飛び立った。
「ひゃっ!!」
突然の音に不意を突かれたセーラは小さく悲鳴を上げ俺の袖をぎゅっと掴む。
「……もしかしてこういうところ苦手?」
「あ、当たり前じゃない……!こんな幽霊が出そうなところ……むしろ好きな人はもはや人間じゃないわ!」
どうやらセーラはお化け屋敷が苦手みたいだ。
それでも虚勢を張るように俺の袖を掴んでいることに気がついた彼女は慌てて手を離し、強がるように胸を張る。
一方で俺はさほど強さも感じていない。
ホラー映画は余裕なのもある。そのうえこの森は昔、意図せずではあったが俺の祝福もありここらの魔物は一度殲滅されている。きっと今回はセーラのための職場体験みたいなものだ。
「幽霊じゃなくて魔物は出るけどね……何か違うの?」
「ぜんぜん違うじゃない!魔物はちゃんと姿見えるじゃない。幽霊は……ほら、見えないし、それに死んだ人が化けて出るって不気味すぎるわよ!」
「死んだ人ねぇ……」
不意にかつての世界を思い出す。
もう思い出すこともめっきりなくなってきた日本。俺はあの世界で死んでこの世界に来た。そう考えると俺も幽霊の一種ということになるのだろうか。
「――――お二人共、お喋りするのは結構ですが2匹そちらに向かいました。対処をお願いします」
「――――!!」
ふと耳元から聞こえてきたレイコさんの声に俺達の意識はハッと辺りを警戒する。
彼女の姿は見渡す限りない。だが鮮明に声が聞こえたのは耳に取り付けたイヤリングのおかげ。
音声伝達の魔道具。いわゆる無線機だ。イヤリングを取り付けた者同士、そこそこ距離が離れていてもやり取りをすることができる便利道具。
彼女は魔物を討伐するため先行して森に入り込んでいる。彼女が取りこぼした分を何とかするのが俺達の役目だ。
――――ガサガサッ!!
レイコさんの声が聞こえてから十数秒後、目前の茂みが唐突に音を立てて揺れ動いた。
何かいる……そう思ったのも束の間。一瞬気の所為だったかのように音が止まったと思いきや、茂みから大きな影が飛び出して俺達の前に降り立った。
「っ……!魔物!」
影が飛び出すと同時に隣のセーラが抜刀する。
薄暗い光に照らされ現れたその姿はポヨンと振動に揺れる体躯………まさしくスライムだった。
「プリンか……」
プリン。
日本では馴染みのあるスライム。この世界に存在する魔物の一種。プルプルと揺れ動く1メートルほどの異形。
普段は水辺に潜み、水を飲みに来た獣や人をプリンと知らずに飲み込んで窒息させるのが特徴だ。
その特徴から街に姿を現すことは滅多にないが行商人に被害が出る厄介な魔物である。
「スタン!下がって!ここは私が!!」
「いや、セーラ、大丈夫だよ。――――『凍れ』」
俺をかばうように前に出たセーラだが、俺は彼女を抑えて一言だけ言葉を発した。
もう殆ど使うこともない日本語。この"仕事"でのみ役に立つ前世の言語。
この8年事あるごとに使ってきてもう怖がることも何一つない"祝福"。ただフラットに相手だけを見て指向を絞り告げた言葉は俺の言った通りの反応を示してくれた。
ピキピキピキ……。
そんな音が魔物から聞こえてくる。水色の体躯が段々と白んできて物騒な目つきで威嚇する姿が、いずれ人形のように身動ぎひとつ取らなくなる。
「凍っ……た……?」
俺の前に立って剣を手に構えていたセーラだったが、一向に動こうとしないプリンを見て小さく呟いた。
眼前に広がる動かなくなった魔物。そこからは白いモヤが僅かに地面に広がっており、ここまでヒンヤリと冷たい冷気が届いている。
「スタン、これあんたがやったの……?」
「……セーラも俺の祝福について知ってるよな?」
「え、えぇ。魔物を自由に操るっていう……実際に見たのは初めてだけど」
戸惑いの目でこちらを見る彼女に俺は先導して魔物に近づいていく。
触れてみればヒンヤリとシャーベットのような魔物の感触。少し力を加えればまるで飴細工のように身体が砕け、魔物は黒い霧となって消えていく。
「でも、こんな風に使えるなんて思わなかったわ」
「進化したんだよ。凍れと言えば凍るし、燃えろと言えば燃える」
俺の祝福については既に仲の良い面々には話している。そうは言ってもマティとセーラくらいだが。
彼女たちが知るのは祝福が宿ったことだけ。日本についてはまだシエルとレイコさんしか知っていない。
そして俺の持つ祝福についても、昔に比べてちょっとできることの幅が増えた。
8年前はせいぜい相手の言う事を聞かせるだけの単純なもの。だが成長した今はありえない事象でも起こせるようになった。
『凍れ』と言えば凍る。海の中で『燃えろ』と言えば火が消えることなく燃え尽きる。もちろん魔物を金に変えることだってできる。悲しいことにすぐ霧となって消え去るのだが。
つまり面白いくらい幅が増えたものの使い道はさほど無い。これだけだとせいぜい寒空の下で火種を作れるくらいでツマラナイ祝福だと心のなかで自嘲する。
「本当に"祝福"って何でもありなのね……。魔王を倒せたのも頷けるかも」
「空気を無くして窒息させるなんて祝福もあったみたいだしな。……って、ちょっとセーラ」
「? どうしたの?」
あんな恐ろしい祝福に比べたら俺の力なんてお遊びに過ぎない。
そんな和やかな空気のまま先へ進もうと足を一歩前に出したところで、俺は思い出すかのように彼女を呼び、そして告げた。
「レイコさんは2匹って言ってたよな。……もう一匹はどこいった?」
「っ――――!!」
ハッと俺の言葉に彼女も目を丸くする。
彼女はさっき2匹と言った。だが目にしたのは1匹。その事に気がついた俺達は飛び跳ねるように背中を合わせ、耳をすまして目を凝らす。
「……………」
薄暗い森の中、さっきの空気は一瞬にして張り詰めたものへと変貌していた。
まるで森が息を潜めたように、全ての音が遠ざかる。
森の静寂が俺達を包み込む。聞こえるのは葉が風で揺れる音と鳥のさえずりのみ。
辺りを見渡してもそれと思しき影も気配も感じ取れない。まさか素通りした?いや、道はこの一本のみ。道なき道を行こうとしてもよほど遠回りしなければ草木の揺れる音を聞き逃すことはないだろう。
必ずどこかにいる。
意識を途切れさせず辺りを警戒していると、突然セーラの声が響いた。
「――――!スタン、上!!」
「っ……!!」
――――それは音もなく現れた。
鋭い叫びに反応して顔を上げた瞬間、影が視界を覆った。
頭上から棍棒が振り下ろされる。毛むくじゃらの猿の魔物が、爛々と光る目で俺を狙っていた。
ヤバイ――――!
狙われる脳天。アレが振り下ろされたら俺も無事ではすまない。
だからといって祝福で命じるには遅すぎた。ここから飛び退こうにも踏み込みが足りず間に合わない。
どうあがいても避けるのは間に合わない。ならばせめてダメージは最小限に抑えようと腕を盾にしようと振り上げようとした瞬間、俺の視界は突然後ろへと大きく揺れ動いた。
「セー…………」
突然紫の髪が目の前を舞った。
揺れ動く視界。それが倒ゆくものだと判断するのにさほど時間は要さなかった。
足を取られたのか。違う。自ら下がったのか。違う。俺は何者かに思い切り押され突き飛ばされていた。
突き飛ばした者など考えるまでもない。セーラだ。
背中合わせに立っていた彼女は自ら盾になるかのように俺を突き飛ばしたセーラ。
彼女は真剣な表情で唖然とする俺を見ると、フッと息を吐く声とともに満足気に微笑む。
視界がスローに揺れ動く。俺が立っていた場所には彼女が飛び込んでおり、突き飛ばしたお陰で僅かながらに遅れた魔物が振り下ろした棍棒は彼女の頭へと向かっていた。
「セーラ!!」
俺が尻もちをつくのと叫ぶのは同時だった。
手を伸ばすも彼女に届くことなく魔物は代わりとばかりにセーラに狙いを定める。
もう間に合わない―――――
そう嫌な考えが頭の隅を過ぎった瞬間、俺の横を一陣の風が吹き抜けた。
「――――よくやりました」
それは"彼女"の声。
全ての不利な盤面をたった一手でひっくり返す"最強"の彼女の声。
風とともに聞こえた声の意味を俺の脳が理解する頃には全てが終わっていた。
服に土が付くことを気にすることなくセーラが飛び込んでいた場所を見上げれば既に魔物の姿はなく、代わりにレイコさんがセーラを脇に抱えて立っていた。
「レイコ……さん?」
「助けが遅くなり申し訳ございません。スタン様」
こちらを一瞥するように振り返りながらも堂々と立つ姿はまさしく"最強"
一通りの警戒をし終えたのだろう。ふぅと息を吐いて肩を下ろした彼女は促すように視線を奥へと向ける。
「魔物はそこの木に磔にしております。スタン様、最後はお願いします」
目配せするのは魔物が大の字に磔された木の麓。
俺も自らの足で立ち上がりながら魔物を見据え、威嚇を続ける魔物へと目を向ける。
「…………『――』」
告げるのはたったの二文字。
シンプルかつ残酷なその言葉に魔物は瞬く間に霧へとなり消え去っていく。
俺は突然の危機と救われた安堵感に呆然となりながら、木漏れ日の届く森の空をじっと眺めていた。