103.従者見習い
そこは眼前いっぱいに広がる草原だった。
見渡す限り緑の世界。青い空と白い雲が映えるまさに世界に俺一人きりになったような感覚。
秋の風も吹き抜け気持ちの良い草原。何人かピクニックでシートを広げてもおかしくないような場所だが、人は誰一人として見当たらない。
だがそれも当然のこと。ここは門の外。王都から一歩でも外に出たら危険地帯だ。
穏やかで何も無いように思える草原だが、どこから獣や魔物が出てくるかわからない立ち入り禁止区域。
そんな危険な場所を軽く一瞥しながら門から離れ街道を進んでいく。
草原は危険だ。しかし街道に関しては一定の安全性が保たれている。
獣や魔物も所詮はただの野生生物。山に住む熊と人里との関係のように適切な距離感で適切な対応をしていればそうそう変なことにはならない。兵士のいる門の近くならなおさらだ。
「……あそこか」
メモに記した紙を片手に一人呟く。
街道を道なりに進んで五分。ようやく目的の場所が見えてきた。
街道の分かれ道。それを象徴するかのように立つ一本の木。麓に立つ人物を見てホッと笑みが溢れる。
「お待たせしました。お久しぶりです……レイコさん」
麓に立っていた人物……レイコさんに声を掛けると、彼女は風になびく髪を抑えながらこちらに振り返って恭しくお辞儀をする。
「――――時間ピッタリですね。お久しぶりです、スタン様。お元気そうでなによりです」
彼女はレイコさん。エクレールの従者でありながら、おそらくこの国最高戦力である女性。
肩まで届く白髪に深い青と緑のオッドアイ。真っ黒なスーツで身を包んだ彼女は昔と何一つ変わることはない。
「三ヶ月ぶりでしょうか。レイコさんこそお変わりなさそうで」
「それはもちろん、"不老"ですから」
八年前から変わらない彼女。それは彼女の持つ"祝福"によるもの。
"不老"である彼女は初めて会った頃から老化することはなく、高校生相当の容姿を維持する彼女と俺達は見た目同い年といっても差し支えない。
誇らしげに胸を張るレイコさん。昔は大人っぽいと思っていた動作も、この年になれば年相応の姿に微笑ましい。
「レイコさん……もしかして今日は俺達だけじゃなく――」
「えぇ、今日は彼女も同行してもらうつもりです」
彼女との挨拶もそこそこに、俺はずっと気になっていた人物――僅かばかり見える死角で木に寄りかかっている影に目を向けると、待ってましたと言わんばかりに姿を現した。
「あたしとは卒業式からだから二週間ぶりね。面白そうなことしてるじゃない」
「……なんで"仕事"の場にお前までいるんだ?――セーラ」
レイコさんの隣に立っていたのはセーラだった。
彼女は腕を組みながら自信満々に言い放つ少女。
「そんなの、あんたの仕事に付き添うからに決まってるじゃない!」
「……なんだって?」
「だからぁ、仕事に付き添うのよ!」
「……レイコさん」
説明を求めるように『保護者』へ視線を送ると、彼女もまた一つ肩をすくめながらコホンと咳払いをする。
「スタン様、セーラ様の卒業後進路についてはご存知ですか?」
「いや、結局最後まで教えてもらえなくて……」
彼女はハイスクールへの進学はしなかった。卒業前に聞いた話ではどこかへ就職するという。
肝心の就職場所は聞き出すことができなかったが、最後に「近々会えるわ」と言っていたのが今も印象に残っている。
「彼女はお城の親衛部隊へと入隊しました」
「親衛部隊?それってたしかセーラの父親と同じ……」
「えぇ。ですが彼女は少し違います。親衛部隊なのですが私の方でスカウトし、従者としての経験を積ませております。私の部下といえばわかるでしょうか」
「スカウトォ!?」
「えぇ!スカウトされたわっ!!」
まさかレイコさんに引き継ぎという概念があったとは思わずつい声を荒らげてしまった。
最初は親衛隊長を務める父親と同じ道を辿ろうとしたのだろう。それがレイコさんの目に止まったばっかりに……。
「セーラ……」
「何よ。羨ましいって言ったって変わってあげないんだからね」
「……まあ、向いてそうではあるけど」
「はぁ!?何それ、適当に言ってない?」
「いや、実際向いてるだろ。セーラって妙に負けず嫌いだし……あと無駄に根性あるし」
「無駄って何よ!」
そう言いつつも、彼女の根性は俺も目を見張るものがある。
勉強は必死に食らいついてきたし、親衛隊に入るのも相当な努力が必要だと聞く。
「まったく……あんたにだけは言われたくないんだけど!」
「まぁまぁ、実力は認めてるってことなんだから」
「……むぅ、なんか納得いかない」
セーラは口を尖らせながら睨みつけてくる。その表情は憤慨しつつも、どこか楽しそうだった。
俺もまた久しぶりに彼女とこうして言い合えることが懐かしく、つい笑みがこぼれる。
「さあスタン様、セーラ。そろそろお仕事に向かいますよ」
「あ、はい!」
「ちょっ!待ちなさいスタン!まだ話は終わってないんだからね!」
二人して街道を進んでいく。その後ろをセーラが追いかけていくのであった。




