102.わんこミサイル
「アンタも随分変わったわよねぇ」
ふと聞こえてきた言葉に、俺はカレーを口に運ぼうとした手を思わず止めた。
顔を上げれば頬杖をつきながらじっとこちらを見つめるマティの姿。
「変わったって、何が?」
「余裕ができたって話よ。昔はもっと必死というか何かに追われているっていうか……切羽詰まってた感満載だったから。……あ、あらかじめ言っておくけど褒めてるんだからね」
突然言い出したイマイチ要領の得ない話に未だ首を傾げていく。
「余裕って言っても普段と変わらないけど……いつと比較しての話?」
「んと……入学したての頃だから……8年くらい?」
「さすがにそんな昔のことまでは覚えちゃいないなぁ……」
何と比較しているかと思えば大昔とだった。
そりゃ変わりもするだろうとスプーンを口に運びながら一蹴したがもちろん覚えているし心当たりもある
8年前、この世界に来たばかりで何も知らなかった頃。祝福に婚約騒動に怒涛の日々だった。
あれから俺達は順調に年を重ねて15歳となり、エレメンタリーを越えミドルスクールをも終えて、数日後にはハイスクールに入学予定だ。
この8年色々なことがあったが基本的なことは何も変わっていない。俺は日本からの知識を活用し首席を維持し続け、シエルやマティと同じ時を過ごしている。
どこぞの大いなる力が働いたのか学校を2度変えても、寮は男女別が基本のはずなのにシエルがずっと同室だし、隣にはいつもマティがいる。
身体が大きくなった程度で変わらないことばかりだが、大きく変わったことだってもちろんある。それは――――
「ご覧になって!王女殿下がお見えになりましたわ!!」
ふと遠くから聞こえてきた誰かの声に目を向ける。
寮の食堂は小学生相当のエレメンタリーの頃より広く、多くの人々が行き交う中まるで有名人が来たかのような人だかりができていた。
「みなさま、道をお開けくださいませ」
突如、人だかりの中から凛とした声が聞こえた。透んだ声によって雑踏は瞬く間に真っ二つに割れる。まるで隊列のような整然とした動きで出来た割れ目からは一人の少女が姿を現した。
「みなさま、ありがとうございます」
優しい声とともに姿を見せたのは腰まで届く金髪と碧眼の少女。エクレールだった。
優雅な所作と美しさに誰もが目を奪われる。
「へぇ……今日はあの子、来れたのね」
マティのつぶやきが聞こえる。
彼女同様久しぶりに見たエクレールの姿は今日もまた人目を惹く美しさだった。
エクレールは見た目こそ大きく変わらないもののその美しさには磨きがかかり、なにより優雅さを纏うようになった。
140センチ程度の小柄な身体に溢れる可愛さと優雅さを併せ持つ彼女はまさに王女としての風格。
淡い光が差し込む中彼女のドレスは宝石を散りばめたかのように輝いている。その場の全員が息を呑む様子に改めてその存在感を思い知る。
彼女は変わった。だが変わったのはそれだけではない。
エクレールは成長するにつれて王女としての責務に追われるようになり、段々と学校へ顔を出す機会が激減した。それは即ち俺達と会える頻度が減るということ。俺自信も彼女に会うのは実に三ヶ月ぶりだ。
久しぶりに見た彼女の優雅な姿は雲の上の存在のように遠くから感じられる。だがその視線が真っ直ぐこちらを向いた瞬間、胸の奥が少しざわついた。
「っ――――!スタンさまっ!!」
エクレールの声が食堂内をつんざいた。
誰しもが目を向けるほどの声。騒然となる室内に隣のマティが呆れたように呟く。
「……来たわね。相変わらず全力で」
8年前から変わったこと。エクレールが忙しくなったこと。その一方で変わらないことといえば――――
「久しぶり。エクレー……ルゥ!?」
俺が挨拶を返す間もなく彼女は勢いよく駆け寄り頭から突っ込んできた。
「スタン様!お会いしたかったですわっ!!」
―――彼女は一欠片も勢いを殺すことなく突っ込んできた。
その姿ままるでミサイル。全力で突っ込んできたエクレールの頭が俺のみぞおちにクリーンヒットした。小さなうめき声を上げながらなんとか受け止めたものの満身創痍。胃の中のものをリバースしなかった自分を褒めてやりたい。
エクレールはそのまま俺の胸元に顔を埋めると、子どものように甘えた声を上げた。
「スタン様のお顔を拝見できない日々はまるで真冬の嵐を彷徨っているようでしたっ!」
「それは随分と……。せめて差し入れでも送ればよかったね」
彼女の頭をそっと撫でながら、随分と過剰な表現だと苦笑いしてしまう。
すると歓声が上がるようなタイミングで女生徒たちのささやき声が聞こえてきた。
「スタン様、羨ましい……」「仕方ありませんわ。彼はエクレール様唯一の!”婚約者候補”ですから」
変わったこと。それはエクレールが俺への好意を隠さなくなったこと。
一方で変わらないのは俺達の関係性だ。婚約者”候補”止まりである理由は俺がその誘いを押し留めているからに他ならない。首を縦に振れば最後、王家として迎え入れられること確定だからだ。俺はこの世界に来てまで”神山”以上に面倒な権力を握りたくはない。
「エクレール、今日はどうしてここに?」
「それはもちろんスタン様方にお会いになりたくて!近々ハイスクールにご入学されるこということで私もご一緒したく!!」
目を輝かせるエクレール。その姿はさながら大きなゴールデンレトリーバーのようだ。
「スタン様……羨ましい……私も王女殿下とお近づきに……」
エクレールを受け止めながらそんな声が耳に届く。
彼女は誰にでも分け隔てなく接することから男女問わず人気が高い。驚くべきことにその人気は女性からのほうが高く、今もこうして羨望の声が聞こえてくる。
これだけならまだいい。俺もちょっと鼻高になるくらいだから。でも困ったのはこの先に続く思考が……
「聞きましたあの噂?」「噂って」「どうやらエクレール女王殿下は一夫多妻制に前向きのご様子。それを意味することはつまり……」「つまり……スタンさまを落としさえすれば……!?」
「…………はぁ」
遠くからのささやき声に俺は胸元の彼女に聞こえないくらいのため息を吐く。
思い出すのは以前の告白。ああいったことは初めてではなく、むしろ数多く告白はされてきた。
告白自体は嬉しい。ただその裏に透ける思惑がなければの話だが。
「どうされました?スタン様」
「……いや、なんでもないよ」
心配そうに見上げるエクレールになんでもないと伝えると、彼女も興味はそこそこに胸元から離れ自らの足で立ち上がる。
「何かあればいつでも仰ってくださいね。力になりますから」
「あ、あぁ。頼りにしてるよ」
「はいっ!それでは私もお食事を取りに参りますね!シエル様、マティ様、今日はいっぱいお話しましょう!」
そう言って年相応の笑顔を見せながら去ろうとする彼女は、数歩進んだところで突然立ち上がり、「そうだと思い出したように戻ってきた」
「そうでしたスタン様。レイコから伝言です」
「レイコさんから?」
「はい。『明日、仕事がありますのでよろしくお願いします』とのことです」
「……了解」
俺の短い返事に柔和な笑顔を浮かべた彼女は再び踵を返し、受取口へと向かっていく。
「仕事……か」
彼女の行く先で人の波が割れていく様子を見つめながら、俺は言われた”仕事”について思いを馳せ、そして嫌だなと内心悪態をつくのであった。