ダンジョンの奥で人間じゃない少女が目を怪我した冒険者に恋をする話【人外少女シリーズ】
ーー無知、盲目、本当のことを言えない関係。そういうものの中では、真の友情や愛情は育つことはできない。
「あ〜……退屈じゃ」
ここはとあるダンジョンの最奥。月明かりより明るく光るコケに照らされたそこここに散らばるのは人間の骨である。ダンジョンに挑んだ冒険者たちの成れの果てだ。そんな人間の骨でできた骨塚の上に巨体を横たえるのは、このダンジョンの主……。
「はぁ、まったく、やってくる者たちと言えば雑魚ばかり。生き物がつまらなさで死ぬことがあるのなら、わらわにとってはいまがその時じゃな」
彼女は名をベスーン、ベスーン・カリグラーゼと言った。その姿はやはり独特で、もふもふとした毛皮に覆われたたくさんの触手を生やした醜悪なルックスである。しかしそれでいて少女の見た目の残香を色濃く漂わせている。
その時、この最奥の部屋に侵入者があった。
「ここが一番奥の部屋だぞ!」
「ダンジョンの主がいるはずだ」
「お前ら、気を引き締めろ!……う、あれは……」
入ってきたのは三人のパーティであった。リーダー格の男がベスーンの姿を発見した。
「あれが、ここの主か、なんて……」
コケの光にはっきり浮かび上がるその姿を見て、彼はこう言った。
「なんて醜いバケモノなんだ……」
「ほう」
ベスーンはニヤついた。何本かのふさふさした触手を起こして、体を持ち上げ、うねらせて人間の骨塚を降りていく。その動くドレッドヘアのような姿は、手足が触手になった人間が、これまた触手でできた巨大な毛皮のスカートを履いているかに見えた。
「バケモノだ! 戦闘体制!」
一人が剣、一人が長刀、一人が魔法の杖を構えたが……。十分後、彼らは触手によってバラバラにされ、ゆっくりとベスーンの腹の中に収まることになる。
「はぁ。つまらん。つまらんのう。こう弱いやつばかりでは」
ベスーンはそう独言を言っては触手を舐めて綺麗にするのだった。
※※※※※
そんな生活がずっと続いた。
これまでも、そしてこれからも続くだろう、退屈という、拷問にも似た人生。
彼女は変化を求めていた。薄暗い、コケの灯りだけが頼りの暗い洞窟の天井に向け触手を伸ばしてみる。
先端の毛皮がゴツゴツとした岩肌に触れる。それ以上なにもなかった。
(……いっそここを出てしまおうか)
古の盟約により、自分を生み出した者にここの主を任されているが、その生みの親果たして今も外で健在であるか知れない。魔法の契約故に自由意志とは別の感覚から来る使命感でここに居座っているが、もうその感覚もとうに薄れていた。
一度も出たことがないこのダンジョンから出たいと、そう思うようになっていた。
(しかし、きっかけがないのじゃな)
ふと、ベスーンは物音に気付いた。
コツ、コツ、と、なんだか冒険者にしては不用意に大きな音を立てながら通路の奥からやってくる。
まだ姿は見えない。しかしベスーンは臨戦体制に入った。相手は……一人か? 相当な手練れかもしれない。
しかし、部屋に入ってきたのは、弱々しい見た目の若者だった。杖でコツコツとしきりに岩肌を叩きながら歩いている。
ベスーンは四つに分割して開く口を耳まで割いて威嚇した。しかし、すぐにその行為は無駄だったと気づく。
(あ……)
若者はベスーンに気づきもせずにそのままゆっくりと近づいてくる。杖で足元を探りながら。そう。彼は目が見えていないのだ。
「止まるのじゃ」
ベスーンは言った。こんな弱々しい生き物、一瞬でなぎはらってもよかったのだが、あまりにも珍しい状況だったので、弄んで退屈を潤すことにしたのだ。盲目の若者は言われた通りに止まった。
「おい、そなた……目が見えていないのか?」
若者は困惑と安堵の中間の顔をした。
「ど、どなたですか? 実はモンスターの毒液を喰らいまして……明るいか暗いかくらいしか分からないくらいまで視力をやられてしまいました。そのモンスターから逃げて、少しでもモンスターの気配のない方に歩いてきたのですが……。上手いこと入口の方へ来れましたかね? あなた、他の冒険者……さん? ですよね?」
ベスーンはほくそ笑んだ。これは面白いおもちゃを拾ったものだ、と。
「ああ、そうじゃ。わらわもこのダンジョンに挑んだ冒険者じゃ。ここは入口から遠い部屋の一つじゃが、どれ、一緒に入口を目指そうぞ」
若者が笑みをこぼした。
「本当ですか!? ありがとうございます! もう、ほんと、諦めていたんです!」
若者はファローと名乗った。
※※※※※
「ほうほう、では街のギルドの依頼で来たのじゃな」
「そうなんです!」
天真爛漫。純粋無垢。そんな言葉が似合う若者だった。ベスーンは心が躍った。こうも簡単に騙されるとは、と。
二人……いや、一人と一匹はダンジョンの中を入口の方へと進んでいた。そうしようと言ったのはベスーンである。
「あの、ありがとうございます。僕なんかのために……」
「んん? ああ、いいのじゃいいのじゃ。そのままではここで生きているのも難しかろう? わらわが守って進ぜよう。なに、安心せ。わらわは強……」
ダンジョンはまだまだ長い。暗い洞窟の曲がり角に差し掛かった時、ベスーンは気配を感じた。ファローに止まるように言う。
「どうかしたんですか?」
ファローのそんな呑気なセリフを聞き流し、ベスーンは触手を通路の曲がり角の先へとニュルっと伸ばした。モンスターの悲鳴が聞こえ、息を殺して待ち受けていた気配が消える。
「あ! モンスターだったんですか!? すごい、倒したんですね!? どうやったんですか? まさか、自分と同じ魔法使い? レベルは全然違うみたいだけど……」
「まあそんなところじゃ」
ベスーンは触手をうまくうねらせて音を立てないように歩いた。ファローとしては、手も引いてくれない、音もしないで少し相手の正体を訝しんではいたが、まさか毛皮の触手の怪物だとは思わない。
「出身はどこなんですか? もう冒険者をして長いんですか?」
話好きなファローはベスーンに矢継ぎ早に質問を投げかけた。そのたびにベスーンは曖昧な答えを繰り出さなければならなかった。嘘をつこうにも、外のことなどまるで知らないから無理な相談であった。
だんだん話すことがなくなって、杖をコツコツやる音だけが洞窟内をこだまする時間が多くなったが、それでもファローは話をしようとした。
「あの、すごく強いですよね。こんな強い冒険者に会ったのは初めてかもしれません。見ることができないからよくはわからないけど……足音がしないのも、常時浮遊魔法を使っているからでしょうし。そのお美しい声からすると、妙齢の女性でしょうから、歳もそんなに違わないんでしょうね」
「なに?」
うつく、しい? なんだその言葉は……。人の口からそんなセリフを聞いたことなど一度としてなかった……。ベスーンは思った。なんとなく今まで感じたことのない感情を抱いた。
こうして蝶よ華よと人間の若者を護衛して戦っていると、それだけで情を感じるのに、なんだと? 声が美しい、だと?
「も、もう一度言ってくれんか? わらわのなにが、なんだって?」
「いやあ、大変お強いなあって……」
「そこじゃないわ!」
ファローがつい足を止めてしまった。今まで穏やかに会話していたのが、急に怒鳴られるものであるから驚いたのだ。
「あ……いや……」
ベスーンはしまったと思い、すぐに落ち着きを取り戻す。
「いや、そうではなく、わらわの声が……」
ファローはニコッと笑うと壁を頼りにまた歩き始めた。
「ああ、そういうことですか。ええ、本当に綺麗な声ですよね。言われません?」
「言われない……」
「ええ? 妙だな。本当に美しい声なのに。きっとお姿も大変お美しいんでしょうね」
ベスーンは黙るしかなかった。そしてこの若者に対して尋常ならざる感情を感じ始めている自分も発見した。
そしてとたんに恐怖も感じ始めた。もし、この若者の目が回復して、自分の姿を一目見てしまったとしたら……。
引き返すか? 黙って消えようか。いや、そうすればこの若者は確実に死ぬだろう。せめて、せめて入口まで送ってから……。
杖の音だけが響いていた。そして時たまの戦闘音。どれも圧勝だったが。
ベスーンはもうただただ怖いとしか思っていなかった。この時間が終わることが怖かった。簡単に人間に絆されるほど孤独だった自分を情けなくも思うが、惚れてしまったのは仕方ない。
愛らしい人間。
初めての感覚。
やがて、その時が近づいてくる、ダンジョンの入り口近くに差し掛かった。日の光が差し込むほどの。
「やあ、明るいのがわかるようになってきた」
「あ……あ、わらわは……その……やることがあるのじゃ、そ、そうじゃ! 中でまだやることが……」
ファローは立ち止まって振り返った。もうすっかり日の光が通路に満ちているから、目が回復していたら万事休すだ。思わず触手がもつれる。しかし、ファローはまだ明るいか暗いかくらいしかわからないようで、
「気付いていましたよ、あなたが普通の人間ではないことくらい。まだ輪郭すらはっきりとは見えないけど。なにか、事情があるのでしょう?」
ベスーンはどきりとした。まずい。人生、いや、人外生初の追い詰められたような感覚だった。震える声で返答する、
「いや、お前が思っているよりもわらわはずっとずっと醜い生き物なのじゃ。どうか、どうか見ないでくれ。わらわの姿を見て一瞬でもお前の顔が曇るようなことがあれば、わらわは耐えられぬ……」
ファローは笑った。
「大丈夫ですよ。自慢じゃないですが、僕、聖人のようなやつだってよく言われるんですよ。だから大丈夫、信用してください。そうだ、街にギルドへ帰ったら、一緒にパーティを組んでくださいよ。僕では足手纏いかもですけど、その、えーと、あなたには恩義があるし」
「うわあああああああああああああああ!」
悲鳴が起こった。
ファローは面食らって立ちすくんでしまったが、目の前にいた「何か」がすごい速さでダンジョンの奥の方に引き上げていくのはわかった。
目を擦ると、足元くらいは見える程度に回復していた。
※※※※※
一年後。
強くなったファローはたった一人でもこのダンジョンを踏破することが出来るようになっていた。毒液を吐くモンスター対策も万全。目指すのは、もちろん。
「ダンジョンの最奥の部屋……きっとあの人は、地下の泉の精霊か何かに違いない……」
そしてついに彼はたどり着いた。
ダンジョン最奥の、広い空間をもつ洞窟だ。以前はコケの光に照らされていただけそこは、しかし、今は色とりどりの光に満たされ、花が咲き乱れる、地下のオアシスになっていた。泉すら渾々と湧き出ていた。
「うわあ、こんな素晴らしい景色だったんだ……」
一年前、ベスーンは、あまりの恋の苦しみに狂ってしまった。彼女はこの空間に戻った後、天井を怪力の触手でくり抜いて掘り進み、地上まで出たのだ。その地上の光がこの部屋まで届いていた。ダンジョン内の魔力が陽気の作用を取り入れ、このオアシスのような光景を作っていた。
「やっぱり、あの人は泉の精霊だったに違いない。どうして、いなくなってしまったんだろう。あの時も……」
ベスーンの行方はだれも知らない。