3-13 八極拳の殺人技
金の瞳が残光による軌跡を描き、黒い影が氷原を舐めるように這う。
確かに殺したはずの存在の出現によって生じた、エスリウたちの意識の空白。そこを逃さず確とした殺意を乗せ、少年は銀刀を振るった。
「──っ!」
下段から迫る刃に対するは、殺意に反応し半ば無意識で剣を抜き放ったマルト。
青き長剣が銀の一刀を受け止め、銀世界を火花が彩る。
しかし、低い身長を生かした攻撃は、咄嗟の防御で上手く受けられるほど甘くない。
ましてや相手は魔神。人外たる膂力を持つ存在。
故に彼女は先制攻撃で体勢を崩し、次いで迫ったロウの上段振り下ろしを、片膝立ちで受ける羽目となった。
「ぐぅ、何故、生きているの?」
「自分とこの魔神様に聞いてみろよ、なッ!」
不可解な現状に思わず問うも、返ってきたのは雑な答えと明確な殺意。
みしりっと激増する銀刀の圧力。
めぎりと鳴る己の上腕骨に、みちみちと悲鳴を上げる僧帽筋。
犬歯を剥き出しにして笑うロウを前にして、このままでは斬られる、とマルトは感じた。
引いていなそうにも既に深く切り結んでいるし、片膝立ちの現状では難しい。
かといって、押し返そうにも魔神たる少年には力及ばず。
さりとて、現状維持はもう限界。
つまり、死ぬ。
「「っッ!」」
いよいよ銀の刃先が鎖骨に食い込み、力の天秤が傾きかけた、その時──ロウの動きがごく短い時間硬直!
刹那、死力を振り絞り褐色少年を押し返したマルトは、命からがら窮地を脱する。
「ごめんなさい、マルト。待たせたわね」
「……いえ。しかし、お気を付けください。あれは、尋常ではありません」
白濁した血液を鎖骨から滲ませ、呼吸荒くロウを見据えるマルト。弾き飛ばされた少年はといえば、硬直の解けた身体の調子を確かめるように伸びをしている。
「紅の魔力……“人の姿のまま”では手に余りそうだけど、ワタクシたちが連携していけば──っ!?」
少年を観察しながら従者を鼓舞しようとしたエスリウだったが──突如言葉を中断する。せざるを得なかった。
「──? お嬢様っ!?」
唐突に言葉を切ったことを不審に思ったマルトが振り返れば、胸から血に塗れた黒刀を生やしている主の姿。
その背後には、鮮やかなシアンブルーの長髪を持つ美女。
刺殺であった。
[──]
「シアァァンっ! 貴様、貴様ぁっ!──!?」
普段の無表情からかけ離れた激憤振りで、怒りを発したマルトは──直後に頭蓋を縦に割られてしまう。
背後からの褐色少年による銀刀縦一文字。
彼の前で無防備な背を晒すなど、愚の骨頂である。
「──卑怯とは言うまいな」
縦に分割された若葉色の従者と、背後から心臓を一突きにされ蹴り倒された象牙色の魔神を見下ろしながら、ロウは呟く。
お前たちもやったことなのだから、と。
◇◆◇◆
「……そろそろ死んだふりを止めたらどうだ?」
マルトを切り捨て銀刀を納めた後、死体を焼き払うということもせず冷然と見下ろしていたロウだったが……不意に口を開き、物言わぬ骸に語り掛ける。
[──?]
((死んだふり?))
傍に控えていたシアンは首を傾げ、曲刀たちも訝し気な雰囲気の滲む念話を発するが──身動ぎした死体たちにより、ロウの言葉が正しかったことを知った。
片や、心臓を串刺しにされたにもかかわらず平然と立ち上がり、霜を払う象牙色の美少女。
片や、分断された肉体や流れ出ていた白濁した血液から次々と萌黄色の芽が発芽し、伸長し、結合。伸びた茎同士が引き合い絡み合い人型を模ったかと思うと、瞬く間に復活を果たす若葉色の美女。
「……よくお分かりになりましたね?」
「シアンがあんたを蹴り倒した後、胸辺りに魔力の流れが見えたもんでね。血の流出もないし、何らかの処置を施したのはまず間違いないと考えた。大体、魔神が心臓を潰されたくらいで死ぬとも思えん」
口元に垂れていた血で唇をなぞっているエスリウの疑問に、何のことはないとロウは答える。首を斬り落とされてなお生きている魔神が言えば、これ程説得力を持つ言葉もないだろう。
「あらあら、これは一本取られましたね。おまけで、追い打ちを仕掛けなかった理由を聞いても?」
「訳も分からないうちに首を斬り落とされたからな、こっちは。挨拶代わりに一回殺したけど、お前らを本格的に殺すかどうかは、対応を見て決めようってとこだ」
「「……」」
挨拶代わりの殺害。
そう言い放つ褐色の魔神は殺意を乗せた紅の魔力を撒き散らす。
闇夜で輝く金の瞳に冗談の色は一切なく、仮に先ほどの“挨拶代わり”で彼女たちが本当に絶命していたとしても、微塵も心が揺れ動かなかったことだろう。
自身が首を斬り落とされ死に瀕した事、そして自身が庇護するセルケトを始末するとしたエスリウの言葉。これらによって、ロウの精神の箍は完全に外れていた。
普段お人好しで女に甘いと評される少年は、どこにもいない。
「その様子だと、抗戦の意思ありって感じだな?」
「「っ!?」」
「シアン、コルク。マルトの相手しといて。加減しなくていいよ」
[──]
褐色の魔神は待ちなどしない。
既に殺害という手段をとられた彼に、寛容の理論など成立するはずもなし。
一も二もなく跪き諸手を差し出す以外に、彼を止める術など無かったのだ。
迷いあれば叛意ありと見なし、叛意あれば死を下す。
故に、返答に迷いを見せたエスリウは殺す。
死ぬまで殺す。
心が砕け散るまで叩き潰す。
「待っ──」「──扑ッ!」
ロウの発した言葉に制止をかけようとしたエスリウへ、少年は顔面への掌打でもって返答した。
側面から鞭のように打ち付けられる掌打を、右腕に左手を添えるようにして防いだエスリウ。そこに、ロウは逆手の拳を腰部の回転と共に下腹部へ打ち込む。
「ぅぐっ!?」
魔術の障壁など用をなさぬと貫いた拳は、彼女の身体をくの字に折り曲げ──少年の肩の高さにまで降りてきた鎖骨に、更なる返しの掌底!
その一撃により、彼女は尻餅をつくような形で体勢を崩してしまう。
「勝手に倒れてんじゃねえよ」
まだまだ終わらぬと掌底を打った手首を返して彼女の頭髪を掴んだ少年は、そのまま下顎を膝蹴りで打ち抜き、頭部を跳ね上げる。
「撕ッ!──嗄啊ッ!」
どこかの骨が砕ける高い音と肉を打つ鈍い音、そして頭髪が千切れる断裂音がない交ぜとなった、そんな奇妙な音響かせ浮かび上がる少女──に対し、ロウは止めだと言わんばかりに大きく踏み込み、駄目押しの肘打ち!
「っ……」
無防備な腹部へと突き刺さったその一撃により、もはや悲鳴すら上げられない少女は無残に吹き飛んだ。
ロウの放った一連の攻撃は、八極拳六大開“捅”・猛虎硬爬山。
相手の殺害を主としている、まごうことなき殺しの技である。
白い氷原に点々と血痕を残しながら転がるエスリウ。
それを無感動に眺めていたロウは、手に残っていた象牙色の頭髪を放り捨て締めの魔法を発現させた。
氷原から氷の巨腕が出現し、少女を鷲掴みにし、握りつぶす。加減の欠片もない魔法だったが──。
「! やっと本気か? 魔神にしては弱すぎると思ってたけど、人の振りして抑えてただけか」
〈野良の、魔神風情が……っ!〉
握り込まれた巨大な拳を爆砕し氷原に降り立つ、三眼の魔神エスリウ。
細くしなやかだった身体は今やはち切れんばかりに筋肉が隆起し、身長は二メートルを超える長身に変化している。
浅紫色の肌の下は、余すところなく筋肉が敷き詰められる。
岩盤のような胸板に、樹木の幹のような太腿とふくらはぎ、そして腕。その腕も、肩甲骨付近から第三、第四の腕が生え、四本腕の異様な姿へと変じていた。
「おや? エスリウ様は血統書付きでございましたか? これは失敬!」
そうして異形と化した彼女に、ロウは揶揄するような言葉を投げかける。隙あらば挑発、乗ろうが乗るまいが心をかき乱せれば十分だと言葉を続ける。
「それにしてもエスリウ様、女装が趣味だったんですね。本当はそれほどまでに逞しい胸板をお持ちだったとは……すっかり騙されましたよ」
〈──言わせておけばっ!〉
ロウは日頃の鬱憤により滑らかとなった口で挑発を続け、ついにエスリウをいきり立たせることに成功する。
本人が最も気にしていた女性らしさの微塵もない容姿をあげつらうあたり、こと挑発に関しては天才的である。単に外道であるとも言うが。
憤激し象牙色の長髪を逆立たせたエスリウが大火球を周囲に浮かべ、不敵な笑みを浮かべるロウがそれを鼻で笑う──。
かくして、魔神同士の殺し合いが勃発したのだった。
◇◆◇◆
一方時は前後し、ロウが殺意に満ちた八極拳の精髄を叩き込む直前。
創造主より邪魔者排除の任を受けたシアンは、無言で黒刀の居合を構え鋭くマルトを見据えていた。
[……]
(シアン……貴女もロウが傷つけられたことに怒っているのですね)
表面上は静かに構え、しかし内面は烈火の如く怒りを滾らせるシアン。その緩く添えられた手と腰の鞘から感情を読み取ったギルタブは、少し意外そうに念話を発する。
普段気ままに過ごすロウの眷属たちではあるが、創造主のことは心の底から敬愛している。それ故に異空間にロウの首と胴体が分かれて落下してきた時、彼女たちは大いに取り乱したものだ。
魔眼によって身体を硬直させられ首を刎ねられたロウだったが、幸か不幸か。その魔眼の凝結作用によって筋肉が収縮し血管が締め上げられることで、血液の流出も防がれていた。
結果、本来なら死を免れない状況にありながら、回復魔法による首の結合まで生き延びることが出来たのだ。正に禍福はあざなえる縄の如し、であろう。
最終的に助かったとはいえ、創造主が死に瀕した事には違いが無い。眷属たちのマルトに対する怒りは当然のものだった。
(構えがロウのものと酷似している。シアンも彼と同等の実力を有していると考えておくべきか。悪夢のような話……いや、待て。彼は確か、二名に命令していたはずっ!?)
そうやって静かに怒りを秘めるシアンと対峙し、彼女を観察していたマルトだったが──もう一人の存在に思い至ると同時にぞわりと肌が泡立つ感覚を覚え、しゃにむに側転!
間一髪で、死角より迫っていたコルクの掴み掛りを回避した。
──しかし。
創造主と知識を共有しマルトの実力を高く見ていたシアンには、こうやってコルクの奇襲が回避される可能性など当然考慮の上だった。
要するに、既に居合斬りを放っていた。
コルクごと薙ぎ払う横一閃を。
(──馬鹿なっ!? 味方ごと、かっ!?)
[──]
魔力で延長された黒刀の刃は側転中のマルトの胴体を分断し、次いでコルクとぶつかり合い甲高い衝突音を奏でるが──こちらは切断ならず。
魔力を纏った彼の腕部は、土属性の特性も相まって極めて硬い。黒刀の刀身ならいざ知らず、魔力で延長された刃如きで傷つく道理は無かった。
「かっ……ふっ!」
胴体を分断され宙を舞っていたマルトだったが、白濁した血を吐きながらも決死の思いで精霊魔法を放つ。
[──ッ!?][──!]
氷原を砕き間欠泉の様に芽吹いた新緑の槍によって、マルトは辛うじて追撃を逃れた。
(身体の、硬質化だと……ぐっぅ……あと何回再生できる? すぐにでもお嬢様の元へ馳せ参じるべきなのに、これでは……)
精霊魔法によって稼いだ時間で魔力を解放し、肉体の再生を図るマルトだったが……二度に渡る急速な再生は負荷が大きく、美しい顔に苦悶の色が滲み出る。
何より、この状況である。
相手は正体不明な魔神の眷属、それも二体。
一対一ですら命をかけねばならぬ相手なのに、どうして二体の相手が出来ようか。
そんな心情を知ってか知らずか、無造作に距離を詰める眷属たち。
正面からシアン、側面からコルク。
一歩、二歩、三歩。無表情で近づいてくる彼女たちが、マルトには死神のように見えた。
呼吸が上手く行えない。
考えも纏まらない。
このままでは、死──。
〈──はああぁぁっ!〉
──死ぬ。そう考えた時に、遠方から届く巨大な炸裂音。
マルトはその音で、かすかに聞こえた主の声で、己を奮い立たせる。
今も主は戦っているのだ。それなのに何故、自分がただ震え何もなさず死ぬことが出来ようか、と。
「──来い。切り伏せてあげよう」
濃い緑の魔力を吹き荒れさせて、マルトは宣言する。たとえ刺し違えてでも、相手を滅ぼすという悲壮の決意を秘めて。





