3-6 カマルグ大湿原
ボルドーを出発して二日目から三日目にかけて、ロウたちを乗せた馬車はリーヨン公国東部に広がる草原地帯を突き進んでいった。
野獣は多くも魔物が少ないこの地域で、魔獣アルデンネによって牽かれる馬車に近付く存在は皆無である。
元が馬とはいえ、巨大な体躯から発散される威圧感はただならぬもの。そんな巨体が蹄を鳴らし高速で駆けているのであれば、距離を取って機嫌を損ねぬよう遠巻きに眺めるのが自然であろう。
加えて、アルデンネは草食から雑食へと食性を変えているため、“逃げる生き物”ではなく“狩る生き物”へと変質している。
故に、向かってくる相手は蹴散らすし、それどころか──。
「──ああ、アルダっ!? こら、追ってはいけません!」
「ぐぉぉぉぅ~……揺れる~……」「ぁぅぁぅ……」
──慄き逃げる相手を食らい尽くさんと、追撃をしかける始末である。
たった今も、馬車の行く手を阻むように展開していた、赤く焼けたような肌が特徴的な鬼人──オーガの集団を、アルデンネたちが蹂躙していた。
岩に大樹のような手足が生えたという雰囲気の巨体が無惨にも蹴り砕かれ、踏み潰され、噛み千切らる。その様は、どちらが襲撃者か分かったものではない光景であった。
「苛烈ですねえ。これ、殆ど護衛いらずじゃないですか?」
「オーガ程度ならそうですが、相手が大集団であったりオーガの上位種が含まれていればアルデンネでは対抗できないでしょう。もっとも、この草原地帯でそういった集団や魔物が出ることはまずありませんが」
馬車の窓から惨劇を見たロウが引き気味に疑問を呈すと、準備していた遅延魔術を引っ込めていたヤームルが答えを返す。
先ほどアルダとデニアが葬ったオーガたちは四匹と少数の集団だった。
これが十数体の大集団であれば多勢に無勢となろうし、道具や武器を操る上位種がいた場合は狩る者と狩られる者の立場が逆転する。
馬はやはり馬でしかなく、護衛たり得ないのだ。
「なるほどー。流石ヤームルさん、詳しいですね。いよっ生き字引!」
「はいはい」
(((……二人とも元気だなあ)))
ロウが大げさに称え、ヤームルが軽く流し、乗り物酔い組がグロッキーとなる。
時折魔物や野獣と遭遇しながらも三日目の行程も無事消化され、一行は宿場町で休息をとるのだった。
◇◆◇◆
ロウたちがボルドーを発ってから四日目。街道沿いの景色は一変する。
背の高く、それでいて奇妙に折れ曲がった細い木々。水分を多く含んだ土壌、そこから生える赤茶けた草花。
至る所に顔を見せる水面に、薄っすらと立ち上るごく薄い靄。その靄の奥で蠢く魔物と思わしき影に、周囲を飛び交う羽虫たち。
そう、一行はリーヨン公国とサン・サヴァン魔導国の国境付近──カマルグ大湿原へ辿り着いたのだ。
窓の外に広がる神秘的な景色に圧倒され、ロウは思わず驚嘆の声を漏らす。
「おおおぉぉぉ~。これは素晴らしいですね。これが音に聞く大湿原ですか。馬車の旅でもなければ、大声を上げて駆け回っていたところです」
「ふふ、ロウさんって変なところで子供っぽいところがありますよね」
「わたしは見慣れてるからロウさんの感動は分からないな~。アイラちゃんはどう?」
「う~ん……凄い景色だとは思うけど、おにーさんほど圧倒はされないかな?」
「こやつは変わり者だからな。このような場所で駆け回れば、たちどころに羽虫が目や鼻に入り不快な思いをすることだろう。一体何が楽しいというのか、度し難いものよな」
猛禽類のいななきを聞きながら感動するロウに対し、女性陣の反応は淡泊極まる。少年の冒険心は理解されなかったようだ。
「ご歓談中のところ申し訳ありません。ここより魔導国南西にある街……カルラ様を送り届ける目的地であるオレイユまで宿場町が存在しない為、数日間は野営となります。何卒ご了承のほどお願い申し上げます」
「ふむ。確かにこれ程ぬかるんだ土地では人も容易には住めまいな。それにどうやら、魔物の気配も増しているように感じる」
「ご慧眼恐れ入ります、セルケト様。ご明察の通り、この湿地帯には人の手に負えないような魔物も数多く存在します。そういった魔物と遭遇した際はご協力のほど、どうかよろしくお願いします」
視線鋭く外の景色を観察するセルケトの言葉に、フュンは強く感心したように野営の理由を補足する。
カマルグ大湿原は非常に危険な存在が跳梁跋扈している危険地帯である。
オーガの上位種であるオーガグラディエーターや、知恵ある魔物とも魔族とも言われているナーガ、サーペントやサウルスといった亜竜など。総じて人の手に余る存在だらけだ。
このため、この地域には国境沿いにもかかわらず砦や防衛施設が存在せず、申し訳程度の街道が通っているのみ。両国家はこの地の開拓など全く行っていない。殆ど宙に浮いた土地なのだ。
そんな土地であるため、街道を進んでいて遭遇する中には、魔物などではなく無法者もいることがあるが──。
「──あ、あんたらッ! 頼む! 俺が差し出せるものは何でも出す、だから──ぎゃぁぁッ!」
「グオオォォォッ!」
「ブルルッ」「……ブルッ」
──大抵は過酷な環境に適応できず、淘汰されていくのみである。自然は厳しい。
「うっ……。あの人、助けてあげられなかったんですか?」
「あれは野盗だもの。アイラが気にするものではないわ。しっかりと武装しているのに金品を抱えて逃げるなんて、ここを移動する旅人や商隊の護衛じゃまずありえない」
「この辺りは人族の集落もありませんからね。逃げようと思ったらなるべく身軽になるはずですから、ヤームルさんの言う通りなんだと思います」
アルデンネと同程度の背丈がある大柄なオーガによって胴体を引き千切られる男を見て、思わず青い顔をしたアイラに、ヤームルとカルラは揃ってフォローを入れる。
ヤームルは旅で見慣れているし、カルラはこの地域出身であるため事情に詳しい。両者とも経験的に、かの男が野盗であることを見破っていたのだ。
「──せいやっ!」「ふっ!」
他方、馬車の外では使用人たちが技を振るう。
アイシャの上段突きがリーダー格であるオーガの股間に炸裂し、コンマ六トンはあろうかという巨体を浮かび上がった──かと思うと、フュンの風の刃が胴体を両断。遠と近、二人の実力者が魔物たちを寄せ付けない。
「ブルル!」「ブルッ!」
加えて、魔獣たるアルダとデニアの存在である。オーガたちの集団が瓦解するまで、そう時間はかからなかった。
「うぉぉ……急所への正拳突き……想像しただけでも震え上がる」
そうして危なげなく脅威を退ける使用人たちを見て、褐色少年は暢気な感想をこぼす。
「強烈よな。……前にロウから打ち込まれた拳を思い出したわ」
「そんなことあったっけ? 飛び蹴りでぶっ飛ばしたのは覚えてるけど」
「戯けめ、貴様と初めて会った時だ。血反吐を吐くような一撃を見舞っておいてしらばくれるとは、やはり貴様は髄まで腐っておる」
「「「……」」」
ロウとセルケトの物騒でありながら、それでいて剣呑さを含まない会話を聞いて顔を見合わせる少女たち。
親しい雰囲気を感じさせる二人だが、時折只ならぬ事情を垣間見せるのだ。年頃の少女の好奇心など、いやがうえにも刺激されてしまう。
「セルケトさんとロウさん、本当に不思議な関係ですよね~。ただの親戚だって話ですけど」
「セルケトさん曰く、互いに血の気が盛んで、時には流血沙汰になることもあるらしいですからね。それなのに、関係は良好。うふふ、もしかすると、男女の仲なのでしょうか?」
「う~ん、距離感は近いけど、男女のそれとは違うような……」
直接聞くのも憚られてしまうため、ササっと集合して会議を始める少女たち。其の疾きこと風の如し、其の徐かなること林の如し。
時に邪推され、時に戦闘に助力して。ロウは順調に大湿原を進んでいった。





