3-2 馬車の旅、初日
我が故郷である地球において、馬というのは人と密接な関係にある動物だった。
ある時は人とは比較にならぬ速力、持久力を持つ足として。
またある時は人の手に余る大きな荷車を牽引する労働力として。
利用のされ方は様々だ。
世界中至る所で人と馬とが似たような関係となっているのは、それだけ馬という存在が、人にとって替えの効かない重要な存在であったことを示す証左だろう。
日常生活においても戦争のような非日常においても、実に多くの役割を人間社会で担ってきた馬だが、それは異世界においても変わらぬものらしい。
「くぁ~。滅茶苦茶大きい馬だな。二頭立てじゃなくても、単独で引けそうな風格だ」
「ほう! 随分と体格の良い馬よな。これならあの籠を引くというのも納得よ」
俺とセルケトの前にいる巨大な黒毛馬は、体高二メートルを遥かに超えている。アルデンネと呼ばれる魔物化した馬だそうだ。
セルケトの持つ大槍と同じくらいの背丈、俺の身長では脚の付け根くらいまでしか届かない、とんでもなくデカい馬である。脚もべらぼうに太い。象かよ。
「ブルゥゥ」「……」
そんな巨大な馬に顔を近づけられて臭いを嗅がれるのは、中々恐怖を覚える体験である。
如何に俺自身が絶大な力を持っていようとも、巨大な生き物というものは本能に訴えかけるような恐ろしさを持っているものだ。
そうやってビビりまくってる俺とは対照的に、セルケトは寄せられた頭部から生えるたてがみに対して、くすぐったそうに身をよじっている。
こいつは元がサソリ女だし、きっと本能的な恐怖もクソも無いのだろう。
「お二人とも随分と気に入られましたね? アルダもデニアも気難しい性格をしていて、人には普段気を許さないのですが」
フゴフゴと鼻を鳴らされていると、御者台に座る銀髪美女のフュンがそんなことを教えてくれた。
俺やセルケトの仁徳が彼らに伝わったのか。はたまた魔物の本能が力ある魔物や魔神であることを見抜き、傅こうとでもしているのか。真相は彼らのみが知る。
(十中八九後者だな)
(馬というものは危機を察知する能力に長けていますからね)
脳内の妄想にすら速攻で突っ込みを入れられてしまった。
迂闊に思考すら出来ない現状に嘆きながら馬たちに別れを告げ、馬車へと乗り込む。
豪華な装飾こそないが、機能的な室内が広がっている馬車内部。床には耐久性の優れた丈夫な織物が敷かれ、三人掛け、一人掛けの席には、共に革張りで柔らかそうなクッションと背もたれが付いていた。
剥き出しの木材を想像していただけに、この座席は嬉しい誤算である。思った以上に快適な旅となりそうだ。
「うふふ、随分と懐かれていましたね?」
「わたし、近くによっても見向きもされなかったです……」
「あたしなんかジロって見られた後、プイって顔背けられたよ!」
「どうも皆さん、よろしくお願いします」
賑やかな声に出迎えられて空いている場所に着席。
俺とセルケトは進行方向側三人掛けの席に座り、側面にはエスリウとマルト、向かい合ってヤームル、カルラ、アイラが腰かけている。ムスターファ家使用人の二人はどちらも御者台にいるため、ここに姿はない。
「──ふむ。ロウよ、やはり馬車でも十分休めそうだぞ。これなら我が寝不足も十分解消されようものだ」
「どうかねー。あの馬、結構速そうだからなー」
「寝不足ですか。セルケトさん、何か悩み事でもあったんですか?」
座り心地を確かめるセルケトの呟きに答えていると、不穏な言葉をヤームルに拾われてしまう。やつが余計なことを漏らす前に誤魔化さねば!
「いや、ただ単に──」
「──なに、簡単なことよ。我がロウとや(殺)り合っただけの話だ。それで多少血が滾り寝付けなかったのだ」
「「「……や、やり合って興奮して寝付けなかった……」」」
おんぎゃぁぁぁそんな誤解を与えるようなこと言わないでぇぇぇ!
(ふふ、別にセルケトは何も間違ったことを言っていないではないですか。実際にロウと熱い夜を過ごして……あ、何だか無性に腹が立ってきました)
(先が思いやられるな……)
かくして、俺たちを乗せた馬車はボルドーから出発したのだった。
◇◆◇◆
魔物化した馬というだけあって、アルダとデニアの引く馬車は速い。
青空の下、草原の間を貫く街道を、俺たちを乗せた馬車はひた走る。その速度は、時速三十キロメートルほどあるだろうか? ドコドコと蹄を鳴らしガンガンと進んでいって、景色が川のように流れていく。
つまりは──。
「──ふぐぉぉぉ……ぉぅ……ロウ~……揺れる~」
「もうちょっとで昼の休憩だから頑張りな」
──馬車内が物凄く揺れるのだ。
これはもう構造上仕方がない事だろう。おまけに、街道も舗装なんてされてないし。
交易の中心地であるリマージュまでの街道とは異なり、ボルドーと魔導国を結ぶ街道には巡回する兵士や宿場町は少ない。そのため街道沿いもあまり発展していないようだった。
公国の首都と魔導国を結ぶ街道は発展しているらしいが……今回の旅では関係のない話である。
青い表情で肩にもたれかかってくるセルケトを宥めていると、正面にいたヤームルがおかしそうに笑みを漏らす。
「ふふっ、こうしているとロウさんとセルケトさんは本当に兄妹みたいに見えますね。立場が逆転してますけど」
「ですよねー。出発の時の模擬戦の話じゃないですけど、なんだか親密な空気を感じちゃいます」
「当事者としては、兄妹ってより保護者って感じなんですけどね」
肩から膝へと頭を移したセルケトの髪を撫でつつ、好奇の目に対し答える。
そうやって応じていて気付いたが、今こうして手櫛で梳いているこの艶やかな竜胆色の頭部こそが、前世含めて人生初の膝枕。
甘い空気の欠片もないサソリ女に、俺の初体験を奪われてしまったのだ。
……色気のない状況だとこうも嬉しくないものなのか。新しい発見である。
膝枕について思い巡らせていると、車輪が石でも踏んだのか不意に車体が大きく揺れる。
それなりに強い衝撃を臀部に感じ、やはり揺れるなあと考えていると、何物かが我が顎を強打した。
「「ほぐぉっッ!?」」
車体の揺れ、そして俺の膝によって打ち上げられたセルケトの側頭部であった。
ビリヤードボール同士が衝突した時のように運動エネルギーが譲渡された彼女の頭部は、数十センチメートル上方にあった我が顎をしたたか打ち抜いたのだ。
要するにとても痛い。
「ぅぐ……な、何をするのだロウ……」
「俺だって痛いよ! この道は舗装されてないし、膝枕は無理だな。不意打ちのヘッドバッティングなんて怖すぎるわ」
「むぅ……」
側頭部を押さえ不服そうに口を尖らせたセルケトは、渋々上体を起こす。
意外と膝枕が気に入っていたのか、強制中断にご不満の様子。こういう反応をされると可愛い奴だと思ってしまうあたり、俺もかなり単純なのかもしれない。
(ようやく自覚しましたか。ロウは頗る単純ですよ)
自分で思う分には問題ないのに、人から指摘されると無性に腹立たしく感じてしまうのは何故なのか? ギルタブは人じゃなくて無機物だけども。
主観的事実と客観的事実の違いについてぼんやりと考えている内に休憩時間となり、見晴らしの良い丘の上で昼食が始まった。馬車内でも十分に食事を摂る空間はあるが、折角良い場所なので外で食べようということになったのだ。
土魔術でかまどや椅子、テーブルが創り出され、水魔術が鍋に水を満たし、火魔術が野菜や干し肉を煮込んでいく。
様々な魔術があれば長旅にあっても簡素な食事とは無縁そうだ。
俺が一人旅していたときは、固いパンと干し肉だけだったが……。魔法を覚えた今であれば、また違った旅になることだろう。
使用人たちが中心となって動き、瞬く間に料理が完成する。
野菜と肉をふんだんに使ったスープに、長期保存がきく固いパン、そして乾麺を茹でたパスタである。パンはスープに浸して食べてくれということなのだろうか? 俺も旅の時には真似をさせていただこう。
皆で卓を囲みいざ実食。いただきます。
「むぉぉー五臓六腑に染み渡る旨さだ! 生き返るとはこのことかっ」
「あんまり食べ過ぎるなよー。食べ終わったらまた揺れる旅が待ってるんだからな」
「……貴様、我が楽しみを奪って楽しいか? この外道め」
「俺なりの優しさだよ。もちろん沢山食べてもいいけど、確実に後悔するとだけ忠告しておこう」
「ふわーっ!? あたしのお肉がーっ!?」
「ブルルゥ」「ブル……」
「アルデンネは雑食性ですからね……アイラ様、器をお取替えいたします。こちらへ」
セルケトに食べ過ぎイエローカードを出していると、アイラが馬にたかられている姿が目に入った。
動物に囲まれる美少女といえば聞こえはいいが、その動物が美少女の倍以上の背丈であれば途端に恐ろしい絵面になる。出発時は馬に寄られる俺を羨ましがっていたアイラだったが、今は怯えの色も滲んでいた。
(そりゃ食事中に料理奪われりゃあな)
サルガスの的確な指摘にそういえばそうだったと思考を修正していると、隣に座っていた浅葱色の猫耳美少女が、おずおずといった様子で話しかけてきた。
「あのー、ロウさん? もしかして今、誰かと話してました?」
「うん? ちょっと前にセルケトと話してたけど……」
「いえ、気のせいかもしれませんけど、何だかロウさんと会ってる時に、男の人の声や女の人の声が聞こえる時があって」
((!?))
ほげ!? まさか、曲刀たちのことがバレたのか!? ナンデー!?
「うっ、今も何か聞えたような……何だかロウさんと会話しているような雰囲気なんですけど、近くには男の人なんていないし」
「そう? 空耳じゃない? カルラさんみたいな猫人族の方って耳が良いみたいだし、もしかしたら別のところの声を拾ってるのかも」
(ちょ、どうするんですかロウっ!)(おい馬鹿、今は念話飛ばすなッ!)
ほぎゃー! お前らちょっと静かにしてろッ!
「そうですか? 今も確かにロウって呼んでたような……」
「──うふふ、楽しそうにお話をされていますね。どんなお話をされているのですか?」
カルラのジト目による追及をかわしていると、輝く満月のように美しい微笑みを浮かべたエスリウが、するりと会話に割り込んできた。乱入してくるとはとんでもない奴だ。
「ああエスリウ様。エスリウ様がお気になさるようなことは一切ありません。なので寄ってこなくても大丈夫です、はい」
「あらあら、お邪魔でしたか? 何だかロウさんの周りで男性の声が聞こえるだとか、女性の声が聞こえるだとか、そんなお話されていたように見受けられましたが……」
形の良い白い眉をハの字にして可愛らしく首を傾げてみせるエスリウ。バッチリ聞こえとるやないかーい。
「えっと、わたしの聞き間違いかもしれないんですけど……エスリウさんは聞えたことがありますか?」
「残念なことですけれど、ワタクシはそう言った声を聞いたことはありません──」
よしよし、エスリウには念話はバレてないっぽいな。多分、カルラは──。
「──ですが、カルラさんは魔力の流れに敏感のようですからね。ワタクシが聞き取れていないような何かを感じ取っているのかもしれません。……そう、例えば、ロウさんが持っている魔剣が発する思念だとか」
ギヤアアアッ! エスリウさん俺と同じこと考えてたーッ!?
「あ……! 確かに、ロウさんの武器は変わった魔力を纏ってますもんね! しかも、丁度二つ……」
エスリウの言葉に納得したように頷きチラリと窺うような視線を向けてくるカルラと、輝かんばかりの笑顔で距離を詰めてくるエスリウ。
これが四面楚歌というやつか。虞や虞や汝を如何せん。
「──む? 何の話をしておるのだ?」
エスリウの白い両手が俺の頬に触れる寸前。
俺の隣にいたセルケトが騒がしい事態に気を惹かれたのか、ひょいと顔を出してくる。
我光明を見たりッ!
「セルケト、丁度いいところに。実はもう料理が食べられないって話をしてたんだよ。代わりに食べてくれないか?」
「ほう! 良かろう。我が平らげて……むむ? そういえばロウは、先ほどあまり食べるなと言って──」
「それじゃちょっとトイレに行ってくるから後はよろしくッ!」
ビシッと敬礼してピューっとその場を走り去る。
中島太郎流処世術之一、四の混合技「都合が悪くなったら代理をたててとんずら」の面目躍如! 後は任せたぜセルケト!
「……逃げたのかな?」「清々しいほどの逃げっぷりでした」「まあ良い。我は食らうのみだ」
そんな声を背後に聞きつつ、俺は草原を駆けて行ったのだった。





