2-51 旅立ちに向けて
ボルドー生活十日目、白竜出現の噂を聞いた翌日。
いつもの様にムスターファの屋敷でヤームルとアイラの訓練を終え、そのまま入浴に昼食にと厄介になっていた時のこと。
「──ロウ様、この後少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
トマトをふんだんに使った窯焼き平パンをモリモリ食べていると、老執事アルデスよりそんな耳打ちがあった。頷きのみを返し、再び食事へ没頭する。
わざわざ他者の耳に入らぬように耳打ちしたということは、面倒事なのかもしれない。今日は昼から組合で受けていた薬草採取依頼をこなそうかと思っていたけど、難しいかもしれん。
期日までにはまだ余裕があるし今日こなせずともいいかと思い直しつつ、料理を完食。アルデスの後に続き客間へと移る。セルケトは女の園に放置である。
(お前さん、中々豪胆だよな。セルケトなんて目を離していると、ついうっかり自分のことやお前さんの正体について、口を滑らせてしまいそうなもんだが)
(ロウのことですから案外、それならそれで拠点を移せば良い程度に考えているのかもしれません)
憶測でものを言う曲刀たち。そんなギルタブの言が当たっているなどとは言えない。
とはいえ、セルケトに人族と交流して慣れていってほしいってのが大きいんだけどな。
思慮深い……とは言えないけど、短絡的ではないしすぐに力で解決するような性格でもない。案外慣れるのは早いかもしれん。
(やれ面倒だの、やれ大変だの言っているが、お前さんは大概面倒見が良いな。ククッ)
(ロウは素直ではないのです)
ツンデレ認定を受けるも無事客間に到着。アルデスの話を聞くべくソファに腰かけて彼の言葉を待つ。
「お時間を頂きありがとうございます。実はロウ様に折り入ってのご相談がございまして。本題へと入らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
「恐縮です。ご相談というのはお嬢様とカルラ様の帰路についてのことです」
そう言ってアルデスが切り出したのは、彼女たちの護衛依頼だった。
なんでも、隣国の魔術大学で学ぶヤームルは夏期休業中にこのボルドーへ帰郷していたらしい。
まだ休暇が明けるまでは時間があるが、竜出現の噂でこの都市は不穏である。城壁に護られた都市でさえそうなのだから、街道の空気など語るまでもない。竜という脅威を知るムスターファたっての願いを了承し、早めにここを発つことにしたようだ。
猫耳少女ことカルラは、そのヤームルとセットで隣国のサン・サヴァン魔導国へ帰国するという。魔術大学のある首都までの行程で彼女の住む街も経由するらしく、道のりに問題はないとのこと。
「ロウ様に護衛の依頼を打診したのは他でもない、竜出現の噂があったからです。かの噂の確度については疑わしいところがありますが……ムスターファ様は万が一に備えるべきとの考えです。どうかご一考頂きたく存じます」
そう言って締めくくる老執事。
「そういうことなら断れませんね。馬車での長旅というのは初体験なので楽しみです。ちなみに、同行者って増やすことは出来ますか?」
「セルケト様のことであれば喜んで。ロウ様に比肩するほどの実力を持つ方ですから、同行していただけるとなれば、ムスターファ様も憂いが晴れることかと存じます」
セルケトの同行は快諾してもらえた。出発が二日後と慌ただしいが、ヤームルたちの指導も終わりということで準備に充てる時間は取れそうだ。
(護衛依頼を受けるのは構わないが、アイラの指導のこともちゃんと考えておけよ? あっちもちゃんと依頼として受けてるんだからな)
……完全に失念していた。
途中でほっぽりだして隣国に行くって考えたら最低だな、俺。送り届けたら速攻空間魔法でボルドーに戻るか?
(国家間の移動が可能かどうかは分かりませんが……完全に中断するにせよ急いで戻るにせよ、相談はすべきなのです)
「──フフ。ロウ様、アイラ様のことでお悩みですか?」
「!?」((!?))
どうするか思い悩んでいると、アルデスから見透かしたようなお言葉を頂く。エスパーかよ。流石老執事。
「実は、カルラ様やお嬢様が魔導国へ戻ることは、予めアイラ様へお伝えしておりまして。アイラ様は渋々と言ったご様子でしたが、既に納得の言葉を頂いております」
「もう根回し済みだったんですね。全く気が付きませんでした」
「フフフ。ロウ様は悩み事が多いようですから、無理からぬことですよ」
(見事にしてやられたな? これが人生経験の違いって奴か)
「ヤームルさんたちが既に話しているなら、俺からアイラに話す時も気が楽でありがたいですね。それはそうと、護衛依頼は隣国の首都までということですよね?」
こういう時は開き直るに限ると気持ちを切り替えて、ついでに話題も切り替える。
「はい。ですが、こちらでボルドーまでの馬車を手配しますし、ご希望であれば首都ヘレネスの宿を長期間とることも可能です」
「いえ、そこまでして頂くわけには……。到着してからの自由行動の許可を取りたかっただけですから、確認が取れれば十分です。魔導国を経由してランベルト帝国に行ってみようかなと考えていたもので」
「帝国へ、ですか?」
「はい。大英雄様のお墓があるらしいので、観光がてらお参りに行こうかなと」
アルデスが妙に反応したので、隠すものでもなしと帝国行きの目的を話す。
帝国は今俺たちがいる国──リーヨン公国と、北の領土境界線で頻繁に小競り合いをしている。そんな公国から帝国へきていると知られれば厄介事に繋がるかもしれないし、心配なのかもしれない。
「観光がてら、ですか。フフ、帝国の大英雄様の墓所も観光地と化していますよ。私も一度ならず訪れましたが、人間族至上主義的な側面がある帝国においても、あの場だけは多くの人族で溢れていましたね」
「やはり大英雄様のお墓となれば人が沢山いるんですね。揉め事にだけは用心しておきます」
人間族至上主義、か。俺もセルケトも見た目の上では人間族だし大丈夫だろう。多分。
その後、報酬兼支度金の相談や集合場所の確認を行い、具体的な話も纏まった。そうして準備のためにムスターファの商店へ出向こうかと、腰を浮かせたその時のこと。
「──改めまして、依頼を引き受けて下さったこと、感謝いたしますロウ様。ムスターファ様もこの件に関しては神経質になっておられましたから、ロウ様のご協力を得られたとなれば大層喜ばれる事でしょう」
「こちらとしても渡りに船でしたから、良いタイミングでした」
「何よりでございます。マルト殿やエスリウ様もいらっしゃるとはいえ、やはりロウ様は実際に竜の魔法を退けた実績がございますから」
「──はい? マルト、さんと、エスリウ様?」
「フフ、驚かれましたか? 申し上げるのが遅れましたが、公爵家のお二方も共に魔導国の首都へ向かわれます。エスリウ様もお嬢様のご学友で、大学へお戻りになられますから」
ニヤッと白い歯を見せ笑う老執事。この反応、俺が二人を苦手としていることを知った上か。とんだ落とし穴じゃねえか!
(ロウが掌の上で踊らされているのです)
(たまには良いんじゃないか?)
良くねえよ。マルトはまあ良いとして、エスリウは俺のことをどうにも怪しんでる風だからな。
事あるごとに視線を感じるし、昨日の訓練前の耳打ちもそうだ。あの人自身も俺の前では全く魔力を出していないし、相当警戒されているとみていいだろう。
(前にも言った気がするが、誘拐された身だし当然じゃないか?)
それもそうなんだけど、マルトの話だと釣り出しのためにわざと誘拐されたって感じだったからな。それなら釣り出しに使った木端のことなんぞ気にかけないはずだ。
(ロウはマルトと切り結んだのですよね? エスリウは自分の従者の実力を信頼しているようですから、その点で警戒されているのでしょう)
う~ん、それもあるだろうが……。何となーく引っかかるんだよな。
とはいえ、これ以上は考えても無駄か。話も纏まったことだし、挨拶してお買い物へGOだ。
「最初に教えてくれないあたり、アルデスさんも人が悪いですね。今更撤回はしませんが、今度アルデスさんと模擬戦をする機会があれば加減抜きでいきますね」
「……ロウ様、私を肉塊に変えるおつもりですか?」
「大丈夫ですよ。立派なお墓を建ててあげますから。それでは失礼します」
青ざめるアルデスを放置して客間を退出。いつの日か見えるのが楽しみだぜ。ガハハハ。
食堂へ移動し絶賛おしゃべり中のアイラとセルケトを回収後、ムスターファ邸宅を出発した。その帰り道。
「む~。おにーさん、ヤームルさんたちについていくことに決めたんですか?」
「ご明察。なるべく早くボルドーに戻ってくるようにするから、堪忍してください」
「ぶぅー。セルケトさんも一緒に行くんですよね? いいなあ~」
「む? 何の話だ?」
可愛らしくふくれっ面になるアイラと疑問符を浮かべるセルケト。この分だとセルケトには話が通っていなかったようだ。
「ヤームルたちの護衛依頼を受けたって話だ。……まあ半旅行みたいなもんだけど」
「ほう、旅行か? 我としてはこの都市もまだまだ住み慣れておらぬ故、見比べることができぬのが残念よな」
「ぶぅ~」
アイラを放置してセルケトに説明していると、美少女が河豚への変態を果たしていた。これは可愛い。
白い頬を指先で突っつくと、更に膨れる。この頬は一体どこまで膨らむというのか?
むくれるアイラを宥め賺して家に送り届け、今度はセルケトを伴って商業区へ出発。魔導国への道中は兎も角、帝国までの保存食や服、旅の道具を買い揃えておかねばならんのだ。
(ロウは基本的に堅実な性格ですよね。時折信じられないくらいの暴走をしますけど)
(鍛えるし備えるのに、いざという時は無茶をしでかす。よく分からん奴だよ)
「場の雰囲気に流されやすく、影響されやすい。そんなところであろう」
「好き勝手言いやがって……」
商業区大通りの商店で乾麺を十キロ単位で購入し店員に目を丸くされながら、曲刀とセルケトの言い草に憤慨する。良い反論は思い浮かばなかったが、不本意であるという態度は示しておかなければならないのだ。
大通りを歩いて回る途中、アイラの母親が営む露店の存在を思い出し、三時のおやつを買うべく露店へ向かう。サンドイッチは別腹なのだ。
「いらっしゃいませ──あら、ロウさん。いつもアイラがお世話になっています」
「こんにちはニーナさん。焼きたてのサンドはありますか?」
「ふふっ、ありますよ。おいくつですか?」
娘のアイラと同じ薄桜色の髪を腰元まで伸ばした女性──ニーナにサンドを二つ頼み、セルケトに支払いを経験させる。
事前に金額を教えていたため、彼女はぎこちないながらも見事銅貨四枚の支払いを済ませた。
「ふふん。どうだロウよ! 我とてやれば出来るのだ」
「良く出来ましたねっと。ほら、ニーナさんがサンドを持ってきてくれたから受け取りな」
「お待たせいたしました。こちらのお嬢様はロウさんのお姉さんですか?」
「親戚ですね。辺境からきたもので、色々と疎いんです」
目を輝かせながらサンドを受け取るセルケトを見て首を傾げるニーナ。こいつのこと姉設定にしなくて本当に良かった。姉というには残念過ぎる。
ニーナに別れを告げ、出来立て焼きたてのサンドを頬張りながらアーリア商店に向かう。
「水は魔法があるし乾物系を買い揃えたし、食料に関してはこんなもんか。後は服と寝具やら調理道具だな」
「ロウよ。露店による前、肉や魚をカラカラに干したような物を買っていたが、旅をしている途中に狩ってそれを食らえばよいのではないか?」
「魔導国の方は兎も角、帝国の方は大分森が切り開かれてるらしいし、野生動物がそれほどいない可能性があるんだよ。いたらいたで、そいつらを美味しく頂く予定だぞ」
「ほう。そういうものなのか」
セルケトの疑問に答えながら路地へと入り、サンドも食べ終わったところで、人気の無い事を確かめ壁を蹴り屋根へと飛び上がる。到着後、異空間への門を開いて俺とセルケトの背にあった巨大なバックパック二つを放り込む。
「ふむ。こうして持ち運ばずとも良いのは実に気楽なものよな。我の武器のようだ」
「そうだな。そういや、セルケトの武器ってどうなったんだ? 槍はいつの間にかなくなっていたけど」
「貴様に破壊された武器たちは我が身に取り込み魔力と成した。大槍だけはまだ持っているがな」
「そりゃ悪うござんした。しかし出し入れ自由の武器か……自分の身体の一部とはいえ、便利なもんだな」
感心しながら屋根伝いに快速移動。そのままアーリア商店を目指し突き進む。
途中、俺たち同様に屋根伝いで高速移動する変人と出くわし微妙な空気となったが、お互い見なかったことにしてすれ違う。
(変人て。自分のことを棚に上げ過ぎだろ)
サルガスの言葉を無視し路地に飛び降り、目的地へと到着。早ければそれだけでよいのだ。
武装解除を行い入店し、アーリア商店一階の調理器具コーナーを見て回る。
「ほう、ほう! この商店は実に多様なもので溢れていて面白いな! してロウよ、これは一体どのように使うのだ?」
「それはさっき買った麺みたいな食べ物をお湯で茹でた時に掴む道具だよ。挟むようにカチカチやってみな」
「ふむ……。おぉっ!? なるほど、良いぞ! ロウ、これを買うのだ」
「はいはい」
トングをスズメバチの威嚇音の様に打ち鳴らし大いにはしゃぐ竜胆色の美女。休日に幼い子供を連れる親はこういう気分なのだろうか? 微笑ましいが若干気疲れする。
何よりセルケトは外見上大人……というには微妙なラインだが、成人はしている容姿だ。
170センチメートルを超えていそうな長身に、美しくもどこかあどけなさを残す顔立ち。そんな外見だけに、彼女が子供の様にはしゃぐと非常に目立つ。というより男性客の目を奪う。
「そこのお嬢さん! ちょっと一緒に食事でもどう?」
早速涎を垂らした男性客が一匹釣れてしまいました。セルケトも罪な女よ喃。
「むっ? 我はこやつと買い物に来ているのだ。他所をあたると良い」
ビッと俺を指さし男性客の誘いを蹴るセルケトさん。こいつ、いつでも一刀両断だな。
「チッ、コブ付きかよ……」
そして捨て台詞を吐き捨てて去っていく男。なんてやつだ。現実には俺の方が保護者だというのに!
そんな平和なやり取りを経て買い物も終了。
服選びでとんでもなく時間が掛かったが予測の範疇だ。三時間くらい居たような気がするが想定の範囲内だ。
「むう……下着とやらを着けると、妙な気分だ。ソワソワするぞ」
「人族が普段身に着けるものだから頑張って慣れなさい」
そんな服選びの最中にセルケトがノーパンノーブラだったことが判明したが、予測の域を出ない問題だ。
──なわけねーだろ! 童貞にパンツだのショーツだのブラジャーだの選べって難易度高すぎじゃ!
というか、下着も着けずに屋根の上を跳んだり走ったりしてたのかよ。スカートだったら大惨事だったな。
「ふふふ。今日からの我は一味違うぞ。気分一新、下着一新である」
「さいですかー」
まあセルケトが大いにご機嫌みたいだし、俺が受けた辱めのことは忘れておくか。
(やはり女に甘いな)(だらしがないのです)
例の如く曲刀たちにお小言を頂きながら、日が暮れる前に薬草採取を済ませるべく、商業区北側の城門へと急いだのだった。