2-49 再び、ボルドー大図書館へ
ムスターファ邸での訓練を終えた後、風呂と昼食を頂いた。
昼食も豪勢なもので素晴らしかったが、それも大浴場の前では霞んでしまう。
俺が宿で創った浴槽など児戯であると言わんばかりの見事な黒石の大浴槽は、デザイン良し、保温性良し、肌触り良し。完璧であった。かつてない敗北感を味わったぜ。
(浴槽を見て敗北感を感じる魔神か。そういえば、ロウは一体どんな魔神なんだろうな?)
(ロウの普段の行動や戦闘を見ていても、一体何を司っているのか皆目見当がつきません。何でもできる魔神、というのが一番しっくりくるのです)
俺の正体へと想像を広げていく曲刀たち。司る、か。
医術を司るナーサティヤ神は教徒たちにその力の一端を分け与え、奇跡を成しているが……俺も何らかの力を司っているのだろうか?
「考え事か? ロウは常に何かしら思い巡らせているな」
隣を仰ぎ見れば、セルケトの顔。何やら感心しているような表情だ。
──ムスターファ家を後にした俺たちは現在、上層区にあるボルドー大図書館へ向かっている。アイラを家に送り届け、商業区から上層区へ入ったところだ。
「ちょっとな。ああ、今から向かう図書館には神の眷属がいるから、魔力の気配は完全に隠しておいてくれよ?」
「ほう? 神の眷属か。どのような姿か見るのが楽しみよな。……む? ロウはその神の眷属と会って何事もなかったのか?」
「いや、バッチリ正体を見破られた。敵対することはなかったけどな」
興味深そうに頷いていたセルケトだが、俺が魔神ということを思い出したのか探るような目を向けてきた。隠すものでもなしと簡潔な事実を伝える。
「曲がりなりにも魔神である貴様の正体を看破しておいて、戦いには至らなかったのか? 風変わりな眷属もいたものだな」
「グラウクスっていうんだけど、その主神が魔神だったら即敵対っていうような神じゃないみたいでな。おかげで事なきを得たし、逆に色々教えてもらえたぞ」
そんな事情説明を行っている内に大図書館へ到着。受付で武装解除に応じ、セルケト用の利用カードを作成してから、ロビーホールを出て閲覧ホールへと向かう。
「ほう、ほう! 良いな、良いぞ。この雰囲気、未知に満ちているな!」
「図書館では静かにするっていうのが決まり事だ。なるべく静かにな」
「むう……──おぉっ!?」
瞳を輝かせ図書館への期待を語る美女を窘めているうちに円形閲覧ホールへ到着。
相変わらず巨大な閲覧ホールだ。セルケトが思わず大きめの声を出してしまったが、こればかりは仕方がない。
「おや? これはこれは、ロウ君じゃないか。また来てくれたのかい? 嬉しいよ」
「こんにちは、ブロワさん。騒がしくしちゃってすみません」
「構わないさ。初めてこのホールを目にしたなら必ずと言っていいほど似たような反応をするからね。ところで、そちらの素敵なお嬢さんは君のお姉さんかな?」
「俺の親戚ですね。田舎から出てきたので少し常識に疎い部分もありますが」
セルケトは遠くに見える書架やホールの天井を興味深げに眺めているため、司書長のブロアをガン無視している。代わりに彼女の紹介を行っていると、彼がおかしそうに喉を鳴らした。
「くくッ、いや失礼。君の方が年下なはずなのに、まるで保護者のような振舞いなのが、何ともあべこべに感じてね」
「実際保護者のようなもんですからね……。ほらセルケト、挨拶しなさい」
「む? もうロウが済ませたであろう? 名乗りとは何度も行うものではなかろう」
一通り興味惹かれた個所は見終えたのか、近くに寄ってきたので挨拶を促したらこの言い草だ。
お前がふらふらしてるから代行したんだぞ! トサカにキますよホンマ。
「はぁ。すみません」
「フフッ。随分と振り回されているようだね。純粋なお嬢さんのようだし、ロウ君も大目に見てやってあげると良い」
「あんまり積み重なると血管がプチっと切れそうなのが怖いです」
「うむ? ロウは血管が切れそうなのか? ならば食事を増やすと良い。体を強くするにはとにかく食べる、人族に限らぬ生物の基本故にな」
「……」「フフフッ」
俺の苦悩など知ったことかと無用な心配をする竜胆色のお嬢さん。いや無用ではないのか?
とにかく、このままでは埒があかない。ブロワに別れを告げた俺はセルケトをひっ捕まえて受付に向かい、金髪キノコヘアーの少年職員に探している本を伝え、書架の位置を尋ねた。
「大英雄様に関する本はとても多いですからね~。大部分は二階にあるはずなので、そこでグラウクスに詳細を聞くのが良いと思います」
「二階ですか。ありがとうございます」
レムリア大陸各地の神話や伝承に関する本が二階の書架にあるというので、言われた通り二階へ上がっていく。
巨大なホールの外周部分に並ぶ書架群は、すさまじい蔵書量だ。二階にある本のタイトルを眺めて回るだけでも一日が終わる。いや、一日が終わっても眺め終わらないか。
「下から眺めていて把握してはいたが。やはり近寄ってみると壮観よな」
「この本棚が四階まであるからな。一般開放されてる部分だけでも、一生かかっても読み切れん──むっ」
セルケトと共に立ち並ぶ書架に唸っていると、銀色の魔力の集束を感知する。グラウクスがやってきたようだ。彼女もその魔力に気が付いたのか、薄く警戒感を滲ませる。
「例の神の眷属さんだよ。おおらかな人……じゃないな、生物? だけど、粗相のないようにな」
ほどなくして、青白黒の奇怪な生き物が眼前に姿を現した。相も変わらず魚類なのか鳥類なのか哺乳類なのか、さっぱり分からん外見だ。
頭部に埋まる瑠璃色のおめめがチャーミングな神の眷属は、ヒレのような腕部をひらひらと動かして喜びを表しながら再会の言葉を発する。
[これはこれは。ロウよ、小さき友よ、よく来てくれたね。いやいや、友が己を訪ねてくれるということは、中々どうして嬉しいものだね]
「こんにちは、グラウクス。今日は大英雄様に関する調べ事をしたくてやってきました」
[そうか、そうか。感心、感心。かの人物に関する事柄は、それはそれは枚挙に暇がないほどに、あちらに連なる山々の峰々へ、積み上げた蔵書の山が届くほどに、驚くほど膨大なる量が存在するよ。ロウが求める彼の情報は、具体的にはどのようなことかな?]
重ねた年齢を感じさせる、しかしまだ張りを感じさせる声音で訊ねるグラウクス。
大英雄に関する本は膨大らしい。よほど色々なことをやってのけたのだろう。
「彼の成した偉業や打ち立てた伝説というよりは、彼個人の人柄や人物像に迫ったような本を探しています」
[なるほど、なるほど。大英雄の素顔に迫る、そう言った内容かな? そうなると数は多くはないけれど、それでも北側の書架を占有するくらいには、所狭しと並んでいるよ。どうだろう、己が案内しようかな? 如何かな?]
「ええ、是非ともお願いします」
詳細を伝えると案内を買って出てくれたグラウクス。話し方は独特だが、とても親切なのがこの奇妙な友人の特徴である。
ふと、グラウクスが出現してから一切口を開いていないセルケトのことを思い出し、隣を見る。
するとこれまた珍妙な、片眉を上げつつ口元をへの字にするという奇怪な表情で、ふよふよと漂い先導する生命体を眺める人型魔物がいた。
「……ロウよ。あれが神の眷属なのか? 我にはどうも魔物にしか見えなんだ」
「お前は魔力の“色”が見えないもんな。グラウクスは間違いなく魔物じゃないぞ。外見はかなり魔物的だけど」
「むっ。貴様には魔力の違いが分かるというのか?」
「俺も分かるし、グラウクスも感じ取れるみたいだな。グラウクスの話では、上位存在でも魔力知覚が特別優れていないと判別できないらしいけど」
セルケトの疑念を解消しながら浮遊物体の後をついていくこと数分。目的地である北側書架へ到着する。
[ここら一帯が大英雄についての、その人物像に迫った書物が並ぶ書架となる。己は業務に戻るとするが、君が呼ぶならいつでも馳せ参じよう、己が友よ]
「案内ありがとうございます、グラウクス」
こちらが礼を述べると霞の如く消え失せる青き神の眷属。転移というよりは、消すも現れるも自由自在という風だ。
空間魔法なのか、あるいは神の眷属としての特性なのか。謎は深まるばかりである。
「──消えてしまった。白昼夢のような奴よな」
「なにせ神の眷属だし。そういえば、セルケトのことはまるっと無視されたな」
「ふむ、言われてみればそうよな。我が気配断ちが完全すぎる故やもしれん」
真相など分かるはずもないので適当に話題を流し、本棚へ向かい大英雄についての書物を漁っていく。
「……『大英雄ユウスケの知られざる一面─彼を取り巻く愛憎劇─』。ユウスケ、お前……これは読まなくていいな。……『大英雄の望郷』。そうそう、こういうのでいいんだよ。……『大英雄名言録─『死亡ふらぐ』から『戦いは数だよ兄貴』まで─』。……ユウスケ、お前本当何やってんだよ」
本のタイトルを読んでいくだけでも、ユウスケ氏の人となりが分かってくる。明らかに日本人、それもサブカルチャーに傾倒していたタイプか。
頭を抱えつつ、まともな内容が期待できる「大英雄の望郷」を選び取り、近くの長椅子に腰かけて読み進めていく。
セルケトは興味深々と書架を眺めているため、この際放置しておこう。