2-43 治癒の奇跡
異形の魔物討伐後。ただいま雨の中をお散歩中。
戦いで負った傷を治療するため、ダリアに連れられて修道院へと向かっている。ただ、何か忘れているような気がする……なんだったか。
ああ、思い出した。俺って魔神だから、神官の治癒の奇跡を受けられるかどうか分からないんだったか。
現在気絶中の曲刀たちの話によれば、奇跡とは神の力の一端を借り受けるものらしいが……。
魔法として模倣するためには是非とも見ておきたいけど、バレたらボルドーに居られなくなるどころか、そのまま滅殺されかねん。神と魔神は宿敵だというし。
その上、治療を受ける場所は修道院。グラウクスみたいな眷属ではなく、神そのものが降臨する、なんてこともあり得るかもしれない。それはそれで見てみたいが。
「ロウ君、大丈夫? もう着くから、あと少しだけ頑張って!」
「はい、ちょっと考え事してただけなのでまだまだ大丈夫──おぉ、あれですかね?」
ボルドー商業区側の城門を出て、至リマージュの街道を逸れて歩くこと数分。
周囲の木々を切り開き見事に開墾された空間に、セサリア修道院なる建物──というより建物群が見えてきた。
修道院というだけあって教徒たちが生活しているのだろう。教会のみならず、広大な農地や作物や農具を保管するための倉庫、畜舎らしきものも見える。もはや一つの共同体、村のようなものだ。
都市城壁の外にあるからか、修道院の入り口には丈夫で立派な門が備え付けられ、石の塀と共に外敵の侵入を拒んでいた。
そんな門を通って、最も大きい建物である教会を目指す。
「内部がこれだけ広いと都市の外にあるのも納得ですね」
「そうだね~教会だけじゃなくって、宿舎だとか鍛冶工房だとか色々な建物があるもんね~……ロウ君ってば大怪我なのに、本当余裕あるね」
「我慢強さには自信があるんですよ」
実は人外でなんですなどと言えるはずもなく、適当にお茶を濁す。
雷撃による火傷、内外の出血、内側から爆ぜたような裂傷などにより、俺の見た目は中々に痛々しい。おまけに腹に穴が開いているとなれば、何故普通に歩いているのか分からないくらいだ。我ながら丈夫すぎる。
考えてみればあのセルケトの大槍は深々と刺さったし、雷で加熱された槍で傷口の止血がされていなかったら、失血死していそうな傷だった。
雷撃自爆をやっちまった時は焼かれるわ痺れるわで滅茶苦茶痛かったけど、案外ファインプレーだったのかもしれない。災い転じて福をなすって奴だ。
曲刀たちが居たら「自分で災いを起こしてちゃ世話ない」って言われそうだけど。
(──はっ!? ロウ、ご無事ですか!?)
噂をすればギルタブが起床。彼女は抜き身だったサルガスと違って鞘に納まっていた分、電撃の被害が軽減されたのかもしれない。
(あぁ、大怪我じゃないですかっ!? 何を暢気に回想してるんですか! 早く治療をしないと!)
いつもの涼やかな態度はどこへやら、大いに取り乱す黒刀さん。心配してくれるのは有難いけど、脳内で強い思念を飛ばされると怪我人的にはしんどいです……。
慌てふためく黒刀に事情説明(脳内)を行っている内に、目的地の教会へと到着。
白い外壁、藍色の切妻屋根。建物自体は大きいが、付け柱や壁に彫り込まれるような装飾は一切なく、その佇まいは質素そのもの。
セサリア教会は清貧を体現したかのような外観だった。
「落ち着く雰囲気の建物ですね。入る時に許可みたいなのっていりますかね?」
「ううん、普通に入れるよ。それに今回は事前に連絡してあるし、すぐに神官の方が見てくれると思う」
ダリアの言葉にほうほうと頷き、氷の大傘を解除して内部へ入る。
灰色の石畳に同色の石柱、そして石壁。静謐というにふさわしい教会内部の回廊は、夏場の雨というじめじめとした天気であるにもかかわらず、ひんやりとした涼しさを感じてしまう。厳かな空気は否応なしにこちらの背筋を伸ばしにくるというか。
「その少年がベルナール殿の仰っていた方ですか?」
「ベルティエさん!」
戸を開けて教会内へ入ってすぐに、黒い円柱状の帽子を被った男性神官と鉢合わせた。
二足で立ち上がった熊を彷彿とさせる白髪の壮年男性は、ゆったりとした濃紺の衣服の少ない露出箇所から、歴戦の戦士のように幾つもの傷跡が窺える。おまけにその厳つい顔面は大きな切り傷が縦断し、隻眼である。
どう見ても聖職者に見えないんですけどー?
「こちらのロウ君は例の異形の魔物を討ち取ったんですけど、かなりの重傷なんです。治癒の奇跡をお願いします!」
「初めまして、ロウです。冒険者組合のベルナール支部長の紹介で、奇跡の恩恵を与かりに来ました」
「これはご丁寧に。私はベルティエ。このセサリア修道院の管理運営を行う神官長です。そして、異形の魔物の討伐感謝いたします。かの魔物の被害に遭ったとみられる冒険者の方は数多く、我々も大いに悩まされていました」
ごっつい容姿とは裏腹に、胸に手を当て穏やかな声音で自己紹介を行うベルティエ氏。
しかし、その分厚い手の甲には、やはり切り傷刺し傷が所狭しと並んでいる。
これは明らかに武闘派ですわー。この人も助力してくれてたら案外異形の魔物も楽に倒せたんじゃないかと、無根拠にも思えてしまう。
「それではご案内しましょう。こちらへ」
彼は俺の火傷の様子や腹の穴を確認すると僅かに顔をしかめたが、納得したように頷き教会内の案内へと舵を切る。
堂々とした足取りで進む彼の後に続き回廊を歩く途中、気になっていたことを尋ねることにした。
「ベルティエさん、奇跡を与かるのは初めてなんですが、どこでもできるものではないのですか?」
「奇跡とは場所を選ぶものではないですが、ナーサティヤ様の力をより効果的に借り受けられる空間は存在します。君の傷は重いものですから、教会内の祭壇に案内しているのですよ」
「祭壇ですか~私見たことないです。あ、私って部外者ですけど入っちゃって大丈夫ですかね……?」
「ナーサティヤ様の御姿は秘するようなものではありません。どうぞご覧になっていってください」
そういうことらしいので、ダリアも同行することになったが……え? 御姿? マジで降臨すんの?
「ナーサティヤ様って神様なんですよね? 奇跡を使う時に顕れちゃったりするんですか?」
「ああ、そういうことではないですよ。祭壇にはナーサティヤ様を模した像が祀られていますから、それを御覧になって頂ければと考えたのです。勿論、単なる偶像ではなくナーサティヤ様の神威が宿ったものですから、我らの神の、その力の一端を感じ取れるはずです」
ベルティエの言葉でホッと一息吐き、冷や汗を拭う。ナーサティヤ神が治療中に顕現すんのかと思っちゃったよ。
神の眷属グラウクスに指摘されてから隠蔽技術に磨きをかけてはいるが、流石に神相手に確かめてみる気にはなれない。バレたら即殺されそうだし。
(案外ロウなら神からも逃げ果せそうな気もしますが。ハダルの記憶によればナーサティヤ神は若い神だったはずですから、さほど脅威でもないでしょう)
俺を過大評価するギルタブは軽い調子で宣う。若いっつっても神様じゃん? 間違っても敵対する気にはならんよ……俺も魔神だけどさ。
神と出会うことがありませんようにと神へ祈りを捧げている間に回廊を抜け、祭壇のある聖堂のような場所に到着した。
縦長のホールのような空間はやはり聖堂的で、奥の祭壇に向かう形で長椅子が並んでいる様もそれを想起させる。
異なる点と言えば、祭壇にある神を模っているであろう石の像。長い髪を持つ中性的な顔立ちの男性は、慈愛に満ちた表情で自身の手のひらに乗っている小鳥を眺めている。
着色のない単なる石像だが、切れば血の出るような躍動感がある。なるほど、確かに特別な力のようなものを持っているようだ。
そういえば、祀っているのが聖人じゃなくて神そのものだし、やっぱり聖堂と呼ばずに神殿? 祭祀堂? と呼ぶのがいいのか?
「こちらの聖堂の祭壇前でロウ君の治療を行います。寝台の上で仰向けになって頂けますか?」
「はい。服は着たままで大丈夫ですか?」
「ええ。ですが、患部が見えるようにしてください」
聖堂で問題ないらしい。祭壇前に案内され、武装の解除を行い診療台のような寝台へ上がって、穿たれた腹を露出して寝転がる。
内側から爆ぜたような傷が至る所にある全身に、拳大の孔のある腹部。火傷の方は褐色肌のため目立ちづらいが、酷い傷だ。自分の傷じゃなかったら目を背けたいくらいである。
「うぅ。ロウ君、頑張って!」
「頑張ってどうにかなるもんなんですかね……」
「フフフ、ロウ君は我慢強いですね。腹の傷一つとっても大人でも声を上げてしまうほどのものですが」
ベルティエにもいたく感心される。まあ腹に穴が開いていて、その穴が焼け焦げていたらね。
こちとら人外なもので! ガハハ。はぁ。
「それでは始めます──」
意識を切り替えた彼の宣言と同時に、彼から溢れだすまばゆいばかりの白銀の魔力!
それは彼自身の濃く白い魔力とは異なる、膨大で、どこか温かさを感じる異質な魔力だ。
ベルティエは目を瞑って祈りの所作のみを行い、魔法陣が浮かび上がるような事や、詠唱や祈りの言葉を紡ぐことは無い。
さりとて、その効果は覿面。
彼の身から溢れ出たナーサティヤ神の魔力は俺の身体へと浸透し、火傷や内外の出血を早回し映像の様に癒していく。
穴が開いている腹の方へと目を向ければ、中々エグイことになっていた。
まず穴周辺の焦げ茶色の火傷痕が消え、そこからぬらりと照りを放つ腸がにゅるりと顔を出す。次いで脈動する血管や透明な管が穴をふさぐように根を張ったかと思うと、細い筋繊維が帆を張るようにして出来上がり、更に空気が送り込まれたかのように膨らみ、盛り上がる。
そうして筋肉が脈打つと、それを覆うように被膜が張られ、最後にそれらを保護する褐色の皮膚が包み込む。
あっという間に完治完了。実に五分ほどの出来事である。
「……」
ダリアは傷口がグロテスクだったため目を瞑っているし、ベルティエも未だ祈りをささげているため見ていない。
これ明らかに異常な速度の回復だよな。やっべーわ。どう誤魔化そう?
「あのーベルティエさん? もう治っちゃったみたいです」
「──はい?」
仕方がないのでそのまま告げることにした。治っているのに祈りを捧げ続けてもらうのも悪いし。
とはいえ、いきなり治ったと言われても信じられないのか、目を点にしているベルティエ。そんな彼に腹部を示すと、彼の厳つい顔が悩まし気に歪む。
「これは……なるほど。ロウ君にはどうやら、神のご加護があるようですね。何か特別な習慣をしていたり、どこか特別な生まれだったりするのですか?」
「いやー、片親で育ったもので詳しくは分からないですが、少なくとも母親に関してはごく普通の平民だったと思います。特別な習慣というのも思い当たりませんね。俺のしている習慣といっても、毎日行う自己鍛錬くらいです」
彼の見立てでは、この高速治癒は神の加護によるものらしい。
どちらかというと加護を受けるというより、与える側なんじゃないか俺。魔神だし。
何にしても助かった。神の加護万歳!
阿呆なことを考えていると、目を瞑っていたダリアがこわごわと目を開け、俺の腹の穴が塞がっているのを見ると嬉しそうに声を上げる。
「──あれ? あ、ロウ君のお腹治ってる! 良かったあ~。私、痕になったらと思うともう心配で心配で……」
「あはは、ありがとうございます。何だか神様の加護があったらしくて、奇跡の効果が増幅されたみたいですね」
「私も長くナーサティヤ様の力を借り受けて治療にあたってきましたが……。これほどまでに効果が表れたのは初めてです。対象の治癒能力を増幅させるとはいえ、本来であれば傷口の火傷が消える程度で、完治を目指すためには、何度かこちらに通ってもらうはずだったのですが」
驚嘆するようなベルティエの言葉により、すとんと納得がいった。
転生してから傷の治りが異常に早い俺である。いつぞや爆死しかけた時も、軽く寝ただけで治ったものだ。ビオレータの魔法薬をもらった時もすぐに治ったし、ただ単純に俺自身が異常な自己治癒力を持っているだけというのが真相であろう。
蓋を開けてみれば何のことはない。神の加護なんて無かった。
「そういえば、こちらで治療を受けた冒険者のヴィクターやレルミナは、彼らの容態はどうですか?」
俺は持ち前の自然治癒力のおかげで事なきを得たが、あの二人は真っ当な人間族のはずなのでそうはいかないだろう。加えて俺よりも重傷だ。
「彼らは重傷者なので、この修道院で泊りがけで治療することになっています。今はまだ治療途中なので面会は出来ませんが、三日後には大まかな治療も終えて面会も出来るはずですよ。その時は是非顔を見せてあげてください。ヴィクターさんは貴方のことをとても心配していましたから」
「わかりました。二人の治療をよろしくお願いします」
「ベルティエさん、支払いの方は支部長からになりますので、後日纏めてということで大丈夫でしょうか?」
「はい。ベルナールさんにもよろしくお伝えください」
腕をくっつけたり全身の裂傷を癒したり腹の穴を塞いだり。治療費は一体どれくらいになるのだろうか? まあベルナールの依頼だし同情はしないけど。
ベルティエとの別れの挨拶を終え、ダリアと共に修道院を後にした、その帰り道。神なる神秘へ思いを巡らせる。
神にバレずに済んだのは良かったけど、今回の奇跡で魔法として模倣するのは難しそうだ。衝撃的な光景だったけど、治癒過程が早送り過ぎてあんまり細部覚えてないし。
「うん? ロウ君、どうかした?」
「いえ、奇跡って凄いなあと。まさかあんな短時間で穴が塞がっちゃうとは思いませんでしたから」
「そうだね~。私は怖くて見れなかったけど、ロウ君は治るところを見てたんだよね?」
「はい。穴の火傷が治った時に、こう、内臓がにゅるっと──」
「わーっ! そんな動きを交えて説明しなくていいから! 言わないで!」
慌てふためくダリアをからかいながら、あの奇跡をどうやって自分の魔法で再現するかと悩む帰り道だった。