2-42 セルケトの処遇
「ぐぉぉぉ……耳が~」
雷鳴轟き反響し、雨降りしきる森の中。
自らが放った雷撃とは比べ物にならない爆音に、ロウは顔をしかめて蹲る。
やや離れた背の高い樹木に雷が落ちたとはいえ、その雷鳴はしばらく聴覚異常が起きるほどのものだった。
──少年が行ったのは自然雷の誘雷である。
本来、雷雲の下層と地上との電位差が一定以上でなければ落雷が発生することは無い。しかし、地上から雷を迎えるための道を創った場合はこの限りではない。
ロウが地上から放った雷撃は雲まで達することは無かったが……雷撃によって発生した陽イオンにより、雷雲から先駆放電が誘発されることとなる。それが地上までの道を繋ぎ、次いでその道を通る主放電も放たれたのだ。
エネルギーが満ちる前の主放電であるため通常の落雷よりは破壊力が劣るものの、その電圧はロウが放った雷撃の十倍以上──およそ五千万ボルトにも達する。地球でいえば発電所で生み出される電圧の百倍以上にもなる、桁違いのエネルギーである。
雷撃を浴びたセルケトは熱に対して強い耐性を持っていたが、その備えは体を覆うような外側への防御。電熱という内側からの加熱に対するものではなかった。
結果が、少年の前に鎮座する黒ずんだ物体である。
「完全に炭化してるか。流石は雷様」
降りしきる雨の中、異臭立ち込め白煙を上げる真っ黒な落下物──セルケトだったものを検分したロウは、石柱へともたれかかり曲刀たちの様子を確かめる。
相手の体越し、武器ごしではあるが高圧高電流を浴びたのだ。通電による高熱を持ち溶けていても不思議ではない。
「熱ッ!? ……いけど、変形はしてないか、良かった。おーい、無事か?」
ロウが問いかけるも返事はない。ただの曲刀のようだ。
「まあ放っておけば起きてくるだろ、多分……ん?」
ロウが曲刀の反応を確かめていると、眼前にあった物体が崩れ出す。
雨で冷えたことによる収縮か? とロウが考えていると──。
「んんッ!?」
──炭の中より、白い肌の美しい全裸の女性が出土した。桃太郎ならぬ炭太郎、いや花子?
「って、セルケトかよ。こいつどんだけタフ……」
満身創痍の身体に鞭を打って近付いた少年は、美女がセルケトだと知るとその生命力に嘆息し、その女体に人の尻や足を確認すると絶句した。
「……扱いに困るな、これ。人になったってわけじゃなさそうだけど」
半身どころか全身が人型となったセルケトの姿にしばし呆然とした後、ロウは静かに胸を上下させる彼女の魔力の色を確かめた。
弱弱しく発せられている色は、相変わらず毒々しいまでに濃い紫。魔族、魔物のそれである。
「う~ん。殺っておくのが一番なんだろうけど。人の形だとどうにも……俺も人の形した魔神だしなあ」
魔神の少年は両腕を組んで唸り悩む。元々彼女と敵対するのは本意ではなかったが、魔物である以上は排除もやむなしといった考えだったのだ。
しかし、今のセルケトは上から下まで人型である。おまけにアルベルトの報告にあった様な恩に報いる性根も持ち合わせているとなれば、同じ人型の人外である彼が躊躇うのも当然と言えた。
「あ~クソッ! 駄目だ、とりあえず異空間に放り込んでおこう。いつだったかギルタブが言ってた通り、美人に甘いだけなのかな、俺」
結局、ロウはセルケトへの対応を一時保留することに決めた。彼女の意識が戻ってから判断しようという、何とも場当たり的な対応である。
「人を襲わないように説得できたら別の地域で放逐させてもらうか……見かけはただの美人だし多分弱体化してるし、ちょっと強い人族ってことで誤魔化せるだろ……きっと」
無根拠に弱体化を決め付け方針を固めていくロウ。ストッパーとなる曲刀たちがいなければ、途端に暴走特急と化すのが彼の欠点である。
泥と煤塗れになっているセルケトを水魔法で洗い流し、彼女の胸や股間を凝視しながらも身体の水分を拭き取った後。少年は自身のローブを羽織らせて、彼女を異空間へと放り込んだ。
異空間で寛いでいた眷属たちに暴れるようなら拘束してよしとの指令を出し、彼は今後のことへと思いを巡らせる。
「逃がしたと報告するか殺したと報告するか……いらん警戒をさせても悪いし、放逐するにしてもリーヨン公国の外で放つし、殺したことにしておくか。他にも異形の魔物がいるのかと思ってたけど、結局セルケトが変身しただけだったし。後は──」
──説得に応じず以前の様に人族を殺すつもりならば、その時はきっちり始末する。
自身で決めた覚悟に身震いしつつ、ロウはヴィクターたちの武器やセルケトの巨大な尾を回収し、街へと急いだ。
◇◆◇◆
ボロボロな身体を酷使して、ロウは二時間ほどでボルドーへと到着する。
衛兵たちに驚かれつつも街へと入り、彼は冒険者組合を真っ直ぐ目指す。雨天だったことも幸いし、大きな騒ぎを起こすことなく組合に辿り着いた。
「!? 何だあの巨大なものは!?」
「あの皿にしている盾はヴィクターさんの……?」
「ああ!? 私のロウ君が酷いことになってる!?」
両手が塞がっているため大型亜人用扉を蹴り開けたロウは、しかし案の定中にいた冒険者たちの注目の的となる。
二メートル近い巨大な盾にセルケトの尾を盛りつけるように載せ、それを両腕で持ち上げる。外見上は子供に過ぎないロウがそんなことをしていれば、視線を集めるのも道理である。ましてや、巨大な亜人用扉を蹴り開けたのならなおのこと。
とはいえ、身体がボロボロ(主に自身の雷撃により)な少年は周囲のことなど気にも止めない。ギョッと硬直する冒険者たちを無視して彼は受付へと向かった。
「──ロウ君っ!? ちょっと、大丈夫なの!?」
「見ての通りボロ雑巾ですが、あとで治療しに行くので大丈夫です。支部長はいますか?」
「う、うん。支部長室に居るよ。最優先で通すように言われてるから、ついてきて」
ロウの姿に驚き、どう見ても重傷者なのにいつもと変わらぬ様子で更に驚いたダリア。
依頼内容についてベルナールから事前に知らされていたため、彼女は何とか平静を取り戻して少年を支部長室へと連れていく。
「支部長! ロウ君が帰ってきましたよ!」
「……! 無事、ではないが、良く帰ってきてくれたロウ君」
「どうも。ヴィクターさんたちに会いましたか?」
ダリアと共に支部長室へと入室し、ロウの荷物に驚くベルナールから労われたロウだったが、軽く流して自分より重傷だった協力者のことを問い質す。
「ああ。二人ともここで応急処置を終えた後、修道院に移って腕の良い神官から治療を受けている。……ヴィクターたちを見た時は肝が冷えたが、君のケロリとした様子を見ると違う意味で背筋が寒くなる」
「そうですか。とりあえず最低限の報告だけして、俺も治療に行っていいですか?」
「勿論だ。セルケトの尾を持って帰れたということは、討伐できたということか?」
「本体の方は完全に炭になってたので、尾だけですけど」
炭にはしたが、その後人型となったことには触れないロウ。ましてや、自身が空間魔法で創り出した異空間に放り込んでいるなどと、言えるはずが無い。
「そうか! よくやってくれた! 君ならやってくれると信じていたぞ!」
「傷が痛むんで止めてもらえます? 双龍、ちょっとこの人拘束しといて」
[[──]]
感極まったのか、バシバシとロウの背を叩き褒め称えるベルナール。少年が自前のゴーレムによって拘束した後も実に上機嫌な様子だ。
彼にとって、そしてボルドーにとって最も厄介だった問題が片付いただけに、らしからぬはしゃぎようである。
一方、龍たちが少年の指令に嬉々として応じる様子に、ダリアは呆気にとられてしまう。
「……ロウ君、本当にこのゴーレム創ったんだね。この竜たちっていつもは気ままなのに、ロウ君がいるとすっごく従順になってる……」
「普段どんな態度なのか気になるところですけど、支部長の部屋だし特に気にすることもないですね」
「ハァ。まあいい。君も重傷なんだ、早く修道院へ向かうと良い。話を通してあるから、私の名を出せばすぐに治療を受けられるはずだ」
ロウからの相変わらずの雑な扱い振りに機嫌が急落していくベルナールだったが、その対応も自らが招いたところがあるため、深くは触れずに話を進めていく。
「ありがとうございます。詳細の報告は明日の朝一番でも?」
「それで構わない。修道院の場所はダリアに案内してもらうと良い」
ロウ自身も傷を早めに治療したかったためベルナールの提案に素早く乗っかり、ダリアと共に支部長室を後にする。
双龍に、ベルナールの拘束命令を出しっぱなしなことも忘れて。
「──おい。もう放してくれても良いんじゃないか?」
[[……]]
ロウの命じた“ちょっと拘束”の効力が切れるのは、それから二時間も後のことだった。