2-36 お呼びでない再会
太陽が高くなり、もうじき昼かという頃合い。
訓練を終えたアイラがいつの間にか仲良くなっているカルラと共に、平たくなった群青色の物体に沈み込んでいるその時。我が魔力感知にこの屋敷で慣れ親しんだもの以外の存在を検知した。
数は二つ。
片方は判別できないほど希薄な気配だが、もう片方は並々ならぬ魔力の濃さだ。
色は深い緑。かつて一戦を交えたあのフードと酷似する、静かだが濃い気配。この場を目指し移動しているようだ。
「……」
意識を切り替え戦闘モード。曲刀たちの位置を確認して万が一に備えつつ、近くにいるフュンへ来客の有無を聞く。
「来客ですか? この時間帯に訪れる予定は無いはずですが……。なにせ、ムスターファ様はお嬢様との昼食を毎日楽しみにされておりますので」
「そうですか。ちなみに、俺が今まであっていない方々でこの中庭に用のある方はいますか?」
「いえ、庭師もここで仕事を始めるのは昼食後となっていますので、用のあるものはおりませんが……何か気になる点が?」
逡巡。自分にとって不確定な存在を伝えるべきか否か。
件の人物らが堂々と屋敷へ入り気配を隠さず移動中。顔見知りか親しい間柄か、この家の者と何かしらの関係を持っているであろうと推測できる。
しかしあの気配がフードであるならば、俺としては可能な限り接触は避けたい。
こちらの足取りを追ってこの屋敷を訪れたというのは流石に考えづらいが、盗賊団の生き残りであり顔の割れている俺が会えば何が起こるか分からない。
とはいうものの、何も言わずにこの場から立ち去る事は出来ない。トイレでの緊急回避などもってのほかだ。相手に居座られたらおしまいだし。
「実は、見慣れないというか感じなれない気配が気になったもので。このテラスを目指しているようですから、客人の方か使用人の方なのかなと」
結局、戦闘になった時のことを考え予め伝えておくことにした。
急いで移動しているのか、既に相手は中庭。相手が強硬な手段に出ないことを祈るしかないか。
「感じなれない気配ですか? それは──っと、あら? この感じは、マルト様!? 大変です!」
フュンも気配を感じ取ったのか目の色を変えて狼狽える。ほどなく、フュン同様若干焦燥の色を滲ませるアルデスもこちらへと駆けつけた。
「フュン、すぐに湯で茶器を温めなさい。数は今からいらっしゃるお二方を加えた六つです」
「はい、直ちに!」
「ロウ様、アイラ様、申し訳ありません。今こちらへ向かわれている方々はこの家にとって極めて重要な客人ですので、このような対応をどうかご容赦ください」
「いえいえ大丈夫ですよ。アイラと一緒に退散しましょうか?」
どうやらここへ向かっているフードたちは、ムスターファ家にとっての重客だったようだ。
アイラも慌ただしい気配を察したのか、俺のゴーレムの上で身体を起こし聞き耳を立てていた。アルデスの返事次第ですぐにでも動けるだろう。
「ご配慮痛み入ります。では──」
「──あらアルデスさん? 友人を指導していただいている方々を、蚊帳の外になんてできませんことよ?」
アルデスが了承しようとしたところで、透き通るような美声が遮った──退避、間に合いませんでしたー。
テラスへ現れたのは象牙色の輝く長髪をなびかせる、絶世と形容できるほどの美少女。
髪と同色の柳眉に筋の通った高い鼻。大粒の宝石のように輝くすみれ色の瞳。僅かに下がった目尻は彼女の完璧なまでの美しさに可憐さも加えている。掘り込まれたように深い顔立ちは端麗としか形容しようがない。
しかし、そんな気品溢れる容姿ながら服装は極めてシンプル。煤けた様な灰白色のブラウスに丈の長い紺色のスカート、そして動きやすさを重視したようなブーツ。正式な訪問などではなく、お忍びか何かなのだろうか?
「お嬢様、相手方の事情も知らないうちに呼び止めるのは、失礼にあたるかと」
染み入るような深みを持つ、しかし感情が読み取れない平坦な声と共に遅れて登場するのはまたも美女。
長身の肢体に新緑を思わせる若葉色のうねる長髪。象牙色の美少女とは趣が異なる端正な顔立ち。鋭い印象を与えるツリ目がちな目尻に、髪色とは異なる深みのある苔色の瞳。細面ながら思わず呼吸を忘れてしまうような美しさだ。
彼女も簡素な出で立ちだが、古木を加工したような手甲や脛当て、足の甲が守られたサンダルのようなものを身に着ける。さらには──いつぞや居合を披露した、美しい装飾が印象的な長剣を帯剣していた。
つまりは、こいつがあのフードの中身。
お前、女だったんだな……まさかこんなセリフを現実に思い浮かべる日が来ようとは。
一時は切り結んだ相手、そして俺の仲間──バルバロイの面々を殺したかもしれない相手。
さあ、どうでるか。
「──っ!?」
こちらと目が合うと能面のような表情でピタリと硬直する女。右手が動きかけたが、長剣にかかることは無かった。どうやら制止したようだ。
「ようこそおいで下さいましたエスリウ様、そしてマルト殿」
「エスリウ様、マルトさん、ご機嫌麗しゅう……と思いましたけど、お忍びですか? エスリウさん」
「あぁ、ヤームル……! 無事だったのですね!」
アルデスが上品にお辞儀を行い、ヤームルが洗練された所作でカーテシーを行い挨拶。
そこから一転して口調を改め象牙色の少女に語り掛けたところで、エスリウと呼ばれた少女は突如涙ぐみ、ぐわしっとそこそこ豊かな胸元へとヤームルを抱き寄せた。
「えっ? ちょ、エスリウさん!?」
俺もフード──もといマルトも、唐突に発生した百合百合しい光景を呆気にとられつつ眺める。アイラたちは最初からゴーレムのマリンの上でほわわんとしているので、変わらぬ様子だ。
「貴女たちが竜に遭遇したかもしれないと聞いて、居てもたってもいられなくなりボルドーまで来たのですよ。ムスターファさんから無事だとは聞いていましたが、何よりです」
「ああ、竜ですか……街道の被害は甚大のようですが、私たちは何ともありませんよ」
ヤームルはエスリウの言葉を聞き、竜に会ったとも会っていないともとれる回答を出す。
エスリウの話しぶりを見るに彼女は竜と遭遇したことまでは知らないようだし、余計な心配をかけないようにするためかもしれない。
……うん? なんだか、エスリウって名前、何処かで聞いたことがあるような。はて?
彼女の名前に妙な引っ掛かりを覚えていると、傍観していたアイラがマリンの上から降りて、驚いたように少女たちに質問を投げかけた。
「えっと、竜ですか? 街道に竜が出たんですかっ!?」
「あら。ご存じでない方もいらしたのね」
「お嬢様。関係者には箝口令が敷かれているはずですから、知らないのが当然です。もっとも、いずれは商人や旅人たちの口から広まるでしょうが」
「そういうことですから、少しの間内密にお願いしますね? 可愛らしい精霊使いさん」
「え!? は、はい」
「何だか頭が痛くなってきたわ」
竜という単語に反応し泡食って質問をしたアイラだったが、エスリウからは見事に説明を拒否されてしまった。
考えてみればドレイクの出現って大問題なんだよな。俺もその内対策やら詳しい聴取目的で召喚されたりするんだろうか? だとしたら、ボルドーに長居するのも不味いかもなあ。
ボルドー脱出から飛躍して公国を出る妄想にまで発展させていると、フュンの澄んだ声で現実へと引き戻される。
「お嬢様方。お茶の準備が整いましたので、どうぞこちらへ」
「あら! お心遣い感謝しますわ。実は昨日の早朝にリマージュを発ってからボルドーへ到着するまで、食事らしい食事を行わずに来たのですよ。一応軽く食事を摂ってきましたけれど、ついつい期待してしまいますね」
「なにやってるんですか。全くもう」
エスリウのトンデモ発言を聞き額に手をやるヤームル。アルデスとフュンは黙して語らず、俺を含む三名は口をぽかんと開けて呆けている。
リマージュからといえば、適当に計算しても東京─大阪間くらいありそうな距離。結構飛ばした俺でも一週間かかったのだ。早馬もびっくりである。いやそれ以前に、昨日雨だったぞ……。
衝撃的な発言で一瞬頭から飛んでしまったが、お茶の準備ができたということで一同揃いアルデスに連れられテラスへと向かう。その道すがら。
最後尾、横目で隣を見やると、マルトは彫像のように表情筋を固定し遠い目をしていた。
「あんたも大変なんだな」
「ええ。しかし、君が何故ここに?」
「色々あってなー。とりあえず、あんたがいきなり斬りかかってくる手合いじゃなくて安心したよ」
歩調を遅らせマルトと二人でボソボソと小声の意思疎通。
対面時、俺に反応をしたのはマルトだけだったが、主人であるエスリウには俺のことは伝わっていないのだろうか?
いや、そもそもマルトがこの主人の命で動いているとも限らないか。あの襲撃を行ったのはマルトたちだが、結局誰の命令だったのかは分かっていないし。というか聞き忘れていたし。
「あのローブを身につけていないのに見破られたことには驚いたけれど、私も君に襲い掛かられずに安心したよ。君がお嬢様のご友人と仲良くされているのなら、私としては友好関係を築いていきたいのだけれど」
考え込んでいると、隣から胡散臭い提案が飛んできた。いくらなんでも、仲間を殺した人物といきなり友好関係を作るのは無理難題だ。
「その言葉通り受け取るとしても、一度は斬り合った仲だしな。そうでなくてもあんたはバルバロイ襲撃に関わってるし、俺がそこに所属していたことも知ってるんだろ?」
「ええ、まあ。実行犯の私の言葉は信じてもらえないかもしれないけれど、君たちを襲撃した件については、お嬢様は関わっていない。襲撃の依頼主は君たちに誘拐依頼を出した人物と同じ、公国の貴族であるサルミネン子爵だ」
「──何ッ!? っと失礼しました」
思わず声を上げてしまい周囲から怪訝なまなざしを浴びてしまった。
適当に取り繕って凌いだが、頭の中はそれどころじゃない。
まさか、公爵令嬢誘拐のクライアントが、別口でバルバロイの襲撃をも依頼しているとは……マッチポンプ、というより事後の口封じか。クソッタレめ。
確かに理にはかなっている。実行犯がいなくなれば格段に足がつきにくくなるし、何より事実を知る者が少なくなる。実に合理的だ。
このマルトの言を信じるならば、だが。
「ちなみに、サルミネン子爵についてはもう処理してある。君は手を下せなくて残念かもしれないけれど」
「……そうか。憤懣やるかたなし、ってか。はぁ」
仇が判明したと思ったら、既に処理済みときたか。手を汚さずに済んだのは良かったか? いや、真相を追求することが出来なくなったと見るべきか……うん?
いやいや、何故襲撃実行犯のこいつが、襲撃依頼主を殺すんだ?
「なあ、あんたってサルミネン子爵から襲撃の依頼を受けてたんだよな?」
「ええ。君たちバルバロイの襲撃に加担したのは依頼があったからだよ」
「だよな。なのに、なんで依頼主である子爵を始末したんだ?」
「お嬢様の誘拐依頼を出すような輩を生かしておく必要はない。私にとっては考えるまでもないことだよ」
「お嬢様の……?」
さも当然とでもいうように、前を歩くエスリウを視界に入れつつ語るマルト。
「──あッ」
そんな彼女の反応に首を捻り──かけたところで脳内のシナプスが結合。
エスリウってアレじゃん。リマージュのジラール公爵の令嬢じゃん。俺が誘拐した女の子だったわッ!
誘拐の時に速攻で麻袋に詰め込んだからこっちの顔は見られてないだろうが、どうせマルトから背格好が伝わってるだろうし……ぐえー。胃に穴が空きそう。
しかし……なるほど、理解した。つまりマルトはサルミネン子爵に対し、潜入捜査のような事をしていたということか。
エスリウの使用人である彼女がどうやって子爵の下に潜り込んだのか、そこに疑問は残るが……まあ俺の追及することじゃない。それよりも、だ。
「なあ、依頼出した時点で子爵をしょっ引くのは駄目だったのか?」
「彼の仲間や同調者たちをギリギリまで炙り出したかったから、襲撃後になったんだ。君の仲間たちには悪かったけれどね」
「はぁ……まあ、襲撃の相手は盗賊団だしな。お前たちからすれば同情なんてするわけないか」
過ぎたことだが聞かずにはいられないと問うてみれば、無情な言葉が返ってくる。
釣り出しに利用された挙句殺されるとは、碌な死に方じゃない。盗賊団の面々には、リマージュに戻った時に豪華な墓を立てて供養しよう。このままじゃ浮かばれない。
……それにしても。こうなると、俺にとってマルトがイレギュラーな存在であるように、彼女にとっても俺の存在がイレギュラーとなるのだろうか?
顔を見られ事情を明かし、あまつさえ主従関係すら教えてしている。既にムスターファ家との繋がりを持つ俺と敵対関係になりたくないというのは、彼女にとって真実なのかもしれない。
思えば、ドレイクと遭遇した時に割って入ったことからムスターファ家との繋がりが生まれている。彼らとの関係が無ければマルトとは敵対していただろうし、何がどう繋がるか分からないものだ。
「──マルト? 仲良くお話しするのも良いけれど、もう少しワタクシを気遣ってほしいです」
「はい、直ちに着席いたします。ええ……では、失礼します」
二人でこそこそと話し続けていると、腹ペコ状態の主人エスリウに促され、彼女はテラスの席へ連行されてしまった。大変そうだなあー。
とりあえず、俺も茶を飲んでリフレッシュしよう。色々あり過ぎて疲れてきたし。
その後、お茶やお菓子を楽しんでいると昼食の準備が整ったとの知らせが届き、これ幸いと離脱。冒険者組合へ出向く旨を告げ、半ば女子会と化していた空間を後にする。
この時、宿を出た当初計画していた商店で服を買う予定など当然頭から吹っ飛んでいた。
気が付いたのは日も落ちアイラを送り届けて宿へ帰り付いた時である。ぐぎぎ。