2-31 少女の感謝
友人アイラを迎えに行くロウは夕暮れの工業都市を歩く中、ふと気付く。
「アルコールのことばかり考えてたけど……服も結構ボロボロだな。ヴィクターの野郎、模擬戦で使う技じゃないぞ。全く」
所々黒く焦げ付いてしまった衣服を見ながら、少年が嘆息する。
ロウの着るワイシャツとデニム生地のジーンズは魔力を通すことで耐久性、耐火性が高くなる高級素材で織られていた。鍛冶職人の手袋にも使われるこの素材は、炉の炎にも耐えうる逸品である。
そんな繊維すら焦げ付かせるほどの熱量を発した、ヴィクターの「纏火」。
もし少年が普通の衣服だったならば火達磨確実である。明らかに模擬戦に収まる範疇ではない、必殺の技であろう。
(あの男もロウと同じ気質なのです。戦っていて興が乗ってきたのでしょう)
(ククッ、確かに。お前さんも似たようなところがある)
「生き死にに関わる様な真似はしないって、流石に。まあ、ヴィクターも俺なら大丈夫と判断していたからだろうけど」
ロウは曲刀たちの言に憤慨しつつも軽く身だしなみを整えて歩き、屋敷に辿り着いた。
時は既に日が落ちた時間帯。ロウの迎えを待っていた門兵に中へと通され、アルデスにアイラの待つ談話室へと案内される。
「──ロウ様は冒険者組合で用事があると仰られていましたが、何か厄介事でもございましたか?」
「この服のことですか? 面倒事というわけではないのですが、ある依頼を共同で受ける際に、互いの実力を知るために模擬戦をしようという話になりまして、その時のものですね」
「模擬戦でございますか。ロウ様に攻撃を当てる事ができ、且つ衣服の焦げたような跡から察するに……『サラマンドラ』のヴィクター・コンカラーと一戦交えたのですか?」
「ご明察の通り、流石アルデスさん。パッと名前が挙がるということは、ヴィクターさんは冒険者の中でも有名な方なんですか?」
まるで見てきたかのようにピタリと当てられヒヤリとしたものがロウの背を伝うが、気にしていても仕方がないとヴィクターについての質問を投げかける。
「彼は『征服者』の異名をとる、このボルドーで最も強い個人の一人でございます。冒険者の括りでボルドーの筆頭にあるのは確実でしょう」
「なるほど……強いのも道理です。ちなみに──っと、つきましたか」
レルミナの事についても質問してみようとしたロウだったが、間が悪いことに談話室へ到着。会話を打ち切らざるを得なかった。
「フフ、私に聞きたいことがございましたらいつでもどうぞ」
「あはは、大したことではないので、忘れてしまいそうです」
苦笑いを浮かべた少年が談話室へ入ると、そこにはウォーターベッド状になった少年の眷属マリンの上で、手足を投げ出すあられもない恰好で寛ぐ美少女が二名。
「「「……」」」
締まりのない表情で呆けた二人と見つめ合い、沈黙が場を支配する。いたたまれず目を逸らしたロウはしばし天を仰いだ後に部屋を出て、入室からやり直すことにした。
「……ロウ様、ノックをすべきでしたね」
「それを言うのが遅いですよアルデスさん!」
──ごたつきながらも五分後。
「あらロウさん、遅かったですね。何かあったんですか?」
「ロウおにーさん、お帰りなさいっ!」
「すみません、遅くなりました。ちょっと組合の方でも模擬戦をしまして」
再入室したロウとヤームルたちの間で、白々しくもそんなやり取りが繰り広げられる。彼らの間には先ほどのことなどまるで無かったかのようだ。
「模擬戦……ロウさんってもしかしなくても、戦闘狂か何か?」
「若干その気がありますが、自ら率先して吹っ掛けてる訳じゃないですからね」
「おにーさん、凄く元気ですね……あたしなんて、訓練が終わったらもうへとへとで、マリンちゃんの上で──」
「──さあ、ロウさんも来たことですし、お見送りしましょう。フュン、アルデス! 行くわよ」
アイラが墓穴を掘り返しそうになったところで即座に遮るヤームル。ロウは笑いをかみ殺しながらも彼女の後をついていく。当のアイラはといえば首を傾げ疑問符を浮かべて、周囲の慌ただしさなどどこ吹く風といった様子である。
「本来ならば明日もロウ様に指導をお願いしたいのですが、明日の天候はどうも天候が崩れ雨のようでして、体術訓練は休講とさせていただきます。どうかご了承ください」
「明日は雨降りなんですね。承りました」
「雨かあ~。お店のお手伝いも休みになっちゃうから、暇になりそう……」
「そういう時は魔力操作の訓練をしてもいいかもね。アイラは魔力も多いし、制御できる量が増えたら色々とできることが増えると思う」
玄関へ向かう途中、ロウがアルデスと指導の打ち合わせを行っている間も、ヤームルとアイラは楽し気に会話をしている。ほぼ初対面であったはずの二人のそんな様子を見て、少年は内心首を捻る。
「……何だか二人が随分親しくなってますね?」
「入浴や昼食時に沢山お話をされていましたからね。お嬢様はあまり同年代のご友人をお作りになられない方なので、喜ばしいことです」
ロウが小さく聞いてみると、使用人フュンの評が小声で返ってくる。隣を向けば、黙して見守るアルデスも表情が優し気だ。
やはり何時の時代何処の世界も、裸の付き合い飯の付き合いは偉大なのだろうか? ロウがそんなことを考えている内に一行は玄関口に到着する。
「それでは一日開けて二日後、よろしくお願いします」
「はい。失礼します。お見送りありがとうございました」
「お邪魔しました~」
途中すったもんだがあったため既に日が落ちきっている。ロウとアイラは挨拶を終え屋敷を出ると、足早に居住区を目指した。
「──ロウおにーさん、今日は本当に、ありがとうございました」
「藪から棒に……どうかした?」
そうやって急ぎ足で居住区までやってきた時、ふいにアイラが口を開いた。何の脈絡もなかったため、ロウは虚を突かれたと言わんばかりのぽかんとした表情である。
「えへへへ。だって、今日はとっても楽しい一日でしたから。ヤームルさんとお友達になって、素敵なお風呂に入れてもらって、とっても豪華なご飯を頂いて、マリンちゃんのベッドでごろごろして……。全部、おにーさんのおかげです」
そう言って輝かんばかりの笑顔ロウへと向ける。ロウは自分にはないアイラの純真さを見て眩しそうに目を細めた。
(癒されるわ~。俺にもあんな時分があった……ような気がする)
(お前さん、アイラと同年代だろ? どうしてこんなに差が出るんだ)
(人間族とは複雑怪奇なのです。ロウは半分だけですが……)
「どういたしまして。アイラに楽しんでもらえたのなら、それが何より嬉しいよ」
曲刀たちにボロクソ扱き下ろされようとも馬の耳に念仏と聞き流し、アイラの感謝を素直に受け取るロウ。
言葉を受け取った少女はといえば、飾らぬ言葉を返されたことで逆に恥ずかしくなったのか、顔を赤くして俯いてしまう。
「アイラは肌が白いから、恥ずかしがってると分かりやすいな」
「うぅ~、そんなこと言われても、おにーさんが不意打ちするから……」
アイラは下を向いたままぼそぼそと文句を言うがその言葉は尻すぼみで、残念ながらロウが聞き取るのは困難だった。
(はぁ。これでは数か月以内にブスリと刺されそうですね)
(こえーよ。何の話だよ)
(ギルタブが人化してぶっ刺してくるって話かもな)
サルガスが語るギルタブの凶行に戦慄しつつも、ロウはアイラを送り届け、自身も宿へと帰還したのだった。