1-5 血に塗れた拠点にて
食事を終えアルベルトたちと別れた後、ロウは盗賊団の面々に別れを告げるため、バルバロイの拠点へと向かった。
拠点は大通りから外れた区画──裏通りにあり、人通りもまばら。そんな通りを、褐色少年は巨大なバックパックを背負い小走りで進む。
夏空というに相応しい天候であっても、路地は陰気で薄暗い。
そんな人が寄り付かないような路地を進み、拠点近くに到着し──はたと足を止めるロウ。
風に乗って不快な臭いを、中島太郎ではなくロウが嗅ぎなれた臭気を感じ取ったからだ。
(……これは)
すなわち、血の臭い。のみならず、臓物の酸い臭い。
間違いなく死の気配が漂っている。
(何事も無ければ笑い話で済む。念を入れておこう)
故に、彼は即座に意識を切り替えた。普段は中島太郎としての認識が強い彼だが、荒事となれば暗がりで生きてきたロウとしての経験が大いに役立つ。
魔力を肉体へ巡らせ身体強化。周囲を魔力による感知と強化された聴覚で探り、索敵を行う。
(嫌な予感ほどよく当たるというけど……建物の上に二人、拠点の陰に一人か。陰に隠れてる奴の魔力は濃い緑色。経験上、魔力の色が濃い輩は手練ればかりだったし……速攻をかけるべきか? 十中八九敵だろこいつら)
何も気づかぬ風を装いつつ、ロウはバックパックを背負ったまま拠点へと歩を進める。
物陰に隠れる者、そして頭上の気配。どちらも動くそぶりを見せない。
建物に入るまで動かないのか? そんな考えを浮かべた少年が、入り口付近にまで来たところで──陰に隠れていた人物がゆらりと現れた。
同時に、頭上の気配も動く!
「ッ!」
動きを察知したロウも瞬時に行動。バックパックから素早く両腕を引っこ抜き、無手のまま正面へ──白いローブでフードを目深く被る人物へ、獣の如く間合いを詰める!
「──……」
対する性別不明の人物──フードは、一気に肉薄されたことへわずかの動揺もみせず、腰を沈めて迎撃態勢。そこから繰り出すは長剣による抜き打ち一閃!
応じる少年も、勢いのままに短剣を抜き放つ!
「!」
「──くぅッ!?」
白刃が閃き火花が爆ぜる。長剣と短剣のぶつかり合いは、どちらも体を残して終わった。
が、斬り合いは一合では終わらない。
運動能力にものを言わせ間合いを詰める──そんなロウの意図を見透かしたように、居合斬りから瞬時に切り返し、連撃を繋ぐフード。
追いすがろうとした少年は青き剣閃に縫い留められ、動けない。奇襲攻撃、失敗である。
「ッ!? マジか! こなくそ!」
のみならず、長剣と切り結んだロウの短剣は、ものの数合で刃が欠けボロボロとなった。舌打ちする少年が短剣を投げつけるも、フードは虫を払うようにこれを弾く。
「──やるなあ坊主? 粗末な短剣で『白狼』と切り結ぶたあ、殺すのが惜しいくらいだぜ」
「仮面を被っていないが、例の『小さく黒い影』で間違いないだろう。所詮は盗賊だと思っていたが……末恐ろしいものだ」
他方、攻防の間に路地へ降り立ったのは屈強なる男たち。
どちらの男も金属鎧や魔物の外殻を利用した鎧を着込む重装備にもかかわらず、高所からの着地を難なくこなしている。
つまりは難敵。
少年の背に、じわりと汗が伝う。
「……」
居合の構えで無言を貫くフードに、中段構えでにじり寄る男たち。いずれも油断も隙も一分もない。
「……」
数的不利、その上フードの技量は己以上。
もはや絶望的である。
加減をして、戦うのは。
「──フッ!」
細く息を吸い込み覚悟を決めたロウは、更に集中力を高め──魔力最大解放。身体強化を全開にする!
「っ!?」
一気に解放された魔力が荒れ狂い、石畳を捲りあげて吹き飛ばす。
「なんというッ……!」
小さな身から溢れる凄まじいその奔流に、思わずたじろぐ襲撃者たち。
そこで生じた隙に、ロウは懐の投げナイフでフードを牽制。同時に急速反転、二人組へと電光石火!
「!? こんの、ガ──!」
瞠目しつつも反応した一人が、銀色の曲刀を突き出し叫ぶ──が、その突きが伸びきる前にロウの攻勢。刃の側面から腕を割り入れ軌道を逸らし──。
「嗄ッ!」
──並行して、相手が踏み出していた足の膝を、鋭い呼気と共に蹴り込んだ。
関節の内側を狙った容赦ない蹴りにより、鋼鉄で護られる男の膝が重い音をたてて折れ曲がる。
「──キ?」
突然重心が崩された、理解が追い付かないといった表情を浮かべる男。
そこに問答無用のロウの追撃。
蹴り脚で行う震脚と共に、身体ごとぶちかます肘打ちを叩き込むッ!
「──喝ァッ!」
「ごぼッ……」
逆手の引き手に腰部の回転、震脚による反力。体勢十分間合い上等で放たれた一撃は、硬質な金属鎧を飴細工のようにへこませ、男の腹部を打ち抜いた。
流れるように繰り出された連撃は、八極拳小八極・蹬脚に頂心肘。意識の死角を突く前蹴りと、そこから連なる肘打ちである。
「「っッ!?」」
打ち込まれた激烈な一撃は男の体を木端のように吹き飛ばし、砲弾となった男が壁に激突。口から血や吐しゃ物をぶちまけた男に、意識は当然ない。
対するロウは、衝突の衝撃で滑ってきた銀刀を拾い上げた。きらりと輝く優美な刃は、盗賊として生きてきたロウに価値と切れ味を雄弁に語る。
刹那の分析を終えて身を翻し、正眼の構えとなった少年は残る相手を鋭く見据える。呼吸の乱れは、もはやない。
「──貴様ァッ!」
「ハッ。逆ギレすんなよなァ!」
二人組の片割れが激高し躍りかかってきたところへ、少年は真正面から刃を打ち合わせた。
「「ッ!」」
大人と子供。
されども人外の魔力で強化された少年の身体能力は、大人のそれをも上回る。
片手で斬りかかられた黒刀と、剣道の動きをもって両腕で応じられた銀刀。勢いに差はなくとも、膂力の差は歴然である。
加えて片手と両手、てこの原理を用いるロウの前では、腕自慢の傭兵は刃を拮抗させることすら敵わなかった。
「ぐあッ!?」
「ふぅ……」
銀刀を振り抜き片割れを押し飛ばし、ロウは視線を走らせフードを見やる。
牽制のナイフは捌かれていたものの、未だ対象に動きなし。
(となれば、こいつからか)
順位付け完了。
「ぐッ、この……うッ!?」
真っ向から弾き飛ばされ体勢を崩している片割れへ、少年が容赦無用と斬りかかる!
「れぇぇいやあぁぁあッ!」
大上段から渾身の力で一合ッ!
身体を反り返し再び上段の二合ッ!
まだまだ終わらぬ上段面打ち三合ッ!
ぶつかり合った銀刀と黒刀から目も眩むような火花が散り、甲高い衝突音が木霊する!
「な、がぁッ、腕、が!?」
化け物じみた力で振るわれる連撃を片手で受け、ついに男の姿勢が崩れてしまい──そこへすかさず、少年が守りの意識の薄い相手の股間を蹴り上げる。
「せいッ!」
金的。その威力は語るまでもない。
「あがぁッ!?」
急所を潰されうずくまる男。
どっこい、少年は腹部へ向けて更なる駄目押し。魔物の外殻を利用した硬質な鎧が無残に砕け、蹴られた男は建物の壁に激突した。
壁からずるりと落ちた男もやはり、意識など残っていない。
「……」
時間にして一分足らず。あっという間に腕利きの傭兵二人が粉砕されるも、フードは相変わらず無言のまま観察を続けている。
仲間が倒されたというのに、フードにはまるで反応がない。不気味さを感じた少年は挑発してみることにした。
「こいつらはもう戦闘不能だけど、あんたは襲ってこないのか?」
「……」
ディスコミュニケーション。少年がそう思ったのもつかの間、フードは身を翻して路地裏へと消えていった。
「見逃されたのか……? 最初の斬り合いを考えれば力任せにやっても勝てるかどうか分からない相手だったし、儲けものか」
フードが消えていった方向をしばし呆然と見つめていたロウだったが、頭を振って思考を切り替え、気絶させた二人組の身包み剥いで拘束していく。
手早く武装解除を済ませ、さてどうするか──と少年が考えたところで、バルバロイの拠点の戸が開いた。
「おい! なんかあったのか?」
現れたのは見知らぬ男。そして携帯している武器。更に血で汚れた衣服。
「──……」
新入りや依頼に来た客ではなく、バルバロイへの襲撃者。視覚情報からそう断定したロウは、影の如く間合いを詰める!
「──? なぁッ!?」
男がロウに気付いた時は、既に絶命の間合い。
殺意を滲ませる少年に驚き硬直した男は、銀刀の一閃により胴体を裂かれ、崩れ落ちた。
「……」
吹き出す血を避けたロウは、しばし無言で立ち尽くす。
血の勢いが衰えだした頃に動きを再開した少年は、男から直剣を奪い取り、奇妙な感慨にふける。
転生後初めてとなる殺人の、その衝撃の軽さに。
(ロウとして既に殺人を経験していたからか、それとも──)
──拠点にいる仲間たちがどうなっているか想像がつき、理性が沸騰するほどの怒りを抱いたからか。
(中に入るのは、覚悟しないとな)
理性を手放してしまうほどの怒りか、仲間がいなくなってしまったかもしれないという恐怖か。
浅くなっていた呼吸を整えたロウが、死体を玄関口に放置したままゆっくりと拠点へ入ると──室内には血の海が広がっていた。
索敵のコツを教えてくれた狼人族の青年、隠形術の指導中やたらボディタッチの多かった若い女性、動物の解体を指導してくれた中年男性。
ロウの仲間であり家族のようでさえあった者たちは、皆地に伏し衣服を赤く染め上げ臓物をこぼしている。呼吸の音など聞こえない。
「──ぐッ……ぅ」
苦い唾液が促されるような血の臭いに、むせ返るような酸い臭い。視界に映る、生理的嫌悪感を引き起こさせる光景。
せりあがってくる熱い胃液を強引に嚥下し、ロウは歯を食いしばる。
(クソッタレが……!)
悲しみか恐怖か、怒りか憎しみか、あるいはそれらすべてなのか……。感情を御しきれない少年の顔には涙が滲み、小さい身体は震えていた。
「!」
身を抱き震えを抑えることしばし。ロウは魔力を知覚した。手に持つ得物の握りを確かめ気配を断って、、少年は殺意を秘めて物陰に潜む。
「おい、何かあったのか?」
「仕事熱心なのは良いが、あんまり遅くなるなら、あの上玉を先に楽しんどくぞ? へへ」
横柄で大柄な男、下卑た笑いをする痩身の男。執務室のある方向の扉から現れたのは、いずれもロウの知らない者たちだ。
ならば殺す。
この惨状に加担したのなら生かして置けない。殺意を剥き出しにする少年は、曲刀の柄を握りしめる。
「ん? おい、バルドッ!? どうした!」「なんだ……?」
痩せた男が入り口で俯せで倒れている男に気が付き、駆け寄った直後。
ロウは物陰から滑るように大男に近づき、背後からの銀刀一閃で首を刈り取った。
「──?」
頭部を失った首元から間欠泉の様に血が吹き出し、硬く重いものが落ちたような音が室内に響く。
頭の落下音は意外と大きいんだな──と、どこか場違いな感想を抱きつつ、ロウは再び物陰へ。
入り口に駆け寄った男が物音に気付き振り返ったのは、首のない大男が床に倒れるのと同時だった。
「な、なんだ!? ヒィィッ!」
呆けた顔で瞬きをする斬り落とされた頭部と目が合い、腰を抜かしてへたり込む男。
そこへ無音で近づいたロウは、男の横腹を蹴り飛ばした。突き刺さった横蹴りが肋骨をへし折り、相手を木っ端の如く吹き飛ばす。
「ごばッ!?」
壁まですっ飛んでいった男は泡を吐き悶絶していたが……幸か不幸か意識は残っていた。
床に転がっていた血で汚れた荒縄を拾い上げた少年は、まず男を縛って床へ転がし、次いで外に残っている男たちとバックパックの回収に向かう。
他方、大の大人二人を軽々と持ち上げる少年を見て、縛られた男は身を震わせた。
「おい。ここで何があったんだ?」
「ヒィッ」
傭兵たちを放り投げたロウが直剣を付きつけつつ問うと、男は怯えて話すどころではない様子だ。
突然仲間が殺され、自身も骨が折れるほどの蹴りを叩き込まれ、その上拘束されている現状である。絵にかいたような窮地であり、その反応ぶりは当然でもある。
(尋問の仕方間違ったか? こいつもバルバロイを襲撃したのは間違いないし、殺していいか)
一方で、親しい仲間たちの変わり果てた姿を見たロウは、精神の箍が外れていた。
怒りにより殺人への抵抗の一切が消えている少年は、男の首筋に狙いをつけるように目を眇める。
「ま、待て落ち着け! 俺はここの盗賊どもじゃない! それにこいつらが貯め込んだ、金の在り処を知ってるぞ!」
少年から滲み出る殺意にあてられ、男は震えながらも声を上げた。骨が折れ患部が痛むのか顔が歪むものの、必死な様子だ。
(うん? こいつは俺がバルバロイの盗賊ってことを知らないのか)
それならばと襲撃者として振舞い情報を引き出すことにするロウ。男の言葉を受け入れるように首肯して、質問を投げかける。
「それなら生かしておかないとな。ここの襲撃も金目当てだったのか?」
「い、いや。あんたは知らないのか?」
「あいにくと皆殺しとしか聞いてない」
「ッ……そうだったのか。俺たちもここの盗賊団の連中の皆殺しって依頼を受けたんだ」
「あんたも、皆殺しの依頼を?」
「ああ……」
殺す気がないという意思表示のために少年が腕の拘束だけを解くと、男は少し落ち着きを取り戻した様子で事情を話し出す。
「俺たちの依頼主の話によると、ここの連中は公爵令嬢の誘拐を企てていたみたいなんだ。なんでも依頼主はここの連中に何度か依頼をしたことがあるらしく、今回の誘拐との関連を疑われたら厄介事になるから、予めこいつらを始末しておくということらしい」
「なるほどな……」
公爵はこの国における最上位の存在だ。そんな存在の娘の誘拐に関わったなどと嫌疑がかかれば、遠からず身の破滅に至るだろう。
ロウは団長であるルーカスから「ターゲットの令嬢は妾の子だからそれほどリスクがない」と聞いていたが、身を滅ぼすことになったようだ。頭の中でそう結論付けながら、少年は直剣で正眼の構えをとった。
「となると、やはり俺の受けた依頼内容は皆殺しで間違いなかったみたいだな」
「は?」
「情報を知るものは皆殺しにってことだろ? 無論襲撃したやつらも含めて、な。要するに──死ねってことだよ!」
男が口を開きかけたが遅い。
怒りのままに剣を振るったロウは、既に首を切り落としていた。
「死んで詫びろよ、クソッタレが……」
少年は悪態をつきながら、気絶している男たちも始末していく。
首を斬り落とす中で「曲刀に比べて切れ味が悪いな」と物騒なことを考えながら、全ての襲撃者の息の根を止めた。
(もしかすると、あのフードは別口で依頼を受けてたのか? 他とは技量が段違いだったし)
襲撃者たちの中でも明らかに実力が違ったフード。
あれがもし口封じのための存在だとしたら、今度こそ手練れを連れて襲撃してくるかもしれない。そう考えた少年は、素早くこの場を離れることを決意する。
(とりあえずは感知に引っ掛かってる残り一人を始末して、さっさと南にとんずらだな……クソッ)
なおも悪態をつきながらも思考を纏めた彼は素早く動き、魔力感知に反応があった執務室へ到着する。対象は未だ動かず。
襲撃者が怪我して休んでいるのか? それとも団員たちの情報を調べ上げて討ち漏らしがないようにしているのか?
いずれにしても見敵必殺だと腹を決めたロウは、執務室の扉を蹴破り強行突入。
銀刀を構え逆手で投げナイフによる牽制を──というところで、少年は攻撃対象が見知ったものであることに気が付く。
「──ディエラさん?」
手足を縛られ猿ぐつわを噛まされているのは、夜明け前に別れたディエラだったのだ。