2-23 豪邸と戦闘訓練
宿屋を出たロウは早速アイラの家へと向かう。子供一人ながら距離的に近いこともあり、何事もなく到着した。
(そういえば、アイラ呼び出す時どうすりゃいいんだろ。呼び鈴なんてないしドアノッカーもないし。呼びかければいいのか?)
(そりゃそうだろ)
銀刀から突っ込まれそういうものだと知ったロウは、少し恥ずかしがりながら家へと呼びかけた。地球での生活でインターホンに慣れていた中島太郎として、僅かに抵抗があったのはご愛敬である。
扉の前に立ち大声でアイラを呼びかけると、数秒の沈黙のあとにドタドタと騒がし気な物音が周囲に響く。
(ちょっと来るのが早かったか。悪いことしたな)
(そうか? 時間帯的にはこんなもんだろ?)
(準備時間を考えると、ってことだ。女の子は何かと時間が掛かるから、あまり早い時間で待ちすぎると駄目だって、昔友達から有難いお言葉を頂いたぞ)
((へぇ~))
ロウが女たらしだった親友の言葉の受け売りをしていると玄関の扉が開き、部屋着姿で息を切らせたアイラが現れた。彼女が直接出てきたのは母親が既に仕事へ出かけているからか、それとも少年を自ら出迎えたかったからか。
「お、おはようございます、ロウおにーさん。あの、もう少しだけ待ってもらえませんか? 直ぐに準備を終わらせますからっ!」
前者であるようだった。
「おはようアイラ。余裕をもって早くきただけだから焦らなくても大丈夫だよ。ここで待っているからゆっくり準備をしておいで」
「うぅ、ありがとうございます……すぐに支度しますっ!」
ヒュンっ! と疾風の如く玄関へ消えた彼女は一体何をしているのか、けたたましい破砕音や衝突音を上げて準備を再開する。
(うーん。アイラは精霊魔法だけじゃなくて身体強化も並じゃないな。魔力も濃い白色だし、ヤームルと同程度はあるかもしれない……少なくとも一般的な騎士よりは上っぽいぞ)
(ほう、騎士より上か。あれだけの精霊魔法を行使できる以上、オーラが並外れていることは予測できたが。お前さんの行く先々には、やたらとそういった存在と出会うな。ドレイクしかり、異形の魔物しかり、アイラしかり)
(ロウ自身がそういった存在の中でも桁違いに逸脱してますからね。星に惹かれる衛星のように、ロウへと引き寄せられるのかもしれません)
(何だかさりげなく貶められている気がする)
などと曲刀たちとの談笑(脳内)に興じていると、今度こそ準備を終えたらしいアイラが現れた。
櫛で丁寧に梳かれているであろう美しく流れる薄桜色の髪を眉の上で切り揃え、実に可愛らしいショートボブヘアとなっている彼女。細かな刺繍やフリルがあしらわれた丈の長い白のワンピースという出で立ちは、可憐さの塊である。
「お、お待たせしましたっ」
「お待ちしておりました。アイラお嬢様、大変お似合いです」
「え!? えへへ、そうですか? ありがとうございますっ!」
待たせてしまったことへの罪悪感で表情が曇っていたアイラだが、ロウのおどけた様子で迎えてくれたためホッと表情を綻ばせた。
(いけませんね。ロウ、そんなことばかりやっていると、将来背後からブスリとひと突きにされますよ)
(何の話だ……というか、アイラの格好が可愛らしいのは良いんだけど、あれ汚れていい服なんだろうか? 一応戦闘訓練なんだけども)
(加減してやれよ? 折角似合っていると褒めてあげたんだからな)
やたらと気合の入った彼女の格好に疑問を抱きながらも、少年は彼女を連れてムスターファの屋敷へと向かう。
ロウの格好は仕立ての良い白のワイシャツに、デニム生地のパンツという極めて簡素な姿。
しかしどちらもアーリア商店で揃えた魔綿花(マナにより変質した綿花で、通常の木綿より靭性、熱耐性、魔力伝導率などあらゆる点で優れる)製の高級品である。そのため、見かけ以上に丈夫で伸縮性に富み、運動に適していた。
そんな服装であるため、アイラの引率者というよりは世話を焼く兄のような目で周囲から見られていた。ロウとしては不本意だったが、自身の容姿が容姿だけに仕方がない。
二人は生暖かい視線を全身に浴びながら、商業区を抜け上層区へ。
アイラは陽だまりのような笑顔を湛えているが、ロウは精神攻撃により若干疲弊している。
「えへへ~あたし、上層区にきたの、初めてですよ」
「特別な用件でもないとこない場所だからねえ。今後は訓練のたびに足を運ぶことになるから、慣れていかないとな」
「はいっ!」
素直な彼女の反応に和みつつも歩を進めた少年は、ムスターファの屋敷へと到着した。
「おはようロウ君。話は聞いているよ。既にアルデス殿がお待ちになっている」
ロウが門兵へと挨拶すると、控えていた老執事が傍へと歩み寄り折り目正しく一礼する。
「おはようございます、ロウ様。そちらのお嬢様がお連れ様でございますか?」
「はい。この娘が火の精霊使役者アイラです。精霊魔法だけではなく身体強化も並外れている、将来有望な女の子なんですよ」
「はい、初めまして、アイラです。えっと……お、お邪魔します?」
「はい、ようこそおいで下さいました。私はムスターファ家の執事をしておりますアルデスと申します。よろしくお願い致します、アイラ様」
屋敷の大きさに圧倒されていたアイラは、ロウに促され恐縮しながら挨拶を行う。アルデスも柔らかく微笑んでそれに応じ、互いの紹介が終わったところで屋敷の中庭へと案内された。
「ふわ~。とっても広くて、綺麗なお庭ですね~」
案内されている途中も辺りを見回してしきりに感心していたアイラだったが、ここでの彼女の反応はなかんずく大きいものだった。
門から入ってすぐに見た屋敷の庭園も丈の低い美しい花が咲き誇り、それと対照的な背の高い観葉植物が刺繍模様のように配され、幾何学的な調和が保たれたものだったのだ。
他方、屋敷の中にあった中庭はそんな庭園とはうってかわって、建物の中にありながら自然の景観美を突き詰めた様な、多様な花々や木々が生い茂る色彩豊かな空間だった。少女が変化振りに驚くのも当然である。
そうやって驚き感心しながらロウたちが進んでいくと、大きく開けた場所に繋がった。屋根付きのテラスがある以外は、芝が湖のように広がるばかりだ。
そのテラスで給仕のメイドと茶を嗜むのはこの館の主人の孫娘、ヤームル。彼女は少年たちに気が付くと立ち上がり、優雅に一礼する。
「おはようございます、ロウさん……と、アイラさんですね? 初めまして。アーリア商会代表ムスターファの孫にあたる、ヤームルです」
「は、初めましてっ! 精霊使いの、アイラですっ!」
「おはようございますヤームルさん。昨日はおもっくそ叩きつけられてましたけど、無理してませんか?」
緊張した面持ちで挨拶を行うアイラとは対照的に、ロウは砕けた調子でヤームルの体調を気遣う。
「ぐっ。あれは油断しただけ……ですけど、しっかり頭は守っていたから平気です。それに腕のいい神官の方に奇跡で治療してもらったし」
苦い表情を浮かべつつも別状がない事を伝えるヤームル。
栗色の長髪はいつもの様に後ろでゆったりとした三つ編みで結われているが、服装はシンプルな白のブラウスに空色のパンツといった動きやすさを重視した格好だ。普段の可憐さが鳴りを潜め、活動的な雰囲気を醸している。
彼女のロウに対する態度が以前よりも随分親し気になっていることに、アルデスは若干目を見張ったが、そのことには触れること無く話を進めていく。
「それでは、皆様がお揃いになりましたので始めさせていただきます。アイラ様は精霊魔法の訓練をなされるとのことですので、ロウ様がヤームル様のご指導をされている間は、ムスターファ家の使用人であり、風の精霊使役者でもあるフュンがご指導にあたらせていただきます。どうかご容赦ください」
「ムスターファ家の使用人、フュンです。不肖の身ですが、アイラ様のご指導を務めさせていただくことになりました。ロウ様には遠く及びませんが、全力で務めさせていただきますので、どうかよろしくお願いします」
アルデスの言葉を受けヤームルの傍で控えていたメイド──フュンが一歩進み、上品なカーテシーと共に自己紹介を行う。
若干の赤みを帯びた銀髪をねじるように編みシニヨン風に纏めた彼女は、ひざ下まであるメイド服が見事なまでに似合う女性であった。その洗練された動きや雰囲気に、ロウとアイラは思わず見惚れてしまう。
もっとも、ロウの視線は所作というより、彼女のそれなりの大きさの胸へと吸い寄せられていたが……。そんな少年を見て黒刀が呆れたように念話を発する。
(ロウはいつでも女性の胸を凝視していますね)
「初めましてフュンさん、ロウです。指導をしにきたのに、思わず指導されたくなってしまうような素敵さです。よろしくお願いしますね」
彼女の言葉を馬耳東風と聞き流しフュンへ挨拶を返すロウ。彼は本能故に仕方がないと開き直っているのだ。単なる指摘などで改めようはずもない。
「ふわー……あ。はい! 分かりました、よろしくお願いします、フュンさん!」
「アルデスさん、今日の流れとしてはまず準備運動、それから格闘技の実演、その後指導を交えつつ模擬戦……というもので変更はないですか?」
曲刀や短剣をテラスに預けつつ、少年は昨日取り決めた訓練内容で間違いがないかアルデスに確認をとる。
「はい、本日は概ねその流れで。改善すべき点が見つかれば徐々に変更していきましょう。ただ、今日の体術の実演では私との実戦形式の中で、お嬢様がたに目で見て肌で感じて頂くようなものにしたいと考えております」
「実戦形式での実演ですか……まずはやって見せるということですね、なるほど。となれば、折角なのでそちらのフュンさんも含めて、乱戦のように実演を行うというのはどうでしょうか?」
少年のこの提案には、使用人両名共に驚いてしまう。
ロウの実力をある程度推測出来てはいるものの、自分たちの実力は国仕えの騎士以上。果たして二人を同時に相手取り、かつ技の実演など出来るのだろうか? そんな疑問が彼らの脳裏によぎる。
「二人相手に戦いにならなければそれはそれで。アルデスさんやフュンさんの動きから、数の利や連携など学べるものも多いでしょうし。ヤームルさん、物理障壁をお願いしてもいいですか?」
「貴方が全力を出したらここのテラスが崩壊しそうだものね……任せて」
このメンバーの中ではヤームルが最もロウの規格外さを理解していたため、嘆息しながらも彼の意見に賛同。使用人たちを促すように円柱状の巨大な物理障壁を展開する。
「……では、そのように。フュン、あなたも全力でロウ様の相手をなさい。無論、精霊魔法も含めて」
「はっ! ロウ様、よろしくお願いいたします」
「はい。それではいつでも仕掛けてください。手加減抜きでお願いします──怪我をしてしまいますから」
「「──っッ!?」」
準備運動と障壁の展開が終わったフュンが、ロウへの挨拶を終えたところで──ロウの纏う空気が一変する。
軋む大気に、ざわめく木立ち。遠く離れた木々にまで影響を与える圧力は、近くであれば当然強烈。対峙する使用人と老執事は濁流の只中に放り込まれたようなものだ。
「っ!? 凄い、ですね。おにーさんの気迫……ヤームル様の魔術を通り抜けて、伝わってきます」
「どんな風に生きてきたらあんな圧力放てるのか、想像もつきませんね。と、私のことは様なんて付けなくても大丈夫よ、アイラ」
「そ、そうですかっ? えへへ、ヤームルさん、改めてよろしくお願いします」
「ふふ、こちらこそ」
他方、テラスで観戦している二人は和気あいあいとしたものだ。緊張高まる障壁内とは別世界である。
だが──。
(この障壁、一定以上の衝撃や魔力は通さないはずだから、ロウさんの魔力がこっちにまで伝わってくるはずは無いのに。障壁を貫通するほどの魔力の波動なんて、高位の魔物並みってこと?)
──ヤームルはその内面において、障壁の外でまで感じ取れるほどのロウの異様な魔力に戦慄していた。
物理障壁魔術というものは、二種類に大別できる。
一つは魔力を疑似物質のように変化させ隔離空間を創り上げる、完全隔離型。
もう一つは一定以上の大きさの運動速度、魔力、エネルギーに対してのみ障壁としての効果が出るような汎用型である。
前者は彼女が以前ドレイクの「炎獄」を防ぐ際に使用した儀式魔術。後者は今まさに展開されている物理障壁が該当する。
完全隔離型の障壁の場合は空気の振動さえ通さず音も聞こえなくなってしまうため、今回の訓練では汎用型を使っての観戦になっている。しかし、汎用型であっても外まで力が漏れ伝わってくることなどありえない。閾値に満たないような力以外は弾かれるはずなのだ。
そうしてヤームルが内面で動揺している間に、障壁内でのいよいよ緊張が最高潮に達する。
額に汗した老執事アルデスが、細く息を吸い込み──それを合図に、使用人フュンが風の精霊魔法で戦いの火蓋を切った。