2-19 家庭教師の打診
「──ぶぇっくしょいッ!」
(大丈夫ですか?)
(ふう……大丈夫。多分誰かが俺の噂をしてたんだろう)
(なんだそりゃ?)
ロウが衛兵たちに後始末を丸投げした後。
午前中に購入したパンで腹ごしらえした少年は、ムスターファ邸へと歩みを進めていく。アーリア商会の従業員から、商店ではなく屋敷で話す旨を告げられていたのだ。
(なあロウよ、あのゴーレム、本当に置いてきてよかったのか? あんなもの残したら、お前さんが嫌がっていた人目を集めることになると思うんだが)
(ああ、そこは一応考えてある。今回はムスターファさんの手勢ってことにしてるからな)
今回の襲撃は、ムスターファの私兵が急襲しその後征伐部隊による包囲殲滅が行われた、ということになっている。ロウにせよ蜘蛛型ゴーレムにせよかの商人の戦力と見なされるのだから、多少羽目を外しても大丈夫という寸法だ。
(それで残してきたのですね。ロウのことですから、てっきり面倒になったから征伐部隊へ押し付けたのかと思ったのです)
(ギクゥッ!?)
((……))
ギルタブが何気なく発した言葉に硬直するロウ。事実その通りだった。
本音を見透かされ気まずい沈黙が流れる中、彼らはムスターファの屋敷へと到着。少年は気を取り直して門兵へ挨拶する。
「こんにちは。商店襲撃の件でお伺いしました」
「こんにちはロウ君。話は聞いているとも。どうぞお入り」
連日訪れていたのですっかり顔なじみとなった門兵への挨拶を終えると、少年は直ぐに屋敷へ招き入れられた。今回通されたのは初日と同じ客間だ。
(毎度思うが広い屋敷だ。使用人ってどれくらい居るんだろうな?)
(庭師、清掃、調理、給仕、警備……それぞれが複数人いて、それぞれの部門を取りまとめる者、その責任者を管理する者。数十にも上りそうですね)
(その上で工房棟のようにお抱えの職人までいるからな。下手な貴族より大所帯かもしれん)
用意されたお茶菓子を貪りながら、ムスターファ家の内情についてあれやこれや意見を出し合うこと十分少々。話題の屋敷の主が老執事を伴って登場する。
彼の表情には僅かに困惑の色が見える。戦場で名を馳せた傭兵団を単独で、それも短時間で壊滅させたなんて聞けば動揺しようものだと、ロウは他人事のように同情する。元凶が自分だなどということは当然棚上げだ。
「待たせたねロウ君。……もうこちらにも報告がきていたが、それでも君が無傷なのを見ると乾いた笑いが出てしまうよ」
「何だか毎度毎度ムスターファさんに気苦労かけてますね。すみません。ヤームルさんの容態は如何ですか?」
「おかげさまで随分慣れてきたよ。あの娘も意識がハッキリしているし商店の医務室で神官の治療を受けている。……『灰色の義手』の制圧、ご苦労だった。本来ならこれほど早い解決は見込めなかっただろうし、何よりお客様の荷物の回収も出来なかったはずだ。礼を言わせてくれ」
そういって頭を下げるムスターファ。彼の白髪頭を眺めながら、ロウはぼんやりと考える。
(なんだか、いろんな人に頭下げられすぎて段々と麻痺してきた)
(短期間で色々手を出してきたからな。まあ礼を失しないようにしろよ)
世話焼きお兄さんことサルガスの言を受け正気を取り戻した少年は、慌ててムスターファへ返答する。
「顔を上げてください。いつもこちらの都合で手を出しているだけですし、今回だって無理に単独先行の許可を頂きましたし」
「そうは言うがね。君が成したこと、そのいずれも明るみに出れば叙勲を受けるような功績だ。君が名を上げることに抵抗が無ければ、直ぐにでも推挙するのだがね」
「自分で言うのもなんですが、真っ当な人間じゃないですからね」
(二重の意味でなッ! ガハハハ!)
((……))
少年が脳内で渾身のギャグをぶち上げるも、冷淡な反応に終わってしまう。
盗賊稼業に手を染めてきたことと魔族の血が混じっていることを掛けてのことだったが、曲刀たちには高度過ぎたようだ。彼はそう納得することにした。
「君の過去については興味が尽きないが、詮索して竜の逆鱗に触れたくもないから聞かないでおくよ。言葉での礼はこれくらいにして、形ある謝礼の話に移ろうか。アルデス、用意しているものを運んでくれ」
「ハッ。すぐにご用意いたします」
アルデスが客間から消えて一分少々でノック音。素早く戻ってきた彼の両手にはズシリと重そうな金貨袋が握られていた。
「お持ちいたしました。こちらが先日お持ちいただいた素材の買取金額分、ヴリトラ金貨六百枚になります。もう一方は今回のヤームル様への助力救助と襲撃者の確保、並びに『灰色の義手』制圧に対する謝礼、ヴリトラ金貨二百枚となっております」
「……食うに困らないどころじゃない大金ですね。素材買取だけでも凄い額なのに、謝礼で金貨二百枚って」
「そのことだが……謝礼金には昨夜の件、儂の使用人がロウ君へ粗相をしてしまったことへの謝罪も兼ね、増額させてもらっている。ロウ君、不快な思いをさせて申し訳ない。お詫びの気持ち、どうか受け取ってほしい」
「ええと。昨夜の件と言いますと、チャーリーさんとの素材買取の話ですか?」
一生豪遊できそうな金額にロウが引き気味で疑問を呈せば、再び頭を下げたムスターファが話を続ける。
「ああ。ロウ君も気が付いたかもしれないが、チャーリーは素材を買い取った後の支払いをうやむやにしようとしていてね。売買契約を破る商人にあるまじき行為だ。彼は工房長をやっていたが、見習いから再出発してもらう」
「見習いからですか。腕のいい職人さんのようでしたし、それはなんとも……」
「チャーリーの加工技術は確かなものだが、商売相手を軽んじる者に人の上に立つ資格はない。あの者には元より工房長としての適性はなかったのだ。その事実は彼に伝えてある。ロウ君に関わらずともいずれは明るみに出ただろう、とな。チャーリーはこのような処分となったが、納得のいくものだっただろうか?」
「雇い主としてチャーリーさんのことを見てきたムスターファさんの決定であれば、それで。それはそれとして、素材の買取で問題は起きなかったんですか? あの魔物の素材、前例のないようなものでしたし」
目の前の老人の持つ雇用主としての鋭利な一面に気圧された少年は、チャーリーへの申し訳なさを感じつつも話題を変えた。
「いや、ロウ君の言う通り組合中が大騒ぎになったようだ。何でも、数多くの冒険者が犠牲になってきた魔物の部位だったらしくてね」
「らしいですね。あれは強敵でした。結局致命的な傷を与える前に逃げられてしまいましたが、戦いが長引かずにホッとした面もありましたからね」
既に情報が知られているならと、ロウは異形の魔物と戦った時の素直な感想を口にする。
(あの魔物の強さは尋常じゃなかった。腕利きと恐れられている傭兵団が今回程度の強さだと、都市崩壊の危機といっても過言じゃない気がするぞ)
力強さ、敏捷さ、頑強さ、そして攻撃の多様さ。人族の領域を遥かに超えた強さは、正に脅威的だったとロウは振り返る。
そうやって傭兵団と比較しながら振り返っていると、少年の思念を読み取った銀刀がおもむろに問いを発した。
(傭兵団といえば……今回は全員生け捕りにしていたが、何か考えがあってのことだったのか? リーダー格以外は生死を問わないって話だっただろうに、よく死なないように調整する気になったな)
(ん~。理由としては、ムスターファに対する心象をよくしたいのと、単純に殺すことに対して抵抗を覚えるっていう感じかな。前者は俺が取引相手として、みだりに殺傷して回るような人物ではないという証明代わりになるし。後者に関しては、前の襲撃……盗賊団を襲撃した連中を殺し尽くした後、後味が悪かったんだよ)
(そうだったのか。普段が普段だから、まるで気にしていないように見えたが)
(人として育てられたもんで、人殺しには忌避感があるんだよ。たとえ俺が魔族でもな。というかサルガス、お前って意外と冷血というか、ドライな一面もあったんだな)
(ふふ。ロウが繊細なだけのようにも思えますが)
襲撃者たちを殺し終え昂った感情が落ち着いた後に感じた、永劫落ちることの無い穢れを浴びた感覚と、取り返しのつかない過ちを犯したという悔悟。
そんな重苦しい想いに囚われる少年とは対照的に、曲刀たちはそれがどうしたと何でもない風に返答する。人としての意識が強いロウと、魔族的価値観を持つ曲刀たちとの相違点と言えよう。
さておき、ロウの回答を聞いたムスターファである。
「フム。興味本位で聞くが、今回の『灰色の義手』との戦いと比べて、どのくらい差があったんだい?」
「比べ物にならないくらいの差、ですかね。正直言ってあの傭兵団が総出で異形の魔物と戦っても、軽い傷を負わせる辺りが関の山で、全滅は必至です」
「……それほどか。組合が騒ぐのも頷ける」
少年が思ったままに所感を告げれば、白髪の老人は興味深そうに頷く。扉で控えている老執事も真剣な様子で考え込んでいる。
「あ、そういえば……組合といえば、今日は組合に用事があるので出来るだけ早めに失礼したいのですが、大丈夫でしょうか」
商店襲撃に傭兵団の拠点制圧と続いていたため完全に失念していたが、少年には薬草の納品依頼のために冒険者組合へ向かう予定があった。
「勿論だとも。儂の方からはあと一つだけ話しておきたいことがあるから、その話をして今日はお開きとするかのう」
「急かす形になって申し訳ないですが、お願いします」
身勝手な要求を飲んでくれたことに感謝したロウは、ムスターファの話を待つ。
「使用人の件で謝罪した身で言うのも気が引けるが……実は君にヤームルの教師となってもらいたいのだ」
「教師ですか? ヤームルさんの……?」
切り出された話を咀嚼し、眉を寄せ首をひねるロウ。
ヤームルといえば魔術大学で優秀な成績を修めているはずだ。そんな彼女の教師役を、市井の徒である自分に頼むのは見当違いではないかと思ったのだ。
「ああ、教師といっても魔術や精霊魔法についてではなく、肉体的な戦闘技術、体術のことだよ。ヤームルもこのアルデスに仕込まれてはいるが、あの子はあまり乗り気じゃなくてね。歳も近く戦闘技術も確かな君が指導してくれたら、あの娘も一層身が入ると考えたのだよ」
「そういうことでしたか。俺の体術の全てを教えるのは難しいですが、指導や訓練の相手になる程度なら喜んで協力しますよ」
「おお、最高の返事だよロウ君。期間はあの娘が大学へ戻るまでみっちりと取ってもらいたいのだが、いいかね? 無論、この期間は魔物素材の収集を休んでもらっても構わない。というより、こちらに集中してもらった方が良いくらいだ。何せヤームルは同年代の友人がいないから、この機会にでも是非とも君と──」
「恐れながら御屋形様、話が逸れています」
「おっと、すまないねロウ君」
こと孫娘の話になると舌が止まらなくなるムスターファ。アルデスに窘められていなければと思うと、ロウは内心冷や汗をかく。
「あはは……でも、指導と言ってもヤームルさんは身体を動かして大丈夫なんですか? まだ治療を受けているみたいですし、安静にしておいた方が──」
「そこはアルデスがきちんと見ているから心配いらないさ。君は存分にヤームルをシゴいてやってくれ」
ニヤッと歯を見せ笑うムスターファ。ロウはこの老人のことがよく分からなくなってきた。
(溺愛しているかと思えば病み上がりの孫をシゴいてくれと頼みだす。つまりどういうことだ?)
(人間族は複雑怪奇なのです)
(アレだろう。愛の鞭って奴だ。よく分からんが)
人生経験の足りない三人衆では答えが出なかった。
ムスターファの少し歪んだ愛情に若干引きつつも指導を引き受けたロウは、明日の朝屋敷を訪れることを約束し、報酬の金貨袋を査収し屋敷を後にした。