2-15 傭兵団拠点への侵入
鉄と油の臭いが満ち、靄のような黒煙に薄っすら漂う商店街。それが俺の受けた工業区の第一印象だった。
工業区という名が付いてはいるが、ここには宿泊施設や公衆浴場、商店なども存在している。工房に工場、倉庫しかない区画というわけではなさそうだ。住居に関しては店舗兼住居ばかりで、普通の家というものは少ないようだが……。
そんな工業区を屋根伝いで進む。
移動手段は足ではなく、新規空間魔法の「転移」だ。
この「転移」は同じ空間魔法「転移門」の簡易版ともいえる魔法で、原理も全く同様。しかし幾つか変更を加えることで発現に必要な魔力、構築所要時間を十分の一ほどにまで減らすことに成功している。
変化させた点はずばり持続時間と移動方法。「転移門」は発動してから消費した魔力量に応じて転移するための門が維持されるが、「転移」はごく短い時間しか移動の猶予がない。
また、移動方法も異なる座標同士をつないだ門をくぐる方法から、異なる座標同士を重ね合わせ、転移対象を“なすり付ける”ような方法へ変更している。つまりその場に居ながら、あたかも瞬間移動のような転移が可能になったのだ。
音無し風無し気配無し。およそ完璧な移動手段のような「転移」だが、これも「転移門」がそうだったように魔力の痕跡が大きく残る。
それに加えて、座標を繋ぎ合わせる特性上、発動前に移動先にも魔力集束がある。魔力感知を常に行っているような相手がいる場合は、おいそれとは使えない魔法でもあった。
「──ここか? かなり立派な建物だな」
多少欠陥はあれど、便利な移動手段には違いない「転移」を駆使しすること数分。盗まれた曲刀たちの反応がある建物へ到着した。
質屋「金の蝶番」……あの襲撃者たちの活動拠点。
周囲と同様の石造りの建物は、他のそれよりも相当に大きい。二百坪はありそうな二階建ての佇まいは、質屋というより少し高級感のある宿屋にも見える。屋根から突き出した三つの煙突がなんとも可愛らしい。
(ロウ! お待ちしてました!)
(結構早かったな? そっちの方は何もなかったのか)
こちらの接近に気付いたのか、曲刀たちから嬉しそうな念話が飛んでくる。が、俺から念話を飛ばすことは出来ないので答えられない。もどかしいものよ。
彼らの発する魔力反応は一階よりも更に下、地下から感じられる。
「どうしたもんかなー」
曲刀回収プランとしては二つ。一方は強行突破、もう一方は隠密行動だ。
今回の襲撃対象である傭兵団「灰色の義手」は、幹部であるジェイクですら俺の服を少し乱すのが限界だった。恐らく全力で戦えば、全員を相手取ろうとも赤子を捻るが如く制圧できるだろう。
とはいえ、先ほどの戦いは武器無しの無手によるもの。
ジェイク程度の実力であれば、仮に鋼の剣で斬りかかられたとしても全力強化状態の俺の身体を傷つけるに至らない。が、名剣名刀の類であればどうなるかは分からないし、彼を上回る強者もいるかもしれない。正面から挑むのはやはり下策ということになる。
となれば隠密行動、そして奇襲か。
魔力感知により拠点内に十数人の反応を捉えている。単独で行動している者から息の根を止め──ではなく、無力化していけば良いだろう。
各個撃破ならば徒手空拳でも実行可能だが、念には念を。曲刀の回収を優先しよう。
留意しておきたいのは、魔力探知により判明している亜人の存在だ。
彼らの中には人間族の数倍もの聴覚や嗅覚を有しているものもいる。建物内での移動の際には細心の注意を払う必要があるし、迂闊に扉を開けることも出来ない。今みたいな独り言なんぞ論外である。
すなわち、移動手段は消去法で転移となる。魔力操作可能範囲であれば壁ごしだろうが空中だろうが転移可能なため、こういった状況下でも有用な魔法だ。
「それじゃあ準備開始っと」
方針を定め準備を整える。まずは身体の外へ魔力が漏れ出ない範囲の身体強化からだ。
考えてみれば、いつもはたれ流し状態の魔力を強化に充てているため、こういった同時制御は初めてだ。いざやってみると中々に難しい。男が洗面台で身支度を整えるとき、右手で髭をそりながら左手で整髪料を使い髪型を整えるようなものだろうか。
「むむむ……むん!──よしよし、こんなもんか」
いつもより大幅に時間は掛かったものの、魔力を漏らさず強化状態へ移行完了。早速作戦開始。
玄関口とは反対側、一階南の窓から内部を確認し、転移で内部へと侵入。
物音一つさせずに転移した後、窓から先ほどまでいた方を見ると、遠方にガイヤルド山脈が悠然と大地に根差している様が視界に映った。
こういう状況でもなければ見とれていただろうが、今は無視だ。
……いい間取りだなあとか、俺が利用している「ピレネー山の風景」より上等な景色だなあとか、そんなことを考えたりする余裕などない。
「……」
そこはかとなく気品を感じる廊下を、盗賊時代に鍛えた無音歩行で進んでいく。
幸いにして現在廊下内を歩き回っているものはおらず、建物内にいる大多数は玄関より西側の広い空間にいるようだ。食堂かサロンだろうか?
残る少数は見張りなのか休んでいるのか、ばらけて散らばっていた。亜人の魔力の反応もこの少数に含まれているため、無力化はやりやすいと言える。
「!」
階段を探しながら進んで行くと、不意に魔力反応がこちらへと近づいてきた。
数は二つ、色は共に白の人間族。バレたわけではないと思うが……。
垂直跳躍、天井吸着。
建物自体が天井の高い造りであれば、警戒が薄い相手の上方は死角として機能する。盗賊時代に学んだことだ。
「──、──」「──」
気配を消しヤモリの如く天井で張り付くことしばし。
二人の男が現れる。拠点内に居ながらも武装を解いていない男たちは、天上に張り付くこちらに気付くことなく先へと歩いていく。
「ふぁ~あ。団長も慎重すぎるよなぁ。ジェイクさんがいて失敗することなんてないだろう。カスパーとキャリコが馬鹿をやるかもしれないが」
「あの商店には公国騎士よりも強い警備兵がいるから、アフマト団長もそこを警戒してるんだろ。まあ、俺もジェイクさんが居れば大丈夫ってのは同意見だな」
会話を盗み聞きしつつ、天井を這うようにして連中を追跡。無音で這い回る様は我ながら人間とは思えない。魔族混じりだから人間じゃないけど。
「──じゃあなーおやすみ。ねこばばすんなよ?」
「おう。やったら団長に殺されるっての」
しばらくストーキングしていると別れる二人。片方は休息をとり、片方はどこか倉庫のような場所へ行くようだ。俺が追跡するのは無論後者になる。
会話を聞いて分かったのは、陽動メンバーにいたジェイクは団員からの信頼が厚い人物だったことだ。
確かに彼は中々やる相手だとは思っていたけど、それでもたかが知れている。こうなってくると相手の戦力が大体分かってくるし、強行突破も悪くないかなと思えてくる。
邪念にとらわれつつもひたひたと男の後をついて回っていくと、念願の地下への階段を発見した。どうやらこの男も地下へ用事があるようだ。
これなら亜人に見つからずに曲刀たちを回収できそうだと考えた、その矢先。
「──おいトロン、嗅ぎなれない臭いがするぞ」「ッ!?」
そんな男の声が響いた。
いつの間にか男の後方から亜人族の男が近寄ってきていたのだ!
「サルヴァか。当たり前だろ、商店を襲撃してきたんだからな。あの店はお前が嫌いそうな香水なんかも取り扱ってるから、お前は行かなくて正解だった」
「香水か……妙な臭いだ。人間族はこんな匂いを好むのか? 理解に苦しむ」
「ハハッ、俺だって理解できんさ。だが、こういった香水は貴族どもが欲しがるから金になる。覚えておくと良いぜ」
あわや窮地、しかし事なきを得る。
鼻が利くらしい狼人族の糞野郎は、彼の言い分に納得したのか来た方向へと去っていった。
おどかしやがって……。
それにしても……警備というか警戒は相当なものだ。これがリーダーの指示のもとやっているのなら、ここの団長は先ほど団員たちに評されていたようにとても慎重な性格なのだろう。
その割には「灰色の義手」は悪名が轟く残虐な傭兵団なんだよなあ。よく分からん。
戦場に出ると抑圧されてたものが出ちゃうとか、単純に仲間以外はどうなろうが何とも思わない性格とか、そんな感じなのだろうか?
アフマト団長とやらの人物像へ迫りながらトロンの後へ続き、地下へと降りていく。無論天井から。
地下室も概ね一階と同様の造りだったが、窓が殆どなく光源が少ないため、どこか陰鬱な空気が漂っていた。
「~♪」「……」
鼻歌交じりのトロンは地下の廊下をよどみなく進む。
俺も凧のようにすいすいと追従する。
気分はスパイ映画の俳優、というよりホラー映画の化け物。夜中につきまとい前触れもなく目の前へと逆さ吊りで現れれば、十人中九人は卒倒しそうだな。
ノリノリで男の後を追うこと一分少々。
彼は金属製の扉の前で立ち止まった。内部には曲刀たちではなく亜人らしき反応がある。魔力が弱々しいところが気になるが……見つかっても仕方がないし、彼についていくのはここまでにしておこう。
トロンが室内へ入っていくのを見届けて床へと降り立つ。曲刀たちの場所は分かっているため迅速に行動だ。
廊下を無音で疾走。数度角を曲がり、十数秒で魔力の反応を感じる部屋へと到着する。
部屋を閉ざす施錠された金属扉は重厚感があり、力づくでこじ開けるのは難しいと思わせるような造りだ。
しかし、我が開錠術の前では堅固な守りも意味をなさぬ! ウリャー!
錠へと魔力を流し込み、あっさり開錠。今となっては盗賊時代よりも更に素早い開錠が可能だ。成長したものよのう。
「お邪魔しまーす……」
ほのかに懐古した後に音をたてぬよう慎重に扉を開き、室内へ侵入。するりと入った後は即座に内側から施錠を行う。これで侵入の痕跡無しだ。
室内は物置のようだった。棚や机の上には様々な品が乱雑に置かれ、蓋のない樽には長柄武器や刀剣が束にされて立てかけられている。
(ロウ! 待ちかねましたよ)
(よう、買い物はどうだった?)
観察していると念話を受信。今日運び込まれたらしい盗品らの山に、無造作に埋まるサルガスたちを発見した。
(迎えに来たぞーっと。こっちも襲撃があって大変だったんだよ。ちなみにこれからここを壊滅させる手筈になってるんでよろしく)
(襲撃ですか? 彼らも陽動がどうだこうだと話していましたが……ロウが接触していたのですね)
(ここを潰すのか? まさか一人でってわけじゃないだろうが)
まさかの一人なんだよなあ。俺としてはサルガスにも従業員らと同じような反応をされることこそまさかだよ。何でもありなら百人相手でも負ける気がしないし。
(いやいや、それは自惚れすぎだろう。戦いは真っ向勝負だけじゃないんだぞ)
それもそうなんだけど──と。
情報共有を行っているとトロンと亜人らしき魔力の反応が動いた。向かう先は──こっちの方だな。
即座に戦闘態勢を整える。曲刀装着、ナイフ収納、短剣装備、準備万端。
ついでにテーブルへ置かれていた金貨が詰まってそうな革袋を異空間へ放り込んでおく。お金は盗まれた慰謝料としておこう。
これだから単騎突入は止められねえぜ!
素早く異空間を閉じた後は天井へと飛び付きぴたりと吸着。我ながら実に怪物じみた動きだ。さながら妖怪壁歩きである。そんな妖怪がいるかは知らん。
(段々とロウが、半分でも人間族の血が混じっているということが信じられなくなってきたのです)
(同感だな。力もおかしければ発想もおかしい。純粋な魔族でもこんな奇怪な動きはしないし出来ない。というか思い浮かばんだろ)
曲刀たちの反応はボロッカスであった。
魔族だってこういう発想くらいはあるだろうさ……身体強化が追い付かなくて出来ないだろうけどさ。
ちなみに、この天井に張り付くというのは梁や建材の凹凸、隙間などを利用してなせる業だ。
梁につかまってチョロチョロするだけなら楽勝だが、天窓のような光源が梁の上部にある場合はそうもいかない。明りの下で影が出来てしまわないよう壁や天井の隙間凹凸を利用してやり過ごす、といった対策が必要なのだ。
この部屋も壁側の採光窓が梁の上にあったため、天井へ張り付いた。そうしたら御覧の有様である。遺憾の意を表明するッ!
「ついてこい」「……」
そんな風に憤慨していると、扉が開錠される音が室内に響く。先ほどまで後ろをつけていたトロンが入室し、その後ろに亜人の……少年(?)が続く。
彼の身長は俺と同じくらいだろうか。薄い浅葱色の髪を首元で無造作に切っていて、性別が判然としない。
首輪を鎖でつながれた猫人族と思わしき亜人は入室後、トロンに無言で促され室内を進んでいく。
どうにも傭兵たちの仲間という雰囲気じゃない。鎖で繋がれてるし、服装だってボロボロ。白っぽい猫耳や少し長めの尻尾も土で汚れていて、どのような扱いを受けているかが窺い知れた。
あの亜人の子供は何故連れてこられたのか、この部屋で一体何が行われるのか──行動を起こすのはそれ次第か。