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異世界を中国拳法でぶん殴る!  作者: 犬童 貞之助
第二章 工業都市ボルドー
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2-9 豪商邸宅、工房棟

 時刻は黄昏(たそがれ)時のボルドー上層区。ロウは異空間より取り出した魔物素材を詰め込んだ巨大なバックパックを背負い、ムスターファの屋敷へとやってきた。


 かの大商人からいつきても構わないと言われていたため、日が暮れようとしている時間でありながら足を運んだのだ。


 ちなみに、ロウが冒険者組合で受注した薬草採取依頼は新鮮な薬草の納品。採取してから三日以内であればいいため、組合へは明日向かうことにしている。


「──ご足労(そくろう)いただきありがとうございます、ロウ様。素材の買取買い付けは工房棟(こうぼうとう)で行いますのでご案内いたします」


 年若い子供が背負うには余りにも大きすぎる荷物に、ムスターファ家の門兵は(あご)が外れるほどの驚きを示した。が、ロウが来るという話は通っていたようで、用件を告げると敷地内へと案内された。


 以前訪れた時とは違い、今回は屋敷の本館とは別にある離れの工房へと向かう。今後はこちらで素材の査定を行うようだ。


(そりゃあ普通の客間で魔物素材の検分精査なんてするわけにもいかないし、当然か)

(あれほど巨大な屋敷とは別に独立した工房棟まであるとは驚きなのです)


 ムスターファの邸宅はこの上層区においては平均的だが、ロウが今まで見てきた貴族や商人たちの住まいの中でも最大級だ。母屋だけでも日本の武家屋敷の数倍はありそうだと、かつての親友の住居を思い出しながらロウもギルタブに同意する。


(ここまで豊かな商人となると本当に貴族みたいなもんだなあ。俺がいることが物凄ーく場違いなように感じる)

(身なりからして浮いてるしな。浴槽をこしらえて得た資金があるから、身だしなみに気を遣っても良いかもしれんぞ)

(確かに。上層区を出入りするならキチンとしておきたいところだ)


 最初の軽そうな印象はどこへやら、いつの間にか世話焼きお兄さんと化したサルガス。彼の提案に頷きつつ、ロウは案内人に続き工房棟へと入っていく。


 鍛冶や錬金(れんきん)工房、実験室から服飾や彫金(ちょうきん)彫刻(ちょうこく)のアトリエ等々。様々な設備を備えた職人達の工房が一か所へと集められている、そんな区画が工房棟だ。


(ムスターファグループの開発部門って感じだな)


 ロウの予想の通り、この工房棟は商品の開発や研究が行われていた。生産や組み立て、保管庫などは、ボルドー工業区画に別棟として存在している。


「こちらが今後ロウ様とのお取引で使用する部屋となっております。担当の者参りますので、しばしお持ちください」


 少年が通されたのは獣や魔物素材の加工を行う工房。様々な生物の皮が()るされ、革へと加工する際に使用したであろう薬品の臭いが室内を満たす。


 彼は物珍しそうに周りを見回し観察していく。前世で見てきた革製品と遜色(そんしょく)ないような品々を前に、少年の瞳に興味が(おど)る。


(職人の工房ってなんだか心が沸き立つよな)


(すまん、分からない感覚だ)

(申し訳ありませんがサルガスと同意見なのです)

(マジかよ。このワクワク感を共有できないのか。やはり人と武器で心を通わせることは難しいようだ)


 などと脳内で談笑しつつ物色して回ること十分ほど。


「待たせてすまなかった……が、楽しく見学してもらえたようで何より」


 いつの間にかいたのは、薄紫の長髪を後で一纏めにした三十路(みそじ)そこいらの男性。夢中になりすぎたロウは彼に気が付かなかったのである。


「初めましてロウです。チャーリーさん……で、お間違いないですか?」

「フフ、合っているよ。初めまして。そんなに(かしこ)まらずに、口調はもっと砕けて構わないよ。とても優秀な精霊使いと聞いているし、そんな態度だとこちらが恐縮してしまうのさ」


 そう冗談めかして言うチャーリー。


 彼はこの工房で働いているようだが既に作業を終えたのだろうか、作業着ではなく白いワイシャツに黒いズボンという出で立ちだ。どこか仕事終わりのサラリーマンのような雰囲気が香るなあと、ロウは郷愁(きょうしゅう)にかられたような感想を抱く。


「逆に気を遣わせちゃいましたね。早速持ってきた素材を見てもらってもいいですか?」

「拝見しよう」


 仕事終わりに長々と喋っても仕方が無いと、早々に話を切り上げ本題へと入るロウ。チャーリーも素早く切り替えたあたり、あまりいいタイミングではなかったのだろう。今後は早めに来ようと思うロウだった。


 バックパックに縛り付けてある魔物の脚を取り外し、少年はそれを作業台の上へと運ぶ。関節部で折り曲げても二つまでしか入らなかったため、一つは布でくるんだうえに(ひも)で縛り、バックパックに付けておいたのだ。


「こちらになります。魔物の名前は不明で、冒険者組合でも買い取ってもらえるか分かりませんけど……」

「……随分と大きな脚だ。私も見たことは無い。これは陸蟹(りくがに)か、大蜘蛛(おおぐも)かい?」


 成人男性の背丈をも上回る巨大な脚部を見て、チャーリーは眉間(みけん)に深い(しわ)を刻んでロウに問う。


「形状が似てますが、そういった魔物ではありません。様々な動物や魔物の特徴を備えた、異形の魔物から得たものです」

「なるほど、異形の魔物か。最近になって発見の報告があり、それと同時に恐ろしい被害をもたらしていると聞くが……この脚だけでは判断できないな」


 ロウからの説明を受けると顔色を変えたチャーリーだが、考え込むようにしてそう語る。


 冒険者たちの証言により、ある程度姿が明らかになってはいるものの……未だ(かく)たる証言が聞き出せていない。抽象的なものでしかないのが異形の魔物だ。そのため、この脚部が果たして本当にその魔物の物なのか、戦った本人以外には判断ができないのだ。


「証明とまではいきませんが、説得力が増す材料ならありますよ。この素材の特殊性を見てもらいたいので、少し離れてもらってもいいですか?」


 そう言いチャーリーが離れたのを見ると、ロウはローブから投げナイフを取り出し、雷光の如く異形の脚部へと斬りつけた。チャーリーの眼からはロウの動きそのものが(かす)んで(とら)えられないほどの早業である。


「一体なにを──ッ!?」


 硬質で澄んだ音が響き──一拍置いて金属の落下音。折れたナイフの刃が落ちた音だ。


「失礼しました。実演した方が早いと考えたもので。御覧の通り、脚には傷一つありません。まあ、このナイフもあまり質がいいものではありませんが……」


 折れた刃を拾いつつ説明するロウ。斬りつける際に間違ってもチャーリーの方へ飛ばないよう調整していたとはいえ、彼からすれば突然の奇行に見えたことだろう。


 大きく息をつき、チャーリーはしげしげと魔物の脚を眺める。


「全く、驚いたよ。次はもう少し事前に説明が欲しいところだ──と、なるほど。傷一つ無しか。私も少し試してもいいかい?」

「勿論です」


 ロウから了承を得ると、チャーリーはどこからともなく工具を取り出し強度や材質を調べ始める。未知の素材とあって、彼は少々興奮気味だ。工具片手に魔物の硬質な脚を熱心に調べる様はやや不気味である。


「……硬い上に打撃にも強い材質か? 面白いな。これを防具に転用できれば、今までにない……」


 その上ブツブツと独り言まで始めると、流石のロウも引き気味である。


(アレだな。これだけ興味持ってもらえたなら買い取ってもらえそうで安心だ)

(ああなったのは職人ゆえだな。未知なる素材と会えて色々とアイデアが浮かんでるんだろう)


 十分ほどで正気に戻ったチャーリーは、頭を掻きながらロウの下へやってくる。


「すまなかった。ロウ君の言う通り、あの素材は相当異質なもののようだ。実に研究のし甲斐がある。組合へ売り払わずにムスターファ様の代理として私が買い取る形にしたいのだが、どうだろうか?」


「はい、構いません。斬り落とした脚はあと二本、そして別の部位も一つあるので、異形の魔物のことで頭を痛めている組合へ、サンプルとして脚一本は売却した方が良いかもしれません」

「そうか! ありがとう、ロウ君。しかし、君はこの脚を斬り落としたのか。それも複数……軽く調べただけでも、おおよそ人が傷つけられる物体ではないように感じたが」


 チャーリーは自分の提案にロウが肯定の意を示すと嬉しそう口元を緩める。


 素材の尋常ではない硬さを知り、その硬質な脚すら切断してのけるロウに改めて興味を惹かれる一方、こんな少年がそんな力を有しているのかと彼は背筋に冷たいものを感じた。


「武器に恵まれていますからね。並の武器だったら手も足も出ませんでしたよ」


 そう言いギルタブの柄頭(つかがしら)を撫でるロウ。


 少年に褒められたのが誇らしいのか、あるいは単に撫でられたことが快感だったのか。黒刀は(さや)に収まったまま刀身を震わせる。


(ふふふ……私も良き使い手に恵まれて幸せなのです)

(おい刀身をよじるな馬鹿!)


 他方、少年は曲刀たちの漫才はまるっと無視することにした。

 付き合っていては不審者になってしまうのだ。自身が奇行の引き金を引いたなどということは知ったことではない。


「そうなのかい? それほどの武器とは心惹かれるものがあるが、それはまた別の機会に取っておくとしよう。他の部位も見せてもらっていいかい?」


 ロウは首肯し、バックパックに詰め込んでいた魔物の脚や舌を作業台へ載せていく。側面にびっしりと鋭い歯が並ぶ舌を目にし、チャーリーの眉間にまたしても皺が寄る。


「なんとも醜悪(しゅうあく)な……これは尻尾かな?」

「いえ、魔物の舌に当たる部位です。これを鞭のように振り回して広い範囲を薙ぎ払う攻撃は、防ぐことが難しく非常に厄介でしたね」


 少年は魔物との戦いを思い出す様に目を細める。


 実際、フードと戦った時の身体強化では防ぐことすら出来なかったのだ。致命傷には至らなかったとはいえ、最も脅威に感じた攻撃だったのは間違いない。


「これが舌か……。一般の獣が持つものとは随分異なる、というよりこのような舌は他の生き物でも見たことが無い。異形の魔物がどのように生まれたのか、興味は尽きないな」


 チャーリーは険しい表情をしつつも興味深そうに他の部位ともども調べていく。


「いずれも非常に外傷が少なく状態が良い。今日持ってきてくれたことも腐敗が進まず助かった。素材の希少さを考慮しても極めて貴重な素材と言えるだろうね。ロウ君の要望に出来るだけ沿えるようにしたいが、希望額を聞かせてもらえるかい?」


 そう問われて頭をひねるロウ。何分魔物素材を売り払った経験が無いのだ。相場がどれくらいなのか、彼には金貨銀貨の単位すら分からない。


(素直に聞けばいいんじゃないか?)


(うーん、チャーリーさんの人柄的にそうしたいんだけど、仮に相場よりも低い額を教えられたとしても判断できないからなー)

(その時は勉強料と言うことになるでしょう。事前に調べておかなかったロウの落ち度なのですから)

(むぅ……)


 頭をひねるが良案は思い浮かばない。観念したロウは曲刀たちの忠言に従い、白旗を上げることにした。


「出回っていない素材ですから、こちらとしても扱いに困ってるんですよね。素材の性質が似通ってるものがあれば、その値段で買い取っていただけたらと思っています」


「三本ある脚でも、これくらいの堅牢な甲殻など多くはない。ましてや金属とは違い軽さも備えているとなると、世に出回っている品で比肩するものは無いと言える。少なく見積もって精錬済みのミスリルと同程度、大きさも考えれば脚一本あたり金貨二百枚が適正価格だろう」


「ほげぇー」


((ぶっッ!?))


 思わず間の抜けた声を出すロウに、少年の反応で吹き出してしまう曲刀たち。奇声を上げた子供を見て何事かと(おのの)くチャーリー。


「すみません取り乱しました。大金を持ちすぎると人生が狂いそうなので、提示された価格での取引で大丈夫です。舌の方はサービスということで代金は不要ですので」


「本当かい? こちらとしては大いに助かるが……」

「一応条件として、組合へ持ち込む際には俺の名前を出さないことを約束してもらえたら、言うことは何もないです」


 表面上は落ち着きを取り戻し対応して見せるロウだが、内面は大いに動乱状態だ。


(うおおおぉぉー金貨六百枚だってよーどうすんだよ! 一生遊んで暮らせるじゃん! 堕落(だらく)待ったなし!)


(宿と飯は既に無賃許可出てるし、いよいよ何にも困らないな)

(雑事に惑わされず研究や修練に打ち込めるのです)


(おっとそうだった。危うく精神が怠惰(たいだ)に呑まれるところだった)


 曲刀たちのおかげで平静さを取り戻したロウは、チャーリーと売買契約を詰めるべく話を進める。


「それでは、金貨六百枚で買い取らせてもらうということでいいかい?」

「はい。よろしくお願いします。素材はこのまま置いていきますね」


 無事話が纏まりロウは安堵の息を漏らす。


「ふふ、魔物との戦いの後にかたい話も重なると疲れてしまうようだね。支払う金貨については額が額だから今この場で用意することはできないが、大丈夫かい?」

「はい。書面上で取引を証明できれば問題はありません」


 売買契約の成立を書面で残すことに言及すると、僅かにチャーリーが動揺する。


(……ん? 金貨を用意できていない割に、書面の準備をしていないのか)


 少年が怪訝そうな目を向けると焦ったようにチャーリーが弁明した。


「ああ、いや、すまなかった。この素材のことを考えていて書面のことが頭から抜け落ちていた」


「では、用意してもらっても?」

「ああ、勿論だとも。この工房にあるから、少し待っていてくれ」


 逃げ出す様に工房の事務室へと向かうチャーリーを見て、一人残されたロウは思案する。


(単に俺に恐怖しただけなのか、それとも取引を口頭だけのことにして有耶無耶(うやむや)にしようとしたのか……後者だったら、相当な馬鹿だな)


(流石にそれは無いんじゃないか? あの職人だって、ロウが相当な硬度を持つ物体を切断する武器と技量を持っていると知っているわけだからな)

(魔物の素材を調べるとき熱中していましたから、本当に忘れていたのかもしれません)

(けど、ポンと金貨六百枚の取引を出来るような人に見えないんだよな。言っちゃ悪いけど)


 金貨六百枚ともなれば、庶民なら養う家族ごと生涯遊んで暮らせる金額である。一介の職人にそんな取引を行えるようにあのムスターファがするだろうかと、ロウは懐疑的(かいぎてき)な見方を強めていた。


 しかし数分もすると、額に汗した男性は契約書を持って戻ってくる。


(考えすぎだったか)


 渡された書面に自分が不利となるような文面もない一般的なものであることを確認し、ロウは警戒を解く。


 契約書に署名を行ったロウは帰る旨を告げ、そのまま工房棟からチャーリーに門まで案内してもらってムスターファ邸を後にした。


◇◆◇◆


 ロウを見送った後、チャーリーは深く息をついた。心臓の鼓動は未だに早い。


(つまらない欲を出して死ぬところだった。子供なのは外見だけじゃないか)


 彼はロウが疑っていた通り、そのまま支払うつもりはなかった。


 契約を口頭で済ませることで資金が思うように集まらない、組合への売却額が思うようにいかなかった等の理由をでっちあげ、最終的な支払金額を少なくしようと考えていたのだ。


 チャーリーがこう考えたのは、最初に提示した最低金額にロウが飛びついた故である。


 少年に提示した金額は実のところ、魔物素材と同程度の大きさの精錬済みミスリルの、約四分の一程の価格である。相場の六割の値で買い取るという話とは全く合わない値だったのだ。


 ロウが即断でその値に了承したため(くみ)し易い相手と考え、そのまま契約へ持ち込もうとしたチャーリーだったが──。


(あの時ほんの僅かに発したであろう気配……。過去に人や魔物などから感じた気配とは、比べ物にならぬほどおぞましい殺気だった)


 ロウの気配を感じた時のことを思い出し、彼は思わず身震いし己の体を抱く。


 少年が殺気を放ったのはごく短い時間だったが、互いの距離が近かったこと、そしてチャーリーが人並み外れて気配に敏感だったことにより、過剰な反応を見せてしまったのだ。


 結果、ロウから疑惑を向けられることになり、書面での契約を余儀なくされたのだった。


「しかし、本来の価値から考えれば大したことは無いとはいえ、金貨六百枚……ムスターファ様への報告は気が重いな」


 未知なる素材への探求心に従ったことには後悔などないが、それでも上司への報告は気が重くなるものだ。ましてや大金の契約であればなおのこと。


「ムスターファ様にあの素材の素晴らしさを伝えるしかないな。きっと分かって頂けるだろう」


 チャーリーは意を決し、ムスターファに対するプレゼンテーションをどう乗り切るかへと思考を切り替えていった。

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[気になる点] えっ、意味もなくサービスしないでいいでしょうよ、異空間に入れといて。
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