1-3 「異民と森」での休息
2020/8/24:主人公の仇について加筆
「──自衛能力はあるにこしたことないよな、うん」
軽く自分の力を確かめるつもりが、割と無視できないくらいの自然破壊を行ってしまったが……くよくよしていても仕方がない。
何事も切り替えが大切である。逃避は時に心を助けるものだ。無責任な気もするけど、誰も見ていないしセーフである。
「今後はどうするかなー」
既に乾いている衣服に袖に手を通しつつ、思考を再開。己の現状へと目を向ける。
「ここだと顔は割れてないけど、手配書が出されてるし。母さんの仇は討ったし、サクッとリマージュを出るか?」
今を遡ることひと月ほど。俺は母親を殺した相手を討ち取っていた。
母の遺品の調査に凶器の出所、怨恨関係など。時に民家に忍び込み、時に衛兵の詰め所に潜り込み。盗賊稼業の合間に調査を推し進めていった俺は、犯人を突き止める。
その人物は店の常連客、キャサリン。俺をいたく可愛がってくれていた綺麗な女性だ。俺に対し歪んだ愛情を抱いていた、クソッタレな小児性愛者でもある。
俺を引き取ろうと何度も孤児院を訪れただとか、俺が泊まっている宿に週一回はやってきただとか。今にして思えば色々と疑わしい面もあったが、犯人と確定した時は青天の霹靂。信じられない思いだった。その思いも、彼女の宅にある俺の人形の山を見るまでだったが。
とにかく、俺は復讐を遂げた。憎しみで身を焦がすのはもうこりごりだから、これから先は安らかに暮らしていきたいところ。
ひとまずはこれを目標に据えるとしよう。
「向こうについたら生活費を何とかして、赤い魔力や父親関連についてでも調べてみる。まずは盗賊団を抜ける前の挨拶回りかね」
仇を取り終え在籍する理由もなくなった俺は、今回の仕事を最後に盗賊団を抜けると周囲に伝えていた。囮としての役割は十分に果たしたし、もう顔を出さなくてもいい気さえする。
とはいえ、今の俺があるのはバルバロイの面々がいてこそな訳であって。
やはり最後には顔を出すのが筋というものだろう。
これも日本人的な考えなんだろうか? と思いつつ、俺は夜の森を駆け抜けていった。
◇◆◇◆
「びゅーん!」
森を抜け真っ暗な街道をひた走る。馬も真っ青な速度で駆け抜ける。
──魔力操作における身体能力強化の恩恵は様々だ。
筋力や骨の強化はもちろん、視覚や聴覚といった五感の鋭敏化、心肺機能の強化。多種多様極まっている。
闇で閉ざされた夜間でも視界に困らないのは、まさにこの身体強化による視力向上のおかげなのだ。
息が上がり汗は噴き出すが、未だ余力は十分だ。この分だと、移動に馬車は必要なさそうだ。
かつてこの辺りを馬車に揺られ四時間ほどで行き来したが、今なら一時間もかからず都市部へ到着するだろう。
走るって気持ちがいい! などとランナーズハイになりながら疾走すること三十分程。予想よりもずっと早く、城壁の前へと到着した。
都市部は堅牢な城壁で守られ、夜間は東西南北全ての門が閉ざされている。
現在俺は盗賊団所属の無法者だが、宿屋の下働きという仮初の身分を持っているため、夜明けを待って正面から町に入ることも出来る。
しかし、魔術や剣技から逃げ回ったり森を駆け回ったり、果ては異世界の記憶を叩き込まれたりと、肉体精神共に消耗している。一刻も早く自宅で休みたいのが正直なところ。
というわけで、軽業にものを言わせて非正規手段での侵入だ。無法者万歳!
この都市の城壁は掘削や攻城やぐらのとりつき対策なのか、壁面に傾斜がある。侵入者としては登りやすい造りだ。つまりは余裕のよっちゃん(死語)である。
三階建ての建物ほどもあろうかという城壁を一足で登り切り、勢いそのまま都市内部へ落下。
すとんと着地後、まだ人気のない街を影のように疾走。自宅でもある宿に到着し、滑りこむように帰還した。
「いらっしゃーい……って、ロウ君! 大丈夫なの!?」
扉を開け宿へと入ると、退屈そうな顔でぼんやり呆けていた受付嬢が慌てて駆け寄ってくる。
転生関連のことですっかり忘れていたが、我が装いは服もローブも穴に汚れにとボロッボロである。そりゃ心配されるわ。
「服は酷い状態ですけど、傷は無いので大丈夫ですよ、ディエラさん」
俺の身体をペタペタと触ってくる、クセのかかった朽葉色の髪を長く伸ばした女性──ディエラに、ゆっくりと説く。
「大丈夫って……例の仕事、失敗したの?」
こちらの返答を聞いても未だ心配そうな表情を浮かべる彼女は、声を潜めて尋ねてくる。
昔は盗賊団バルバロイの実働要員だった彼女だが、俺が部隊の筆頭となった時に部隊から外れている。今は団員たちを補佐する宿「異民と森」が彼女の職場だ。
可憐な容姿と華奢な体つきから男性客から視線を集めることが多々ある彼女ではあるものの、元実働部隊だけあってその身体能力は高い。強引に迫る屈強な男を片手で捻る彼女の姿など、一週間に一度は見られる光景だった。
「問題ないです。例の女の子はルーカス団長に預けて、その後は俺が囮になって動き回りましたから」
そんな彼女のややタレ目な黒い瞳を真っ直ぐ見ながら、宥めるように言葉をかける。
「う、うん。っていうかロウ君、ちょっと見ない間に雰囲気変わったね?」
頬を朱に染めながら、慌てたように距離をとって取り繕うディエラ。俺がイケメンショタだからだろうか。心中複雑である。
「士三日会わざればなんとやらってやつですよ」
「なにそれ。でも何だか前よりも刺々してなくて、柔らかくなった感じがする」
何だかいたたまれない気持ちとなったため誤魔化すように言うと、ディエラに笑われてしまった。
そういえば地球の故事も通用しなくなったのか。したり顔で語ったら赤っ恥である。
「それじゃ身体洗ってきます」
話を打ち切るべく宣言しそそくさと退散。
都合が悪くなれば適当に誤魔化して逃げの一手を打つ、これぞ中島太郎流処世術之一である。
三階の自室へ戻り、服を着替えタオルを持って一階にある浴室へと向かう。
洗い場の設備は備え付けの水を生み出す魔道具(使用者の魔力を吸い魔術を再現する道具。値が張る)や椅子、桶、そして大きな姿見だ。浴槽こそ無いが、身を清めるには申し分のない設備である。
「こんな時間じゃ、誰かと鉢合わせる様なお約束も無しか」
そろそろ夜が白みだそうかという時間帯だったが、先客もいないようだった。
あらかた汚れを流し終えた後はあまり泡立たない石鹸も使い、ガシガシと身体を洗っていく。
「ニオイは盗賊の敵だからな!」
濡れたタオルを身体に叩きつけて空気を爆ぜさせる。すぱぁーんと無駄に良い音が鳴った。
「ふぅ。身体強化があるから水浴びも苦じゃないけど、やっぱり風呂には浸かりたくなるなあ」
現状でも身は清潔に保てるものの、やはり湯船に浸かり身体を弛緩させるというのは魅力的なモノ。魔術を学んだら真っ先に風呂の構築に手を出したいものだ。
……住む家すら目途が立っていない現状だけども。
「魔術どうやって使うんだろうなー? あの衛兵たちが使ってた火の魔術は、魔法陣やら魔力の集束やらがあったけど」
衛兵たちにぶっぱなされた「風刃」や「火球」という魔術は、今回の逃走劇以前から知っていたもので、何度か真似した経験があるが……。杖をもって唸ってみたり念じてみたりしても、結果はむなしいものだった。
「当分は体術一本で行くかね」
床面を壊さない程度に八極拳の型──套路を行い、身体の動きを確かめる。
大学生のころに比べれば身体が随分小さくなったものの、以前とは比較にならないほど強固強靭。魔力で強化していない状態ですら、だ。
前世の幼少期より、親友とその父親からボコボコにされて叩き込まれた武術も、今のこの身体なら十二分に生かせるだろう。
前世ではボコられ損だった気がするが、気にしてはいけない。
気を取り直し姿見でキメ顔を確認しつつ、水気をふき取り洗い場から退場。
服を着終えて自室に戻り、汚れた服やタオルを籠に入れてディエラに洗濯をお願いする。ローブは損傷が酷いため、自室に置きっぱなしである。
「洗い物お願いします。今から寝て、昼頃になったら飯を食べて拠点に顔出そうと思ってます」
彼女は「もう身体を洗い終わったの?」と怪訝な顔をしているが、そんなものは素知らぬ顔で対応だ。
「昼頃ね、りょーかい。挨拶してからこっちに戻ってくるでしょ?」
「いえ、挨拶しに行く前に旅支度して、そのまま町を出る予定ですよ」
戻らない旨を告げると、形の良い朽葉色の眉がハの字になる。口を尖らせ不機嫌になる様は実に可愛いらしい。
「随分急ぐのね? お姉ちゃん、ちょっと寂しいよ」
「行って戻って、ってやるとまた会いたくなっちゃいますからね」
そうおどけて言ってみると、鼻で笑われてしまった。
「そんなタマじゃないでしょ。ちょっと待ってて」
俺にその場待機を命じつつ受付の奥へ引っ込んでいくディエラ。そろそろ泊ってる客も起きてきそうだけど、大丈夫だろうか?
心配して奥を窺っていると、彼女は何やら手に持って戻ってきた。
「ローブが駄目になって丁度いいっていうのも変な話だけど。これ、ロウ君に」
彼女が手に持っていたのは鉄紺色ともいうべき暗く深い青色の、闇夜に溶けるようなローブだった。大人びて格好良いローブである。
「おぉ~。大き目で背が伸びても使えそうで、凄くありがたいです」
手放しで喜び頭を下げると、ディエラも得意気に薄い胸を張る。
「でしょ? 魔術的な強化があるわけじゃないけど、丈夫で長く使えそうなものを選んだのよー」
語る彼女は鼻高々といった様子でとても可愛らしい。中島太郎としての意識が宿る前、昔の俺が慕っていたのも頷ける愛らしさだ。
「ありがとうございます! ディエラさんだと思って大切に使いますね」
……あ。セリフのチョイスちょっとミスった。
まあ年上お姉さんのディエラのことだ、ガキのたわ言だと思って流してくれるはず──。
「えぇ!? ちょっ!?」
──流してくれなかった。彼女は目を白黒させながら固まってしまう。
しかしこの反応……やるな昔の俺。年上を落としにかかっていたのか。童貞の俺には真似できない芸当だ。いや、ロウも童貞だけども。
「すみません。はしゃぎ過ぎてちょっと間違えました。このローブ、大切に使わせてもらいますね」
「う、うん。喜んでもらえて、私も嬉しい、かな」
顔を赤くし頬を掻きながらはにかんでいるディエラ。これは惚れますわ。
「……それではディエラさん、おやすみなさい」
もう一度深く頭を下げる。盗賊団に入ってからの日々を思い返し彼女への感謝を、そして失われてしまったロウの彼女への好意をこめるように。
「……うん。おやすみなさい」
彼女は柔らかく、しかし少し寂しそうに微笑んで見送ってくれた。