9-13 黙って食われろ
「……手間取らせてくれる」
帝都上空。天使の如く純白の美女が眼下を見据えて吐き捨てる。
視線の先には奈落の様な大穴と、底で白熱する溶融した大地。空を舞う美女──ベリアルの放った光の大魔法により、地上には街一つが入ろうかという巨大な穴が穿たれたのだ。
「ちっ。『耀籃』でもアレの氷城は健在か。忌々しい」
悪態をつくベリアルの言葉通り、避難民たちを護る氷の城は揺らがず。虚無を纏った氷の城塞は彼女の魔法を受けてなお、沈むことなく溶岩湖に浮かび漂う。
「しかし奴は焼き捨てた。なれば、如何様にも──っ!」
苛立ちながらも蹂躙の算段を付けていた美女だったが──ふいに権能を解放。己が幻影をずらりと並べ、光の魔法を掃射する!
自身と同様の姿を持つ幻影たちが狙い撃ったのは、突如として空中に顕れた魔力の塊。それを空間魔法の揺らぎとみた彼女の先制攻撃だったが……。
「随分と温いご挨拶だなァ? 最上位魔神さまよお」
光の魔法は闇に呑まれ、異形の子供が内より出でる。
頭部には太く捻じれて後方へと流れる黒い角。
腕部には虚無の雷を奔らせる黒き体毛。
腰部からは竜を思わせる鱗を有するしなやかな尾。
一斉照射の影響か、それとも先の大魔法の影響か。少年の身体からは異臭が漂うが──。
「……っ!」
──滲む覇気は未だ衰えず。
小さな身から溢れる力は、ただ垂れ流されるだけで周囲の空間を圧壊させる。正に正しく頂点のそれである。
「聞いていた姿とは随分異なるが。それが貴様の降魔か。山羊とも猿とも竜ともつかぬその姿……くくっ。なんともなんとも、醜いな」
「ハッ。降魔だとフジツボだらけになる蜘蛛女が、それを言うか?」
「機能美も曲線美も備える蜘蛛の美しさを解せんか。愚物めが。所詮は生まれたての童に過ぎんなっ!」
皮肉と罵倒の応酬を終え──魔神と魔神は互いに突進。
異形の少年と美女の集団、両者の殺意が交差する!
「喝ァッ!」
「お゛げっ……」
飛び込む勢いと共にまっすぐ伸びた少年の拳が、美女の胸部を空の果てまで打ち貫いて。
「千切れろっ!」
少年が一人討ち取る間に上下左右正面背面を囲んだ美女たちが、無尽に手刀を繰り出して。
「扑ッ!」
その手刀の全てを目で見て肌で感じる少年が、無数に生える触腕の鮮やかなる動作で逸らしてやり過ごす。
「……貴様っ!」
片や万年を生きた古強者に、片や生まれて十余年の幼き子供。同じ魔神であるにしても、歴然たる力の差があって然るべきなのに……幼き魔神ロウは、古き魔神ベリアルの攻勢を容易くいなす。
さながら、子供の稽古をつけるかのように。
「鈍いな。蠅が止まるぜ? 蜘蛛女」
「こっ、こっこのっ、舐めるなと言っていようが!」
少年が安い挑発を投げて寄こせば──激する美女の攻め手が加速する!
襲い掛かる幻影は数を倍し、繰り出す攻撃は魔法も追加。輝く手刀と乱舞する閃光で、上空に太陽が二つあるかの如く光が満ちる。
「……馬鹿、なっ」
あらゆる角度からの肉弾攻撃。
隙間すらなく照射している光魔法。
相手の虚を突く空間魔法。
幻影と共に行なうベリアルの攻め手は……しかしどれもがロウに届かない。
灼熱を宿す光の手刀は虚無の触腕であえなく無力化。円を描くような動作で絡められ、いとも容易く捌かれる。
遠距離から放つ光魔法も虚無の護りで雲散霧消。少年が発する漆黒の魔力にあてられ陰って消える。
虚空から手足を生やして奇襲する、“眩惑”の権能と空間魔法の合わせ技。その搦手さえも、少年は予期していたかの如く柔らかな体捌きで躱してみせる。
「舐めてるのはどっちか。はっきりしたな? ベリアル」
突撃する幻影は次々潰され、生み出したはしから消えていく始末。
力劣る眷属の幻影ではなく、並みの魔神を捻り潰せる己の幻影を生み出しているのに、だ。
「この……っ! 生まれて間もない小童がっ、余を! このベリアルをっ! 愚弄するかあっ!?」
「いやいや、お前もやるもんだよ。それなりにな」
「──っ」
古来より存在し力を蓄え続けてきたこの世の上位者、ベリアル。その強者を、幼き魔神はごくごく自然に見下ろし話す。
積み上げてきた激戦の数を考えれば、少年の言動も裏打ちを持つものだが……知らぬ美女には笑えもしない世迷言。最上位魔神たる己を軽んじる妄言である。
要するに、ロウはベリアルの逆鱗に触れた。
〈貴様は、殺すっ!〉
いきり立つ美女は再び降魔。
特大の白蜘蛛となったベリアルは、空を埋め尽くす己の幻影と共に、少年を圧殺せんと襲い掛かり──。
〈待ってたぜ。この時をよォ!〉
──同じように権能を全開とした山羊頭の魔神に、真っ向粉砕されることとなった。
〈ご、あ゛っ!?〉
漆黒の触腕によって砕かれていく白亜の外骨格。漆黒の魔力によって掻き消されていく“眩惑”の権能。その殲滅速度は先ほどの数倍は下らない。
〈なんだそれはっ、その姿は!?〉
瞬く間に孤軍となった白蜘蛛は態勢を立て直そうとするが……空間魔法は構築できず。魔力が搔き乱されて不発に終わる。
〈魔神ってのは変身を残しておくもんだろ? お前が黒蜘蛛から白蜘蛛になったようなもんだよ──本気ってことだ!〉
言いながらも触腕をぶん回すロウは渾身の震脚、からの裏拳打ち下ろし。
蹄ある脚で虚空を踏み込み、八極拳大八極・反砸を叩き込むッ!
〈哼ッ!〉
〈ふごっ……〉
スイカを割るかの如く蜘蛛の頭部へ打ち下ろされた裏拳は、ガワを砕き中身を潰し、爆裂。浸透した虚無が内より爆ぜて、蜘蛛の巨体が砕け散る。
頭部付近を僅かに残しベリアルの体は爆発四散。
頭部を掴みとったロウが最後通牒を突きつける。
〈よう。なんか言い遺すことはあるか?〉
〈……それほどの力を持ちながら。貴様は何故、余の邪魔をする? 魔神であれば魔の繁栄を望むものだろうが。何故魔を滅する側に立つ!?〉
〈別に魔物や魔神なら何でも相手するってわけじゃねえよ。お前らが人を殺そうっていうから敵対しただけでな〉
〈戯けたことを。人の営みを踏みにじり、命の全てを蹂躙する。それが魔神というものだろうが!〉
蜘蛛の頭部が喚き散らせば、山羊頭の魔神が首肯する。
〈そういうもんだろうな。俺にも破壊に対する昂揚感は確かにある〉
〈はっ、自覚があったか。なれば貴様の行い、如何に説明する?〉
〈んなもん簡単だ。破壊が俺の本質だとしても、それが人を殺すことには繋がらない。俺は魔神だけど、人でもあるからな〉
〈……なんだと?〉
〈知らなかったのか? 俺は人と魔神の間に生まれたんだよ。だからお前の言い分は許容できないところもあるけど、理解できる部分もある……まあ、今更だ。もうこんなこと話して、どうのこうのってもんでもない〉
話を打ち切ったロウは触腕を捕食形態へ移行。鯨のように巨大な口を開いて構えをとる。
〈待て! 貴様も魔の本懐を理解できると言っただろうが! なれば──っ!?〉
蜘蛛頭の命乞いの最中、ロウはいきなり魔法を構築。己の背後へ虚無の雷を叩きつける!
[[[ギッ……]]]
〈見え見えなんだよ。狡い時間稼ぎなんてな〉
背後にいたのは黒蜘蛛の群れ。“眩惑”の権能で生み出されたベリアルの伏兵を、ロウは魔神の感知力と山羊頭の視野角で看破していた。
〈ぐっ……この、生まれて百年も経たぬ、混ざりものの分際で。余を、このベリアルを見下すかっ!?〉
〈混ざりもんだからこそだよ。お前がどこの誰でどんな地位で、魔神としてどんな風に崇められていようが……知ったこっちゃねえ。だから……〉
言葉を切った瞬間、構えられた捕食口がゆるりと開き──煮え滾る殺意と魔力が、堰を切ったように溢れ出る。
〈……!?〉
空が軋む。天が震える。空間が捩じ切れる。
あまりに濃い神紅の魔力に、あまりに苛烈な灼熱の殺意。そして……あまりに悍ましい食欲。
神として天空神の小間使いに奔走していた時も、魔神としてあらゆるものを踏みにじってきた時も。絶対者たる彼女に決してぶつけられることのなかった、純粋な衝動。
〈待っ、やめ──〉
己が捕食されるという未知の恐怖を前に、つい誇りを忘れたベリアルが声を上げ──。
〈黙って食われろ〉
──剥き出しとなった魔神の本性が、白亜の蜘蛛を噛み砕く。
〈ぐっ……!? ぐぅううう……!〉
脚に鋏、己の眷属。数多の幻影を生み出し最期の抵抗を行なうベリアルだが……拘束されたうえに消耗した状態で、最強と成った魔神に抗えるはずもなし。
硬質なものが砕かれる咀嚼音。柔らかな組織が千切られる断裂音。
虚しく響いた食事の音は数十秒で空に消え……白き蜘蛛の紅玉色の魔力は、虚無の魔神の神紅に駆逐された。
〈ふぅ。触腕で食ったからか、あんまり食った実感湧かないな。味もしないし〉
(まさか、伝説の魔神を食らうなど……。倒した、ということになるのでしょうか?)
〈分からん。殺しても死なないのが魔神だし、案外俺の腹を裂いて出てくるかもな。あいつ蜘蛛だし、如何にもありそう〉
(うっ。笑い事じゃないですよ、ロウ。あの魔神なら本当にあり得そうなのです)
冗談とも本気ともつかない言葉を返しつつ、降魔を解いた少年は索敵を開始。「魔眼」を凝らして地上を探る。
「ん~……闘技場の周辺、魔物が一掃されてる。俺とベリアルが暴れた場所以外もってことは、あいつらが到着したのかな?」
(そのようですね。たった今、サルガスが「この荒れ様はロウがやったのか?」と念話を送ってきましたから)
「真っ先に俺を疑うか。流石サルガス、俺のことをよく理解してるぜ」
(信頼されてる風なことを言っても、誤魔化せていませんからね?)
美談風に纏めるロウに、鋭く現実を突きつけるギルタブ。
久しぶりのお約束のようなやり取りを経ながら、ロウは地上で待つ仲間の下へと向かった。
やっとこさっとこベリアル戦の終了です。お付き合いありがとうございました。