9-9 英雄の条件
白髪の美女──魔神ベリアルを返り討ちとしたロウは、勢いそのまま天に跳ぶ。
「一、二、三……八。個々に処理したんじゃ間に合わないか。まずは一か所に纏めなきゃな……とっておきの水魔法、見せてやんよ」
ベリアルに召喚され降下中の巨大蜘蛛たち。その頭上に陣取った少年は特大氷剣を八本創造。氷の鎖が柄につくそれを、眼下の蜘蛛へぶん投げる!
「八握剣ッ!」
[[[──ギィッ!?]]]
センスが壊滅している少年にしては真っ当なネーミングの魔法は、蜘蛛たちの落下速度を十倍も上回り──着弾。外骨格を叩き割って突き刺さり、内より氷結して巨体の落下を食い止めた。
「ふんぐッ、ぅぉぉぉおおおッ!」
[[[!?]]]
次いで、少年は両腕と背から生える触腕で束ねた鎖を引き、渾身の咆哮。
歯を鳴らし魔力を滾らせ、魔神の膂力を解放するッ!
「りゃあぁッ!」
「う、浮いたぁっ!?」
「使徒様の魔法だ。闘技場ほどもある魔神の群れを、天まで引き上げるなど……何と凄まじい」
「いや、あれってただの馬鹿力なんじゃ……?」
などという地上の声が耳に入らないロウは、逆さまとなった蜘蛛たちに魔神としての本性を曝け出す。
「あの女から召喚されて、さあ楽しい虐殺の始まりだ……なんて思ったか? 残念だったな──お前たちが殺られる側だよ」
幼き魔神が魔力を発し、神紅の魔力が朝空を覆う。
虚無の魔神の蹂躙劇が始まった。
◇◆◇◆
[[[──!]]]
ロウを敵と認めた蜘蛛たちの対応は早かった。
胴体を氷の剣で貫かれているものの、彼らも上位魔神の眷属。臓器が潰された程度で止まりはしない。
ある者は光の魔法を一斉掃射。
ある者は光の足場を至る所に浮かべて周囲の援護。
またある者は特大光球を創り上げ、最大火力で対する者を焼き尽くす!
放たれた光の嵐は上下自在の全方位。迫る速度は文字通りの光の速さ。
鎖を手に持つ少年に避ける間もなく……殺到した攻撃はそのまま直撃。朝焼けの空が灼熱と閃光で燃え上がる。
[[[……?]]]
あれほどの力を有していながら、防御や回避の兆しさえ見せなかった少年。その不自然さに、蜘蛛たちは思わず訝しむ。
──召喚されたばかりの彼らは知らなかった。
自分たちが対する相手が、主神ベリアルの魔法でさえまるで効かなかったという事実を。
[ギ!?]
炎が晴れるも、そこにあるのは氷の鎖が繋がれた宙に浮かぶ巨岩のみ。
どういうことだと眷属の一体が首を傾げ──その首がころりと転げ落ちた。
「まず一体」
[[[!?]]]
黒刀をきらりと光らせる少年は、いつの間にか蜘蛛たちの裏へと回っている。
それが意味するところは、魔神の眷属でさえ知覚不可能な神速移動と超速斬撃。
[[[……!]]]
眷属たちはここに至ってようやく理解した。
この小さな子供が、自分たちより遥か格上の存在であると。
首を失った蜘蛛が氷に閉ざされ氷像と化し──少年の姿が掻き消える。
[ギギッ──]
仲間の悍ましい死に様に錯乱し、眷属の一体が光魔法を全方位に乱射するが──ふいに停止。
[──ギ?]
正中線からぱっくり割れて、縦に別れた巨体がずるりと滑って氷結する。
「二体目」
氷の切れ目にいたのは当然少年。そしてやはり、再び姿を眩ませた。
[!?][ギ……ギギギッ]
残された蜘蛛たちはあまりの実力差に後ずさったが……氷の鎖が虚しく鳴るのみ。
ならばと光の魔法を束ねて撃つが、魔神の氷は欠片も融けない。半狂乱となった蜘蛛たちは、黒光りする脚を何度も何度も鎖に向かって振り下ろし──。
「五体」
──黒き刃で微塵に刻まれ、氷塊となって空を舞った。
[ギッ……ギィ!][ギィィッ!?][ギ……]
怒り狂う者、発狂する者、全てを諦め止まる者。残るは三体。
「そう怖がるなよ。すぐに終わる」
その全てに死を告げて、虚無の魔神の刃が奔る。
真正面から縦一閃。駆け抜けるように横一閃。返す刃で切り上げ一閃。三連閃で三体屠り、宙を舞う残骸も居合連斬で細かく解体。
都合十秒。無尽に動いた刃が止まり……少年の周囲の命は潰えた。
「ふぅ……おしまい。鎖を繋いでた岩を破壊されなくてよかったよ」
(相手の魔法はロウの鎖を破壊できていませんでしたし、そうなっていても問題はないと思うのです)
「それもそうか」
黒刀をかちりと納め、凍り付いた残骸を風と炎で処理していく少年。敵とはいえ魔神の眷属であるからか、その表情は微かに苦い。
(ロウ。この者たちは、ロウが護ろうとするものを破壊するべく召喚された存在です。貴方が人を護ると決めた以上、心を痛める必要など一切ありません)
「ん……。思い悩んだわけじゃないよ。ただ、俺が魔界で生まれてたら、こいつらと一緒に侵攻してたのかも……って考えたんだ。つまらん仮定の話だな」
(むう。それを感傷と言うのですよ、ロウ)
「そう? じゃあアレだな、心配してくれてありがとうってやつだ」
おどけて答えて破顔して──すぐさま表情を戻すロウ。
〈オオオォォォッ!〉
轟く咆哮、天衝く魔力の大柱。魔神ベリアルの復活を感じた故である。
「仕留めたつもりだったけど、生きてたか。腐っても魔神だな」
瞳孔を散大させて見つめる先には、紅玉色の魔力を立ち昇らせるフジツボだらけの巨大な黒蜘蛛。建物を粉砕していきり立つその蜘蛛は、ロウが処理した眷属の倍はくだらない超巨体だ。
〈こ、のっ、余を! 炫神ベリアルをっ! よくもっ、こけに! してくれたなぁぁああ!? 魔神ロォォォウっ!!!〉
「ぅぉぉ……うるせえ。折角隠してるのに、魔神とか叫ぶなよ。つーかあいつ、俺のこと知ってたのか」
(それはまあ、あの魔神もバエルたちの一派でしょうから。しかし、炫神ベリアルとは……凄まじい大物が出てきましたね)
天震わせる叫びに少年が顔をしかめる一方、魔界事情に詳しい黒刀は驚嘆の声を上げる。
「ベリアルねえ。有名なんだ?」
(はい、とても。元は上位神であり、天空神に叛逆した最上位に位置する魔神。あのバロールと並ぶ伝説の魔神の一柱です。伝説というだけあって、もう随分と表舞台に出ていなかったのですが……)
「バロールって、あのバロール様!? マジかよ……。ぶん殴った限りだと、そんな感じしなかったけどなあ」
等々、話を脇へと逸らす間に地上で魔力が収斂完了。極太の閃光がロウめがけて放たれる!
〈光を呑み込む闇……!? 貴様ぁ、逃げるなぁっ!〉
「誰が当たるかってんだよ。……降魔状態? だけはあって、凄い熱だ」
竜の息吹と同等の熱量を誇る閃光に対し、少年は空間変質魔法「常闇」で応戦。光を吸収する闇で魔神の魔法を呑み尽くす。
「ハァーハッハッハ! どうだ逃げずに受け止めてやったぞ? なんかお気持ち表明しろやァ!」
〈こんの、童風情がっ! 燃えて、燃えてっ、燃え尽きよっ!〉
世界を白く染め上げる光の流星に、それを食らい尽くす漆黒の闇。
神話大戦そのものといった魔神の魔法のせめぎ合いを見て、避難を続ける帝国臣民は息を飲む。
「光操る蜘蛛の魔神に、闇を操る神の使徒様。まるで神話のようだが、全く逆だ」
「しかしあの蜘蛛の魔神は、何やら使徒様に魔神と叫んでいたような……」
「何でもいい。あんなものに巻き込まれたらおしまいだ。使徒様のゴーレムが魔物を倒してくださったんだ、さっさと離れるぞ!」
ロウ手製のゴーレムと剣闘士ドランが再集結しつつある魔物を蹴散らし、集団を先導。ロウに治療された冒険者や兵士も魔物撃退に加わり、避難は順調に進んでいた。
しかし……。
〈ちっ、忌々しい! ……んん? あちらで群がる虫どもは……くくっ、そうかそうか。なにも正面から打ち破るだけが戦いではなかったか〉
魔神からは、逃げられない。
「攻撃がやんだ?──ッ!?」
上空にいた褐色少年が訝しんだ直後。光の津波が人々をさらう。
魔物と交戦していた獣人の剣闘士。
それを後方から援護していた人間族の兵士。
彼らに護られ進んでいた避難民たち。
光を目にした彼らは皆、呆けたままに立ち尽くし──。
「おぉりゃあぁッ!」
「「「!?」」」
──直ちに割って入ったロウのおかげで、辛くも窮地を回避した。
「し、使徒様!?」「いつの間に……」「この闇は一体……。それにさっき、何か光が見えたような」
「魔神が攻撃してきてんだよ──ッ!」
八つ当たり気味に声を荒らげ、少年は更なる魔法を展開。
闇を切り裂き現れた蜘蛛の脚を、氷の柱で受け止める!
〈あっはははっ! なんだなんだ? 防戦一方になったじゃあないか!〉
「ぐぅッ……」
「ひぃぃぃっ!?」「あ、熱い!? 使徒様、お助けを!」「我らをお守りください!」
なおも振り下ろされる脚を魔法で退け続けるロウだが、その攻撃で光を遮る闇は晴れていく一方。
徐々に過熱していく魔神の光は、避難民たちをうっすら炙り……迫る死の気配に、彼らはたちまち錯乱状態となった。
「馬鹿野郎ッ。使徒様が全力で戦ってるってのに、護られてるだけでガタガタ抜かしてんじゃねえ! 祈りで使徒様にお力添えした方が万倍マシだろうが!」
そんな中で声を張り上げたのは獣人の剣闘士ドラン。
何度も死を感じてきた歴戦の戦士故の胆力。そして、褐色少年への恩義。
彼の精神は、魔神の魔法でも挫けない。
〈くくくっ。この期に及んで喚き散らすばかりとは、傑作だなあ? 魔神ロウ。後ろを見てみろ、醜く貴様の足を引っ張るばかりじゃあないか。貴様が護ろうとしているものが、何の価値もない塵芥という証左よなあっ!〉
「……解釈違いだな、クソッタレ。俺はむしろ、護って良かったと思ったよ。捨てたもんじゃないともな。……追い詰められた中で奮い立って、周囲を鼓舞してあがいてみせて。事あるごとに『逆境の中でこそ英雄が生まれる』って神が言ってた意味、今ようやく実感できたくらいだ」
〈……下らん。英雄なんぞ──塵だろうがっ!〉
豹変したベリアルは攻撃を激化。多脚で薙ぎ払い光で融かし尽くし、ロウを苛烈に攻め立てる!
「そうじゃねえって、言ってんだろうがッ!」
対する少年も権能を解放。腕を降魔で異形へ変えて、虚無の魔法で迎え撃つ!
「「「……!」」」
石畳の路面を豆腐のように崩す蜘蛛の脚を、黒き氷柱でせき止めて。
頭に脚に、無数に埋まる眼球から次々放たれる閃光の嵐を、虚無の闇で食い尽くす。
「おおおぉぉぉッ!」
光操る山のような黒蜘蛛と、闇操る幼き褐色少年。数秒間の大魔法の応酬は、帝国臣民が知る神話のどれよりも激しいせめぎ合いだ。
〈ちぃ……!〉
「す、凄い……」「押してる。使徒様が押してるぞ!」「獣人の言う通りだ。このまま祈りを続けよう!」
仰け反りぐらりと後退する大蜘蛛に、押し込みにじりと前進する少年。圧倒的体格差の真っ向勝負は、不合理にもロウに軍配が上がる。
半降魔状態となり力が限りなく高まっていること。そして、背に護るべき存在が確かにあること。
魔神の力と人の心。二つを併せ持つロウだからこそ、窮状は力に変換される。生まれついての上位者たるベリアルには理解及ばない現象である。
〈……力を持っただけの小童が。魔の頂点たる余を下がらせるだと? 図に乗るのも大概にしろ〉
その姿にかつての仇敵を見たベリアルは、本気となる。
フジツボだらけの奇怪な外骨格が、脱皮したてのように透明感ある白亜の鎧に生まれ変わり。
神聖極まる特大光輪を頭上に浮かべ、これが神だと言わんばかりの威光を知らしめて。
〈潰す。格の違いを知るがいい〉
金の“魔眼”を光輪の中央に開眼させて、眩惑の魔神が真なる力を解放。同時に、溢れた光の中から黒の巨大蜘蛛が大挙する。
「……はッ。やれるもんならやってみろってな」
魔を全開にした白蜘蛛に、数え切れぬほどの黒蜘蛛たち。それを見るロウは鼻で笑う。
迸る紅玉色の殺意に、神紅の魔力で少年が応じ──虚無と眩惑、頂点たる魔神たちの殺し合いが始まった。