8-30 信じるものは
虚無の魔神と妖精神とが逃げ去り、静寂そのものとなった英雄墳墓。
大英雄たちの治療を済ませた豊穣神は、この地を目指す魔物たちを上空から眺めて語る。
〈──見えるか、カラブリア。押し寄せる異形のものどもが。命を賭して侵攻を止めんとする騎士たちが。虐げられる声なき声を上げる民草が〉
「……はい。これを私が、救うのですね」
〈そうだ。救って背負え。希望を示せ。それが大英雄の名を継ぐということだ〉
静かな激励で闘志を燃やす、大英雄カラブリア。
祈るようにして正面に聖剣を構え、彼はしばしの間瞑目し──目を見開いたのちに横薙ぎ一閃。神をも屠る光波でもって、迫る魔物を迎え撃つ!
「「「──ッ!?」」」
上空から放たれた光の激流は騎士たちの合間を縫い、炸裂。骨も皮も残さず対象を焼き尽くす。
地上で戦う歩兵に、亜竜に騎乗し空中戦を行う竜騎兵。それら一切を害さない英雄の一撃は、ものの見事に魔物の脅威だけを取り除いた。
「……奇跡だ。奇跡が起きたぞ」
「違う、アレを見ろ。光った辺りに、誰か浮かんでるぞ!」
「光の柱……まさか、本当の大英雄様……?」
人智及ばぬ所業に動きを止める者。
状況に圧倒されつつも分析に努める者。
現実離れした光景に、神話の情景を結び付ける者。
各々が様々な反応を示す中、大英雄の遺骸を操るカラブリアが地上に降り立つ。
闇夜を切り裂く光の柱に、淡く輝く光の鎧。聖なる剣は残光で軌跡を描き、青年の周りを舞う光球は優しく闇を和らげる。
帝国臣民誰もが知る伝説、その再現であるかのような超常たる光景。
神話の一節が如き状況を前に、その場に集まった騎士たちは咽び泣いて膝を折った。
「大英雄様……ッ!」「大英雄様ー!」「大英雄様、大英雄様!」
「あ、貴方様は、一体……?」
「私を忘れるとは酷いお方だ、サイラス殿。あんなに俺を亜竜騎兵隊に入れようと誘いをかけて、事あるごとに訓練に付き合わされたってのに。……いや、今の俺は顔も身体も変わってたか」
騎乗していた亜竜から降り跪く竜騎兵の隊長に対し、黒髪の青年は冗談めかして気さくに応じる。
「!? 貴方様のような方は知り合いには……いやまさか、カラブリア殿!? 髪色も顔立ちも、まるで別人のようだが……一体どうなされたのだ?」
「大英雄として覚醒したってとこです。魔物の気配はもうないようですが……あいつら、多方面から同時に攻めてきたってことですか?」
「そ、そのようで。俄かには信じがたいことですが。統率者は未だ姿を見せておりませんが、確実に高位存在でしょう。これほどの規模を、そして強力な魔物を操るなど、『前代未聞』というやつです」
古の大英雄が遺した言葉を引用しつつ、青年へ報告を行う竜騎兵の隊長。
引用された言葉を日本語と知るカラブリアは、真面目な言葉も遺しているのだなと苦笑しながら己の見解を告げた。
「その統率者だが、恐らく魔神。それも上位魔神だ。死神様に豊穣神様の力を借りて、ようやく撃退することができた、醜くも難敵だったよ」
〈くはは。その物言いでは、我らがあの山羊頭に劣るようではないか〉
〈あの愚物に劣る? 不愉快極まりないね〉
「「「ッ!?」」」
語る青年の傍へ降り立つ、二柱の神。
ここ帝国でも広く信仰されている神々の降臨により、膝を折る騎士たちは額を地に付け平伏する。
「サマエル様!?」
「バアル様まで……」
「だ、大英雄様に神々まで……」
「本当に神話のようだ」
「豊穣神様に死神様。あの魔神を退け魔物の掃討を終えた今、危難は去ったとみてよいのでしょうか?」
〈まだ重要な案件が残っている。じきに来るはずだ──〉
ちぢれにちぢれた顎髭を撫でつけ、大英雄の言葉に豊穣神が答えたところで──光の粒子が形を創る。
〈──!〉
〈やはりユウスケだったか!〉
「「「聖獣様ッ!」」」
顕れたのは帝都の守護者、聖獣ケルブに聖獣オファニム。
天空神より大英雄の供回りとして遣わされていた彼らは、彼の死後その子孫を護り力を貸すほどに関係が深い。
戦いが終わり懐かしき魔力を感じ取れるようになった今、馳せ参じないわけにはいかなかった。
「聖獣様、カラブリアです。力が覚醒した影響か、どうにもユウスケ様に似た姿となってしまったようですが」
〈……カラブリア、だと?〉
しかし、大英雄そのものとしか思えない青年は、己は再来と称されていたカラブリアなのだという。
艶やかなな黒髪も彫の浅めな顔立ちも、輝く武装も煌めく魔力も。何もかもが、懐かしき人そのものであるというのに。
〈フククク。なんでも良いじゃあないかね、ケルブ。そのようなことは些事だ。重要なのは、都市の脅威を退けた大英雄と帝国の守護天使が、こうして一堂に会している事実。勝利を告げ暗雲を払うには絶好の機だろう?〉
〈〈……〉〉
死神の芝居がかった口上を訝しむ聖獣たちだが、今この時が機であることには違いがない。
猜疑心を外へやり、彼らは青年と共に騎士たちの下へ向かう。
白き羽毛を舞わせる聖獣に、彼らを伴う光の青年。神話をなぞるかのような光景の中、大英雄カラブリアが開口する。
「魔物の脅威は去った! 勇敢なる帝国騎士、帝国の守護者たちよ。よくぞ私の到着まで耐え忍んだ!」
「「「……お、おおおぉぉぉッ!」」」
「……だが、驚異の全てが払えたわけではない。事を起こした張本人、魔の首魁たる魔神は一時退けたが、未だ健在だ」
「「「ッ!?」」」
「しかしそれでも! 諸君らが案ずることはない! 我々人族には死神様に豊穣神様、聖獣様──偉大なる神々がついておられるからだ。そして、救世の大英雄たる、この私がついているからだ!」
「「「おおおぉぉぉッ! 大・英・雄! 大・英・雄ッ!」」」
士気絶頂。
演説前の動揺ぶりが嘘のように、騎士たちは一体となって大英雄を言祝いだ。
その先に待ち受けているものが、何なのかも知らずに。
「──えッ?」
〈〈!?〉〉
間の抜けた声を上げるカラブリアによる、聖なる横薙ぎ一回転。
呆けた表情と裏腹に鋭利な一閃は……聖獣の翼を断ち切り、首を切り離す。
──カラブリアの持つ聖剣「天叢雲剣」は、かつての大英雄ユウスケが創り出した、神をも殺す剣である。
聖剣の名を冠し光を発する退魔の剣ながら、その本領は硬度と切れ味。
神剣さえも欠けてしまう古き竜の鱗すら、この剣にかかれば両断可能。絶対的な切れ味を有しているのだ。事実竜属最硬を誇る海魔竜レヴィアタンは、この剣を振るったユウスケにより尾を断ち切られた過去がある。
──それが意味するところは、この聖剣が魔にのみ効くものではないということ。
すなわち、斬られた聖獣は“殺され得る”ということだ。
「へ……?」
「せ、せせッ、聖獣様ァ!?」
「何を、何をされているのですか大英雄様!?」
「カラブリア殿ッ!? 聖獣様を弑するなど、どういうおつもりだ!?」
燃え上がる聖獣の亡骸と大英雄の凶行を見て、悲鳴に近い叫びをあげる騎士たち。
「い、いや……。俺だって、訳が、分からない……」
毅然としていた大英雄は大いに動じ。
〈よくやってくれた、カラブリア。それでこそ儂が見込んだ男よ〉
〈実に滑稽だね。単なる傀儡を大英雄と崇め、その事実を目の当たりにしてなお、理解できずに喚き散らすとは。……どれ、世のため人のため、我が理解の後押しをしてやるとするかね〉
信仰していた神々は、魔としか思えぬ異形へと変容していく。
膨れ上がる圧力が人を肉塊へと変えていき、迸る雷雨氷炎が炭化凍結死体を生み出していく中。
地獄を見て叫喚を聞く血塗れの騎士が、ぽつりと呟き……悟る。
「ああ……神よ、何故我らを見捨てたもうたのか」
己の崇めていた存在が、神などではなかったことに。





